ロールズ正義論入門 森田浩之

 前半をパラッと読んだ。

ロールズ正義論入門

ロールズ正義論入門

  • 作者:森田浩之
  • 発売日: 2019/01/31
  • メディア: 単行本
 

「社会契約論」の系譜 

 ロールズは「社会契約論」と呼ばれる学派の系譜にあり、それを現代の文脈で復活させた人である。だから課題の出発点は過去にある。と同時に、それは西洋と言う限られた地域で始まり、そこで培われた思想である。

(略)
 ロールズが 最も重要と考えるものは「平等な自由」である。そしてこの自由は人間の本性が完璧に発揮される状態である。じつはこの時点で、ロールズはひとつの人間観を前提にしている。

 ロールズは自由を「なにも拘束のない状態」とは考えておらず、むしろ「人間が最も人間らしい状態」と捉えている。これはロールズが「人間であるならば、こうあらねばならぬ。こうあるはずだ」という特定の価値観にもとづいていることを示す。

 人間が人間らしくあるとは、その精神を最大限に活用することであり、それを他人と共有することであり、他人と交流することでさらにその能力を伸ばすことである。そして他人と関わる以上、関わり方についてのルールを合意にもとづいて決めることであり、そのためには精神的にも身体的にも他人の支配下に入ることなく、他人との合意の結果である法律によって守られるということである。

 人間が人間であることの最大の特徴は、その精神の働きにある。そのため、精神の働きを制約してはならないから、「思想・良心の自由」が大切になる。そして人間はひとりでは生きてはいけないし、むしろ他人と交流することによって能力がもっと有効に利用されるから、だれと関わるかということについても制限があってはならない。

(略)

ここで自由とルールは循環関係にある。自由を守るためにルールが必要なのであるが、ルール、すなわち法律が「自由」を定義して、それを保障することになる。

 われわれはここで、なぜロールズはいまさらこれらを正当化するために本を書いたのか、と疑問に思ってしまう。というのも、やはり日常的には、われわれにとっての自由とは、自分の持っているものを、他人にとやかく言われることなく、制限なく使用することや、処分できることである。

 しかしこれは「経済的自由」であって、ロールズが問題にしているのは「政治的自由」であるし、さらに大事なのは、ロールズにとっては、政治的自由のほうが経済的自由より、も重要だということである。

(略)

ロールズの第一の目的は、過去三〇〇年の社会契約論という政治哲学を現代の文脈で語りなおすことであって、現実社会への適用は二次的な関心であり

(略)

[三〇〇年前の西欧]での最も大きな社会的課題は宗教戦争である。当時の政治哲学者たちは、宗派の対立による殺し合いを解決するために「社会契約」という発想を思いついた。

 彼らは、対立を解消して異なった考え方の人びとがひとつの社会のなかで平和的に共存していくためには、社会のメンバー全員が合意したルールにもとづいて統治していくことが必要であると考えた。

 じつはここまで、あまり「平等」という言葉を使わないようにしてきた。というのも、現代のわれわれにとって最も重要な平等は「経済的平等」であり、これはとくに貧困や格差という課題とともに語られることが多い。しかしロールズが第一に問題にしている平等は「政治的平等」であり、「平等な自由」や「権利の平等」のことである。

(略)

ロールズは政治的平等のほうが経済的平等よりも優先すると考えている。

 というのも、貧困から抜け出すために、つまり経済的平等を手に入れるために、自分を奴隷として売ることや、投票権などの政治的権利を手放してよいのか、すなわち政治的自由をみずからの意志で捨ててよいのかと聞かれれば、ロールズはノーと答えるからである。

(略)

 なぜ三〇〇年前の西洋で、このような平等を大切にしなければならなかったのかと言えば、それは宗教が人間の階層性を前提にしているからである。たとえば、ある宗教においては、信者は立派な人間と見なされるが、異教徒は劣等な人間か、または人間以下となってしまう。

(略)

 三〇〇年前の西洋における平等とは、全員がお互いを人間として認め合うことだから、最優先の自由は信教の自由となる。他人を認めるとは、他人の宗教を許容することであり、どの宗教を信じようと、相手を自分と同じ人間と見なすことである。

(略)

だれがどんな神を信じようと、それはその人の自由であり、他人が干渉してはならない。

 ロールズの出発点はここにある。これが共有されていないと、ロールズ正義論を誤読してしまう。ただ困るのは、このように(私が考える)ロールズの正しい読み方を推し進めていくと、多くの人が「ではロールズになんの意義があるのか」と疑問に思ってしまうことである。

 多くの人が考えるロールズ正義論の偉大な貢献は、福祉国家を正当化したことである。しかし以上の解釈を突き詰めると、その先には福祉国家とは別の社会が現れてくる。私が怖れるのは「ならばロールズを読む価値はない」と切り捨てられることである。

 とはいえ、私はいままでのロールズの読み方、つまり「ロールズが経済的平等を正当化した」という考えに疑問を呈したいと思っている。それはロールズの現代的意義を失わせてしまうかもしれないが、私はかえってロールズの歴史的価値を高めると信じている。

 現代における格差と貧困は、われわれにとって最重要課題ではあるが、この問題に目を奪われてはならない。というのも、政治的自由と権利という、いま現在はだいたいが達成されているからそれほど気にしなくてよいが、一度失ったら取り返しのつかないものに、改めて思いを馳せるべきだからである。そしてこちらのほうが普遍性のある課題である。

 (略)

 法の下の自由には、政府の思いつきで逮捕されない権利や、財産を没収されない権利、犯罪の被告人になった場合の公平でオープンな裁判を受ける権利も含まれる。

 ロールズはこれらの自由が人間にとって最も重要であり、経済的繁栄のためにこれらを手放してはいけないと主張する。ロールズにとっての自由は、くり返すが、外部からの制約のない状態という消極的なものではなく、人間の本性が発揮される条件であり、それを手に入れるためにわれわれ自身が努力しなければならない積極的なものである。

