ザ・ゴールデン・カップスのすべて

去年ケーブルで観た『ザ・ゴールデン・カップス/ワンモアタイム』再結成ライブの方はデイブ平尾が飛猿フェイスで五木歌唱のガード下ホロ酔いサラリーマン状態、平尾が引っ込んでエディ藩バンド状態になると途端にカッコよくなって、数曲やるとまた平尾が出てきてイモ臭くなるという(なんかこれだと平尾を貶しているようだが、なんというか一歩ずれるとビミョーになりやすい芸風?だからとフォロー。ミッキー吉野の言葉で一番気になったのがマモル・マヌー評

GSの中でトップクラス。レコーディングにも耐えられるドラマー。
それが周りにもわかんなかったし、本人にもわかんなかった、僕はわかってたけど。
絶対よかった。時代に合わなかった。

さらに詳しく書いてないかと借りてみた。

ザ・ゴールデン・カップスのすべて

ザ・ゴールデン・カップスのすべて

田辺から引退する自分の代わりにスパイダースのドラムやってくれと誘われたてな話もありつつ

僕自身、最初はカップス辞めてもドラムはやろうと思ってました。実際、成毛滋と山口富士夫とバンド作ろうってことで、成毛の家で練習したりなんかしてましたけど、結局、富士夫が捕まってダメになって。レコード会社からは、演歌歌えとか、ベンチャーズ歌えってことになってね。だから、自分でドラムを捨てたというわけじゃなくて、流れがそうだったんです。ドラムを叩く場所もなかったし。嫌だっていう気持ちはありましたけど、仕方ないなという感じですかね。でも、今になってみると、やっぱり後悔するわけですよ。またGSとか歌ったりするようになったじゃないですか。バック・バンドのドラムだとか、エディ藩のグループとか見たりするとね、もしあのまま続けてりゃ、これぐらい軽く叩けたなあって。絶対にあんなもんじゃないっていう自信はありますよ。

エディ藩

カップスを辞めた時、ハワイのケネス伊東のところへ行ったのね。向こうでジミ・ヘンドリクスを見たら、その前座が、ちょうどデビューしたばかりのレッド・ツェッペリンだったの。もうそれ見て、俺なんかはどうやっても太刀打ちできないと思った。これは、テクニックとかそういうんじゃなくて、そのマインドにはもうかなわないってこと。エモーションの出し方とかね。やっぱり英語で歌っている以上はかなわないよ。これからは自分なりの音楽をやってかなきゃしょうがないんじゃないかって、なんとなく頭の中にあったから、日本語でどうにかロックをできないのかなーなんて考え始めちゃって。でも当時って、日本語をロックにするっていうこと自体が至難の業でね。(略)
だから、はっぴいえんどが出た時には僕は拍手したよね。やっと俺なんかが思ってることをやってくれたって、すごい嬉しかったよ。拒否反応とか全然なかった。逆に尊敬しちゃったね。なんかすごい解放された気分にもなったし、あとは頼むぜっていう感じ。その後またカップスに戻ったいちばんの理由は、とにかくミッキー(吉野)と音楽をやりたかったってこと。

遠藤賢司

俺、デイヴ平尾とむかし会ったことがあるんだよね。『東京ワッショイ』を出した頃に、彼が曲書いてくれってきたことがある。俺は、演歌みたいなのがいいなと思ったんだけどさ、話してるうちに彼は「演歌かあ・・・」って思ったんじゃない? 2、3回会ったような気がするけど、実現しなかったんだ。(略)
俺、パワー・ハウスの、陳信輝のギターがすごい好きで、よくいちばん前で観てたんだよ。ギターの指の動きがすごく好きだから、こう、かぶりつきで見てるとさ、彼、「もう、見るなよ!」みたいな感じで、クルッってうしろ向きになっちゃっうの(笑)。(略)
あと、〈都市センターホール〉だっけな、「俺、遠藤くんのハーモニカ好きだからやってよ」って言われて、パワー・ハウスと一緒にやったことがある。たぶんクリームの「クロスロード」だったと思うけど、気持ちよかったなあ。(略)
で、しばらくして、横浜のZENに、ダイナマイツとパワー・ハウスとゴールデン・カップスのジョイントを観に行ったの。俺、ダイナマイツも大好きだったから、夢の競演だよ。その時、エデイ藩はカッコいいなと思ったのが、ドノヴァンの「魔女の季節」を弾いた時の、あのワウワウ。ちょっと忘れられないね。

