ファンタジーランド(上) その3

前回の続き。 

ファンタジーランド(上): 狂気と幻想のアメリカ500年史

ファンタジーランド(上): 狂気と幻想のアメリカ500年史

 

陰謀

 アメリカ人はアメリカ史の最初の1世紀の間、魔女や先住民を使ったサタンの陰謀に苦しめられた。次の1世紀の間は、ヲーロッパの君主と結託した独裁的傾向のある指導者や、ヨーロッパの革命家と結託したやはり独裁的な指導者など、外国の陰謀に悩まされた。(略)

フリーメイソンイルミナティなど、ヨーロッパの破壊分子を強大な力で支配する秘密結社があると記されている。

(略)

[1798年外国人・治安諸法成立]

その対象として考えられていたのは主にフランス人だった。しばらく前に起きたフランス革命は、イルミナティの仕業だと噂されていたからだ。
 それに、フランス人はほとんどがカトリックだった。19世紀に入ると、カトリックアメリカを破壊しようとしているのではないかという妄想が、一気に過熱した。実際、当時はアメリカにおけるローマ法王工作員カトリック教徒のことである)の数が、10年ごとに倍増していた。ジェデダイア・モールスの息子で、そのころニューヨーク市で画家・発明家として生計を立てていたサミュエル・モールスは、副業としてヒステリックな反カトリック運動を展開した(電信を発明する少し前のことである)。

(略)

 同じころアメリカ人は、ジェデダイア・モールスが警告していたフリー―メイソンの陰謀にもようやく気づいた。

(略)

独立宣言やアメリカ合衆国憲法に署名した人物の多くが、このフリーメイソンの会員だった。若くして会員になったベンジャミン・フランクリンは、「その最大の秘密は、何の秘密もないことだ」と述べている。だが会員は、広い人脈を持つ上流階級の人間ばかりだった。そのためか、1820~30年代にかけて宗教的熱狂がアメリカを席巻し、「第二次大覚醒」期に入ると、とりわけ信仰心の篤い人たちの間に、フリーメイソンが全権力を掌握してアメリカを運営しているのではないかという不安が広まった。
 彼らは、暴飲暴食や酒色にふけり、サタンに従って政府を操っていると噂された。この陰謀説は、全国的な熱狂の彼に乗るキリスト教聖職者の間に広まると、やがて一般大衆やその歓心を買おうとする日和見主義者を巻き込み、ついには元大統領にまで影響を及ぼした。第6代大統領ジョン・クインシー・アダムズがこう述べたのだ。「フリーメイソンほど、わが国のモラルに汚点を残すものはない」。

P・T・バーナム

その女性は、後に実際に会ってみると、目は見えず、歯は抜け落ち、下半身の自由がきかなかったが、「愛想はとてもよかった」という。なぜこの女性が記事になっていたかというと、当人が、1世紀前にジョージ・ワシントンの「乳母」を務め、今年で161歳になると主張していたからだ。その記事を見てバーナムは思った。「このニュースなら、本当だと思えないこともない」。そして、1000ドルでこの女性を買い受けると、チラシやポスターを製作し、新聞に告知を出して、この奴隷が数か月後に死ぬまで、見世物にしてお金を稼いだ。「興行師としての新たな人生の始まり」である。
 新たな仕事が軌道に乗るまでの6年間、ちょうどアメリカ初の広告代理店が開業したため、バーナムはそこで広告のコピーライターとして働いた。そして1841年、マンハッタンの真ん中にアメリカ博物館を開館した。複数階建ての巨大なマルチメディア娯楽施設である。その初期の出し物の中でも、とりわけ人気が高く、評判を呼んだのが、フィジーの人魚の遺骸である。これは、バーナムが手に入れたサルと魚の剥製を組み合わせた加工品だった。自伝によれば、それを展示しようとすると、雇っていた博物学者が、こんな歯や腕を持つサルも、こんなヒレを持つ魚も見たことがないと言った。「『では、あなたはなぜこれを加工品だと思う?』と私が尋ねると、博物学者は『人魚の存在など信じていないからです』と答えた。そこで私は言ってやった。『それでは理由にならない。だったら、私は人魚の存在を信じるから、あれを展示するよ』」。
 P・T・バーナムは、心躍る世俗的な幻想や真実まがいのものを売り込んで有名になったアメリカ人の草分け的存在である。(略)

ある想像上の見解が刺激的であり、それが正しくないことを証明できる人がいなければ、アメリカ人にはそれを正しいと信じる権利がある、という考え方だ。

バッファロー・ビルの仮想現実

[26歳で]騎兵隊を率いてスー族と戦った功績により、議会名誉勲章を受けた。こうして有名になったコディは、間もなく興行師の仕事を始めた。自分の人生に基づく『大平原のスカウト』という演劇を上演し、自分の役を自分で演じたのだ(略)

 1876年夏、ジョージ・カスター将軍がリトルビッグホーンの戦いで先住民に壊滅的な敗北を喫した。その3週間後、コディは陸軍の兵士を引き連れて数百キロメートルにわたる大平原を駆け、リトルビッグホーンの南東部に到着した。そして間もなく、黒のビロード、赤の縁飾り、銀のボタンというステージ衣装姿で敵の前に現れると、「イエロー・ヘア」と呼ばれていたシャイアン族の戦士を殺害し、その頭皮をはいで持ち帰った。それから数か月後、東部に戻ったコディは、この出来事を舞台化し(略)各地で巡業公演を行った。行く先々では、「イエロー・ヘア」の武器や頭皮も展示した。[火薬を用いて戦争を実演]