 ロールズは、単に「制約のない」という意味での自由を想定してはいない。他人がとやかく言わなければそれでよく、あとは個々人が他人に迷惑をかけなければ好きなことをしてよい、ということではない。ロールズは具体的な人間像を提示して、われわれはそれを目指さなければならないとしている。

 この主張を最も端的に表しているのが、みずからの自由意志で奴隷となることの禁止である。人間はどんな利益を得られようとも、自分からこれらの自由を手放してはならず、金銭的見返りがあるからといって、みずからを奴隷として他人に売り渡してはいけない。

 このような意味で、ロールズはかなり厳しい人間像を前提にしている。

(略)

 じつはロールズを、従来の福祉国家の正当化という読み方ではなく、社会契約論の精密化と読むことの意義はまさにここにある。本書の冒頭で書いたように、ロールズが自由を優先することに、二一世紀の先進国に住むわれわれは違和感を抱く。なぜなら、すでに前記の自由と権利を勝ち取っているからである。

 しかし実際のところは、われわれは獲得したと信じ込んでいるだけで、それを活用しきってはいないのではないだろうか。形式上は言論の自由を獲得したように見えて、われわれは金銭的利益のために、暗黙のうちに言論の自由の一部を捨ててしまっているのではないだろうか。なにかに遠慮して本音が言えない状態は、言論統制の予兆である。

「正しい社会とはなにか」 

 すでにお感じのことと思われるが、ロールズは厳しい人間像を提示しており、それは「損か得か」という打算ではなく、「正しいか」「正しくないか」と言う普遍的な基準にもとづいている。

(略)
ロールズは、功利主義が想定する「喜び」「痛み」や欲望を、道徳的な人間が具えるべき美徳とは考えていない。(略)

人間には本性として正しい物事を識別できる能力があるとしている。

(略)

 当然のことに「では犯罪者はどうなのか」という反論が出てこよう。(略)このような批判にロールズは長年悩まされてきた。なぜなら、これはロールズの目的ではないからである。ロールズは現代版の社会契約論という意味では、完璧な書物を書いたが、そこから派生するすべての課題に言及することは不可能である。ロールズは「人間とは本来的に、こういう存在だ」という前提のもとに、正しい社会のあり方を語ったのであって、そこから外れた人がどういう理由で堕落したのかは、別の次元で説明されるべきことで、これについてロールズに責任はない。だからここで議論されるべきはロールズの人間観自体であって、揚げ足取りに関わってはならないだろう。

(略)

 細かく見ていくと、自分にとって価値あるものを見つける合理性を育てるために思想・良心の自由と結社の自由が必要であり、たとえば言論の自由 (思想の自由と結社の自由の結合)がなければ、哲学や宗教など、さらにはそれらを含めた多様な道徳論や倫理観を比較検討して吟味することができない。これが個人の価観を形成していく。哲学や宗教を自由に議論することは、人生の意味を問うことであり、それによって「どんな人生にしたいか」「その人生を実現するために必要な資源はなにか」というその人にとっての価値観、すなわち「善」が明確になる。

 そして思想の自由と政治的自由が合わさることで、今度は「正しい社会とはなにか」ということが議論できるようになる。これは「正しさ」を識別する理性を鍛えることになる。政治は全員が納得する解を見つけることだから、単なる「善し悪し」ではなく、「正しさ」を追求する必要がある。だから政治に関与することで理性が発展していく。

 道徳や政治的課題について自由に討議し、政府を批判し、公的な政治活動に参加していくことは、社会の正義を考える能力を伸ばし、それにもとづいて行動しなければならないことを教える。だからこそ、これらの自由には特別な保護が不可欠となる。社会の正義について考えるために自由が大切にされるべきなのであるが、こういう自由を守るために社会において正義を実現しなければならない、という循環関係になっている。

 ヘイトスピーチと誇大広告

 ロールズは政治的発言に関しては、かなり広範囲の自由を認めている。例えばヘイトスピーチそれ自体は禁止されるべきだと考えていただろうが、ヘイトスピーチとみなせるからと言う理由だけで、類似の言動を全て排除して良いと主張していたわけではない。

(略)

ロールズ門下のリベラル学者は、感情的には認められないだろうが、原理原則から[ホロコースト否認]デモ行進を認めなければならないとしている。

 しかし一方で、ロールズは誇大広告の商業的な表現に関しては、政府や自治体は禁止できると考えている。われわれの感覚からすれば、前者は禁止されるべきで、後者は容認されるべきであろう。というのも、前者はユダヤ人の心情を著しく傷つけるが、後者は商品の質を決めるのは消費者であって、当局に取り締まる権限はないと思われるからである。

 ロールズはわれわれの常識とは正反対に、政治的意見はほとんどいかなる場合でも規制されてはならず、商業的表現には行政が介入してもよいと主張する。それほどロールズは政治的自由、とくに政治的な言論の自由を神聖なものと見なしており、一方で経済分野、とくに商業については優先順位として劣るだけでなく、これを取り締まることでかえって社会的無駄を省けると考えている。

(略)

[ロールズは]政治的自由こそ完璧に守られるベきであって、所有権のような経済的自由のほうが境界はあいまいだとしている。なぜかと言えば、ロールズにとって個人の労働で創り出された成果は、その個人だけの働きによって生み出されたものではなく、社会的な協働作業の結果としてもたらされたものだからである。

(略)

ロールズの考える基本的自由は(略)いずれも精神に関することや、人間関係についてのことである。人と結びつくことが前提であり(略)「他人に関与させず」という従来の自由の定義とは大きく異なっている。

