ビートルズがいかに曲を巻き上げられたかという実に血管プチプチな話ばかりなのでゆめもきぼーもありません。読んでも楽しい気分にはなりません。
[注意:メンドーな話を大雑把にまとめたので正確性には欠けます。詳しい話は実物で]
- 作者:ブライアン・サウソール,ルパート・ペリー
- 発売日: 2010/03/29
- メディア: 単行本
EMIとの最初の契約
はシングル(6シリング7.5ペニー)1枚につき1ペニー。最初の2曲の出版契約をアードモア&ビーチウッドと結ぶも、「ラブ・ミー・ドゥ」の売り上げは振るわず
60年代初め、音楽出版社には多くのことが期待されていた。出版、登録、楽譜製作に加え、ラジオで曲が流れるようにすること、アーティストがテレビ出演できるようにすることも出版社の業務だった。この点においてアードモア&ビーチウッドはエプスタインを満足させられなかった。
そこにジョージ・マーティンと親交のあったディック・ジェイムズが登場。人気テレビ主題歌「ロビンフッド」がヒットした元歌手、音楽出版に乗り出すも破産寸前だった。「プリーズ〜」の成功でノーザン・ソングス設立となり、ディック・ジェイムズ・ミュージック(DJM)が株式50%、残りの50%をエプスタインのNEMSとレノン&マッカートニーで分けることに。
65年税金対策としてノーザン株公開。
ジェイムズが社長、その会計士シルヴァーが会長。売りに出されなかった375万株を社長と会長が約93万株ずつ、レノン&マッカートニーが各75万株、NEMSが約37万株、ジョージとリンゴに各4万株。レノン&マッカートニーの株配当はひとり約9.4万ポンド、65年からの新税制でキャピタル・ゲイン税対象外になり非課税所得に。株式公開に合わせ二人は窓口&印税受け取り用会社マックレン(レノン&マッカートニーが80%、NEMSが20%)設立。
1966年4月、56曲を保有するレンマック・エンタープライゼズをノーザン・ソングスに最終的に「売却」したことで、レノン&マッカートニーは自分たちの作家取り分著作権印税と引き換えに、それぞれが14万6千ポンドずつ(7万3千ポンドがNEMSへ)を受け取った。(略)この「稼ぎ」はキャピタル・ゲインとして課税されるため、税率はたったの30%だったのである。[所得税としてなら累進付加税も足され、90%が税金で持って行かれる]
ノーザン・ソングスの株式公開が妥当だったか未だに疑問を抱いているのが、1973年にEMIに入社した弁護士ガイ・マリオットである。「株式公開というアイデアをどこから得たのかは知らないが、とにかくべらぼうな話だった。非現実的なコンセプトだし、所得税が心配なら他に選択肢はあった。海外移住する手もあっただろうし、リヴァプールからあまり離れたくないというなら、マン島に行ってしまえば税金からは逃れられたはずだ」
当時の著作権事情
[トム・ジョーンズが「俺が歌ってやるから著作権の分け前をよこせ」と出版社に要求したり]
ソングライター本人が、アーティスト、出版社、レコード会社に屈してしまうこともあった。著作権は特定の録音物をはるかに上回る利益をもたらす可能性があることを、相手がわかっているからだ。1955年にチャック・ベリーが自作曲「メイベリーン」をレコーディングしたとき、チェス・レコード社長レナード・チェスはそのレコードをDJのアラン・フリードに送ったが、彼の番組でかけてくれればベリーとの共作者扱いにするというおいしいおまけをつけていた。
[プレスリーに曲提供した作家はプレスリーの音楽出版社に強制帰属させられたり]
- ハリソングス
65年ジョージはハリソングスを設立、ノーザンの契約条件はマックレンと同じだったが、印税率に関しては、マックレンが50:50だったの対し、ジョージはレコード売り上げ80%海外出版70%演奏放送約67%という好条件を獲得。しかし自分がノーザンの一契約作家にすぎず、大株主のレノン&マッカートニーが自分の曲で自分より利益を得ることに苛立ち“オンリー・ア・ノーザン・ソング”。
- NEMS売却
69年、エプスタインの弟クライブはNEMS売却を決意。義理としてまずビートルズに声をかけるも、アップルで混乱中、クラインはビートルズの財政状態から買収すべきでないとした。結局、トライアンフ社に売却。
-
ノーザン売却
アップル破産の噂でノーザン株下落を恐れたディック・ジェイムズはビートルズに無断でATVに売却。
[ナイジェル・ハンター談]「ノーザン・ソングスが売りに出た場合にまず彼らに買うかどうかの選択権が与えられるという条項を契約に盛り込まなかった、エプスタインとビートルズの致命的なミスだ」
クラインがノーザン100万株を買い戻し過半数を握るという対抗策を提案。それには保持しているノーザン株を担保に200万ポンド調達する必要があり、ポール側のイーストマン親子が危険すぎると拒否。しかもポールがこっそり投資としてノーザン株を購入、ジョンより10万株多く保有していたことが発覚。ノーザンの所有権に関して対等でいようとの口約束を破ったとジョンが激怒。なんだかんだでATVのルー・グレードが株54%を手に入れ決着。
もはやビートルズができるのは、ノーザン・ソングスヘ自分たちの株を売却し、できるだけいい値をつけてもらうことしかなかった。
ノーザン・ソングス買収が失敗したことに関して、レノンは素っ気なく答えた。「会社なんて持ってなかったよ。ノーザン・ソングス、NEMS、ディック・ジェイムズ。僕らには何があった? 銀行にあるわずかな金だけだ。ブライアンがしくじったのさ」。さらに続けて、出版とマネージメント契約について自分たちが無知だった初期の時代に、ジェイムズがエプスタインを丸め込んだとほのめかした。
[ポール]「僕らは帰国してすぐに『ディック、やめてくれよ』と言ったんだ。あいつは『やめないよ』と答えた。会社は売りに出され、商品になった。買ったのはルー・グレードだ。そうして僕とジョンは自分たちの多くの曲の権利を失ってしまった。ジョージもだ。何曲かね」
新しい契約ではディック・ジェイムズ・ミュージックがATV傘下のノーザン・ソングスを引き続き担当し、管理手数料として総収入の10%を受け取るという条件になっていた。つまりジェイムズがビートルズ、エプスタインと結んでいた取り決めがそのまま続くことになった。
見切り発車なので今日はここまで。明日につづく。