コルトレーン「私は聖者になりたい 」

ジョン・コルトレーン 私は聖者になりたい (P-Vine BOOks)

ジョン・コルトレーン 私は聖者になりたい (P-Vine BOOks)

ビバップ時代

 コルトレーンの音楽が本格的に形成されるのはもっとあとになってからだが、このディジー・ガレスピー・バンドのサイドマンとして演奏し、必死で腕を磨いていたビバップ時代に、彼のスタイルの基になった二つの重要なアイデアがすでにかたちとなって表れていた。ひとつは(1951年3月にデトロイトで録られたラジオ放送音源の〈グッド・グルーヴ〉で聴かれる)ロング・トーンの長さと重さである。彼のここでのR&B風のソロは、まるで誰かを待っているかのようだ。敢えて遠く吹くのを抑えているように聴こえる。もうひとつは(〈コンゴ・ブルース〉でのソロの三コーラス目で聴かれる)一オクターヴのジャンプをする短い耳障りな上昇フレーズである。これは、ため息を逆回転で聴いているような音だ。

57年モンクのカルテットに加入。モンクは鏡を手にしてコルトレーンに自らを見せた。

モンクの創り出す音楽はいつもミステリアスに響いた。だが彼がやっていることを理解すれば、ちっともミステリアスじゃないのが分かる。彼はそれほど大げさなことをやっていたわけじゃない。真実とは単純なものだ。たとえば、彼は曲を書いていて、ある個所で『ここはマイナー・コードにして、三度の音を外そう』などと言い出すんだ。彼は『これはマイナー・コードだ』と言う。わたしが『短三度がなければ、メジャーかマイナーか分からないじゃないか』と言うと、彼は『マイナー・コードの見分け方なんて、いったいどこにあるんだ。とにかく、これは三度の音を抜いたマイナー・コードなんだ』と言い張る。そして彼がそれを演奏すると、音はすべて流れのなかにぴったりはまり、正しいヴォイシングになっていて、マイナーに聴こえるんだ」

オーネット・コールマン

 コルトレーンはコールマンを、ハーモニーの関連性を理論的に学ばなかったメロディ・プレイヤーと見ていたふしがある。彼はコールマンの音楽のなかに、ハーモニーの呪縛、コード理論にまつわる強迫観念から脱却するための糸口を見出した。

1961年11月インタビュー

あるひとつのポイントから出発し、できるところまで行く。だけど残念なことに、わたしは方向を見失わない。“残念”と言ったのは、わたしとしては自分で気がつかない道を発見したいのに、それができないからだ。わたしのフレージングは、たんにわたしの音楽的アイデアの延長線上にあるだけだ。ありがたいことに、わたしにはその方向にどこまでも進んで行けるテクニックがある。そこに何かを付け加えなければいけないんだけど、それは意識的にやることになってしまう。わたしは局部に集中する。つまりいつも与えられたスペースだけで考えるんだ。ソロの全体を考えることはほとんどない、あってもほんの瞬間だ。いつも自分が演奏している地点に戻ってしまう。ハーモニーはわたしにとって強迫観念のようなものになってしまった。まるで望遠鏡を逆の側から覗いて音楽を見ているような気持ちになるんだ。
(略)
コールマンの手法を称賛しつつも、彼にはそれが自分の場合には有効に働かない理由が分かっていた。「わたしのバンドのピアニスト、マッコイ・タイナーはハーモニーに即して演奏する。それがコールマン・スタイルを忘れさせるんだ。彼がわたしに翼を与え、ときどき地上から飛び立たせてくれる」。