映画を聴きましょう  細野晴臣

映画を聴きましょう

映画を聴きましょう

ホラー克服

 実は僕自身はそもそも大の怖がりであり、ホラー映画は苦手であった。にもかかわらず、ホラー映画のDVDを借りて観るということをよくしている。自分を鍛えるためにホラー映画を観ている節もあるが。
 大学生の頃(略)オールナイトの映画館に一人でふらりと入って観たのが、「悪魔のいけにえ」であった。(略)
あまりにも怖くて、途中で映画館を出てきてしまった。(略)トラウマになってしまったほどで、好きじゃない監督の一人である(笑)。いまだにその恐怖を克服できていない。
 ただこの体験がきっかけになって、怖いものに免疫をつけなければと思い、ダリオ・アルジェントなどの恐ろしそうな映画をレンタル店で借りてきては、まず早送りして、先に何か起こるのか観るということ繰り返した。「あ、ここらへんが怖いんだ」と思って、また巻き戻しては観る。こうすれば何が起こっているかわかっているから、それほど怖くない。ホラーはいきなり来る衝撃が怖いのだ。正しき映画ファンからは怒られそうな鑑賞の仕方だろうが、そうやっているうちにだんだんと恐怖に慣れていき、ホラー映画も好きになっていったという次第である。

映画音楽のマジック

 ピエトロ・ジェルミ監督とカルロ・ルスティケリのコンビによる「誘惑されて棄てられて」(63年)を観て、何でもないシーンにドキッとしたことがある。お母さん、その娘、そしておばさんたちという女性の一家が黒いスーツを着て、街の向こう側から歩いてくるというシーンなのだが、望遠でとらえたカットがいきなりどんと出てきて、そこに明るいマンボの音楽がかかった。このシーンを観たとき、あ、黒澤明監督(と同じ)だ、と思った。
 映っている画面の内容と、全く違う印象の音楽がかかってハッとさせられるのは、まさに映画の醍醐味であると思う。ここぞという絶妙なタイミングと、どういう音楽をどのように組み合わせるかが大事なのであるが、そういうシーンというか、音楽の使われ方は、特にいまの映画にはなかなか見受けられないような気がする。ジェルミの映画や、黒澤明監督の映画(略)にはそれがあった。おそらく映画監督と作曲家がお互いに、映画のマジックとでもいうのか、ある種のセンスを共有していないとなかなかできないものなのだろうと思う。
 いったい何が素晴らしいのか知りたくて、また自分にもそういう音楽ができるのだろうかと考えながら、ある時期、DVDで「誘惑されて棄てられて」のこのシーンだけ何度も繰り返し観ていたことがある。

光学録音の素晴らしさ

 ところで映画を観て、その音楽を聴いていいなと思うときは、たいていフィルムの光学録音の音がいいのである。最近よく、デジタルリマスターなどといって、音源だけ残っているのをデジタル化してサントラにするケースがあるが、本来の映画の音と変わってしまう場合が多い。サウンドトラックというのは、そもそも光学録音、フィルムに焼き付けた音をそのままレコードにしたものをいうのであり、それが素晴らしいのである。余分なものをクリアにしたり、逆に際立たせようと加工すると、味わいが全くなくなってしまう。
 1970年代に流行りだした音のことで、ドンシャリという言葉が音楽業界にある。(略)中域が少ない。アタックのあるいまどきっぽい音のことで、それがポップスの作り方として、70年代から実はいままでずっと続いている。(略)
 サウンドトラックというのはその対極にあって、中域がすごく豊かであり、逆にドンとシャリがない。レンジが狭い。でも、それが魅力的なのである。最近僕はレコーディングするときは、いつもそういったサウンドトラックのような音を目指している。
 新しく出るサウンドトラックのCDにがっかりすることが多いのは、映画音楽のスコアをもとに、いまどきのオーケストラが再現するからで、やたらにきれいな音なのが、全くピンとこない。映画の中にある、ひずみのある光学録音の音が理想なのである。

