YMO:くいちがう細野坂本証言

証言の食い違いが印象に残った箇所

  • 1.「CUE」

細野晴臣高橋幸宏が達成感で記念写真を取ってる一方で、坂本龍一は「あんなパクリサウンド

  • 2.散開コンサートのナチ趣味は誰の案

没交渉期なので三人以外から出た案を、それぞれが誰かの案だろうから反対したら揉めると妥協したのか。
実は坂本が無意識に記憶消去したに100ペリカ
「細野証言:僕はノータッチ傍観者」なのに

坂本 あれは佐藤信(舞台監督)さんのアイデアだったと思うんですけど。(略)
ひょっとして佐藤さんは、断られるかと思って提案してみたら、全然OKだったので、ビックリしたのかもしれないな(笑)。
(略)
どの程度、佐藤さんと細野さんで話しあって決めたんだろう。
――没交渉だったそうですよ。
ふうん。「ここまでやっちゃうの?」っていう疑問はありつつも、最後だからいいかっていう(笑)。
(略)
佐藤信って言えば、いちばん近いところにいるのは僕なんですけどね。学生時代に、(黒テント)手伝ったりしてましたけど、YMOに佐藤信を持ってくる発想は、僕にはなかったですけどね。

高橋 僕もそういうイメージにするために、あのコスチュームを考えたわけじゃなくてね。実はあれ、ダブルのジャケットをただベルトで締めているだけなんです。作ったのは僕なんですけど、あんな舞台セットになるってことはわからなかったから。あれ着て最初にあそこに行ったとき、「うわ、マズイな」って思ったんですけどね。

  • 3.再生YMO

アメリカにはテクノがないという細野と、細野さんはドイツのテクノが基準だからという坂本。
でも、始動期には細野さんがビクターにユキヒロを下さいと挨拶に行ってたりしてなんだかとっても青春w。晴臣兄ちゃんがアルファプレッシャーを一身に引き受けてる下で、「ユキヒロ、僕の服、選んでよ」と私生活でもじゃれてる二人、801すぎるぜ。

Yellow Magic Orchestra

Yellow Magic Orchestra

  • 発売日: 2007/01/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
ディスコ

[ソロ二作「トロピカル&泰安」が世間からも音楽仲間からも違和感を持たれて]
細野 そこで考えたのが、これを商品にするにはどうしたらいいかと。それで当時、流行っていたのがディスコティックで。僕のポップス体験の中には、ダンス音楽というのが基本にあるから、ダンス音楽の枠を利用して、今までのちょっとへんてこりんな世界を乗っけてやれば、すんなり伝わるんじゃないかという。

テレビ・ゲーム

細野 ええ。そのころ、喫茶店にテレビ・ゲームが入ってきたんです。「風船割りゲーム」が。続いて「インベーダー・ゲーム」が出てきて、街の風景があるときからガラッと変わったんです。それに驚異的な気持ちで接していたんです。こんなことが起こるんだという、ある種の感嘆を持って。(略)
ハリウッドも『スター・ウォーズ』の登場で、突然の飛躍がある。僕自身も横尾(忠則)さんと第一次ニューエイジ・ブームや円盤ブームを通過してきて『未知との遭遇』なんかが出てきて。(略)
まず意識が先に変化するわけです。あとから肉体的変化として自分に返ってくる。「インベーダー・ゲーム」とか、世の中の展開の早さは驚異的で、もう肉体が追いつけないんじゃないかと思った。

シンセよりリズム・ボックス

細野 彼らの『フレッシュ』の影響がすごく強いんですね。『フレッシュ』が出るまでの間、ずっと空白だったんです、僕の中では。アメリカのポップ・ミュージックがつまらない時代で。当時、バッファロー・スプリングフィールドとかモビー・グレープとか、はっぴいえんどに力をくれたエネルギーというのが、もう一般化されていた。イーグルスアメリカっていうグループがポップス化していった時期で。そのころ鈴木茂と僕は、ハリウッドの古い映画音楽にどっぷり浸かっていたんですけど、2人で不安になってたんです。このままでいいのかな、新しい音楽を聴かなくてもいいのかなって。そういうときにスライがポーンと出てきて、目が覚めた。リズム・ボックスは絶対取り入れようというのが、基本的にありました。シンセサイザーよりもリズム・ボックスのほうが魅力的だったんですね。

Fresh (Bonus Version)

Fresh (Bonus Version)