所有権は基本的自由には入らない

 保守にとって所有権は絶対的だから、本人の同意なく、それに手をつけてはならない。リベラルは、このまま放置して政府がなにもしなければ貧富の格差が広がってしまうから、政府はお金持ちから税金を取って、それを福祉という形で貧しい人たちに再分配すべきであると主張する。

 ロールズはそもそもの前提から、この議論を覆す。ロールズにとって、所有権は基本的自由には入らないから、「本人の同意なく、個人の財産を取り上げてはならない」という保守の発想もなければ、意外に聞こえるかもしれないが、リベラルの「貧富の格差を是正するために、本人の同意がなくても、政府は個人の所有物(の一部)を没収できる」という考え方にも賛同しない。

(略)

ロールズの理論のなかには、お金持ちが嫌々ながら税金を差し出して、それが政府を通じて貧しい人たちに配られるというシステムは存在していない。

(略)

なぜなら、最初の正義の二原理を採択する段階で、極端に貧しい人が生じてこないような制度を、社会のメンバー全員の合意によって決めているからである。

(略)

全員が完璧に平等な立場で、公平に決めた原理をただ守っているだけである。そこには「税金を取られる」という不満も、「助けてあげたい」という情緒的な善意もない。単に「決めたことに従う」というドライで冷静な判断に則って粛々とルールを遂行しているだけである。

 ロールズの独自性は、このように中心概念である「自由」が保守とリベラルに関係なく、現実の政治用語と異なっていることである。だからこそ、かえって「ロールズには現実を変える力がない」という妙な幻滅感が広がることにもなる。

 お金より投票権

ロールズは、社会的基本財のなかで「自分を価値ある存在」と見なすための社会的基盤が最も重要なものであると示唆している。おそらく、自由と権利、パワーと機会、所得と富は、すべて「自分を価値ある存在」と見なすための社会的基盤の手段である、と考えてもよいのではないだろうか。

 しかしロールズのユニークなところは、「自分を価値ある存在」と見なすための社会的基盤の手段として、経済的要因ではなく、政治的要因を重視していることである。

(略)

所得や富を平等にするよりは、政治的自由を平等にするほうが、セルフ・エスティーム(「自分を価値ある存在」と見なすこと)は高まると考えている。

(略)

ロールズにとっては、お金を持っていることよりも、みんなと同じ影響力を有する投票権を得ていることのほうに意義がある。そのほうが金銭面よりも、市民として、すなわち立派な社会のメンバーとして見なされることになるからである。

 「平等な自由」と所有権

 ここで注目したいのは、すでに述べたが、ロールズが「平等な自由」と所有権とでは、前者のほうを優先していることである。自由主義経済学者は、自由を財産・資産を自分の意志で保有し処分する権利と捉えている。所有権こそが自由の基礎の基礎だということである。一方、ロールズは自由を人間が能力を発揮するための条件と見なしており、所有権を自由には含めていない。さらに財産・資産は社会的協力によって生み出されたものであるから、個人には排他的な(他人を排除できる)権利はないと考えている。

 すると、ここからはロールズが具体的には説明していないので想像するしかないが、格差原理が社会の基本構造に入っていることによって、以上の所有権や取引権にも、特別な意味が与えられるだろう。財産が社会のもの、みんなのものでないことはたしかであるが(共産主義になってしまうから)、完璧に個人の所有物というわけでもない。

 市場取引についてロールズは、財やサービスの交換に関しては市場によって価格をつける方式を支持しているが、所得と富の分配がすべて市場の結果になる、いわゆる「市場原理主義」には反対している

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ゴッホの手紙 絵と魂の日記

 

ゴッホの手紙―絵と魂の日記

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[1880年6月]

一体何ができるのだろうか。内面に起こるものは、外面に現れ出るものなのだろうか。人間の魂には、大きな炎があるものだ。しかしながら、そこには誰も暖まりには来ない。通りがかりの人々は、煙突のてっぺんからわずかな煙が出ているのを見るばかりで、通り過ぎて行ってしまう。

 

では一体どうするべきなのか。内部の炎を燃やし続け、自らの内に刺激を保ち、我慢強く待つことだ。とは言え、誰かがやってきて炎の傍らに座りたがるかもしれない時を、もしかしたらそこにとどまりたがるかもしれないその時を待つのに、どれほど辛抱が必要なことだろうか。そんなことを、どうしてぼくが知っているだろう。神を信ずる者には、遅かれ早かれ訪れるその時を待たせておこう。

 

今はさしあたって、万事まったくうまくいっていない。かなり長い間こんな調子だったし、今後もしばらくの間このままかもしれない。しかしながら、何もかもが間違っているように見えた後に、すべてがうまく運ぶこともあるかもしれない。そんなことをあてになんかしていないし、おそらくは起こらないだろう。でも、物事が好転した時には、それはとても大きな進歩だと考え、満足することだろう。そしてこう言うのだ。「とうとうやったぞ! そうだ、結局のところ何かがあったのだ。

(略)

春、籠の中の1羽の鳥は、自分に得意なことが何かあることをよく知っている。やるべき何かがあると痛烈に感じていながら、それを実行することができないのだ。それは何なのか。よくは思い出せない。それゆえに漠然とした考えを抱くようになり、独り言をつぶやく。「ほかの鳥たちは、巣作りして、卵を産み、ひなを育てている。」そして、籠の柵に頭を打ちつける。籠はびくともせず、鳥は深い苦悩で気が狂うのだ。

 

通りがかった別の鳥が言う。「ろくでなしがいるぞ。あいつはのんびり寛いでいる。」しかしながら、捕らわれの鳥は生き延び、死ぬことはない。彼の内面で起こっていることが、外面に明らかになることはない。彼は元気であり、陽光の下では多少なりとも快活になる。けれども渡りの季節がやってくると、メランコリーの発作が起きる。「でも」と、籠の鳥を世話をしている子供たちは言う。「必要なものはすべて持っているのに」。だが、鳥は外に目をやり、黒く今にも雷雨が来そうな空模様を見ている。そして、心の中で運命に嫌悪を感じている。「私は籠の中にいる。私は籠の中にいる。だから何も不足はない。ばかな!必要なものは何でも持っているだって! ああ、後生だから自由を与えてくれ。ほかの鳥たちと同じように。」