セルジュ・ゲンスブール

[79年YMOパリ公演数日後]ラジオの公開録音の生放送に出演したのだが、マイクロバスに乗ってラジオ局に行こうとしたら渋滞に巻き込まれたか道に迷ったか、とにかく時間がなくなり、車を降ろされてその先のラジオ局まで走れと言われ、みんなでバラバラに走っていったことがある。ところが僕と高橋幸宏は少し後ろから走ることになったので、途中でそのラジオ局の場所がわからなくなってしまった。きょろきょろしていたら、黒いコートを着て、帽子をかぶった男が僕のところに近づいてラジオ局ならあっちだよと教えてくれた。その人がゲンスブールであった。すれ違ったというか、遭遇したわけである。
 おそらく当時フランスでもYMOは流行っていたから彼も聴いてくれていて、僕たちのことも認識し、ラジオ局を探しているんだなと判断して教えてくれたのだと思うけれど、それきりなので真相はわからない。ただそんな不思議な出会いが、僕とパリとゲンスブールをいまでも結びつけてくれている。

ヴィダル・サスーンとテクノ・カット

 「ローズマリーの赤ちゃん」(音楽はクシシュトフ・コメダ。『ツイン・ピークス』の音楽を担当したアンジェロ・バダラメンティは、この映画音楽にすごく影響を受けたのだろう)の中で、ミア・ファロー演じる新妻は髪を短く切ってしまうが、ヴィダル・サスーンのドキュメンタリーを観ていたら、彼女の髪を切ったのはヴィダル・サスーン本人で、しかもその様子をイベントとしてお客さんに見せる、という映像があった。
 実はヴィダル・サスーンがイギリスからニューヨークヘ渡って一世を風靡していた頃、僕もYMOの時代にニューヨーク公演があり、ヴィダル・サスーンのサロンにYMOで行ってテクノ・カットをしてもらったことがある。何しろヴィダル・サスーンはテクノ・カットの創始者であるから。

僕が関わった映画音楽の話

銀河鉄道の夜」(略)は僕が初めて映画音楽の作曲を手がけた作品である。
 実はその前に一度、「宵待草」(74年、神代辰巳監督)(略)[で]リハーサルなしの本番一発録りをやらされた。(略)
[キャラメル・ママ]で日活のスタジオ(床が土の小屋だったのを覚えている)に行き、できあがった作品を観ながら演奏する仕事をしている。カントリーをやってくれというのが注文で、言われるままに即興でやったのが、映画との最初の関わりである。(略)
 そういえば最近、わりと1950〜60年代あたりの日活アクション映画をDVDでよく観る。といっても、ストーリーがどうだと熱心に観るというより、何となくボーッと観ているのだが、どの映画にもたいていクラブのシーンがあって、音楽を演奏しながら主人公たちが踊ったりしている。そこでかかっている曲が聴きたくて観ているようなところがある。たいていその映画のために作曲されたオリジナルの曲で、その場の一発録りで演奏しているに違いない。そういう曲のタイトルもあるのかどうかよくわからない音楽に、非常に興味があるのである。
(略)
[「銀河鉄道の夜」]については厳密に言えば映画音楽という気持ちはしていなかった。というのはまだ出来上がったアニメーションの絵は一枚もなく、絵コンテだけで音楽を先に作らなければならなかったからである。いったい何曲必要なんてすかと聞いたら、概ね30曲だという。映画の音楽はテーマになる1曲を作って、それを使い回しすればいいんじゃないかなと思っていたので戸惑ったし、あまり考えても仕方がないので、これもほとんど即興に近いかたちで作曲した。いろいろと勉強になった仕事である。
 その後、この映画の曲はテレビ番組の背景などにも使われたりしたのだが、よく観る番組の一つ、『モヤモヤさまぁ〜ず2』でさまぁ〜ずの2人が、ちょっと癒し系というか、不思議なお店に入るときにはたいてい「銀河鉄道の夜」の音楽が使われているのである。これはうれしい。音効さんか担当者が好きなのだろう。
(略)
[「紫式部 源氏物語」は]東南アジアの音楽風にやりたいと思っていたのだが、それは叶わなかった。僕の勝手な想像では、「源氏物語」の時代は(略)いまの東南アジアっぼい風景だろうなという思いがあったのである。しかし当然と言えば当然なのだが[雅楽や和琴の和風でやることに]
(略)
[吉田喜重監督「人間の約束」では]吉田監督にたいへん失礼なことを言ってしまったという悔いがいまも残っている。
(略)
[認知症老人の映画で]ちょうど僕自身の父親が脳梗塞で倒れている頃と重なった。他人ごととは思えないような映画の内容に動揺し、暗い気分になってしまい、「この映画に音楽は要らないんじゃないですか」とつい言ってしまったのだ。
(略)
 もともと、僕は基本的には、映画に必ずしも音楽がなければならないとは思わないし(略)
使うシーンは少なくても、効果的に使われていればうれしい。それが音楽ではなくとも、効果音だけでも成立するし、「音響効果」という面にも興味がある。
(略)
 僕は製作サイドからの依頼を受けて宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」のテーマソングを書いたのだが、これは結局映画では使われなかった。どうしてなんだろうと思ってずっと生きてきたのである(笑)。いろいろ思うところがあるし、当事者たちのあずかり知らないさまざまな事情もあったのだろう。また、当時はシングル盤の全盛期でもあり、ヒットチャートのための仕事だったともいえるが、それにつけても微妙な感情がそこにはある。

