ジミ・ヘンドリックスとアメリカの光と影

白人による「黒人音楽」でなければ白人層に流通しないという壁。最後の方では頭角を現しつつあったとはいえ、米国R&Bツアーでどさ回りをやっていた無名のジミヘンは、バラードを謳い上げる雇い主の後ろで「ギターに食いついて」顰蹙を買う「醜いアヒルの子」だった。ところが英国ブルースシーンでクラプトンをKOし瞬く間にスターとなって名誉白人状態で米国に再上陸。黒人でありながら白人ロックスターのように白人層に流通する不思議な存在に。

ジミ・ヘンドリックスとアメリカの光と影 -ブラック・ミュージック&ポップ・カルチャー・レヴォリューション

ジミ・ヘンドリックスとアメリカの光と影 -ブラック・ミュージック&ポップ・カルチャー・レヴォリューション

人種差別vs青春の主張

[「アイム・ア・マン」「マニッシュ・ボーイ」etcはイギリスの青二才のブルース・ファンには大人気で、大人としての認知を主張する若者たちの欲求・関心事にぴったりフィットしていた。]
人種差別主義者の白人は伝統的に、どんな年齢の黒人でも“ボーイズ”と呼ぶ点にある。この曲の白人ヴァージョンの言外の意は「オレは男(そして、きみは女の子)、だからやろうぜ」だが、マディとボの場合のサブテキストは、「オレは男(だから絶対にオレをボーイと呼ぶな)」だ。
(略)
ブルースの陽気な肉欲と悲痛な社会的リアリズムが、思春期の男性のパワー幻想への熱い耽溺へと移し替えられてしまう。
(略)
テディ・ベアだの淡い恋だのお人形娘だのは、ホルモンが逆上しそうな思春期の男にはあまり魅力的ではない。彼らには、タフで訳知り顔のブルースのセクシュアリティ、そしてブルースを演奏する若い白人のパフォーマーのほうが、[アイドルポップより]ずっと魅力的だった。

UKブルース青年公式

イギリスのブルースバンドが経験する感情の全域は
A(自分が可哀想に思える)から
B(自意識過剰かな)を通じて
C(実はタフじゃないのにそんなふりをしているんだ)へ、
D(オレは怒ったぜ)

 娯楽産業は伝統的に、黒人のスタイルを“メインストリーム”に持ち込む役目を白人パフォーマーに担わせてきた。黒人のスタイルを白人にも受け入れられるものにし、最終的には武装解除するのだ。(略)
ボ・ディドリーは(略)断言している。彼とチャック・ベリーが演っていたもの、彼が今も続けているものは、ロックンロールと呼ばれていたが、白人が演りだしたとたん、「ヤツらがロックンロールで、俺たちはR&Bってことになったんだ」そして、R&Bは(アトランティック以外は)ゲットーを意味した。
(略)
リトル・リチャードは回想する。彼はもちろん、初期の雇い主の中でいちばんヘンドリックスに影響を与えた人物だ。
「それでオレたちは、[偏狭なレイシストに対処して]オレのイメージをクレイジーで奇抜にすることにした。大人がこいつは無害だと思うようなね。あるショーではイギリス女王の格好で現われて、翌日は教皇に扮したりしてさ」。

[ヘンドリックス伝記著者は]ミッチ・ミッチェルのヘンドリックスに対する“奇妙な軽蔑”や、ミッチェルとレディングの両方が“ニガー”や“クーン”といった言葉を毎日ふざけて使っていたことを挙げて、エクスペリエンス内にも人種的緊張が多々あったとしている。(略)
「ノエルはフォークストーンから来たんだ。黒人なんてひとりもいない土地だよ」ロバート・ワイアットは語った。「彼には悪気などさらさらなくて、うっかり口にしていただけだったんだよ」。要するに、ノエルもミッチェルもアメリカの黒人が何を不快に感じ、何なら平気なのかなど、これっぽっちも考えなかったということだ。

「ジミが5、6年早く生まれていた、きっと“若きブルースマン”のひとりになっていただろう」

[どさ回りでぱっとしない頃にマディ・ウォーターズ詣]
ヘンドリックスがニュー・エイジ・ブルースのテクニックを少々披露すると、悲しいかな、伝統からあまりに大きく逸脱してしまうことに関して、善意の遠回しのお説教が返ってきた。数年後、光り輝くスーパースターとして、ヘンドリックスはマディのほぼ同時代人であり、永遠のライバルであるハウリン・ウルフと対面し、この老人から公衆の面前で容赦なくこき下ろされた。ウルフはワウワウ・ペダルをシャミールがアラファトを嫌うように毛嫌いしていたのだ。ウォーターズとウルフは、ブルームフィールドやクラプトンの奇抜な演奏は大目に見ても、ヘンドリックスにはそれを許さなかった。彼らは結局のところ白人の青年で、道理がわからないのもしょうがない。しかし、ヘンドリックスはブラザーなのだから、ルールを心得ていてしかるべきなのだと。

