「表紙・題名・チラ読み」からの期待値の倍増しの充実度。多分書店チェックならスルーと思われ、貧乏人の図書館通いでよかった。
- 作者: 中山康樹
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2009/10/22
- メディア: 単行本
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- 原点回帰
デビューアルバムがコケてロック寄りに修正することにしたディラン。しかし元々は「ロックに憧れて出発」し、流行に乗ってフォークに「挑戦」したわけで、ロック路線は原点回帰にすぎなかった。
- トム・ウイルソン
トム・ウイルソンは1931年、テキサス州ワコで生まれた。ハーヴァード大学を最優等で卒業した翌55年、ジャズを中心にさまざまなジャンルを扱う自主レーベル、トランジション・レコードを設立、セシル・テイラーやサン・ラ等の前衛的なジャズ・ミュージシャンのアルバムを制作する。3年後、経営難から活動を中止、その後ラジオ局で働き、やがてフリーのプロデューサーとして、サヴォイ、ユナイテッド・アーティスツ、オーディオ・フィデリティといったレコード会社でジャズを制作、63年、CBSコロンビアにプロデューサーとして雇用され(略)
ウイルソンが担当した初日、ディランは《北国の少女》《戦争の親玉》等5曲をレコーディング(略)『フリーホイーリン』は成功を収め(略)『追憶のハイウェイ61』の“途中”までプロデューサーをつとめる。
[ディランの後見人として発言権をもっていたジョン・ハモンドを嫌ったグロスマンは新顔トム・ウイルソンを後釜として起用]
では「64年12月8日」、トム・ウイルソンは何をしたのか。
ウイルソンは、ディランに告げず、ディランが過去にレコーディングした3曲《朝日のあたる家》《ゴチャマゼの混乱》《ロックス・アンド・グレイヴル》のテープにエレクトリック・バンドによる伴奏を重ねる
- ジョン・ハモンド
[1942年生、白人で有名富豪子息ながらブルースSSWとしてデビュー。]
注目すべきは、ハモンド・ジュニアが『ビッグ・シティ・ブルース』(64年)において、形式はブルースとはいえ、すでにエレクトリック・ギターやフェンダー・ベース、ドラムスを導入していること、さらに[次作及びライブでマイク・ブルームフィールド、ロビー・ロバートソン、ガース・ハドソン、リヴォン・ヘルム等を起用]
おそらくディランは、これら一連のハモンド・ジュニアの活動を注視、なんらかのヒントをつかんだ。そして「自分ならもっとうまくやれる」との確信を得る。『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』の助走期間に起きたこととは、つまりはそういうことではなかったか。
なぜディランの英国ツアーにウイルソンが帯同していたか
映画『ドント・ルック・バック』は、秀逸な作品ではあるものの、「1965年」という年とディランの関係性、さらにフォーク・ロックあるいはエレクトリック・サウンドヘの移行という観点から捉えた場合、ほとんどなにも記録していないことに唖然とさせられる。(略)
ウイルソンは、『ドント・ルック・バック』にも『65リヴィジテッド』にも登場している。ディランがピアノを弾いている傍らで楽しげに耳を傾けている長身の黒人といえば思い起こす人もいるだろう。しかし「なぜそこにトム・ウイルソンがいるのか」という疑問に対する答えは用意されていない。(略)
[『ドント〜』解説には]ジョン・メイオールのバンド(エリツク・クラプトン、ジョン・マクヴィ、ヒューイ・フリント参加)とレコーディングを試みたものの、ディランとウイルソンがワインを飲みすぎたために成果を残すことができなかったとある。これはいかにも信憑性に乏しい。(略)
[ニコのための書下ろし曲《アイル・キープ・イット・ウイズ・マイン》録音]
ディラン自身は同曲を『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』の初日で吹き込むが完成には至らず、1年後『ブロンド・オン・ブロンド』でリメイクに挑むも未発表となる。またディランはジュディ・コリンズに頼まれてつくったともいわれる(略)
ニコにとって「ブライアン・ジョーンズの恋人」以上の立場を手に入れるためには「ボブ・ディランが自分のために書いた曲」をレコーディングし、発表することが絶対条件になっていた(略)
ニコのヴォーカルとディランが弾くピアノのデュエット、そして1回のリハーサル後、ワン・テイクで録音されたという。プロデューサーはウイルソン。(略)[合間に]ディランはニコに次のシングル候補曲を聴かせ、ニコは「悪くはないけれど《アイル・キープ・イット・ウイズ・マイン》ほどよくないわ」と感想を述べた。のちにその曲は《ライク・ア・ローリング・ストーン》というタイトルがつけられる。
ニコがディランと吹き込んだ《アイル・キープ・イット・ウイズ・マイン》は発売されず、しかしブライアン・ジョーンズの協力を得て《アイム・ノット・セイイン》を吹き込み(略)そのシングルを手土産にニューヨークに乗り込み、アンディ・ウォーホルの目にとまる。(略)[ウォーホルはVUを自費制作するも買い手が現れず]興味を示した唯一の人物に譲渡する。その人物の名はトム・ウイルソン、当時はMGM/ヴァーヴ・レコードに移っていた。ウイルソンはニコをさらに際立たせる曲が必要と判断、アルバムの1曲目として《日曜の朝》を追加録音する。(略)やがて独立したニコはウイルソンのプロデュースのもと、『チェルシー・ガール』の制作に際して《アイル・キープ・イット・ウイズ・マイン》を再度取り土ける。