(略)

 その巡業公演は、後に『バッファロー・ビルのワイルド・ウェスト・ショー』と呼ばれる大がかりなものとなり、先住民役には先住民を、兵士や入植者の役には白人を使い、絶大な人気を博した。

(略)

 [「ノスタルジー」は過度のホームシックという意味だったが、19世紀になると自分が経験したこともない&存在しない場所や時代に対する想像上のホームシックが加わった。フォスターの主要テーマは北部から想像した南部へのノスタルジーだった]

 つまり、1870年代にバッファロー・ビルがフィクションの興行師になるころまでに、アメリカ人は『ワイルド・ウェスト・ショー』の仮想現実を受け入れる心の準備を整えていたということだ。

(略)

 当時のアメリカの人口は6500万人だが、シカゴ万博には2700万人以上が訪れた。彼らはその展示物や催事を見て、こう思ったに違いない。現実よりも幻想のほうが優れているような気がする。そのそも幻想と現実の間に重大な違いがあるのか?

 反ユダヤ主義

ソビエト連邦樹立後の1910年代から1920年代にかけて、最初の大規模な反共パニックが起きると、それはたちまち反ユダヤ主義と結びついた。ちなみに、第一次世界大戦中にアメリカ人がドイツ系アメリカ人を恐れたのも、彼らの多くがユダヤ人だったからかもしれない。

(略)

ヘンリー・フォードは、『シオンの議定書』の熱烈なファンだった。これは、もともとフィクションとしてロシア語で出版された本だが(略)

1920年代、フォードは、アメリカでこの本を50万部出版するための費用を負担した。それどころか、『(略)国際ユダヤ人――世界晨大の問題』と題する4巻本を構想・出版してもいる。青年時代のヨーゼフ・ゲッベルスアドルフ・ヒトラーがドイツ語訳で読み、ヘンリー・フォードの熱烈なファンになったという、いわくつきの書籍である。だが、アメリカでフォードを非難する声が上がり、不買運動が始まると、フォードはただちに謝罪・回収した。

古きよき南部幻想

[南北戦争の悲劇や殺戮から30年後]ブルックリンに奴隷制度のテーマパークが設置された。(略)
 『ブラック・アメリカ』では、「南部の有色人種」500人が雇われ(宣伝文には「南部の綿花農場で実際に働いていた労働者」とある)、新たに複製した田舎の奴隷の小屋150棟をあてがわれた。そして2か月間、奴隷のふりをして、40アールほどの即席の農場で綿花を摘み、本物の綿繰り機でそれを加工した。ニューヨーク・タイムズ紙の記事にはこうある。「奴隷時代の黒人が従事していた労働、仕事が終わったあとにそれぞれの小屋で繰り広げられる心配のない楽しい生活」を、何万もの白人が見物に来た。「太った黒人の母親が、頭に赤いハンカチを巻き、小さな小屋の外に座って編み物をしている」。(略)

『ブラック・アメリカ』は大ヒットを記録し、北東部各地で巡回公演が行われた。
 同じころには、元テネシー州知事で後に上院議員となるロバート・ラヴ・テイラーが、「古きよき南部」の栄光について全国各地で講演していた。「夏はいつも日の出のころから、黒人たちの笑い声や歌が聞こえた。彼らは一か所に集まると、四方八方に散り、その日の仕事を始める。木立が広がるひんやりと涼しい空間に立つ、白い柱の邸宅が忘れられない。綿花畑が地平線まで広がっている。そこは懸命に働く奴隷でいっぱいだ。奴隷たちには、心に重くのしかかる心配ごとなど一つもなく、朝早くから日暮れまで働きながら歌っている」。こうした「古きよき南部」の甘ったるい、ため息の出るような幻想が、20世紀初頭にも広まっていた。
 ノスタルジーは再び、一種の病気と化していた。1915年には、映画監督のD・W・グリフィスが、かつてないほど野心的、感動的で洗練された大作映画『国民の創生』を公開し(略)大成功を収めた。だがこれは、神話的な「古きよき南部」やクー・クラックス・クラン(KKK)の復興を3時間にわたり訴える、恥知らずなプロパガンダ映画だった。『国民の創生』は、ホワイトハウスで上映された初めての映画となり(略)

やがてそれが現実となった。続く10年間、復興したKKKが爆発的な人気を博したのだ。

相対主義がもたらした権威の失墜

 20世紀の前半、苦渋をなめていたのは、保守派のキリスト教徒などの伝統主義者だった。そのころは、合理主義や近代主義が支配し、大衆の考え方を変え、あらゆる伝統を破壊していた。だが第二次世界大戦後になると、学界の体制派も、理性に対して疑いを抱くようになった。そのような動きを代表するのが[ナチスから逃れてきたアドルノとホルクハイマー](略)

 1960年代になると、学界の大部分が同様の傾向を示し、従来の理性や合理主義に背を向けた。こうした流れの先駆となった学者の多くは思慮に富み、その著作は、現状に満足しきった戦後の学界を活性化するのに大いに役立った。ところが1960年代以降、これらの思想が安易に解釈されて広まると、もはやあらゆる前提、あらゆる理論的枠組みが利用したい放題というありさまになった。つまり、学界に偏狭でいいかげんな追随者が無数に現れ、その主張が社会全体に浸透していったのだ。

 その結果、こう考えられるようになった。科学であれ寓話や宗教であれ、真実らしきものや信念はいずれも、自分に都合のいいように作られた物語でしかない。(略)

フィクションとノンフィクションの世界は双方に移動が可能であり、その間の境界線など存在しないのかもしれない。迷信、魔術的思考、妄想はいずれも、西洋の理性や科学が想定する真実と同じように、正当な価値がある。(略)自分が好きなことを信じろ。それぞれが信じていることはどれも、同じように本当であり、同じように嘘なのだから。

(略)

[フーコーは]合理主義は「真実という制度」であり、別の形での抑圧であると主張した。その間に、フーコーの理性に対する疑念は、アメリカの学会に広く、深く浸透していった。

(略)

[クーンのパラダイムシフト]

結局、影響力のある偉大な科学者たちというのは、自分の考えをほかの人に信じさせるだけの力があったペテン師にすぎないのか?

