細野、松本、サエキ、テクノ歌謡

テクノ歌謡本に収録されていた細野晴臣松本隆へのインタビューを比較。
「ただのポップ〜」という所に細野さんの怒りが伺えますなあ。

テクノ歌謡マニアクス

テクノ歌謡マニアクス

細野晴臣

で、テーマソングを作ることになった。宮崎駿さんにもお会いしました。テーマソングは映画に入んないから、ただのポップミュージックでいいと思って作りました。この曲は実験と王道の中間ですね。(略)
歌が……ああいう感じでしょ(笑)、だからその場で歌い方を教えてあげながらレコーディングしましたね。

松本隆

最初は細野さんが映画音楽をやるはずだったんですよ。でも、芸術的指向が違ったらしくて、途中でパンクしちゃった。(略)[代わりに]映画音楽といったら久石さん、みたいな存在になっちゃった。それは細野さんの喧嘩の副産物かもしれない。

テクノ歌謡 ポリドール編 ハートブレイク太陽族

テクノ歌謡 ポリドール編 ハートブレイク太陽族

スターボーI たんぽぽ畑でつかまえて(紙ジャケット仕様)

スターボーI たんぽぽ畑でつかまえて(紙ジャケット仕様)

スターボー「ハートブレイク太陽族
細野

彼女たちは、歌い方がわからなくて、ボイストレーナーと組んで指導しました。それには僕は付き合いました。あの変な歌い方ね。
――あれは細野さんの指導?
いや、どうしたらいいかわかんなくて(笑)。元々ああいう歌い方しかできない人たちなのかなあ。不思議な人たちだった。

松本

全然記憶がない(笑)。多分ね、思い出したくない、早く忘れようっていう自己防衛本能が働いているんだよ。なにがどうなってああなっちゃったんだろう。松本・細野コンビっていうのははっぴいえんどの時代からいつも結構売れるんですよ。なのにあそこまでスカだったのは初めてだったし(略)
[アルバム曲のタイトルに]子供の頃から読んでるSF趣味が出てるね。僕はレイ・ブラッドベリとかから受けた影響がすごく強いんですけど、他の作品では表に出ていない。普段は隠してますから。

僕の場合、現実に対する違和感みたいなものが詞を作る動機なんです。今の世の中、このままで行けるのか、という大きな疑問がある。80年代前半からモノの比重が生活の中でどんどん大きくなっていくわけですけど、人の心はそれに対してスタンバイができているようには思えなかったし、新しい秩序を作れるのかすごく不安があった。そういう気持ちがハルメンズの「昆虫群」とか「電車でGO」という曲になったんですね。つまり思春期の青年が物質的文明化を自分なりに消化して、社会に投げ返そうとした時に、それが浮くっていう(笑)、詞がそういう過剰なものになっていた気はしますね。(略)
前の世代の人は、もっと文学とか形而上学的思想の命題の上で詞もとらえていたのかもしれないけど、僕の場合はそもそも自分のおかれている場所がもう間違っているような気がしていたからね。パール兄弟になると、それがどう現実とつながるかっていうところで人間関係とか普通のポイントに移っていくんですけど、根本的な詩作の動機っていうのは変わってないです。(略)
日本の文化の断層みたいなものがありましたね、80年代には。(略)テクノ歌謡はコンパクトに顕在化した断層だった。(略)80年代にもっとその断層が生まれるべきだったんだよ。大きなテクノ以上の。(略)
80年代以降になって、モノのしばりが増してくると、[燃えるような夏といった]共通意識から心象風景に詞が変わってきた。(略)松本隆さんの詞も80年代に入るとドラマになった。「赤いスイートピー」なんか線路の脇を歩いているっていう詞ですけど、そんな事しているカップルは現実にはほとんどいない(笑)。いつの時代かもわからない。でもすごいと思うのは非現実なのにリアリティーがあるんですよ。それは心の中で作り出した風景で、それをみんなが共有しているってことなんですよね。バーチャルなものです。80年代はある種、バーチャルな歌詞体系です。(略)
その手法が有効なのは[80年代前半の]五年間くらいだった。日本が物質的文明のリーダーで、その街の手触りを代弁している音楽がテクノ歌謡なんだと思いますよ。80年代前半は平和な感じがしたんですよ。でも80年代後半は街が荒れた感じがした。ろくでもない時代だった感じがする。僕も好きじゃないです。

昆虫軍

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  • 少年ホームランズ
  • J-Pop
  • ¥150
電車でGO

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ハルメンズの近代体操+8

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