エンケンと細野

大学にやっと入学して、能登川くんという人にギターを教えてもらったの。ちょうどその頃、細野晴臣と知り合ったんだ。俺の友達が、細野くんと中学の同級生で、その友達と近所を歩いてたら、白金交差点そばの電話ボックスで電話してるヤツがいたの。そしたら友達が「あ、細野だ」ってソイツに声かけたんだ。俺その時、ドノヴァンのレコード持ってたんだけど、「あっ、きみドノヴァン好きなの?俺も好きなんだよ。ウチ来ない?」って、そこからすぐそばの細野くんの家に行った。それで「何か唄ってみなよ」って言われて、「ミスター・タンブリンマン」を唄った気がする。そうとう声がデカかったみたいで、細野くんのお母さんには怒られたけどね(笑)。
エイプリル・フール? いや、もっと前。細野くん、学生だったもん。リーバイスの細いホワイト・ジーンズとか履いて、アイビー・カット(笑)。
そう! 俺はその細野くんの友達からギターを借りたんだ。古賀政男ギターっていって、ガットギターみたいなもの。それが俺が手にした初めてのギターだった。そして俺はボブ・ディランの曲を唄うより、自分のことを唄った方が正しいと思って、「本当だよ」という曲を作った。(略)
『720』に出た時、小坂忠レッド・ツェッペリンの「グッド・タイムス、バッド・タイムス」を唄ってて、そこでベース弾いてる、つばの広い帽子被って髭生やした男が見たことあるヤツなんだ。「あれ?細野くん?」って(笑)。2〜3年ぶりに会ったの。たまたま同じ日に『720』に出たんだよ。

ミッキー吉野のメディア戦略

タケカワはさ、あいつは日本人で、英語で歌えて、曲が書けて。それまではあまりいなかったよね、そういう人は。僕は作家としてすごい注目したんだよ。リード・ヴォーカルって感じじゃなかった。本当は作家でいけばよかったのにね(笑)。(略)
何でも人に届かなきゃ意味がないわけだから。だからゴダイゴは最初からそのつもりだったの。レコード会社をコロムビアにしたのも、単純に営業所がいちばん多かったから。あと、NHKの仕事をたくさんやったのは、なるたけ俺なんかの曲、サウンドに、日本中の人が慣れちゃえばいいな、と思ってたからでさ。とにかくメディアだね。そういう完全な計画の上で、ゴダイゴを作った。カップスで失敗したことは、絶対ゴダイゴでは起こさないって気持ちもあったから。

―そういう意味でもゴダイゴって変でしたよ。ポップなのにプログレッシヴでね。
「いや、変だよ。ほとんどがスティーヴとトミーと、ま、3人だよね。僕ら3人だとドラッグやってる人にはいいかもしれないような、何かの揺れがあるんだよね。タケカワってのはまともじゃない?でも、ほかはちょっとね……。売れ方とかやってた仕事のせいでまともな印象があるけど、ゴダイゴは決してまともじゃない。カップスとは違う意味でね」(略)
「だからチャーとやるといちばん合うよね。あいつは日本ではいちばんキーボード・プレイヤーのようなギタリストでしょ。僕はギタリストみたいなキーボード・プレイヤー(笑)。だから、チャーと一緒にやると楽なんだよね。おかしいんだけど、二人ともけっこう行くじゃない。普通の人たちとやると、自分だけスコンって行きすぎちゃって、“アレ?”ってなっちゃう(笑)。チャーとやるとそんなことないもんね」(略)
「チャーが釤ゴダイゴに入れてくれないかな″って言うからさ、”いや、合わないと思うよ、俺とは合うけど、ほかのメンバーとはさ……”って言って、”バンドやるならマー坊なんかいいんじゃない?”って電話番号教えてあげたの」

ルイズルイス加部(マー坊)

――ピンク・クラウドが解散したのはやっぱりチャーさんの気持ちですか?
「そうだね。飽きたんじゃないの? 俺とジョニーはバックだから、チャーがやめようと言ったらそれまでだよ。慣れ過ぎて、俺、遊んだりしちゃうし。前はチャーも遊んでたんだけど、アイツ、TOTOとやってから、すごい落ち込んじゃったみたいで、急に練習し始めちゃって。あの人も負けず嫌いだからね。前はもっと暴れてたんだけど、そのうちギター・ソロになると同じフレーズを弾くようになって……。俺はそうじゃないと思ったんだけどねえ」

Steve Lukather meets 'Char'」