(略)

 ファイヤアーベントの主張によれば、科学は単なる信仰の一形態にすぎない。そのため理性の殿堂もそれを認め、「科学をより無政府主義的なもの、より主観的なものに」しなければならない。

(略)

 さらに言えば、近代的理性が誹謗・中傷してきた魔術的信仰は、理性より優れている場合が争い。科学やテクノロジーがなければ「月への団体旅行はできない。だが一人ひとりであれば、魂や精神に対する大した危険もなく自由に天体を行き来し、美しく輝く神そのものに出会うこともできれば、動物に生まれ変わってまた人間に戻ることもできる」。

(略)

社会に広がる相対主義を強硬に非難するのは、アメリカの右派の仕事になった。

(略)

 ところがやがて、現実や真実は無数にあり、いずれも等しく妥当なのだという考え方を、主流の知識人たちが全面的に受け入れた。すると、大学だけでなく文化全体を通じて理性の権威が失墜し、どんな野蛮な主張も真剣に受け止められるようになった。何でもありの相対主義は大学だけにとどまらないという保守派の指摘は正しかったわけだ。しかし相対主義アメリカ全土にあふれると、次第に右派もその影響を受け、急進的なキリスト教や、重大な影響力を持つ幻想を生み出すようになった。銃を所持する権利を擁護するヒステリックな主張、「黒いヘリコプター」陰謀説、地球温暖化否定論などである。「役に立つばか」という言葉はもともと、急進左派に利用されているリベラル派を嘲笑する言葉だった。しかしそのころになると(略)ポストモダンの知識人が、右派に利用される「役に立つばか」となった。スティーヴン・コルベアは2006年、「現実は、周知のとおりリベラル寄りだ」と述べ、「信念は事実に勝る」とする今日の右派の傾向を彼らしい言葉で嘲笑した。つまり、エリート左派も大衆主義の右派も気づいてはいないが、両者の大半は、別のユニフォームを着ているだけで同じチームに属している。「ファンタジーランド」というチームだ。

 政治に関わりだした福音主義

トム・ウルフは1976年の秋にこう記している。「政治家が大統領選挙で、非理性的で熱狂的・恍惚的な宗教を利用した奇妙な見世物を行うようになったのは、1976年からだ」。 「ジミー・カーターは、神秘的・宗教的傾向を一身に帯びていた。福音主義のバプテスト派の信者」で、最近になって“新生”“救済”され、“イエス・キリストを個人的な救い主として受け入れた”という。(略)

それまでは、モルモン教徒のジョージ・ロムニーにせよカトリックケネディにせよ、妙な宗教を信仰している大統領候補者は、その信仰をあまり重視していないように見せかけなければならなかった。だがカーターの場合、福音主義信仰が大統領選の勝利につながったのだ。
 カーターは1978年(略)こう述べた。「今では“新生”という言葉は、その意味を知らない多くのアメリカ人の意識にも、鮮やかに刻印されている」。本当にそうだった。10年前に大統領がこんなことを言えば、いやそれどころか、説教師でもない有名人や権力者がそれほど信仰に熱心なことが明るみに出れば、大半の人が動転したことだろう。

(略)

 300年にわたるアメリカの歴史の中で、キリスト教は全体的に、長い弧を描いて穏健化の方向へ、理性の方向へ進んでいった。

(略)

 ところが、1960年代から70年代にかけて、超自然的信仰が激化して氾濫し、支配権を確立した。それまで異端視されていた魔術的思考の急進派が、かつてないほどの勝利を収めた。その結果、原初の過去(天地創造)に関する古くからの間違った思想、あるいはやがて起こるはずの未来(「終末」)に関する古くからの突飛な思想、それらを熱心に支持する人が、一気に増大した。現代も、超自然的現象(異言、信仰療法、天からのお告げなど)が起きたイエスの時代と同じだという確言が、猛烈な勢いで広まっていったのである。

 戦闘再現イベント

南北戦争100周年は、ちょうどタイミングもよく、新たな娯楽を生み出す格好の口実となった。(略)

1961年夏のある週末、気温32度という猛暑の中、南北戦争当時の衣装をまとった数千人がその地に集まり、互いを攻撃し、殺害し、捕虜にするふりを演じた。1860年代の兵士になりきっていた人たちの中には、1960年代の本物の兵士が2200人いた。州兵がこのイベントのために貸し出されていたのだ。(略)

 間もなく何万ものアメリカ人(アメリカのほとんどの白人男性)が、南軍の騎兵隊や北軍の砲兵連隊に扮し、こうしたイベントにフル装備で定期的に参加し、殺したり殺されたりを演じるようになった。いわば男性版のコスプレイベントである。(略)熱心に本物らしさを追求する人たちはやがて、「ハードコア・オーセンティックス(筋金入りの本格派)」「スティッチ・カウンターズ(縫い目一つにもこだわる人)」「スレッド・ナチス(糸一本にもうるさい人)」と呼ばれるようになった。彼らは、大砲、布、ボタン、ブーツ、眼鏡、髪型、鉛筆、食料など、何から何まで1860年代当時に似せるよう主張した。

