[つい買ったけど『スイッチト=オン・バッハ』はつまらなかった]
細野 70年代の初頭は、ちょうどレゾナンスの時代だよね。シンセサイザーというとレゾナンスがかかっているものだと思ってた。
ビジネス
――73年にはっぴいえんどが解散していますね。同じ年に、はちみつぱいとかキャロルがレコード・デビューしていますね。
鈴木 はっぴいえんどは、いわゆるビジネスにならなかったよね。70年代の最初のころ、60年代末から70年代の前半にかけては、ビジネスというものは僕の意識の中になかった。今でもあんまりないのかもしれないけど。
細野 日本の経済もそうだったんだよね。
鈴木 意識がないところで、まあ音楽をやっていた。
細野 ある意味では、音楽は健全な仕事だったんだね。「仕事に行ってくるよ」って感じでベースを弾いたりね。(略)ビジネスというと、もっと組織的な戦略じゃない。
鈴木 仕事っていうと、ベース一本で行けるっていう感じですね。
細野 そうそう。日雇いの感覚でね。非常にのんきだったよね、あのころ。今そういう感じしないよね。(略)
気軽でいいんだけど、あれ。(略)終わると並んでお金をもらって帰るとかね。
鈴木 ビジネスだと「三ヶ月あとに入ります」とかね(笑)、そうなっちゃう。
細野 ミュージシャンは、もともとビジネスという概念を持っていないからね。最近がおかしいんだよね。
鈴木 ミュージシャンがビジネスを考えると、非常に頭が破裂しそうになっちゃうね。考えられる人もいるのかもしれないけれど。
細野 80年代の経済がピークのころは、結構音楽と経済が結び付いていた。今はまたダメになってきたから、音楽をやっている人は、音楽好きな人しかいないんだよ。
鈴木 若い人で?
細野 うん。あまりビジネスを考えてやっていないね。
鈴木 そうだね。若い連中と僕たちの間にいる、ビジネスを考えているヤツってダメなんだよね。
機械への拒否反応
[リズム・ボックス、最初は不気味な存在で使わなかったと鈴木]
細野 [スライ&ザ・ファミリー・ストーンが使ってから見方が変わった]
それからリンね。リンドラムというのは、YMOのレコーディングのときに「使え」って売り込みにきたもの。当時はまだ、幸宏がドラムで頑張っていたからね(笑)。「そんなものいらないよ」ってことわったんだ。
鈴木 最初は、機械って絶対そんなものいらないって思うんだよね。リズム・ボックスが出たときもそうだし、シンセサイザーが出たときもやはりそうで、最初そんなものいらないよって思うんだよね(笑)。(略)
ミュージシャンて臆病なんだ。最初に一応拒否反応がある。(略)
イミュレーターが出たときも、悪魔の楽器っぽいと思ったね。
細野 言ってたよ、これはNASAの侵略兵器から生まれたものだって。色がNASAの色していたでしょ。
鈴木 それに「これじゃ、ミュージシャンなんていらないんじゃないか」という反応があった。
細野 メロトロンのときに騒ぎがあったじゃない。ビートルズが使ってね。
鈴木 イギリスのミュージシャンのユニオンから文句が出た。
細野 深刻な話だなと思って聞いていたけれど。
鈴木 結局別にたいした問題じゃなかったんだよね。
細野 みんな臆病なんだよ。
鈴木 そうなんだよ。臆病なんですよ。
細野 でも、結局そうなってるんだよね。(略)ドラマーが職を失ってきたりさ。一時スタジオ・ミュージシャンという聯業が、危機に瀬したわけだからね。
鈴木 だからトップクラスのドラマーで、スタジオの仕事で、月に何百万円というような人が、ツアーバンドに出なくてはいけないようになる。
細野 やめちゃった人もいるんだよ。今洗剤を売っているらしいけど。
鈴木 ああ、知っている。洗剤を売っている人って(笑)。
細野 あの人、トップクラスだったのにね。
鈴木 結局リズム・ボックスのせいでやめちゃったの?
細野 あの人は、昔からリズム・ボックスに合わせることに、異常な抵抗を示してたんだよ。(略)
きっとできるのに、観念として異常な抵抗を示すんです。そうすると体が付いていかない。だから絶対に合わないのね。それで、ノイローゼになってしまう人が多いんだよね。(略)
機械に負けてしまうわけだよ。
インドのテクノポップ
[タイ語の響きはおかしいという話から]
細野 インドもそうです。僕が、すでに79年に行ったときに、YMOと同じことをやっていたもの、手でね。(略)
コンピュータじゃないんだよ。(略)
YMOの初期も結構手を使っていたんだけど。
鈴木 タブラが入っているの?
