ふたつの憲法〜・その2 日本主義者の護憲

前回の続き。

日本主義者の護憲

不磨ノ大典をもちいて政党政治を攻撃したのは日本主義者です。(略)政党政治家とちがって、日本主義者の目的は護憲です。
 日本主義者は昭和初期に登場した右翼です。(略)
 日本主義者は政党政治を否定しました。憲法が規定する三権分立をまもるためです。(略)
日本主義者は復古主義者とはいえません。日本主義者が保守する国家は、明治憲法下の日本です。憲法を否定して封建時代にもどろうとする日本主義者は、ほぼ存在しません。かれらの復古は明治維新より昔にさかのぼらないのです。
 日本主義者は近代日本の正嫡です。明治維新後の日本で近代化とは西洋化です。日本主義者も西洋化した近代日本の文物をうけいれています。[着物で文語文を書いていた明治期の国粋主義者とはちがい]かれらの文章は口語文です。外出時は背広を着用します。
[護憲右翼の元祖が上杉慎吉、国体の定義が天皇主権から君民一体に変化し]
上杉憲法学では天皇親政が民主主義と一体化しています。

国体明徴運動

 国体明徴とは、国体を明確にすることです。解釈改憲によって政党内閣を正当化した美濃部憲法学は、国体を不明瞭にするまちがった理論として断罪され、昭和の政治社会から抹殺されました。(略)かわって穂積憲法学が復辟します。
(略)
 しかし、日本主義者の憲法学は穂積憲法学とはちがいます。むしろ穂積を批判します。(略)
穂積憲法学では、国体とは天皇主権のことです。美濃部憲法学では天皇主権と忠君愛国です。日本主義者にとって国体は、君民一体もしくは国民共同体です。(略)
 日本主義者が穂積説に満足できないのは、国体論に国民が書き込まれていないからです。(略)国民は統治の対象でしかありません。(略)美濃部憲法学に不満を抱くのは、美濃部の主張が天皇超政と政党政治にかたよりすぎて、天皇が後景に退いてしまっているからです。
(略)
日本主義者にとって、明治憲法は建国の昔から存在したものでした。
(略)
 建国以来今日まで、日本は君民一体の国体を保持してきた、そして未来永劫、明治憲法のもとで、日本は君民一体の国家として存在しつづける
(略)
[では明治憲法のもとでどう三権分立を実現するのか]
日本主義者はここで思考を停止します。憲法のままに解すればよい(略)
こたえは実現不可能な天皇親政しかないのです。
(略)
 国体明徴声明は、天皇超政の担い手である内閣の立場を弱めました。国政の中心としての権威をうしなった内閣のもとで、革新派による高度国防国家建設がすすめられます。

革新派

革新派は、第一次世界大戦後に登場した世代の総称です。(略)
戦争形態の変化、アメリカ民主主義、ソ連社会主義、を日本でもとりいれていくべきだと[いう](略)考えを共有した一群の人々が革新派です。(略)右翼から左翼まで網羅する、あたらしい日本をもとめる人々であり、大正八年から昭和三十年まで、日本政治の推進力でした。
 革新派は、革新官僚社会大衆党、陸軍中堅層にわかれます。
(略)
[岸信介は]戦中は革新官僚として統制経済を指導していました。戦後公職追放をとかれた岸信介社会党にはいろうとした事実は、革新官僚社会主義のちかさを象徴します。(略)
正木千冬によれば、革新官僚が推進した統制経済社会主義とも国家社会主義とも紙一重でした。