 間もなくこうしたイベントは、あらゆる時代のあらゆる出来事の模倣へと広がった。カリフォルニアでは、若い女性たちにより、過去を再現した自由奔放なイベントが盛大に開催された。

[16世紀イングランドの海辺町、中世ヨーロッパをテーマにした仮装パーティ、中世騎士競技会にSFファンタジー・マニアが参加]  

時間がないので下巻は省略。

 

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ファンタジーランド(上) その2

 前回の続き。

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 ジョージ・ホウィットフィールド

聖職者になってからアメリカに渡るまでのわずか2年の間に、この「少年説教師」は一躍イギリスのスターになった。名声を愛し、群衆にロックコンサートのような高揚感を与えるのが好きだった(略)

 アメリカでは、それ以上に聴衆に愛された。ホウィットフィールドは、この国ように若く、ルックスもよかった。(略)

[説教は]台本やメモを見ないで「演じている」かのようだった。イエス使徒、地獄に堕ちた罪人になりきり、男性にもなれば女性にもなり、ひざまずき、叫び、足を踏み鳴らした。(略)

彼がほとばしらせる感情は「本物」に見えた。いわば、聖霊との交信をテーマにしたリアリティ番組だ。

(略)

また、さまざまなメディアを利用して福音を広めた先駆者でもあった。新聞に説教集会の広告を出し(略)[26歳で]自伝を出版して大成功を収めた

(略)

エスユダヤの宗教指導者に語った「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」という一節を繰り返し引用し、アメリカのキリスト教に、「新生」という重要な概念を植えつけた。新生したという強烈な超自然的「感覚」が、あの世への切符になる。

建国の父たち

[初めてアメリカにやってきたホウィットフィールドの説教に驚いた、さして信心深くないベンジャミン・フランクリンは]

ウィットフィールドの日記や説教を4巻セットにして印刷・出版する契約をした。するとそれが大ベストセラーとなった。だが結局、この「大覚醒」運動でフランクリンが悟ったのは、アメリカの宗教家の本は儲かるということだけだった。それから3年間にわたり、彼は同様の宗教書を毎月発行した。だが、ホウィットフィールド個人と「宗教的な関係」を築くことはなかったという。

(略)

 フランクリンを含め建国の父たちが抱いていた神のイメージは(略)創造主はこの世を作るとどこかへ行ってしまい、人間にはもうその存在がわからないといった感じである。そのため(略)当時の「熱狂的信者」とは縁がなかった。

(略)

ジェファーソンもかつて、ジョージ・ワシントンは「信仰心がまるでなく」「絶えずそばに聖職者を置いているのは、そうしたほうが体裁がいいと思っているからだ」と述べている。当のジェファーソンも、体裁を保つため教会に通ってはいたが、17歳のおいにはこう言い聞かせていた。「神の存在さえ大胆に疑え。神がいるとすれば、無分別な恐怖から敬愛されるよりも、理性に基づいて敬愛されることを望むはずだ」。そして、宗教は「いずれも似たようなもので、寓話や神話を基にしており」、キリスト教も「西洋世界の迷信」にすぎないと考えていた。後に大統領となったジェファーソンは、ある年の冬にホワイトハウスで、既存の価値観を覆す途方もない行動に出た。新約聖書二冊を破ってページをばらばらにすると、キリストの復活を含め、奇跡について書かれている部分をすべて取り除き、残りの部分を一冊の本に再びまとめ、その本を『ナザレのイエスの生涯と教訓』と命名したのだ。フランクリンもまた、死の直前にこう記している。「私は、ナザレのイエスの神性に疑問を抱いている。だが、それを声高に主張しようとは思わないし、(略)今その問題をあれこれ考える必要はないと思う。近いうちに、さほどの苦労もなく真実を知る機会が訪れるだろうからだ」。
 アレクサンダー・ハミルトンは、憲法の起草者はなぜその中で神に触れなかったのかと尋ねられ、まじめくさった顔でジョークを言うように「入れ忘れた」と答えた。

 ワシントン伝記の嘘

ぼくがおので桜の木を切りました」。だが、この物語自体が嘘だった。ワシントンの死の数か月後に出版され、ベストセラーになった伝記に追加されたのだ。独立戦争中の出来事としては、アメリカ軍が劣勢に陥った際、逃れてきたバレーフォージでワシントンがひざまずき、神に祈りを捧げるエピソードが有名だが、これもほぼ間違いなく嘘である。19世紀にベストセラーとなったフィクション混じりのノンフィクション『(略)(1776年アメリカ独立の伝説)』には(略)こんな物語が掲載されている。不思議なことに、まるで天使のような「黒いローブをまとった(略)背の高いすらりとした男」が、突然フィラデルフィアの建国の父たちの前に現れ、5分ほどスピーチを行う(「神はアメリカを解放した!」)。それを聞いた建国の父たちは、それまでの言い争いをやめ、独立宣言に署名する。すると男は、どこへともなく姿を消してしまう。アメリカ人は信仰心の大小にかかわらず、この幻想的物語を歴史的事実と見なし、現在でもいまだにそう信じている。 

(略)

南北戦争前の初期アメリカは、さまざまな思想を培養する「精神の温床」だった。秘儀、千里眼、まじないによる治療、予知夢など、古い迷信や魔術への民間信仰が、もはやピューリタンの教義や規則に制約されることなく、キリスト教信仰と自由に混じり合った。その結果アメリカに、あらゆる種類の魔術的思考があふれ返った。