ブルースの巨人の憂鬱

ジョン・リー・フッカーは、アンプのエコーを効かした一連のブルースのヒット・レコードを出し、それは文字通り電気がバチバチ音を立てるようなものだったが、彼は環境が変わればやることも変えるという姿勢で問題を解決した。黒人クラブでは、彼はスーツを着てバンドを率いて登場し、最新のソウル・ヒットのメドレーで口火を切って、エレクトリックーギターを弾いた。白人のフォーク好きのために演奏するときには、ドレス・ダウンし、アコースティック・ギターを持ってきてソロで演った。
(略)
[マディ・ウォーターズの1958年の初英国ツアー]
彼の獰猛なエレクトリック・ギターとオーティス・スパンのアンプにつないだピアノが、電気嫌いのジャズ批評家[からロックだと酷評され](略)
六年後、マディが、アコースティック・ギターを手に、特別に昔風のデルタの曲を用意して戻ってくると、その国には彼の曲にちなんで名をつけたバンドがうじゃうじゃいて(ザ・ローリング・ストーンズデヴィッド・ボウイのマニッシュ・ボーイ、ザ・モジョズ)、モッズとアート・スクールの学生でいっぱいのオーディエンスは、最初はヤードバーズやマンフレッド・マン、聖なるストーンズのステージで聞いて知った曲に、キャーキャー大騒ぎした。それでもマディ・ウォーターズは依然ブルース界の巨人で、物憂げな威厳のあるまなざしに自ずと軽蔑を浮かべ

ピート・タウンゼントは語る。「皮肉なことにさ、みんなひどく哀れに見えたんだよ。チェックのジャケットを着たジョン・リー・フッカーがキャバレー・ショーみたいなことをやるのとかがさ。彼は今だってずっとやってるんだけど。なぜか彼らはオレたちがやった画期的なジャンプについてくることができなかった感じだった。ヘンドリックスはやった……そして、もっと先へ行ったんだ」

R&B解釈の英米の違い

“リズム&ブルース”という言葉はイギリスとアメリカ合衆国とでは極端に解釈が異なる。元来それはアトランティック・レコードのプロデューサー兼重役だったジェリー・ウェックスラーの造語で、単にブラック・ポップ・ミュージックを指していた。主にブラック・コミュニティによってブラック・コミュニティ向けに作られた音楽なら何でもだ。ところがイギリスでの定義では、ローリング・ストーンズと彼らのあとに続いた名声の差は多々ある数々のバンドが演奏したものなら何でも、ということになった。
“ブリティッシュR&B”はシカゴ・ブルースと50年代のロカビリーと60年代初期のソウルを適当に融合させたものだ。
(略)
T・ボーン・ウォーカーから始まってB・B・キングやアルバート・キング、フレディ・キングら傑出したソリストに代表されるブルースの一派、あるいはバディ・ガイやオーティス・ラッシュ、マジック・サムらのシカゴ“ウエスト・サイド”派に、ストーンズはほとんど興味を示さなかった。唯一こうした勢力からクリエイティヴな影響を引き出せた(あるいは完全にまねをできたのさえただひとりだが)イギリスのギタリストはエリック・クラプトン

B・B・キング談[1989年]

「彼は俺を父親のように思っていたんだと思うな。(略)彼はジミ・ヘンドリックスで、誰も彼のようにはなれないんだから、恐れるものなど何もなかったはずだが、それでも父親か誰か、長い間ずっと一緒に過ごしてきた相手に対するように俺を尊敬してくれたんだ。そんなふうに俺を敬っていた……腰を下ろして、ちょっとギターを弾いて“こういうのどう思います?”って尋ねてね。彼は依然俺に対してシャイだったが、それでも親しみは感じられた。ちょっとした仲間意識みたいなものがね。それでこっちもちょっと彼が息子のひとりのような気がしてさ」。B・Bはヘンドリックスがブルースをマスターしていることに関していささかの疑問も持っていなかった。「ジミはブルースを演奏し、しかもうまかった。彼はいいブルースを演っている。ただ、ジミ・ヘンドリックス流にやってみせただけさ」

バディ・ガイ

は1967年にアン・アーバー・ブルーズ&ジャズ・フェスティヴァルで演奏したときのことを回想している。
 「45分くらい演奏したあとで、俺はギターでいくつかの技をやって見せた。ドラム・スティックで弾くとかそういう類いのことをね。そしたらオーディエンスの誰かが大声で言ったんだ。“ジミ・ヘンドリックスを見たんだな!”ってね。67年当時、俺は彼が誰かも知らなかったから、訊き返した。“そいつは誰だ?”だが、客はそれをまったくのジョークだと思ったんだよ……カナダに行ったときもみんなが言うんだ。“なんだ!ジミ・ヘンドリックスのコピーじゃないか”ってさ。(略)
 ニューヨークではテープ・レコーダーを持ったヘンドリックスがついてきた。彼が“オレは何年もずっとあなたを追いかけてきたんだ。あなたの演奏をテープに録りたいんだ”って言うんで、“俺の聞いた話じゃ、俺があんたを追いかけていることになっているがな”って答えた。彼は“ふたりの間じゃわかっていることじゃないですか。そんなやつらのことは気にしないで”と言った。

残り少しだが、疲れたので明日につづく。