[1882年7月31日]

ぼくの作品の市場価値について、いずれぼくの作品が他の作家のようには売れなかったとしたら、ぼくは非常に驚くだろう。売れるようになることが、今起こるかのちに起こるかについては、そんなにこだわっていない。自然に基づいて忠実に粘り強く、辛抱強く描き続けることが、ぼくにとって確固たる道と思われるし、それが無になるということになるはずがない。

 

自然に対する感情や愛情は、遅かれ早かれ芸術に関心をいだいている人々の心に、必ず響くものなのだ。画家の本分は、他人に理解してもらえるように、自然を深いところまで探究し、自身の知性を総動員し、自分の感情を作品にこめることだ。しかし、販売目的で仕事をすることは、ぼくの考えではまったく正しい道ではない。むしろ、芸術愛好家をあざむくものだ。

 

この地での知り合いの何人かの画家が、水彩と油彩に苦労して取り組みながら、答えを見つけられないでいるのを見る時、ぼくは時々思う。同士よ、問題はきみたちの素描にあるとね。今のところ、ぼくは、水彩と油彩にただちに取り組まなかったことを後悔はしていない。ぼくにとって確かなのは、素描さえ努力して取り組んでいけば、遅れを取り戻せるだろうということだ。だから、ぼくの手は、ためらいなく素描や遠近法に取り組んでいる。

[1883年9月15日]

ぼくは屋外で、何人かの素晴らしい人物を目にした。彼らの質素さが表すものに、心打たれた。例えば、女性の胸は重労働に激しく上下しており、なまめかしさとは正反対にあるものだ。老いたあるいは病気の哀れな人間は時に同情を誘うが、また別の時には尊敬の念を起こさせる。物事の憂うつな側面は、ミレーの素描にあるように、たいていは健全な種類のものだ。幸運なことに、ここの男たちは短ズボンをはいているので、脚の形が明らかで、その動きをより表現豊かにしている。

[1885年10月]

昨今の美術市場についてのぼくの悲観的な態度には我慢してもらいたい。というのも、きみを落胆させるつもりはまったくないからだ。ぼくは自分をこんな風に納得させている。絵画価格の異常な取引きは、ますますあのチューリップ貿易に似ているというぼくの見方が正しいとしよう。そして、過去のチューリップ貿易のように、ほかの投機部門とともにこの美術市場は、今世紀の終わりまでに、それが起こってきた時と同じように比較的早くに消えてしまうと仮定しよう。

 

チューリップ貿易は終わっても、園芸業はそのまま残る。だからぼく自身としては、良くも悪くも、自分の庭の花を世話をする園芸家でいられれば満足なのだ。

 

近頃、ぼくのパレットは次第にほぐれてきた。初めの頃の不毛な色づかいは消え失せた。

 

今でも時折、何かに着手して間違いを犯すことがあるが、色彩はそれぞれ自然に出てくるのだ。仮に、ある色を出発点とするならば、次に何色が来るのか、どのようにそれを活かすことができるのか、ぼくにははっきりとわかる。

[1885年11月]

ともかく、アントウェルペンは、確かに画家にとって、とても不思議で美しい街だ。

 

ぼくのアトリエは、十分我慢できる。というのも、壁にひとまとまりの日本の版画をピンで留めてみたところ、たいそう楽しげな感じになったのだ。知ってのとおり、版画には、庭や浜辺にいる女たち、馬に乗る男たち、花々、節くれだったいばらの灌木などが描かれている。

[1886年1月]

自分の習作を他人のものと比べてみると、奇妙なことに、共通点がほとんどない。

 

彼らの習作は、ほとんど肌と同じ色であり、だから近くで見ると非常に正確なのだけれども、少し離れて見ると、痛ましいほど平坦に見えるのだ。すべてピンクや繊細な黄色などだ。それ自体は柔らかなのだが、実際には堅い印象を与えている。ぼくが使うのは、近くでみると緑がかったピンク、黄灰色、白、黒、そして多くの中間色で、ほとんどの場合、同定することができない色だ。だが、少し下がって見ると、それが絵具を超えて、ふさわしいものとなる。絵の周りには雰囲気があり、揺れ動く光のようなものが絵の上に落ちている。同時に、最後には絵につやを与えるもっとも小さい色の点が、絵の中で主張し始めるのだ。

 

しかし、ぼくに欠けていることは実践だ。50枚はこうした絵を描く必要があるし、それでこそ何かを得ることができるだろうと信じている。今は、絵具を塗ることがあまりに労力を要するものとなってしまっているが、それはぼくが、まだそれに十分に習熟していないため、探求に大変な時間がかかり、へとへとになるまで働いているからだ。しかしこれは、辛抱づよく絵を描き続けるかどうかの問題であり、描き方を自分のものにすればするだけ、筆触はますます核心をついたものとなるのだ。

[1888年2月21日]

最初に知らせておくが、あたり一面銀世界だ。少なくとも2フィート(約60cm)は積もっていて、しかもまだ降り続いている。

(略)

ごくかすかなライラック色の山々を背景にして、赤土に葡萄の木々が植えられた素晴らしい眺めがいくつかあることに気づいた。それから雪景色だ。雪と同じくらい輝いている空に映える山々の白い頂は、まるで日本人が描いた冬景色のようだ。

[1888年3月18日]