 第一次大狂乱期

 南部全域では、かつて教会と言えば英国国教会を意味した(略)

南部の聖公会主流派は、神秘主義的で熱狂的な信仰を拒絶した。(略)

 19世紀になるころには、この宗教の防波堤も崩れた。

(略)

1800年の夏 (略)レッドリバー礼拝堂に数百人が押し寄せた。聴衆は泣き、叫び、訳のわからないことを口走った。(略)

床に倒れた人たちが、多種多様なヒステリー状態を体験していたのだ。

 そこで何か大きな力が解き放たれていることに、誰もがすぐに気づいた。

(略)

幻想は伝染した。(略)2万人もの人々が集まり(略)

イベントは昼夜かまわず行われた。(略)

聖霊に心を動かされた一般信徒数十名が、自ら「訓戒者」を名乗り、自分が真実だと信じ、感じ、想像している福音の意味を叫び始めた。聴衆は自分を抑えきれずに金切り声を上げた。(略)何百人もの人々が「ひきつけ」を起こし、手足や首や胴のけいれん発作で踊りのような動きを見せた。

(略)

この集会は、現代の100万人規模のイベントに匹敵する。

(略)

 その後、バプテスト派やメソジスト派のほかの説教師も、アメリカ全土(特に南部)で野外集会を開催するようになると、ますます多くの市民が一線を越え、常軌を逸した狂乱状態に陥った。

(略)

 ケーンリッジの集会からの数年間(略)信者は倍増し、1850年代には教会へ通う人の3分の2が、理性よりも感情を重視する熱狂的なメソジスト派かバプテスト派だった。キリスト教は次第に、こうした宗派の総称である福音主義キリスト教と同義になった。罪人も祭壇へ向かって歩んでいけば、イエスと個人的関係を築く心を奪うような感覚を経験し、救われるのだ。

 ファイナル・ファンタジー

[19世紀半ば、「終末」の約束を求める預言信仰が復活。米英戦争九死に一生を得て説教師となったウィリアム・ミラーは「終末」は1843年の春になると信じ、100万人近い信者を獲得。終末の日が過ぎると、大衆は失望し様々な宗派に分裂]

 だが、ミラーがアメリカ社会に及ぼした影響は絶大だった。それ以降のアメリカ人キリスト教徒に、「最後の幻想/ファイナル・ファンタジー(「終末」、イエスの再臨、サタンの敗北)」を直接経験することになるかもしれないという期待を抱かせ、それをキリスト教信仰の主流にまで高めたのだ。ちょうどそのころ、「終末」の預言について、ミラーよりもはるかに複雑な解釈を考案したプロテスタントの聖職者がいた(略)ジョン・ネルソン・ダービである。(略)

 ダービの「終末」の解釈は長期にわたり命脈を保つことになるが、これにはいくつかの理由がある。第一に、間もなく「終末」が来ると言うだけで、具体的な日付を設定しなかった。(略)

第二に、「終末」のイメージを、信者にとってきわめて魅力的なものに作り変えた。いわゆる「前千年王国説」(略)では、やがて戦争や飢饉や感染症などの患難が世界全体を襲い、人類存亡の危機が訪れると考える。だがダービはそこに、「携挙(Rapture)」という概念を持ち込んだ。地獄が開放される直前に、イエスが身分を隠して現れ、この世の患難が過ぎ去るまで、天の安全な場所にキリスト教徒を連れていってくれる。こうして危機を逃れた幸運な聖人たちは、患難が去ったあとにイエスとともにこの地に戻り、ハッピーエンドを迎えるのだという。第三に、まったく新たな宗派を立ち上げようとはしなかった。ダービは、どの宗派の神学にも追加できそうな新たな概念を提供したにすぎない。
 そして最後に、ダービは変人ではなく、正真正銘の学者だった。一流大学で教育を受けたイギリス人で、新約聖書のオリジナル翻訳を手がけたこともある。アメリカ人はよく、教養のある専門家に、何が正しく何が正しくないかを決められるのを嫌がる。だがその一方で、ピューリタンの時代から、学のある仲間の信者が自分の信念を裏づけ、みごとなほど洗練された理論に仕立て上げるのを喜んで受け入れる。つまり、前近代的な幻想を抱きながら、その正当性を証明したいという近代的な欲求がある。(略)

科学が重視される時代であっても、聖書を非の打ちどころのないデータセットとして扱えば、キリスト教も繁栄できるのだ。 

 モルモン教始祖ジョセフ・スミス

 これまで述べてきたとおり、アメリカのキリスト教徒は 最初から、ヒステリー気味で、そろいもそろって自己中心的で、聖書を文字どおりに解釈したがる傾向がある。ジョセフ・スミスはその条件に合致するどころか、輪をかけてその傾向が強かった。

(略)

 何もかも文宇どおりに解釈するという彼の神学には、際限がなかった。「神には肉も骨もある」と述べ、イエスは神とマリアとの性行為により受胎したと主張した。当時のアメリカのキリスト教徒は常に、聖書の内容をアメリカに移し変えようとした。たとえば、山の上にあるアメリカの町をエルサレムのような町、あるいはエルサレムそのものと考え、自分たちアメリカ人を神に選ばれた古代イスラエル人のような存在、あるいは古代イスラエル人そのものと見なそうとした。そこでスミスはアメリカを、実際にイスラエルからの移民が入植し、イエス・キリストが訪れた第二の聖地に仕立て上げた。こうすれば、自分が間もなくアメリカ西部に築き上げる新たな王国が、生まれ変わったキリスト教世界の中心地になる。
 聖書の大部分を一つの歴史小説と考えると、ジョセフ・スミスが生み出したのは二次創作小説だと言える。