細野 それが、オルガンのような音のシンセサイザーなの。確かシーケンサーも付いているんだよ。単なるシーケンサーだと思うんだけど。それを手で弾いているのか、あるいは、マニュアルで遅くしたり速くしたりして、サイケデリックな使い方をしているのかね。それを聴いてびっくりしたよ。シンクロニシティだと思ったもの(笑)。今はどうなっているんだろう。(略)
鈴木 コンピュータなのかな。
細野 いや、コンピュータは使っていない。
鈴木 インドの人って恐ろしいリズム感をしているからね。
手作り
細野 なぜコンピュータ・ミュージックが、日本でこんなに流行したかというと、日本人ってそういう「おこぼれ頂戴」が得意なんだと思う。例えば、イギリス人なんかは音作りが個人的で手作りっぽいじゃない。(略)
それに彼らは、画一的なものを避けていくじゃない。だから、コンピュータも一番最後にやっと使い出した。
鈴木 (略)今や伝説的になってるピーター・ゲイブリエルのサード・アルバムのドラムの音ね、「バシッ」というスティーヴ・リリーホワイト特許の音といわれるやつ。あれ作ったのは、エンジニアじゃなくて、本当はピーター・ゲイブリエルなんだって。(略)
そのレコーディング現場にいた人が、言ってたんだけど、スティーヴ・リリーホワイトは、そのとき眠っていたんだって。フィル・コリンズとピーター・ゲイブリエルが、何かをいじっていて突然発見したというのが真実らしいね。あれはエフェクターというよりも、乱暴なパンク的な使い方だよね。発想としては、エコーを絶ち切っちゃうんだものね。
細野 あれは失敗から生まれたような感じだね。
鈴木 それと同じ効果が、デジタルのリバーブで出せるようになって、世の中のドラムはみんなあんな感じになった。
細野 そう、あれが常識になったんだよね。
鈴木 でも、音作りに関しては原始的だったな。
細野 アンディ・パートリッジが?
鈴木 ベードラとかベースを入れていく作業なんだけれど、ハーモナイザーで、一個一個音程を変えたやつを何種類か作って、それをフェーダーに振り分けてスイッチングしていくんだけど、原始的だなと思った。(略)
細野 そこに喜びがあるんだよね。(略)
だから、ハーモナイザーでコーラスを作ったのと同じ喜びがあるんだよね。かんたんにできたらつまらないものね。
鈴木 日本だったら、かんかんにできるのにと思ったもの。
細野 かんたんにできるということは、誰にでもできるということだから。
鈴木 それはどっちがいい悪いではなくて?
細野 いや、そうじゃなくて。
鈴木 かんたんにできるのもいいかもしれないな。
細野 よくないよ、飽きちゃうもの。すぐ飽きられてしまう。
鈴木 イギリスってジョージ・マーチンのころから、そういう手作りっぽさがあるんだね。そして手作りに関しては自信を持っているね。
細野 ビートルズを生んだ国だから自信があるんだね。あれがシャドーズどまりだったら、こんな自信はないよね(笑)
[ピタガブが例の音を作った時の話は下記リンク先に]
kingfish.hatenablog.com
コンピュータで作曲
細野 今コンピュータというのは、表現手段の基本として使われているでしょ。作曲法の基本としては別に使われていないわけ。ある時期、僕は、試しに作曲法の中に組み入れてみたんだ。そんな理論的にやったのではなくて、感覚的にどれだけになるかということでね。感覚の中に入ってこないと、好きになれないからね。それでやってみて、MC−4だったからできたんだろうけれど、例えばランダムな数字を打っていったり、あるいは、音を頼りにリアルタイムで打っていく。それとステップは別の問題で、音楽を違う次元で考えられるわけ。音楽を分解しちゃってメロディの流れ、音と音との相関関係をまず作ってしまう。
普通音楽ってそれをトータルに作るわけじゃない。それを分解してコンピュータを使って、音階のプロセスだけを作るとかね。そういうときはリズムを考えない。ビートを無視して、あとでステップを任意に作って、それを生理的に入れていくわけ。ステップの感覚をプラスするわけです。
鈴木 そのとき音程というのは認識しているの?