この田舎の景色は、澄んだ空気と鮮やかな色彩という点で、ほくにとっては日本と同じくらい美しい。水が、風景の中で、日本の版画で目にするようなきれいなエメラルド・グリーンと豊かな青の斑点を作り出している。淡いオレンジ色の夕焼けが、地面の青からくっきりと浮き立つ。そして太陽はまばゆいばかりの黄色だ。このあたりの景色を、あの夏の輝きのもとでも見なければなるまい。ここの女たちは上品に着飾っていて、特に日曜など大通りに行けば、とても単純だが巧みな色の組み合わせを目にすることができる。きっと夏になればいっそう輝きをますことだろう。

[1888年6月5日]

ここの海を見て、ぼくは今や、この南仏にい続けることの重要性と、色彩をさらに誇張することの必要性とを、完全に確信している。ここはアフリカそのものだってそう遠くないのだ。

 

きみがここでしばらく過ごせたらいいのに。しばらくいれば、ぼくが感じたのと同じようにきみも感じるはずだ。ものの見方が変わり、ものごとをより日本人のような目で見るようになる。そして色彩に対してこれまでとは違った感覚を持つことになる。

 

実際、ぼくは確信しているのだが、ここにしばらく滞在することは、自分の個性を解放するために必要なことにほかならないのだ。

 

日本の芸術家はすばやく素描する。まるで稲妻のようにとてもすばやく。それは彼らの神経がより繊細で、より単純な感覚を持っているからだ。

 

ここに来てまだ数ヶ月にしかならないが、パリにいてぼくが船の素描をわずか1時間で描くことができたと思うかい? それも透視図制作用の枠さえ用いずに。それができたのは、計測などせずに、気のおもむくままにペンを走らせているからだ。

[1888年7月22日頃]

ぼくがその上に何かを描いたカンヴァスは、白紙のカンヴァスよりも価値があることは確かだ。ああ、これこそぼくにとって、絵を描く権利、絵を描く理由のすべてなのだ。信じてほしい、ぼくはこれ以上のものを望むことはない。

 

そして結局のところ、ぼくは犠牲を払ってきたのだ。ぼくが送ることのできる、そして送らねばならなかった生活のために、つまり博愛主義者としての生活を送るために、ぼくの身体は痛めつけられ、頭は混乱させられてしまった。

 

ぼくの集中力はいよいよ高められつつあり、筆触はより確かなものになりつつある。

 

だからあえてきみに約束しよう。ぼくの絵はもっとよくなる。なぜならぼくが残したのはこれしかないのだから。

[1888年9月17日頃]

こんな機会を持ったことがなかったせいだろうか、ここでは自然がとびきり美しく感じられる。いたるところ、あらゆるものが美しいのだ。天空は輝くように青く、太陽は薄い硫黄色の光を放つ。それは、フェルメールの絵画における神々しい青と黄色の組み合わせと同じくらい柔らかく魅力的なのだ。そんな風に美しく描くことはできないが、あまりにも夢中になるあまり、筆が進むに任せ、規則などすべて忘れてしまう。

 

印象主義の中に、ぼくがウジェーヌ・ドラクロワの再生を見ていることは事実だ。だが解釈としては、両者は非常に異なっており、ある程度までは互いに相容れない。印象主義が、皆が従うような原理を作り出すことはないだろう。

 

そういうわけで、ぼくは印象主義者たちの中にとどまっている。印象主義は何も主張しないし、何かを約束するわけでもない。そして彼らの中にいれば、ぼくは自分のことを説明する必要がない。

 

スーラはどうしているかい。すでにきみに送った習作を、彼にあえて見せようとは思わないが、ひまわりや宿屋や庭などを描いた作品は、彼にはぜひ見てもらいたいと思う。ぼくは彼の理論についてよく考える。その理論にぼくが従うことはまったくないが、彼は独創的なコロリスト(色彩画家)だ。異なるレベルではあるが、シニャックにしてもそれは同じだ。彼らの創案した点描法は新しいものだし、事実ぼくは彼らのことがとても好きだ。だがぼくに関しては、きみには正直に言うが、パリに出る前にやろうとしたことに戻ろうとしている。ぼくより以前に暗示的な色彩について語った者がいるかどうか知らないが、ドラクロワとモンティセリは、それについて語っているわけではないとしても、暗示的色彩を実践した画家だ。 

自画像のゆくえ 森村泰昌

 

自画像のゆくえ (光文社新書)

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  • 作者:森村 泰昌
  • 発売日: 2019/10/16
  • メディア: 新書
 

 カラヴァッジョ

西洋美術史を語るうえで欠くことのできない重要な画家であるにもかかわらず、どうしてこんなに[光と闇の世界の発端を作った]カラヴァッジョは日本に定着しなかったのだろうか。

(略) 
黒田清輝は、明治以降の日本の美術を牽引した画家であり指導者だった。(略)

黒田が書いた小論を引用してみよう。

 

日本絵画が線や色彩のみで構成されるのに対し、「西洋の絵画は全く反対だ。神秘的な闇や柔らかい揺らめく光は、おのずと瞑想や複雑な思索に適している」「我々は何と深みを欠いていることだろう」

(略)

[フランスで]西洋絵画の光と闇の世界をまのあたりにし、日本人である黒田はいかなる選択をすべきかと悩む。悩んだすえに黒田のえらんだ道が、明治以降の日本の美術史を方向づける、重要な選択となった。黒田はこの小論をこうむすんでいる。

 

これら(光と闇の表現)は日本では馴染まないものとして、「(日本で特徴的な)単純な線と明快な色彩を愛そうではないか」「レンブラントより光琳たろうではないか」

(略)

黒田は、レンブラントに見られるような光と闇の世界がスゴイと感じ、これを模写しさえしたが、では日本にいかなる西洋の文化(美術)を持ち帰るべきかと考えたとき、この光と闇という世界のありかたを日本に根づかせるのは困難だとの結論にいたった。キリスト教文化の深奥が理解されなければ、光と闇の思考は日本には根づかない。結局黒田がえらんだのは闇なき世界、光と色彩がかなでるあかるい世界である印象派だった。