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- アル・クーパー伝説の否定
65年6月16日《ライク・ア・ローリング・ストーン》にてアル・クーパーが無断飛び入りであのオルガンを弾いたという伝説。
いいフレーズがあるとクーパーがウイルソンに申告するも君はギター弾きと却下されたので、オルガンのポール・グリフィンがピアノに移ったスキにオルガンを占拠して演奏、それをディランが採用etc。《ライク〜》セッションは2日に及び、15日は同曲以外も録音されたが、16日は同曲のみに費やされた。
著者検証によれば前日15日のセッション写真に氏名不詳ギタリストとして写っているのまぎれもなくアル・クーパー。つまり前日参加した時にそれなりに“あたり”をつけていたのだろうし、その日参加の「フランク・オーウェンスが弾いたオルガンをヒントにしたとも十分に考えられる」。
[よく知らない人がアル・クーパーを誤解すると困るので彼の名曲をひとつ紹介]
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- もうひとつの伝説
《ライク・ア・ローリング・ストーン》セッション終了後、トム・ウイルソンは数名のミュージシャンを残らせ、無名のフォーク・デュオ曲にオーヴァーダビングを施した、それが《サウンド・オブ・サイレンス》。事実は、別の日に定説にはない四人のミュージシャンによってオーヴァーダビングは行われた。
65年春、不発に終わった前年発売の『水曜の朝、午前3時』がボストンとフロリダのラジオ局でブレイク。4月5日ウイルソンは解散中のS&Gを呼びサイモン持参の《どこにもいないよ》《はりきってゆこう》をエレキバンドでやってみるもうまくいかず。そして時代はフォーク・ロックが大ブームに。そこでウイルソンは話題になっていた《サウンド〜》を二人に無断でロック化。
[テレビ番組でS&Gの伴奏をすることになったヴィニー・ベル]
曲はもちろん《サウンド・オブ・サイレンス》だった。私は初めてサイモン&ガーファンクルに会った。ポール・サイモンが私に「伴奏、よろしく。それであなたに弾いてもらいたいパートなんだけど、こんな風に……」といってギターを弾きはじめた。私は「ポール、私なら大丈夫だ」とこたえた。するとポールが「ダメ、ダメ。あれはむずかしいんだ。ぼくのフィンガリングをよくみて覚えてくれないか」といった。そこで私は真実を伝えることにした。「あのレコードでギターを弾いているのは私なんだよ」。ポールは驚いた様子だった。
[アル・ゴーゴニ証言]
オーヴァーダビング自体は珍しいことではないが、あの曲には手こずった。どうやってもテンポが合わない個所があり、そのパートはヴォーカルよりエレクトリック・ギターの音を大きくして目立たないようにした。それから12弦エレクトリック・ギターと思っている人が多いようだが、じつはギタリストが2人いる。私とヴィニー・ベルだ。私がエピフォン・カジノで軽いサウンドを弾き、ヴィニーがブルージーな雰囲気をつけ加えた。だから12弦エレクトリック・ギターのように聞こえるんだ。バーズのようなサウンドにすることが目的だったからね。つまりはそれがレコード会社のビジネスということだ。「バーズの成功に乗っかれ」というわけさ。
- ロジャー・マッギン
フォーク・ロック版「坊ちゃんの時代」みたいなw。
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ディランは64年2月マルディグラの熱狂に遭遇して《ミスター・タンブリン・マン》を書き始め、二ヵ月後、音楽評論家アル・アロノウィッツの家でマーヴィン・ゲイ《キャン・アイ・ゲット・ア・ウィットネス》をエンドレスリピートにして徹夜で完成。
世話になってるプロデューサーのジム・ディクソンの提案で渋々《ミスター・タンブリン・マン》をカヴァーすることにしたジェット・セット。ビートルズにいかれていた彼等にとってフォークは時代遅れの象徴だった。
[マッギン証言]
グリニッチ・ヴィレッジでディランをよくみかけたが、親しくなることはなかった。そもそも私は彼の熱心なファンではなかった。ウディ・ガスリーのイミテイターのように思えた。もちろん、あとになってディランに対する見方はまったく別のものに変わった。だがそれが61年から62年ごろのディランに対する印象だった。
オリジナル・シングルズ A's & B's 1965-1971
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[ジェット・セットあるいは初期バーズの《ミスター〜》、当初はジーン・クラークがリード、一旦ボツって、マッギンがリードで再浮上]
12弦エレクトリック・ギターによるタペストリー状のサウンドはマッギンの考案によるが、コーラスやハーモニーに関してはディラーズ(ディクソンがプロデュースを手がけていたブルーグラス・バンド)のディーン・ウェッブの協力に負うところが大きい。(略)
[リハーサル中、コーラスがうまくいかないところに通りかかったウェッブ]
ジムが私に「彼らにコツを教えてやってくれないか」といった。いいとも。私は(略)[マッギン]以外のメンバーを外に追い出し、マッギンに合わせてテナーのパートを歌った。次にそのテープをプレイバックし、テープの上にバリトンのパートを重ねた。そうしてハーモニーを完成させた。彼らはそのテープを聴き、自分が歌うべきパートを覚えていった。
ここからマイルスも登場してのCBSデビューとなるのですが、疲れたので明日につづく。
[関連本]
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