  • スライ&ザ・ファミリー・ストーン
  • R&B/ソウル
  • ¥1600
フレッシュ

フレッシュ

 

テクノカットは北京カット

細野 そのころ3人で、テレビで小澤征爾が指揮する北京交響楽団を観たんです。それは感動的なもので。それまで3人とも、NYのスタッフとかLAのセクションみたいなミュージシャン集団だと自分で思ってたんです。NYのスタッフの真似をしながらも、日本のミュージシャンがああいう交響楽団の顔つきでシンセサイザーでやれば、予想を超えた何かができるんじゃないかっていう、ある種の熱狂がそのときあって。さっそく知人の美容室に行って、北京の楽団みたいにモミアゲをカットしてくれと。そのとき、横尾さんにもこういう髪型でやりますよと伝えて、横尾さんもモミアゲ切って、記者会見やりますから来てくださいって伝えてたんです。そしたら来なかった。
[来てたらイモは四人だった。]

公的抑圧ならぬアルファ・プレッシャー

細野 いや、「ライディーン」のヒットというのが、僕たちにとって予想外だったんです。実はパブリックっていうよりは、アルファ・プレッシャーというか(笑)。売れたものに関しては、非常に興味を示してくれる会社なんです。過去の実績でしか、僕らの音楽は予測できないから。「ライディーン」が売れたから、次も「ライディーン」だろうという、そういうプレッシャーの渦の中にいたんですね。

「公的抑圧2」を要求する会社を拒否して「増殖」

坂本 細野さんと会社のギリギリの着地点だったんでしょう。それはやっぱり細野さんがすごく偉かったと思うんです。僕らメンバーには、そういうプレッシャーって全然伝わってなかったしね。

「増殖」、後の歌謡路線のわけ。

 ――ここでは、コントだけじゃなくて、音楽も徹底してふざけようということですね。
細野 それにもニュー・ウェーヴの影響が強いと思いますね。解放感、なにか明るい気持ちなんですよ。音楽を作る喜びがあるわけです。それがなくなってしまうことに、非常に敏感なんです。それがなくなりそうな方面に行こうするのを避けてきたと思うんですよね、YMOはずっと。それが避けられなくなって、歌謡路線のほうに行くわけですね。遊べなくなっちゃったんです。

「BGM」キケン大音量

細野 YMOをイルカに聴かせたら、イルカが逃げたっていう話があって。あと、ドイツに行ったときに、YMOの音楽が好きで、聴き過ぎて精神病院に入ったやつがいたとか、ネガティブな話をいっぱい聞かされたんですよ。入り込むとそういうことになるかも知れないと。でも表層的に聴いてると、YMOの音楽って、なんの毒もないような音楽かも知れないでしょう。だから、ヴォリュームを上げないようにして聴いてほしいと。
 スタジオで作ってるときは、フル・ヴォリュームでモニターして、耳がぶっ壊れるぐらいの音で作ってるわけです。だから、それぐらいのヴォリュームで鳴らすことで再現できる。でも、それは危険なんだよと、あえて表明しようと思ったんですね、子供たちに。だから、聴くときには距離を置いて、BGMのように聴いてくれと。

サンプリング

細野 サンプリングがこれほど音楽をつまらなくするとは、『テクノデリック』を作ってる当時は思わなかったですね。
(略)
スティーヴ・ライヒといった連中たちがテープ・ミュージックをやっていた。そのころの労力を思うと、後ろめたい気持はあったんです。(略)
ケチャとかやってて、こんなに簡単にできちゃって、うれしいけど悪いなっていうね。サンプリングに対する後ろめたさの意識はもう、『テクノデリック』のころすでにあったんですよ。

テクノドン「O.K.」

細野 実は、僕が「O.K.」のオケを作ってたときなんですが、教授から(略)病的過ぎないかと言われました。ちょっと健全さに欠けるみたいなことを言われまして。教授は健康になっちゃったからね、ニューヨークで。(略)
明るい病的なもので。僕はそのころ、そういうことにかなり入れ込んでましたね。
(略)
[当時「恐い映画」を三人で挙げたら教授は『エルム街の悪夢』を挙げた]
僕はそのとき、笑ってしまったんです。あれを本当に恐がるのは子供なんじゃないかと。よく言えばイノセントというか。無垢な教授のそういうところをそのとき垣間見て、やっぱりこの人は脅かしてはいけないと思いましたね。

そんなわけで坂本証言は明日につづく。

 

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