(略)

 スミスは(つまり神は)、エデンの園からアダムとイブが追放されたのは、悲劇的な「人間の堕落」などではなく、むしろいいことだったと述べた。その結果、普通の喜びや満足を感じられるようになり、人間が人間らしくなったからだ。また、イエスがこの新世界に実際に現れたという物語を提示することで、キリスト教をいっそう身近なものにした。

(略)

スミスの言う天国はまさにSFそのものだ。その天国は、アメリカン・エキスプレスのカードのように、レベルごとに区分されている。地獄行きには至らないごく普通の人々の領域、善良なキリスト教徒の領域、そしてモルモン教徒が憩うスーパープレミアムな領域である。そこでは私たちは(略)不死の肉体的存在として復活し、自分に割り当てられた惑星を王や女王として治め、王子や王女を続々と生み出すことができる

(略)

[スミス伝記の]著者であるコロンビア大学歴史学名誉教授、リチャード・ライマン・ブッシュマンは、モルモン教会の終身会員であり、その聖職者を務めてもいる。(略)

スミスの弟子の一人は、スミスと一緒に、ニューヨーク州ウェイン郡で洗礼者ヨハネと会ったとも、クリーブランドの近くでイエス・キリストと話をしたとも述べた。ほかの二人の弟子も、スミスのそばで天使に会ったと語った。ブッシュマンはこれらを事実として報告している。

(略)

[迫害により、逆に]最初の10年間で、モルモン教会の会員は300人弱から2万人近くにまで増えた。(略)

[スミスが一夫多妻制を導入し2年間で30人と結婚したことで迫害は過熱]

それからわずか3年で信者は1.5倍以上に増えた。スミスはアメリカ大統領選挙への立候補を表明して間もなく行った最晩年の説教の中で、自分はイエスの弟子たちよりも忠実な信徒に恵まれたと豪語し、こう述べた。「私は迫害を誇りとする」。そしてその直後、30代の若さで起訴・逮捕され、勾留中に殺された。まさに、イエス・キリストと同じである。(略)

[信徒たちは]集団脱出を図り、ユタ州モルモン教エルサレムを築く。

魔法と科学と

1844年には、サミュエル・F・B・モールスが最初の電信を送った(最初に送ったのは、旧約聖書の「神のなせし業」という言葉である)。

(略)

[4年後]フォックス家の12歳と15歳の姉妹が、モールス信号のような音を使い、家に出没する幽霊と会話をしたと公表すると、多くのアメリカ人がそれを信じたのだ(略)

姉妹は霊媒師として有名になり、死者と交信する「降霊術」運動が全国的に広まるきっかけとなった。当時は、社会的地位のある人々でさえ降霊術の会に参加した。(略)

姉妹は40年後すべてが嘘だったと認めた(略)

ある記録にはやや興奮気味にこう記されている。太平洋を横断する電信が証明しているように、「生者の世界と死者の世界の間には電信が確立されている」。さらに、「終末」を予言し、「携挙」という概念を生み出したダービは、電信を「ハルマゲドンの前触れ」と考えた。
 このように、アメリカでは「第一次大狂乱」期に、驚異的な科学やテクノロジーにより、超自然信仰が強化された。(略)

[さらに]似非科学や見せかけの驚異まで生み出した。とりわけその対象になったのが、医療である。いんちき薬の中には、詐欺師が意図的に生み出したものもあるが、何の効果もない「秘薬」を発明・販売し、大成功を収めた人々の多くは、その薬の効用を心から信じて疑わなかった。

次回に続く。

 

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ファンタジーランド(上): 狂気と幻想のアメリカ500年史

 

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 ルター、「ファンタジーランド」の足場の完成

 印刷物が普及すれば、社会も変わる。印刷された英語版聖書が登場してから1世紀後には、イングランド識字率が3倍に上昇した。もはや何百万もの信者が、ルターが生み出した新たなキリスト教を実践できる。もうカトリック教会やそのエリート聖職者に、神との間を取り持ってもらう必要はない。これこそ破壊的な技術革新と言えるのではないだろうか?

(略)

 ルターは、宗教的な権利を一般大衆に譲り渡すことで、決定的に個人の自由を広めた。そして、もう一つ重要な思想として、聖書に記されたイエスに関する超自然的な物語を信じられるかどうかが、立派なキリスト教徒になるための唯一の条件だと訴えた。つまり信者は、善行を積めば天国に行けるわけではない。大切なのは、信じる心を持てるかどうかにある(ただし、初期のプロテスタント教会は厳格で、信仰心があっても天国に行けるとは限らなかった)。
 当初のプロテスタントの抗議は、理性に基づいているように見えるかもしれない。お金を払ったり(偽の)聖遺物を拝んだりしても、天国へ行けるわけではない。だがプロテスタントの考え方にしても、公平でもっともだとは言えるが、理性的だとは言えない。いわば、架空の物語の筋書きを変えただけだ。プロテスタントカトリックでは、共通の幻想体系の中に確立された不可思議なルールに違いがあるだけなのである。
 こうして16世紀に新たに生まれたプロテスタントから、アメリカのもとになる考え方が生まれた。何百万もの一般大衆は、権威ある専門家が何と言おうと、自分たち一人ひとりにこそ、何が真実であり何が真実でないかを決める権利があると考えるようになった。それどころか、情熱的で空想的な信念が何につけても重要なのだと思い込むようになった。「ファンタジーランド」の足場の完成である。