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ミュージカル

昔はミュージカルも観ていたほうだが、以前ロサンゼルスで『コーラスライン』のミュージカルを生で観て、それ以来、辟易してミュージカル嫌いになったといういきさつがある。暗いミュージカルというのが、僕にはピンとこない。やはりミュージカルはフレッド・アステアが最高峰なのである。

ホラー映画・その2

 小学生の頃から中学生にかけて、“ドラキュラ”ものや“フランケンシュタイン”もののホラー映画がよく劇場で上映されていたし、テレビでも放映されていた。(略)そういう人気キャラクターやモンスターが出てくるものはあまり怖いとは感じなかった。本当に怖かったのは、悪魔が出てくるような映画である。
 やがて「ローズマリーの赤ちゃん」などに始まって、1970年代から80年代にかけて、悪魔や魔女、それに対抗する悪魔祓い(エクソシスト)が出てくるタイプのホラー映画がたくさん作られた。
(略)
 そんな時期、僕はあるホラー映画との決定的な出合いをする。大学生のときである。土曜の夜だったか、勉強に疲れて池袋にある映画館へと夜遅く出た僕は、なんだかおっかない連中に因縁をつけられたりして、繁華街の喧騒の中を闇雲に歩き、オールナイト上映中の映画館に逃げるように飛び込んだ。そうやって全く何の予備知識もないままちょうどスクリーンで上映されている映画を観たのだが、それが「悪魔のいけにえ」であった。そしてその怖さに(同時に“痛さ”に)驚き、冒頭の30分くらい、女の人が犯人のフックに引っかけられるシーンでもう我慢できず、「うわーっ」と叫びながら立ち上がって、映画館を出てきてしまったのである。
(略)
 いまはもう作る側も観る側もこの程度の残酷シーンには慣れてしまっているだろうが、当時「悪魔のいけにえ」を観たときは、殺され方があまりにも真に迫り、残虐で、痛々しく、そういう映画を観たのは初めてだったので、びっくりしたと同時に、すっかりトラウマになってしまった。なんてアメリカってすさんだ国なんだろうと呆れた一方で、その怖さに負けた自分がくやしかった。それがきっかけで、ホラー映画から逃げずに、むしろ積極的に観に行くようになったのである。ほどなくビデオの時代になり、公開・未公開を問わずたくさんの映画を自宅で観ることができるようになると、ますます意識してホラー映画を選ぶようになった。
 トビー・フーパー作品も「ポルターガイスト」など観たが、「悪魔のいけにえ」の衝撃を超えるような、才能を感じさせる映画には出合わなかった。すごいなと思ったのはダリオ・アルジェントである。(略)
どれも怖かった。特に「フェノミナ」の、いきなり首を切断されて殺されてしまうシーンなどは、突然ショックがくるので心臓に悪い。血が出てきたり、痛い系の映画がやはり僕は苦手なのである。
 気をつけて観ないと、突然とんでもないことが起こるので、ビデオで観る場合は、まず早回しして次に何が起こるか確認してから観ている。
(略)
[「オーメン」は]みなすごく怖いと話題にしていたが、僕はそれほど怖いとは感じなかった。

