アラブから見た湾岸戦争・その3

前回のつづき。

アラブから見た湾岸戦争

アラブから見た湾岸戦争

撤退の条件

もしクウェート問題と中東紛争を同じ流れの中で論ずることを西側が認めていたら、イラクの名誉は保たれただろう。(略)
一方、フセイン本人は、また自分が追い詰められていると思ってはいなかった。撤退の意志はあるにはあったが、無条件ではなく、最低限、ワルバ、ブビヤン両島とルメイラ油田は欲しかった。この頃までには、金はそれほど問題ではなくなっていた。クウェート中央銀行からの略奪金だけで20億ドルに近かったためである。(略)
「ここがイラクの一部だと言うのなら、なぜ何でもかんでも持ち去るのか?」。
イラク軍司令官の返事は、「なぜなら、首都より優れた県があってはならないからだ」というものだった。

サッチャーとヨルダン国王

[ブッシュとの会談を終えた]フセイン国王は、絶望の気持ちでアメリカをあとにし、ロンドンヘ出向いてマーガレット・サッチャー首相に会った。二人は、中東紛争に関して過去に数え切れないほどの討論を重ねており、親しい間柄だった。会談は友好的にはじまり、サッチャーは、なぜフセイン国王がフセイン大統領を支持しているのか尋ねた。サッチャーは、フセイン大統領を「悪者」と評した。
「私は誰も支持などしていない。我々の地域の平和を守ろうとしているだけなんだよ」と国王は述べた。
「でも、こうなったのは誰のせいかしら?」とサッチャー。(略)
「あなたは負け犬を支持しているんですよ。手遅れになる前にそのことをわかっていただきたいものだわ」。軽蔑に満ちた声で、サッチャーは、フセイン大統領を「三流の独裁者」とこきおろした。この会話によって、国王と彼女の友情に終止符が打たれた。

副作用

[九月のはじめには、クウェート問題と中東紛争を同じ流れの中で論じようとするイラクの提案が多くのアラブ人に受けていることが明らかに。]
この提案におけるフセインの狙いは、アラブ・ナショナリズムの古いスローガンを復活させ、眠れる大望と抑圧された希望とを覚醒させて、アラブの大衆の間に自らの訴えを広めることだった。提案は、その段階までは目標を達成したわけだが、予期せぬ副作用を引き起こしてしまった。当時、フセインは、威信を失いたくないという願いを持ちながらも、アメリカの攻撃を回避する必要性を感じており、心は二分されていた。ところが、アラブ諸国ほとんどの世論が自分の味方だと知るや、威信の方を優先してしまったのである。支持者層が広くなればなるほど、クウェートからの無条件撤退は、より困難になっていった。

混乱を招いたフセインの態度

アラブやイスラムの大衆から支持を求める時には、その口調は力みなぎるものだった。アラブの首脳たちと話をする時には、声を潜めた。ヨーロッパの年配の政治家たちとの会見の場合は、沈思黙考型の印象を与えた。思うに、フセインの狙いはそれぞれのグループと適切なレベルで意思の疎通をはかることだったのだろうが、それが災いして混乱を生じてしまった。アラブの首脳たちはますます困惑を深め、フセインと会談して帰国した西側政治家たちの話は無視されがちだった。彼らの言うことが、他の報道と食い違ったためである。

戦後

 湾岸戦争は、はじめイラククウェート侵攻による驚きの感情を生んだが、その後、アメリカ率いる多国籍軍による一アラブ国の破壊に加担した、あるいはそれを容認したアラブ諸国内に、罪の感情を生み出した。(略)
クウェートサウジアラビアは、アラブの結束への言質の証拠としてだけでも、エジプトとシリアが演じた役割に対して感謝を表すべきだったのに、実際は、イギリスやフランスとの関係により興味を持っているようだった。他のアラブ諸国は、自分たちは所詮西側諸国に次ぐ二番手の存在なのだと思い知らされた。怒ったエジブトは、予想より早い五月八日にクウェートからの自国軍撤退を開始したほどだった。(略)
[エジプトの五億ドルの支援金要求に]サウジは最初二億ドルを提供し、後になってやっと全額を支払った。エジプト人の間には、自分たちは裕福な湾岸諸国に利用されたあげく、お払い箱にされたのだ、という感情が存在した。シリアでも、自国はパートナーと言うよりむしろ傭兵のような扱いを受けた、と考えた者が大勢いた。(略)
湾岸戦争は、70年代以来今にも沸騰しそうになっていたアラブの諸都市と諸部族の間の緊張を煮えたぎらせてしまったのだ。(略)
さらに貧富間の緊張の源となったのは、80年代の終わり、ほとんどの産油国が、パレスチナ解放機構やシリア、ヨルダン、レバノンという前線国家への献金を減らすと決定したことである。