あの日のビートルズを追体験

話題の本といっても大した事ないものが多い中、これはホントに凄い。図書館で借りた人間が言うのもなんですが、マストバイ。買って悔いなし、読んで悔いなし。最後の真実なんていう邦題に恥じない内容。それにしても著者は記憶良すぎ(というかちょっと…)。

ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実

ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実

初めて四人と遭遇

入社したてに初めて四人と遭遇した場面(えー念のためですが、このジョージとはジョージ・マーティン

口火を切ったのはジョンだった。
「なあ、ジョージ」と彼は自分たちのプロデューサーに、無遠慮に話しかけた。「はっきりいってオレたち、この曲はクズだと思うんだ」
ジョージの驚いた顔を見て、彼はいくぶん表現をやわらげた。
「つまり、たしかにいい曲かもしれないけど、オレたちがやりたい路線とはちがってるってことさ」
「じゃあきみたちはいったいどういう曲をやりたいんだ?」困り顔のプロデューサーが訊いた。
眼鏡を外し、目を細めてジョージを見つめたジョンは、単刀直入にこういった。
「オレたちはどっかのだれかが書いたヤワな曲じゃなくて、オレたち自身の曲をやりたいんだ」
 ジョージ・マーティンはかすかにおもしろいという顔をした。
 「じゃあいうがね、ジョン。きみたちがこれに負けないくらいいい曲を書いてきたら、喜んでレコーディングしようじゃないか」
 ジョンは彼をにらみつけ、しばらく、不穏な雰囲気が漂った。
 するとポールが礼儀正しいが断固とした口調で、「今のぼくらは、ちょっとちがった方向性を目指したいと思っているんです。それにぼくらの曲は、決してその曲に負けてないと思います。もしよかったら、ちょっとやってみたいんですが」
["Love Me Do"を披露する四人]

おおー、あの日の光景が貴方のお手元に。

「ザ・ダコタス」という偽名で

スタジオ予約するもいつもファンが殺到。そんなある日、まるで映画のような大騒動に

スタジオのドアが勢いよく開き、思いつめた表情の少女が駆けこんできた。ドラム・キットの向こうで背を丸め、困ったような顔をしていたリンゴにまっすぐ向かっていく。本能的にニールが、アメリカン・フットボールふうの完璧なタックルで少女を阻止し、床に沈めた。
(略)
数の力で警官を圧倒した少女たちが、正面扉を破って侵入したのだ。すでに食堂は占拠され、イカした四人を求める何十人もの熱狂的なファンが、血眼になって、EMIの施設内を探し歩いていた。
 「向こうはもう、気ちがい病院みたいな騒ぎだ」ニールが叫んだ。
(略)
好奇心にかられたぼくは、ドアから顔を突き出した。目に飛びこんできたのは、とても現実とは思えない、恐るべき光景だった
(略)
狂ったように絶叫しながら、廊下を駆けていく何十人もの少女たちと、困惑した表情で、息を切らしながらそのあとを追いかけるロンドンの警官たち。警官がファンをひとり捕まえるたびに、二、三人の少女がどこからともなくあらわれ、声も限りに絶叫する。(略)乱暴にドアを開け閉めする音がひっきりなしに聞こえ、おびえたスタッフは次々に髪の毛を引っぱられ(変装したメンバーではないことを確認するために

64年秋”フォー・セール”セッション。

九時間で七曲をゼロから完成

全員が陽気なムードでしゃべりまくり、ぼくにも大声であいさつしてくれた。どうやらツアーはことのほかうまく行っているらしい。少なくともハード・ワークのおかげで手にした富と名声を、やっとのことで楽しめるようになっていたのはたしかだった。(略)
[休日をつぶしての録音も苦ではない様子]
 おそらく当時の四人にとって、レコーディングは仕事ではなかったのだろう。相変わらずいっしょにいるのを楽しんでいる様子だったし、いつも笑い声が絶えなかった。それにだれひとり、疲れているようには見えなかった。

  • “カンサス・シティ”録音時に互いにリトル・リチャードの大ファンであることがわかりポールと意気投合
  • “エイト・デイズ・ア・ウィーク”録音時にポールのベース音でジョンのギターがハウリング。それ以来色々試したフィードバックを“アイ・フィール・ファイン”で使用