都市伝説、『ツイン・ピークス

 最近は『やりすぎ都市伝説』といったテレビ番組をよく観ていて、都市伝説ものにハマっている。セキルバーグ(関暁夫)という元お笑い芸人が語る都市伝説の話が詳しくて、あなどれない。
(略)
 『ツイン・ピークス』こそ、僕がもっともハマったテレビドラマの一つであった。放送当時、本当によく観ていたし、遂には撮影されたシアトルのロケ地まで訪ねていき、そこでクーパー捜査官の真似をしてチェリー・パイを食べてきたくらいである。
 『ツイン・ピークス』が終わったあとは喪失感も深く、ほぼ入れ替わりに始まった『X−ファイル』を観始めたのだが、とてもその穴を埋めてくれそうもなかった。
 ところが、シーズンを重ねるうち、ときどきあれっと思う、気になるエピソードがあって、これもだんだんハマっていった。いわゆる“Xファイル・ミソロジー”と呼ばれる、政府の陰謀、異星人と政府との密約や地球の植民地化計画といった、シリーズを貫くテーマである。
 謎は決して解決しない。まさに都市伝説なのである。

30〜40年代に魅せられて

 [最新作「カフェ・ソサエティ」]相変わらずといえば相変わらすのウディ・アレン映画なのであるが、最近、僕の個人的興味はますますウディ・アレンの興味に近づいているというか、30〜40年代頃の音楽や文化にあるので、大いに楽しめた。
(略)
 最近、ジャズ系の女性歌手が増えているような気がする。みんな歌がうまいが、個性的な歌手は少ない。たまに個性的だと思うとアメリカ人ではなく、フランス人の歌手だったりする。そもそもジャズの本場はアメリカなのに、興味深い現象だ。そういえばアメリカ人がいま作っているものを観ても聴いてもそんな疑問を感じることが多くなっている。ミュージカル映画もそう。評判の「ラ・ラ・ランド」も遅ればせながら映画館で観たが、疑問との葛藤で落ち着かなかった。
 いまやミュージカルといえばイギリスなのではないかと思う。
(略)
新しいものには全く興味がわかない、というわけではないのだ。しかし最近はもっぱら、「カフェ・ソサエティ」に描かれた時代、30〜40年代に閉じこもっている感じがある。
 音楽を聴いても全部スウィングである。そのスウィングも、やはり40年代が楽しい。ブギウギやマンボが入ってきたりして、すごく自由である。自分がライブを行うときのレパートリーにも、この時代のスウィングがずいぶん増えてきた。これが60年代に入ると、音楽も深刻になってくる。ビッグバンドも妙にアヴァンギャルドになってきて、楽しくない。
 おそらく映画も同じようなものなのだろうが、音楽には、そういう10年ごとの区切りというのがあった。40年、50年、60年、それぞれ年代のカラーがはっきりしている。もちろん70年代、80年代にも別のものが出てきた。たいてい10年の区切りとなる最後の年に(略)何か次の10年の兆しのようなものが見えてくる。僕自身、そういう流れの中でいつも音楽をやってきた。80年代にはイギリスやドイツから〈ニューウェーブ〉が起こった。それに強く刺激され、YMOもそこに参加するつもりでやっていたのである。
(略)
 いまはどうかといえば、新しい大きな流れが出てこなくなってしまった感じがある。代わりに一人ひとり違うものをやっている。そういう中で僕自身は、スウィングとか40年代にずっとはまりっぱなしなのであり、その時代の、たとえばイタリア映画などをいままた観直したりしている。

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