そうかー、現代音楽の人だったんだと思った箇所から先に。
絶対音楽
職業上のことで正直に言うなら、サウンドトラックの作曲家としてのみ認められることに、長いあいだ苦しんだ。もう言ったように、映画音楽はわたしがもともと望んでいたことではなかったから。もちろん、映画音楽もとても好きですが。ブーレーズやシュトックハウゼン、ベリオのような系統の音楽を作曲するつもりでしたから。(略)
でも、最近はわたしの“絶対音楽”も演奏される機会が増えてきていてとても嬉しい。それには映画音楽での知名度が大きく影響していることもわかっていますが、でも大きな満足も得ることができました。
ポスト・ヴェーベルン
ポスト・ヴェーベルンの世代に属してはいますが、そうは定義できないと思う。そういう観点での作品は三つしかつくっていないから。(略)
わたしは作曲をするとき、ありとあらゆる可能性を巻き込むことができるようにと考え、それらを厳密に扱って、パラメーターを定めます。高さ、音価(ひとつの音、あるいは一連の音の長さ)、休止、音色、拍子……。これはみな、ヴェーベルンとその後継者たちが使ったパラメーターですが、彼らは伝統的な作曲法を捨て、音と、今言ったようなパラメーターの、民主主義を打ち立てたのです。これは、シェーンベルクの十二音の概念から生まれた、まさに音楽の民主主義と言えるものです。
盗作
まず、ニーノ・ロータが言っていたことを先に言っておきます。わたしもまったく同意見だから。盗作は存在しようがないということ。調性音楽においては、音楽的に可能な組み合わせはすでに使い尽くされているから(略)
[三度ほど示談で解決した。一度目は]
『夕陽のガンマン』でした。このテーマがジョルジョ・コンソリーニのために書かれた『情熱のジャマイカ』という歌のテーマとほとんどそっくりだと、ある音楽家が気づいたんです。(略)わたしはその歌を知りませんでしたが、信じられないほどよく似たテーマを書いたわけです。[わざとではないから罪悪感はない。2、30万リラで示談](略)
[二度目はデ・ボージオ監督のテレビ映画『モーゼ』]セットにはドグ・セルツァーという名のイスラエルの作曲家がいて、踊りの場面の音楽を担当していた。とても効果的な音楽で、この音楽を変えないでほしいと言われ、わたしは喜んでその通りにしました。
撮影のすんだ部分のフィルムを見ていると、アロンが歌う場面がある。三音からなる歌で、そのなかで三回、『イスラエル』と言っている。とても場面に合った音楽で、デ・ボージオにこの曲はなにかと聞いたんです。すると、イスラエルの伝統音楽だと言う。それを聞いて、映画のテーマ曲にその節を取り入れることにしたのです。映画が完成すると、セルツァーが電話してきて、あのテーマは自分の作曲だと。わたしはどういう事情だったか説明しようとしましたが、あちらは聞く耳ももたない。結局、セルツァーが『モーゼのテーマ』という曲の共作者となるということで和解しましたが、今も不当で不愉快なことに思えます」(略)
[三度目は『Mr.レディ Mr.マダム2』のプロデューサーに『嘆きの天使』もどき作ってと言われ]三曲ほど書き、それぞれにはっきりこう記したんです。一、非常に危険、二、やや危険、三、まったく危険ではない、って。マルチェッロ・ダノンはどれを選んだと思う?
[――非常に危険、でしょう。]
その通り。結局、『嘆きの天使』の権利者から音楽出版社に連絡があった。が、ダノンは抜け目がなくて、うまいぐあいに音楽出版社のCAMに使用料を払わせた。この場合も、わたしが知ったのはかなりあとになってからです。
[――盗作されたことは?]
何度もありますが、訴訟を起こしたことはない。(略)
[――訴訟を起こさないのは?]
ディレッタント的な行為だと思うから。まるでモーツァルトででもあるかのように、天からメロディーが降ってくると思うなんて。それに、繰り返しますが、なにかしらの作品の盗作に陥ってしまうのは、容易いことなのです。
(略)
[――盗作の自由を認めるべきだと?]