ジョンとポール

ポールはきちょうめんで計画的なタイプだ――いつもノートを持ち歩き、読みやすい字で、歌詞やコード進行を書き留めていた。対照的にジョンは、いつも混乱をきたしているように見えた――思いついたアイデアを走り書きしようと、しょっちゅう紙切れを探しまわっていた。(略)
ポールはあるパートを完璧に仕上げるために、長い時間を費やすことも厭わなかった――ジョンはせっかちで、すぐに新しいことをやりたがった。ポールはたいてい、自分が求めるものを正確に把握し、批判を受けると気分を害した――ジョンはずっと神経が太く、他人の意見もオープンに聞き入れた。事実、とくに強い思い入れがないかぎり、彼はたいてい変更を受け入れていた。
(略)
ポールに向かって「今の曲はクソだ」といえる人間――そしてその言葉をポールが甘んじて受け入れる人間は、実質的に世界でジョンしかいなかった。逆にジョンの目をまっすぐ見て、「やりすぎだ」といえる人間も、やはりポールしかいなかった。
 彼らはたいていおたがいに気を遣っていたが――たとえばポールは、「ジョン、きみならもっとうまくやれるんじゃないか」といういい方をした――つまるところはそういうことだった。ジョージ・マーティンがそんな真似をしたら、首を食いちぎられていただろう。

ジョージ評

はかなり辛辣(何しろ初対面の印象が“欠食児童”のよう)。[ポール派と見られていたから、他のメンバーの態度がやや冷たくなってもしょうがないわけで、著者のメンバー性格分析がどこまで正確かは若干疑問が残る。ただ後に急激に成長を遂げたジョージをちゃんと評価している]

始終不平をこぼしている、ユーモアを解さない陰気な男で、ビートルズの内輪以外の人間は、みんな疑ってかかっているように見えた。彼の曲に取りかかっているときですら、ぼくとはほとんど口をきかなかったほどだ。技術的な側面に関しても、まったくといっていいほど無知だった。(略)
 ジョージはよく、心ここにあらずという表情をした。ビートルズのリード・ギタリストでありながら、なにかほかのことを考えているように見えた。もしかしたらある時点で、もうこのバンドにはいたくないという気持ちになってしまったのかもしれない。(略)
いちばん好きになれないところは、彼がいつも嫌味ばかりいっていたことだろう――それもぼく個人にかぎらず、世界全般について。

リンゴ評

彼はどんなことについても、ほとんどいいたいことがないらしかった。もの静かというだけではまだ足りない。(略)
 おそらくリンゴの引っこみ思案は、子どものころ、体が弱かったせいで、何年も学校を休まざるを得ず、その結果、ろくに教育を受けられなかったことが原因だったのだろう。(略)
 だが普段は口数の少ないリンゴが、あえて音楽的な意見を口にすると、それは一気に重みを増した。単なる感想ではなく、本気の言葉だということが、おのずとほかのメンバーに伝わったからだ。(略)
 リンゴがフィルで苦しんでいると、時としてジョンとポールはひどくぶしつけな態度を取った。だがレコーディングが終わって曲が完成すると、またいつものように仲良くなる。(略)
リンゴはまるで機械のように、何時間も連続でドラムを叩いた。そしてセッションがようやく幕となるころには――とりわけ、グループの後期にはじまった、えんえんとつづく徹夜のセッションの場合には――すっかりエネルギーを使い果たし、へとへとになってスタジオを去っていた。それなのに次の日には完全に回復し、いつでもマラソン・ドラミングに挑める状態になっている。これにはいつも感心させられた。リンゴには明確な才能とスタイルがあったけれど、想像力は乏しかった。とはいえ彼は、自分の限界をちゃんとわかっていたと思う。

マスタリング部門に昇格したため「四人はアイドル」「ラバー・ソウル」に関われなかった著者が食堂で耳にした評判

ノーマンがこのアルバム(《四人はアイドル》)、とりわけ〈イエスタデイ〉というポールのバラードを絶賛していたのは覚えている。対照的に《ラバー・ソウル》は、ほとんどアビイ・ロードでうわさにならなかった。曲のよさと歯切れのいいサウンドは、だれもが認めるところだったものの、スタッフの全般的な感想は、フォークとカントリーの分野に踏み出した、悪くない出来の異色作(略)というもので、とくに高い評価は受けていなかったのだ。

エンジニアの感覚

ぼくはむしろレコードづくりを、絵を描くようなものだと思っていた。楽器の音がぼくのパレット。マイクはレンズのようなものだと思っていたし、異なる周波数帯は、色になぞらえられた――ハイピッチのストリングスはきらめく銀、ミッドレンジのブラスは金、ベースの低音は濃紺。ぼくには音が実際に、そんなふうに聞こえていた。