ピルグリム・ファーザーズ

 急進派の中でも過激なのが、分離派のピューリタンだ。(略)

弾圧を逃れ(略)オランダに亡命した。[だがそこも世俗的で不信心]

彼らはもはや(略)約束の地を見つけることを誓い、出エジプト記イスラエルの民のように何年も流浪の旅を続ける一種族である。

(略)

最終的にはどうしても、完璧な宗教に捧げられた自分たちだけのユートピア国家の建設という夢を抱くことになる。
 では、どこに行けばいいだろう?イングランドアメリカを見ると、沼地が広がる南部のバージニアはすでに、キリスト教徒とは名ばかりの貪欲な人間たちに占領されている。彼らは今では、金の探索をあきらめ、タバコの栽培を行っていた。

(略)

こうして、新たな世界に新たなエルサレムを築こうと、メイフラワー号で大西洋を渡ってプリマスに上陸したのが、ピルグリム・ファーザーズである。

 つまりアメリカは、常軌を逸したカルト教団により建設されたのである。(略)

 一般的には、ピルグリム・ファーザーズより後続のピューリタンのほうが「穏健」だと考えられているが、それはISISよりアルカイダのほうが穏健だと言うようなものだった。(略)

彼らが以前も当時も穏健に見えるのは、その社会的地位が高かったからである。話し方が上品で、身なりがよく(略)聡明で、権力に慣れていたからにほかならない。(略)[だが]「穏健」が「寛容」という意味だとすれば、ピルグリム・ファーザーズのほうが穏健だった。彼らは少なくとも「よそ者」と共存していた。だがピューリタンは(略)「神権政治」という言葉を理想視した。(略)英国国教会の聖職者が足を踏み入れることを禁じ、クエーカーを絞首刑に処した。

(略)

 ボストンのピューリタンの最初の指導者となったジョン・ウィンスロップは、アメリカに着く前から、同船した人に「終末」について語っていた。(略)

「終わりの日が姿を現し始めるとき、ここが本当にその町になるかもしれない。新たなエルサレムが現れつつある」。ニューイングランド神権政治の指導者としてウィンスロップの彼を継いだ重要人物、インクリース・マザーもこう説いている。「死者を目覚めさせ、この世を裁くキリストの到来」は、今すぐにも起こるかもしれない。ボストン上空に見える隕石や彗星は、神の悲しみのサインであり、「大災害の前触れ」だ、と。

(略)

 アメリカ初の大学であるハーバード大学の学長にマザーが就任すると(略)息子コットンが父の後を継ぎ、ボストンの中心的教会の牧師になった。この息子は間もなく、「終末」の具体的な年を明言するようになり、それを死ぬまで続けた。「今から6年後だ!」「よし、今から39年後だ!――いや持て、20年もない!」そして、その年が何ごともなく過ぎると、本当はこうだと言って、また別の年を宣言するのだった。

(略)
ピューリタンは、考え方があまりに魔術的だったが、よく本を読んだり書いたりもしていた。ひどく合理的な空想家で、神学をきわめて複雑な科学と見なしていた。常軌を逸した夢想家でありながら、資本主義の野心的な実践者であり、熟達した管理者・所有者・製造者だった。

神を信じる自由

[アン・ハッチンソンは]聖職者の家庭に生まれ、裕福な商人に嫁ぎ(略)カリスマ性にあふれた、熱心な信仰心を持つピューリタンだった。やがて説教師のような活動を始め(略)

次第に大胆になり、やがては指導者たちを見下すようになった。ウィンスロップ知事の日記には、「住民は彼女を預言者だと思っている」という不安げな記述がある。(略)

やがて彼女の支持者は、啓蒙されて大胆になり、気に入らない聖職者の説教になると、途中で退席するようになった。

(略)

 だが、植民地の指導者の一派閥が、ハッチンソンの異常なほど純粋な、魔術的で熱狂的なピューリタン信仰を受け入れると、彼女はついに問題視されるようになった。(略)

 結局彼女は、聖職者の名誉を毀損したかどで告発され、裁判にかけられた。(略)

[公判で]ハッチンソンは思いのたけをぶちまけた。聖書だけでなく聖霊が、神が自分を導いている。(略)

植民地の住民や政府は誤った方向へ進んでおり、いずれ神の逆鱗に触れるだろうと述べた。「私を裁くのでしたら注意したほうがいい。私にはわかります。あなた方が私をどうしようとしているのかが。神はあなた方やその子孫、この国すべてを滅ぼされることでしょう」。

(略)

彼女は結局、魔女だと判断され、処刑されてもおかしくない状況だったが、植民地から追放されるだけですんだ。

 現代では、アン・ハッチンソンはほぼ例外なく、アメリカで最初の偉大なヒロインとして紹介されている。信教の自由のために闘い、見せしめ裁判の犠牲になったフェミニスト活動家という位置づけである。

(略)

ハッチンソンがアメリカ的なのは、自分自身にあれほどの自信を持っていた点だ。彼女は自分の直感、独自の主観的な現実認識を少しも疑わなかった。周囲にいる不安げなインテリとは違い、あいまいな態度や自己不信を認めなかった。

(略)

アン・ハッチンソンは、ピューリタンの中でもただ一人、現代のアメリカ人の感性とつながりうる人物だ。現代のアメリカでは、あらゆる個人が堂々と、自分が真実だと思う現実を自由に作り上げることができる。21世紀のアメリカのキリスト教は、17世紀のアメリカの公式のキリスト教よりも、ハッチンソン自身のキリスト教に近い。