自由というより、他人の作曲したテーマとかち合ってしまう可能性を認めることかな。たとえば、モーツァルトのハ長調ソナタの第二主題は、『女心の歌』とほとんど同じなんですよ。ヴェルディは盗作したのではないかと思うんです。
心残り
「いろいろな不都合で実現しなかった映画があります。『時計じかけのオレンジ』。キューブリックは『殺人捜査』の音楽に心をとらえられたと言って、わたしと仕事をしたいともちかけてきた。そして、ちょうどそのころ、一緒に『夕陽のギャングたち』を制作中だったセルジョ・レオーネに、彼のほうから電話をしたんです。キューブリックのこの配慮のある態度には、とても感じ入りました。問題は、音楽の録音場所だった。わたしはローマでやりたかったのですが、彼は飛行機が嫌いで、ロンドンで録音してほしいと言う。
(略)
テレンス・マリックの『シン・レッド・ライン』の作曲ができなかったことも残念。『天国の日々』をやったときにマリックとはとても気が合った。はじめてわたしがアカデミー賞の候補にあがったのも、この作品でした。
(略)
それから、ベルトルッチの『ラストエンペラー』もある。声をかけられたわけではないのだけれど。ベルトルッチとは五本の映画をやったので、残念でした。
ニーノ・ロータ
本物の音楽家でした。が、わたしがそれを理解したのは遅かったのです。フェッリーニのために作曲した音楽があまり好きではなかったのですが、あとでわかったのは、問題はロータではなくてフェッリーニだったということ。フェッリーニの音楽的素養はふたつの大衆的なテーマを中心にしていた。『ティティーナを探して』と『剣士の入場』。いつも、このふたつのテーマのヴァリエーションを要求したわけです。
(略)
ともあれ、『カサノヴァ』を見て、ロータがまさに正真正銘の音楽家であることを実感しました。この作品では、フェッリーニに縛りつけられていたサーカス風のモデルから自由になることができ、非常に美しく優れた音楽をつくった。(略)
[ユニセフ依頼の曲で]わたしは、調性音楽のなかに現代音楽特有のパラメーターを盛り込んだ、かなり手の込んだ曲を書いた。調性の体系に前衛音楽のパラメーターを応用したわけです。プログレスとナンセンス。ロータはこれを聴いたとき、嬉しそうに言ったのです、『調性の点描主義音楽だね』と。このことはわたしの記憶に強く残っています。作曲家仲間の誰も気づかなかったことだから。このコメントから、ロータの真の音楽家としての奥行きの深さがわかりました(略)
[『ゴッドファーザー』は?]
わたしの意見では、大衆的すぎると思う。あなたも知っているように、エドアルド・デ・フィリッポの『フォルトゥネッラ』という映画のために書かれたものです。彼自身、満足していないと言っていた。ロータにはとてもいい曲がほかにあります。たとえば、『山猫』の音楽とか。それから、彼の室内音楽をとても評価します。(略)
とても穏やかな人柄でした。いつもどこかぼうっとしたところがあって、誰に対しても親切だった。ひとつ、あまり知られていない面があります。交霊術が好きだったんですよ
クリント・イーストウッド
アカデミー賞名誉賞を彼の手から授与してくれたときには感動しました。それ以上に感動したのは、その前日、わたしのためにイタリア文化会館で行われたパーティに、誰に頼まれたのでもないのに自分から出向いてくれたこと(略)
[何度か映画音楽を依頼されたが]セルジョ・レオーネヘの配慮から、いつも断っていました。彼とやった唯一の映画は、ドン・シーゲルの『真昼の死闘』。[俳優としての参加だからいいと思って受諾]あえて、まったく違う音楽にしました。ウエスタンとしてはとても斬新だった。オーケストラを巨大なバグパイプのように使ったのだから。
この映画のときに深刻な問題があったのを憶えています。(略)
長いこと、この映画のテーマが作曲できずにいた。満足いくものがちっとも思い浮かばないのです。セルジョはわたしには内緒でアルマンド・トロヴァヨーリにコンタクトし、ある日曜日に、こっそりとテスト録音までしていた。わたしがそれを知ったのはずっとあとで、コピスト(写譜師)のドナート・サローネから聞いたのですが、それには非常にがっかりした。
ともあれ、レオーネはトロヴァヨーリの曲に満足しなくて、ボツにした。彼に直接このことを聞くと、『だって、きみがなにもしないから……』(略)
遠慮もなく引き受けたトロヴァヨーリにもがっかりしました。
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』
主な指示として、こう言われましたよ、『不協和音の音楽は困るよ』って。あまり目立たないものでしたが、わたしは一曲だけ、それで作曲しました。ある男がガレージの地面に寝かせられ、ギャングたちがそれに火をつけようとガソリンをかけるシーン用に。結局、セルジョに言われてその曲ははずしましたが。
(略)
[長い付き合いで、レオーネ監督に変化は?]