 こうして黒田は帰国後、「外光派」をたちあげ、白馬会を結成し、東京美術学校の教授に就任し、のちには貴族院議員となる。黒田によって、西洋美術とは印象派のことをさすかのような、まさに“印象”を日本にうえつけ、皮肉をこめていえば、日本文化の未来を“あかるく”変革していった。その結果、日本でおおくの人びとが思いうかべる西洋美術の作品といえば、まず印象派のあかるい絵画となっていく。

カラヴァッジヨが残した宿題

 カラヴァッジョにとって絵筆とは、殺傷能力を持つナイフと同義であったといっていいだろう。若いころのカラヴァッジョはならず者で、何度となくナイフで他者を傷つけたが、やがてそのナイフの刃先は自分自身にむかってくることになり、最期は38歳でのたれ死に同然のおわりかたをした。

 絵筆のほうはどうかといえば、カラヴァッジョはナイフをふりまわすかわりに、カンバスに、血、死、闇、野卑、悪、暴力、痛みといった絶対悪を描きなぐった。結果、強い刺激といいしれぬ魅力が発露して、それが画家としての才能を開花させるきっかけとなった。

 しかし、現実世界においてナイフの刃先がみずからにむけられてしまったのと同様、死や痛みを描く絵筆は、画家自身をも死と痛みの対象として描くこととなった。カラヴァッジョとは、人間としてのフィジカルな死と、画家としてのメタフィジカルな死をかさねあわせた画家だった。

 カラヴァッジョは、はしにも棒にもかからない人生の落伍者であったが、その反面、真正面から絵画世界とむきあった、思いのほか正直な画家であったともいえる。みずからが生みだしてしまった絵画の強度が、当の画家自身にも制御しきれなくなっていったときも、この絵画の強度からのがれようとはしなかった。律儀にもそれをまともにうけとめ、その結果みずからをも破滅させてしまった。なんと生真面目な選択をした画家であろうか。

 それにしても、カラヴァッジョを知ってしまってのちの西洋美術史は、この画家からおおきな宿題をつきつけられることになった。強度と魅力をかねそなえる絵画のありかたを探求していけばいくほど、画家はみずからをもぬきさしならぬ深みへといたらせることになる。

(略)

 この重い問いかけが、17世紀以降のいわゆるカラヴァジェスキ(カラヴァッジョ派)と呼ばれる画家たちに課せられた宿題となった。(略)

[その課題を真摯に模索しつづけた]重要なひとりがベラスケスである。

ベラスケス 

 カラヴァッジョにとって、世界は神々の光に満ちたかがやかしさではなかった。世界は闇である。鋭いナイフを思わせる光でこの闇を切りさくと、“悪”が目に見える現実の姿となってあらわれる。その劇的な刺激の強度をカラヴァッジョは絵画化した。(略)

 ところがこの、“悪”とともに生まれる絵画の強度は、やがてこれを生みだした画家自身さえも破壊してしまう両刃の刃であった。(略)

あかるいルネサンス時代のあとに、このような闇の世界があらわれたという裏面史を、西洋美術史は隠しもっている。

 この美術史上のダークサイドとでもいうべきカラヴァッジョ・ショックにたいし

(略)

[ベラスケスは]いかなる答えをだしたのか。(略)

私はこう答えておこうかと思う。ベラスケスは、カラヴァッジョのように「闇を切り裂く」のではなく、「闇を洗った」のだと。クリーニングである。

 暗闇に壺があったとしよう。カラヴァッジョなら闇に鋭い光線をあびせ、その裸形をあらわにし、つぎにこれをハンマーでたたきわってしまうだろう。その痛みやサディズムが、人間の死の本能を刺激して、悪の魅惑へと人びとをまきこんでいく。(略)

ベラスケスは壺をこわさない、慎重に“洗い”をかける。

(略)

 たしかにこの世は聞かもしれない。しかしこの闇も、みがきかたしだいでは、かがやきとりもどせるかもしれない。ルネサンス時代のような、よどみのないきらめきはとりもどせないかもしれないが、いぶし銀のようなかがやきなら復活させられるかもしれない。

(略)

“品格のあるかがやき”としての“リュパログラフォス”が、ベラスケスの探求したすべての絵画の根本にはあるような気がする。

なぜ《夜警》は低評価されたか

[小林秀雄の《夜警》低評価の元ネタがウジェーヌ・フロマンタン]

なぜフロマンタンは《夜警》が「感動できない」と、これほどまでに強く主張しているのだろうか。

(略)
 「観察者としてのレンブラント」と「夢想家としてのレンブラント」という「二人のレンブラント」(略)によってひきさかれ混乱した作品になっている。だからレンブラントの代表作とはいいがたい。フロマンタンはこのように分析している(略)

 《夜警》は、アムステルダムの自警団の組合から依頼された組合員たちの集団肖像画である。肖像画なら(略)人物描写にてっすべきであろう。

 ところがここに「夢想家のレンブラント」が介入し(略)画家が思い描く空想世界を実現させようと、ライティングのコントラストをことさらハイキーにしたり、演技過剰な演出をモデルに強要したりして、肖像画というよりは、なにか架空の物語のワンシーンであるかのようにアレンジしてしまおうとする。(略)

そのやり口があざとくて不快だと、フロマンタンは非難している。

(略)

 人間はいつの時代であれ、“演技する生き物”として、“素顔/素裸”ではおれないように運命づけられている。

(略)

 20世紀以降の人びとは、おそらく自分がこの“演技する生き物としての人間”であることを(略)視覚メディアをつうじて、あきるほどあじわっている。

(略) 

 しかし時代が17世紀であればどうだろう。(略)