細野 うん。認識している。聞きながらやるから、それはフィードバックしているわけ。つねにフィードバックしながら作っていくと、今まで自分が作ったことがないような音楽ができるんだよね。当り前だけれどね(笑)。それが面白いのは決して的はずれでないということなの。
鈴木 的はずれでないということは、でき上がったものも自分のセンスの延長線上にあるということ?
細野 そうそう。結局感覚としては音の配列でしょ。これは自分のセンスで出てくるもので、音の長さとか、ゲイトとかステップも、非常に感覚的で生理的に入れていくわけで、やはり自分のセンスでできてくる。そうすると、トータルに聞くと、分裂されたものが初めて全貌が明らかになるというスリルがある。しかも、それは決して自分から離れていない。そういう感覚は味わったことがある。
鈴木 それは偶然性で作ったわけではないんだね。
細野 フィードバックで作っていく。それは一番面白かった。
鈴木 そうやって、ずっとやっています?
細野 いや。それはコマーシャルの仕事に一番いいみたい(笑)(略)
冨田勲
バッハというのは線画的な曲ですよね。だから、[『スイッチト=オン・バッハ』の]ウォルター・カーロスは線画的な描き方をしたんですよ。僕は、それと同じことをやったのでは二番煎じになるから、別な方向に目を向けて、逆にフランスの印象派の曲を取り上げた。これは線よりも色彩ですね。シンセサイザーを手にしたときに、いろいろな音色の出る画家の使うパレットではないかと思ったんですね。(略)
シンセサイザーでなければできない色彩でもって、特徴を表現するというものには、僕は、ドビュッシーのピアノ曲が一番ふさわしいのではないかと思ったわけです。
(略)
[日本のレコード会社に持ち込んだが、ジャンル分けできないから売れないと門前払い。『スイッチト〜』のディレクターが]RCAレコードに移籍したばかりだということを聞いて、「移籍したばかりなら、何か新しいことをやろうと、彼はきっと考えているに違いない」ということで、ニューヨークヘ持って行ったわけです。そうしたら、彼が飛び上がって喜んじゃって、「もうこれはすぐRCAでレコードにするよ、すぐに記者会見だ。一ヵ月後に来てくれ」と言うんで行ったら、ビルボード、キャッシュ・ボックス、ニューヨーク・タイムズ、タイムといろいろな雑誌関係の記者を呼んでRCAの第一スタジオで非常に大きなパーティをやってくれたんですよ。
「日本ではパーティのときに、どういうようにやるんだ?」と彼が聞くから、「ホテルオークラなどでやるパーティでは、てんぶら屋とかいろいろな出店が出てるよ」と言うと、「それなら吉兆を呼ぼう」と(略)
[一週間後にはチャート・イン](略)
当時ビルボードのチャート・インに誰も気が付かなかったんです。ある日知り合いの音楽出版社の方から、突然電話がかかってきて「アメリカのビルボードにトミタというのが出ているけれど、それはあなたですか?」と言うんで、「そうですよ」と答えたんです。それから大騒ぎになって、「日本ではどこも出していない、どうしてか?」っていうんで(略)当時のRCAが、十ヵ月ぐらい遅れてあわてて出したんですよ。(略)
日本はアメリカから逆に原盤を買わなくてはいけなくなったわけです。今もそうですよ、RCAと契約していますからね。
(略)
[デジタルになって便利になったが]
自由度からいくと、ムーグ・シンセサイザーには勝てないですね。(略)
僕は、今、ムーグ・シンセサイザーで作った音は、全部シンクラビアに入れて、覚えさせるようにしたんだけれど、例えば『月の光』という曲の上にずっとスリップしていくような音、あれはデジタルに入れちゃうと、全部上がり方が固定になってしまうんですよ。(略)やはり面倒くさくても、ムーグ・シンセサイザーでもう一回作る以外ないですね。
(略)
そういえば、マイケル・ジャクソンがうちに来てね。この間来日していたときに、突然訪ねて来たんですよ。彼もシンクラビアを使っているし、僕も使っているから、デジタルの一番の先端について興味があって来たのかと恩ったら、何と古いムーグ・シンセサイザーに、彼は一番興味を持っていた。もうアメリカにないんだそうですよ。彼は、『スノーフレイクス・アー・ダンシング』のホイッスルの音はどうやって作るのかということに興味があって来たんですよね。彼みたいなミュージシャンが、アナログの一番旧式な音に興味を持つということは、音楽テクノロジーにおいても、リバイバルという傾向が出てきたのかな。
マイケルこれを観たんじゃなかろうか。
Isao Tomita When you wish upon a Star