ついにエンジニアとして“リボルバー”セッションに参加。

  • "Tomorrow Never Knows"で「何マイルも向こうの山のてっぺんからダライ・ラマがうたってる」ような声にしてくれとジョンに頼まれ、ハモンド・オルガンのためのレズリー(アンプと二基の回転スピーカー)を使うことに。その結果にいたく感動したジョン、その仕組みを説明され、自分をロープで吊るしてマイク前で回転させたらと非現実的発想、実際“ペパーズ”録音時にはマル・エヴァンスにロープを買いにいかせた。
  • バスドラに毛布をつっこむ手法を編み出す

ループ天国

アヴァンギャルド音楽への志向を見せはじめていたポールが、消去ヘッドを取り外せること、そして外したまま録音すると、テープが録音ヘッドを通過するたびに、すでにある音に新たな音が積み重ねられていくことを発見する。当時はまだ初歩的なテクノロジーしかなかったので、テープはすぐ飽和状態になって音をひずませてしまったが、それぞれの家で実験を進めていた四人は、この効果にすっかり夢中になった。しょっちゅうテープの断片をスタジオに持ちこんでは、即席の「怪しげなサウンド」コンテストを開き、「これでどうだ!」と競い合っていたものだ。
(略)
〈トゥモロー・ネバー・ノウズ〉をレコーディングした初日の夜に、ジョンとリンゴがつくり出したテープ・ループに刺激を受けたポールは、家に帰ると徹夜で短いループを何本もつくり、翌日、小さなヴィニール袋に入れて持ってきた。(略)
 ポールは風変わりなサウンド――ひずませたギターやベース、チリンチリンと鳴るワイングラス、さらには正体不明なノイズの数々――を、大量に蒐集していた。ぼくらはそのテープを、スピードを変えたり、回転の向きを変えたりと、さまざまなやり方で再生した。するとメンバーのだれかがときおり「今のはいいぞ」と声を上げる。けっきょく五本のループが選ばれ、ベーシックなバッキング・トラックに追加されることになった。
(略)
ジョン、ポール、ジョージ、リンゴが叫ぶ指示に従って、フェイダーを上げたり下げたりしていた(「今だ、あのカモメの音を出して!」「ひずんだワイングラスをもっと大きく!」)。それぞれのフェイダーに異なるループが割り当てられていたため、ミキシング・デスクはほとんどシンセサイザーと化し、ぼくらも楽器のようにプレイ

  • “ペーパーバック・ライター”でモータウン風ベースサウンドを要求され、スピーカーの配線を逆にしてマイクに
  • “イエロー・サブマリン”水ぶくぶく音で盛り上がったジョン、水中に潜って歌いたいと言い出し、それを止めるため、マイクを水につけることに。防水を案じればローディのマルがコンドームを。

「でかしたぞ、マルコム!」
ジョンがもったいぶった口調でいうと、ほかのメンバーは爆笑した。「われわれの家族計画にマイクごときを立ち入らせるわけにはいかんからな、そうだろう?」

成果は芳しくなく断念。後年、マイクがファンタム電源だったから、感電死しても不思議ではなかったと気付く。

著作権て何かねw

〈イエロー・サブマリン〉のソロをまかなうため(略)スーザのマーチのレコードを数枚持ってきた。何枚か試聴したところで、ジョージ・マーティンとポールは使えそうなレコード(略)を見つけだした。
 問題は著作権だった。イギリスの法律では、売り物にする作品に既存のレコードを数秒以上使用すると、その曲の著作権者の許可が必要となり、相応の印税を支払わなければならなかったのである。
 ジョージはそのどちらもごめんだと考え、ぼくに曲の一部をまっさらの2トラック・テープに録音させた。そしてそのテープを細かく切り、空中に放り投げ、そのあとでまたつなぎ合わせるよう指示した。そうすればランダムな並びになるだろうと考えてのことだったが、実際につなぎ合わせてみると、ほぼ原型通りに仕上がっていた。
[夜も更けメンドーになり](略)二か所の断片を入れ替えさせただけで、マルチトラックのマスターに挿入(略)できるだけ早くフェイドアウトさせるように気を遺って。だからこそあのソロは、あんなにも短いのだし、ほぼ音楽として成立していながら、少しだけちがって聞こえるのだ。少なくともカモフラージュ効果はあったようで、原曲の著作権者からEMIが訴えられることはついになかった。

まだまだ明日につづく。