もし仮に、レンブラントがその絵画世界において、“演技する生き物としての人間”の感覚を自分の表現の根幹にすえていたのだとすればどうだろう。それは同時代の人びとにはあまりに斬新で理解しがたく、かれらはそれをどうとらえていいのか困惑してしまうのかもしれない。

(略)

 もしレンブラントが、17世紀において、現代の映画製作者のような感覚をすでに持ちあわせていたとしたら、出演者にポーズをつけたりライティングを工夫したりすることは、めずらしいことでもなんでもなかったはずである。

(略)

 しかし17世紀には、いやそれどころかフロマンタンの時代ですら(略)「観察すること/肖像画」と「夢想すること/物語画」の中途半端な(と思える)まじりあいには、まだまだ承服しがたい違和感があったのだと思う。

 現代人の私(略)なら、《夜警》はまるで映画のようだと、単純におもしろがることが容易にできる。実際、ゴダールグリーナウェイのような映画製作者は、《夜警》に映画感覚を感じとり、これを映画化したいという強い欲望にかられたのである。

レンブラントの「演技する自画像」

1631年の自画像

 折り目正しいブルジョアの服を着て、こちらを見ている。自分が相手にするのは、王侯貴族ではなく市民階級であり、自分自身もその一員だというメッセージをこめて、こういう“扮装”をしてみせたのではないか。(略)ブルジョアにあえて扮装してみせたという、“素顔のわたし”を演技する「わたし」である。

(略)

[友人と構えた共同アトリエにオランダ政府高官ハイヘンスがやってきてイタリア旅行を勧めたが]ふたりはそれをきっぱりとことわった。(略)

 ハイヘンスは[自伝で]、ふたりの優秀なオランダの若手画家が自分のアドバイス聞く耳を持たない横柄な態度を、なんとおろかなことかと批判している。

(略)

[だが]

 ふたりの若い画家には、新時代の到来が見えていた。ありていにいうなら、これから自分たちが画家という職業をえらぶにあたり、ビジネスチャンスがどこにあるかという点について、敏感にそのありかをかぎとっていた。ビジネスチャンスは、もはや教会や王侯貴族たちの宮殿にはない。そうではなく商業都市アムステルダムをささえる新興勢力の市民階級のなかにこそ、それはある。これからはそういうターゲットにむけて絵を描くべきだ。こういうことをかれらは明確に認識し、実践しようとしていたのだと思われる。

(略)

1640年の自画像

 堂々たる貴族に扮している。

 あきらかにルーベンスを演じている「わたし」である。ルーベンスの自画像を見れば、それはあきらかである。

(略)

 レンブラントは貴族風に演技した自画像を描いていても、どこか自分自身をさめた目で観察することはわすれずにいた。レンブラントの主要な顧客であった市民階級の人びとのなかには、当時のオランダのバブル経済にうかれ、享楽的な生活を送っていた人びともきっとおおかっただろう。レンブラントはそういう社会に属し、そういう人びとを相手にしてはいたが、自画像として描かれる顔や目つきは、いつもどこか興ざめしているかのような表情である。人びとは、この画家とはなかなかつきあいづらかったことだろう。

(略)

1630年《乞食になった自画像》

自虐ネタといってもおかしくはないレンプラントの初期エッチング作品がある。変顔で、なにかにむかって吠えているかのようである。怒っているのだろうか。(略)

 乞食を演じるという自画像感覚は、レンブラントの意外に正直な素顔の表出なのかもしれない。品格と教養と幸福感に満ちたルーベンスのような高貴な身分に憧憬をいだきつつ、それを持ちあわさない庶民出身の自分自身を、「乞食」(のような存在)と同一視して、これをわざとらしく演じてみせる。もしかしたら、こういう「乞食としてのわたし」を演じているほうが、救われた気持ちになっていた可能性もある。

(略)

1660年自画像・セウクシスとしての自画像

(略)

 後者は古代ギリシャの伝説的な画家セウクシスに扮した自画像である。(略)人気作家であったころからは一変した、いまの自分の境遇をむやみに吐露することなく、偉大な画家にみずからが扮することで、自分自身の画家としての歴史的位置づけを、自力でおこなっている。(略)

 それにしても、なんと老けこんだ“レンブラント/セウクシス”かとおどろかされる。

(略)

1669年の自画像

 レンブラント最後の自画像である。つきものがおちたような温厚な顔である。しかしこれもまた、レンブラントのたくみな“ラストシーン”の演出だったのかもしれない。

《デルフトの眺望》と《牛乳を注ぐ女》

[1654年大雷鳴で火薬庫が大爆発し、デルフトの町の1/4が破壊された]

こうした悲劇的な歴史的経緯を知ると、たんなる美しい街並みを描いたという以上の、なにかふかい画家の思いが、この絵にはこめられているのではないかという気が強くなってくる。

(略)

 私が試みたのは、この絵を描くにあたり、フェルメールが実際に見ていたであろうと思われる部屋とその室内のしつらえを、原寸大で再現してみることだった。そしてその原寸大の部屋に、メイドに扮した私自身がはいりこみ、ポーズをとって写真撮影する。

(略)

[ちらばって置かれたパン]を画家の位置からながめると、図5.15のようにみごとに密度のあるパンの集積がたちあらわれる。

 プロジェクトの途上、私はこの水平に一列にならぶパンの世界を卓上に配置しながら、「あ、これはもしかしたら!」とドキッとする瞬間があった。というのは、このパンの集積が一瞬、私にはあの《デルフトの眺望》に描かれたデルフトの町の風景と、イメージがかさなって見えたからである。茶色がかった色味、質感、それらが水平に緻密に展開するようすが酷似しており、デルフトの町のまえを流れる運河の水面と、パンのおかれたテーブルにかけられたやわらかく青い布も、しっかりつながって感じられたのである。