(略)

アメリカには、追放された狂信者がたどれる道、住みつける新たな場所が、そう遠くないところに無数にある。

サタンが支配するアメリ

一部のアメリカ人は、永遠の命が手に入るかもしれない、アメリカは神の計画により間もなく現れようとしているこの世の王国の中心地になる、と信じている。(略)一方で、キリスト教徒であろうとなかろうときっと地獄に堕ちる、神はアメリカをめちゃくちゃにした私たちに激怒している、と信じているアメリカ人もいる。実に恐ろしい幻想である。

(略)
マサチューセッツに新たな植民地が設立される以前から、あるピューリタン聖職者はこう警告している。「アメリカは明らかに、私たちが知る世界のどの場所よりも、サタン(魔王)に支配されている」。(略)

キリスト教はそれまでの1500年間にヨーロッパ中に広まり、すでに浸透してしまっている。そこで悪魔はある時点で、アジアの異教徒に大平洋を渡らせ、アメリカに向かわせたという。「悪魔は、アメリカに自分の王国を作れば、主イエス・キリストの福音に脅かされることもないだろうと踏んで、あの哀れな野蛮人どもをこの地におびき寄せたのだ」。つまり、アメリカの先住民は、単に異教徒というだけでなく、サタンの兵士なのだ。(略)

[コットン・マザー]は、「私たちの邪魔をする悪魔の群れ」を「武装した先住民の姿をした悪魔」と表現した。

(略)

幸い、全能の神が奇跡をもたらした。白人の聖人たちが意図せずして持ち込んだ病気にかかり、かなりの先住民が死んだのだ。

(略)

[同盟を結び反撃に出た先住民達に対し]

ハーバード大学出身の聖職者は、兵士たちにこう説いた。「あらゆる罪、あらゆる腐敗を滅ぼし、焼き、沈め、破壊せよ。(略)イエス・キリストの公然たる敵に、誰であれ情け容赦は無用だ」。こうして、1675年夏から1676年夏にかけて、無慈悲な大量殺戮がアメリカ史上もっとも集中的に行われた。それから10年余り後には、さらに長い戦争が始まり、初期アメリカ人が抱いていた幻想の第二部が現実化した。ローマ法王の勢力(フランス軍)とサタンの勢力(先住民)がいずれ手を握るのではないかという幻想である。その直前、コットン・マザーはたまたま、二またの根が生えたキャベツを目にした。するとその根が、先住民のこん捧と西洋の剣に見えた。そこで、地獄の番犬たちとの新たな戦いが始まろうとしていることを神が警告しているのだと確信し、民衆にこう告げた。「目に見えない世界の悪霊どもが、ニューイングランドの民衆に壮大な戦争を仕掛けてくる。(略)先住民の首長どもはよく知られているように、(略)恐るべき魔術師、地獄の魔法使いであり、(略)悪霊と通じている」。
 ヨーロッパではすでに「理性の時代」に入っていた。だが新世界では、非理性がものすごい勢いで逆流していた。

セイラムの魔女

[1689年イングランドで信教自由令が可決され、アメリカのピューリタンもそれを受け入れることに]

それは自分たちの宗派を、無数の新興宗派の中の一派と認めることでありう、存在価値の低下を意味する。(略)

コットン・マザーは、その少し前に発表した不信仰の危険性を訴える小論文の中で、こう述べている。魔女の存在を疑い始めたら、神の存在まで疑うようになるのではないか?

(略)

[1691年少女達に異常が発生]

間もなく、魔女が数名特定された。[その数は増え数十人に](略)

 するとこの騒動に、ボストンで魔女の専門家として名声を博していたコットン・マザーが介入してきた。

(略)

少女たちは、自分の見た夢や幻影が魔女や魔法使いに誘導されたものと思い、判事たちは、裁判をサタンとの戦いだと思っていた。そして何よりも、自分は魔女や魔法使いだと自白した50人のうちの多くが、自分は本当に悪魔と個人的契約を結んでいたと信じていた。

(略)

 しかし、この狂気が夏にピークを迎えたこと(略)インクリース・マザーがイングランド旅行から帰ってきて、即座にこの騒動を収めた。セイラムで一日最多の8人が魔女や魔法使いとして絞首刑に処された日のあと、「Cases of Conscience(良心の問題)」という小論文を執筆し、その内容の正当性をピューリタン聖職者協会に認めさせたのだ。(略)

 以来「良心の問題」は、アメリカ植民地を理性回復へと向かわせた偉大な論文と見なされるようになった。確かにそのタイトルは、魅力的なほどリベラルに見える。(略)

だが、あまり知られていないことだが、このタイトルはタイトル全体のごく一部にすぎない。完全なタイトルを知ると、隠れていた事実が見えてくる。そのタイトルとは、「(略)(人間の姿を借りた悪霊、魔術、その罪で告発された者の間違いのない罪の証拠に関する良心の問題)」である。この本には、サタンが実際にどう行動するかが説明されており、また聞きした世界中の邪悪な魔術の物語が無数に掲載されている。たとえば、「望みの人やモノを浮かび上がらせる魔法の鏡の作り方」を知っている「ベネチアユダヤ人」の話などである。インクリース・マザーは、セイラムの事件について、サタンが一部の告発者をたぶらし、嘘の告発をさせているのだと(略)

エドマンド・モーガンは言う。「1692年には事実上(略)魔女の存在を疑う者はニューイングランドに一人もいなかった」。 

次回に続く。

 

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