まわりが想像する以上に、変化は少ないですよ。細部にうるさく、几帳面で皮肉屋であり続けた。編集のニーノ・バラーリとよく熱っぽく議論していた。しかし、偉そうな風を吹かせたことは一度もありません。偉大な映画をつくりあげたという自負はあったが、批評がその価値を理解してくれないことに苦い思いをしていた。
セルジョは、わたしが想像していた以上に、相手の話をよく聞きました。(略)それで確信がもてると、わたしの提案を受け入れた。他の近しい協力者の場合もそうです。(略)相手の表情に見られるごくわずかな抵抗も見逃さなかった。(略)独裁者などではなかった。自分の不確かさについては、彼は確信をもっていた。(略)
[『夕陽のギャングたち』撮影クルーのための上映会で]
セルジョは映画ではなく聴衆のほうを見ていました。そして、最後のフラッシュバックの前に、わたしの義弟のひとりが、もう終わったのだと思って立ちあがったのに気づいた。それだけで、イタリア版ではフラッシュバックをカットすることに決めたのです。『ウエスタン』の三人の異なるラストがとても批判されたことを憶えていたのでしょう。奇妙で性急な選択だと思われるかもしれないが、実のところ、そのときセルジョは勇気を見せたのです。
レオーネの死
[『スターリングラード攻防戦』を]
完成することはできないとわかっていたのではないかと、わたしはずっとそんな気がしていました(略)予感するものがあったのではないか。あるいは単に、もう体も重たくなっていたことや、この種の映画の非常に大きな困難などに気づいていたのではないかと思う(略)
ショスタコーヴィッチの交響曲の演奏のことを話していました。映画の冒頭に、オーケストラがそろって演奏しているところを見せ、それから、戦争中の、多くの団員を失い、負傷者も大勢いるオーケストラの演奏風景を入れるのだと。しかし、わたしの作曲する音楽については、話そうとしなかった。まるで心の奥底では、その必要がないことを知っていたかのように
[彼の死を知らされたのは?]
早朝に起こされました。心臓発作で急死したと。この知らせには打ちのめされました。わたしたちがセルジョの家に着くと、セルジョはベッドに横たわり、ロザリオを手にして死んでいた。
(略)
[訃報に何を思ったか?]
大親友が、そして、まだその偉大さを認められていない偉大な監督が逝ってしまったと。
ジョン・カーペンター
[映画監督側のもっとも風変わりな態度とは?]
おそらく、『遊星からの物体X』のジョン・カーペンターでしょう、依頼がきたとき、どうしてわたしが必要なのかと聞いたのです。彼はふだんシンセサイザーで自分で作曲しますから。
自分は『ウエスタン』の音楽を流して結婚したから、というのがその答え。そして、わたしに映画を見せ、指示ひとつ出さずに行ってしまった。
こちらはびっくりして、これは恥じらいなのか、敬意なのか、あるいはいったいなんなのだろうかと考えました。ともかく非常に異なる十二の曲を書いた。プロデューサーからは熱狂的な口調の電話をもらいましたが、結局カーペンターが採用したのは、シンセサイザー用の一曲だけです。(略)
風変わりだが、とても感じのいい人物です。
[カバーされて気に入った演奏は?]
ほとんどみな、わたしの曲をかなり変えるのですが、非常におもしろい結果になっている場合もあります。たとえば、ジョン・ゾーン。とても優れたミュージシャンだと思います。彼に言ったことがあります、『あなたが演奏すると、自分の曲だとわからない』と。彼の手にかかると、わたしの音楽はひとつのきっかけのようなものになる。彼だけではありませんが。
偽名
――アメリカの百科事典に、あなたがときにニコラ・ピオヴァーニという偽名を使ったと書いているものがあるのは知っていますか。
「知っています。ピオヴァーニに対してもわたしに対しても失敬なことです。ニコラと一緒に公に否定しましたが、機会があるたびに否定し続けています」
――偽名を使ったことはありますか。
「二つばかり。ダン・サヴィオとレオ・ニコルス」
(略)
「ほんの何回かです。デ・ラウレンティス製作の映画とレオーネとやった最初のもの、それからリッツァーニの一作。リッツァーニ自身、偽名を使っていました」
ボツ
レオーネはいつでも、ほかの監督が不採用にした曲を聴きたがった。あなたも知っているように、わたしはテーマをひとつ求められると、最低五曲は書くから、膨大な数の曲が残るのです。レオーネはほかの監督たちの選択をコメントしては楽しんでいましたね。『この曲を採らなかったなんて、どういうことだ?』とかね。笑いながら、厳しいコメントをしていましたよ。
- チェス
同時対局でボリス・スパスキーと引き分けたのがいちばんの自慢。