 つまり(略)聖母マリアとしてのメイドは、デルフトの町に、命の糧となるミルクを天空よりそそぎ、町にうるおいと救済をもたらしているということになる。

(略)

 最後に、《牛乳を注ぐ女》の謎のひとつとしてしばしば話題となる、窓ガラスのちいさな“割れ”についても、私の仮説を提示しておこう。あれは偶然割れていたのか、あるいは冬の戸外の冷気を感じさせるための小道具なのか、自分なりにいくつか考えてみたが、いずれもうまくあてはまらなかった。

 そのなかでひとつだけ、こういうことはありえるかもしれないと思える仮説にいきついた。この“割れ”は、六年前の「デルフトの大雷鳴」でおきた強い爆風の影響ではないのか、いまだ癒えない傷跡なのではないのかという仮説である。

 私の結論はこうである。《デルフトの眺望》と《牛乳を注ぐ女》は、デルフトを襲った火薬庫の大爆発という大災害から復興しつつあるデルフト市にたいする、鎮魂と祈りをこめて丹念に描かれた連作ではなかったか。この二作だけ、絵の具の塗りこみかたが異様に濃密で、他のフェルメール作品とはことなる特別に神聖な気配を喚起させるというのも、この二作が持つ制作動機の特殊性からなのかもしれない。

フェルメール受容史

 いまでこそフェルメールは(略)美術史におけるスーパースターのような存在となったが、かつてのあつかいは、これほどまでに特別視されてはいなかった。

(略)

 2000年までの三十二年間で五回日本にきているが、いずれもがその他大勢の脇役としての展示であった。

[2000年の日本展でブームに]

(略)

ヨーロッパではどうだったのか。西洋世界でなら、さすがにフェルメールはよく知られた画家でありつづけてきたのだろうと、私などは思いこんでいたが、答えは否であった。

[フロマンタン『ベルギー オランダ絵画紀行――昔日の巨匠たち』では]レンブラントやフランス・ハルスをはじめ、何人ものオランダの画家の名前があげられ論じられている。

 ところが、フェルメールは、その名前が、多分一箇所で登場するのみで、フロマンタンの興味の完全に埒外にある。デルフトの画家としては、フェルメールと同時代のピーテル・デ・ホーホのほうがはるかに著名な画家としてとりあげられている。

(略)

なぜここで突然プルーストの話題になったかというと、このフランスの小説家とフェルメールの間には異常なくらいふかい関係があるからである。極論するなら、プルーストが生涯を賭して書いたあの『失われた時を求めて』は、フェルメールの絵画世界を小説におきかえたものであるといっても過言ではない。

(略)

[フロマンタンを携えてオランダ・ベルギーを訪問した31歳の]プルーストがもっとも強く感銘をうけたのは、フロマンタンの著作にはほとんど登場しないフェルメール作品であった。旅の途上(略)友人にむけて「世界で最も美しい絵画を見た」と手紙を書きおくっている。

 十一年後の1913年、41歳のプルーストは、『失われた時を求めて』の執筆を開始する。その第一篇は「スワン家の方へ」と題されている。スワンとは登場人物の人名だが、このシャルル・スワン氏は、なんとフェルメール研究家なのである。

(略)

失われた時を求めて』は、こうしてそのはじまりから、フェルメール通奏低音のように響く物語である。

ゴッホ宮沢賢治

画家を、ただ画家として取り上げれば、死んで、埋められて、次の時代へ、又その次の時代へ、仕事で語りかける。それだけか、それともその他に何かがあるのか。画家の一生は画家の一生で死は一番辛い事ではないのかもしれぬ。僕としては、そういう事については何も知らぬと言って置こう。併し、僕は星を眺めていると、いつもこんなふうに夢想する。地図の上の街や村の、黒い点々を眺める時の、極く単純な夢想と同じものなのだが、僕は自問するのだ、なぜ空のあの光った点々は、地図の黒い点々の様には近付けないものなのか、と。タラスコンとかルーアンに行くのに汽車に乗るなら、星に行くには死に乗ればよいではないか。生きているうちは星には行けないし、死んで了っては汽車には乗れない、これは理屈から疑い様がない。そこで、コレラとか腎臓病とか肺病とか癌とかいうものは、汽船やバスや汽車が地上の移動手段である様に、天空の旅行手段と考えてもいい。長命で静かに死ぬのは徒歩で行くという事であろうか。遅いから、もう寝るとする。さようなら。(『ゴッホの手紙』小林秀雄より)

 

「星に行くには、死に乗ればよいではないか。生きているうちは星にいけないし、死んで了っては汽車には乗れない」と書いている。この孤独な、しかし美しい宇宙感覚は、もうほとんど『銀河鉄道の夜』である。ゴッホの想い描いた理想郷としての“日本”は、宮沢賢治の思い描いた“イーハトーブ”と、きっと通底している。かれらにはそういう意図はなかっただろうが、後世、ふたりの芸術に接し、その影響を双方からうけた者のひとりとして、私にはこのシンクロニシティは感動的である。

フェルメールゴッホ

 フェルメールは、やがておとずれる写真の時代を予見するかのような視覚、いわゆるカメラ・アイ(カメラ目)をすでに持っていたが、この未来形のまなざしを、絵画という過去形のメディアに定着し、そのことによって他に類例がない絵画世界を作りだした。

 ゴッホはどうか。この頑固な画家は、当時の流行であった印象派の光と色彩の世界に、けっして迎合的な態度を見せはしなかった。しかし自分の初期のくらい色調の絵画スタイルにもこだわらなかった。ゴッホは、自分のくらい絵にこめた思想部分は堅持したまま、印象派を大胆に誤読することによって、自分のくらい画風を、私たちがよく知るあのゴッホ流の光と色彩の絵画へと反転させるマジックをあみだした。

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