近衛体制=幕府論

 元老が退場したのちは政党政治がまとめ役となりました。(略)しかし政党政治は、正統性をうしなって国政指導の地位から陥落しています。
 五・一五事件後の国政は、挙国一致内閣が担当[したが、まとめ役として機能せず](略)
陸海軍は統帥権の独立を盾に作戦情報を閣議に提供しませんでした。国務と統帥が分裂した状態で、日本は日中戦争を戦っていました。
 くわえて岡田啓介内閣では天皇機関説事件を収拾するために国体明徴声明を出し、天皇親政を明言してしまいました。この声明によって総理大臣と閣議の権威がそこなわれました。(略)
[国体明徴声明は]天皇親政と天皇超政の平衡をくずしました。だれが、なにが、まとめ役をかってでるにせよ、天皇超政をになう国家の仕組みが正当性をうしないかけていたのです。明治憲法は機能不全を露呈していました。
 くりかえしますが、近衛新体制は、あたらしい天皇超致の仕組みをつくりだすこころみでした。全国民を党員とする巨大政党が、まとめ役となって天皇統治権を代行します。天皇が本来はたすべき役割を代行するのですから、近衛新党は比類ない権力をもたなければなりません。明治憲法の枠内でそのような権力をつくりだすことはできません。既存の国家体制の外にあたらしい権力を創造するほかありません。これは朝廷と幕府の関係に似ています。ここから近衛新体制は幕府であるという批判がうまれます。(略)
[それは]天皇親政の否定であり、明治国家の転覆です。[狼狽した近衛は憲法尊重の意向を表明]
(略)
近衛新体制批判の急先鋒にたったのは、日本主義者です。
(略)
 ソ連はもとより、ドイツやイタリアの真似もゆるさない、日本の新体制は日本独自のものであるべきだ、と日本主義者は異口同音に主張します。曰く、皇道の衣を纏うたナチスであってはならない。曰く、ドイツ直輸入の全体主義的理念を放擲し国体そのままの新体制を確立せよ。曰く、英米個人主義でもなく独伊の全体主義でもなくソ連の独裁主義でもない日本の真体制を確立せよ。曰く、新体制運動の指導者は日本的革新のイデオロギーに透徹した人物でなければならない。(略)
日本主義者がもとめた、日本独自の体制とはなんでしょうか。これまた異口同音に臣道実践と天皇への帰一です。
(略)
[批判を受け]近衛は考えることをやめてしまいました。(略)
開会式では、大政翼賛会に綱領はない、臣道実践につきる、とだけのべました。(略)
[憲法は機能不全ゆえ巨大政党で]全国民の輿論を背景に陸海軍を凌駕する権力をつくりだして日中戦争をおわらせる、これが近衛の構想でした。
 幕府論が近衛の決意をにぶらせました。一国一党論が批判の対象となれば、党組織をやめました。だから大政翼賛会としたのです。それでもやまない違憲論にたいして、綱領の作成も断念しました。(略)近衛の遁走は明らかです。

翼賛会の改組

内閣は翼賛会の改組に着手し、事務局の革新派を一掃しました。(略)
 翼賛会の改組を主導したのは、新内務大臣で翼賛会副総裁をかねた平沼騏一郎です。平沼は新体制運動を、陸軍や官僚にまぎれこんだ共産主義者による策謀であると考えました。大臣就任後、平沼は治安維持法違反の容疑で企画院の調査官17名を検挙しました。平沼からみれば、企画院が立案した経済新体制確立要綱は、私有財産制を否認する共産主義の産物にほかならなかったからです。
 平沼の翼賛会改組によって、違憲問題は解消しました。今後、翼賛会は内務省の行政補助団体として、戦時体制に大きな役割をはたします。

戦時体制

 戦時体制は、革新官僚が企図した高度国防国家とはことなるものです。革新官僚は法と権力によって強制動員する体制をつくろうとしましたが、戦時体制は、外見上は国民の愛国心による自発的協力体制をとっていて、この点がちがいます。(略)
 かつて、戦後日本の原型は戦時体制であるとする議論が流行しました。(略)しかし、実際の戦時体制では企業が自発的に官僚に協力することになっていたのです。官僚の統制が空理空論にすぎたため、これ以上の迷惑をこうむりたくないという一心から、企業が協力して官民一体の体制をつくったからです。
(略)
革新官僚の高度国防国家建設は、統制経済による重工業化促進と経済発展との両立をめざすものです。石油や屑鉄、工業用機械を購入する原資は、綿織物輸出が稼ぎ出す外貨です。つまり、高度国防国家建設には国際平和と自由貿易が必要でした。
 日中戦争開始後の日本は、戦争継続のため、外貨を石油と屑鉄の購入費用に傾注します。不要不急を名目に、綿花輸入は制限しました。原料が入手できなくなった綿織物工業は衰退し、日本は外貨獲得手段をうしないました。経済制裁もあいまって、そのほかの工業でも原材料輸入量は減少の一途をたどります。実体経済は昭和十二年を頂点に、下り坂に転じます。
 経済状況の激変は、高度国防国家の建設を実現不可能にしました。(略)
統制経済は、戦争を継続するための弥縫策へと矮小化します。
(略)
軍需会社法は、国家による命令の代償として、会社にたいして補助金交付、損失補償、利益保証をおこなうことを明記していました。(略)
 こうなると、企業は政府の命令にしたがえば、お金が手にはいります。経費削減など気にかける必要はありません。(略)おこるのは、軍需生産の向上ではなく、企業倫理の腐敗です。(略)
[東條内閣顧問として各地工場を視察した藤原銀次郎は]戦時体制が軍需生産を腐敗させたと憤慨しました。

みずから人権放棄

 協力をもとめるのは政府です。しかし政府は強制しません。強制によって臣民の権利を制限すると、憲法問題が発生するからです。政府は達成目標を提示して、府県や市町村あるいは大政翼賛会に、実現を要請します。これらの組織はあたえられた目標を達成するために下位組織に仕事をわりあてます。最末端でわりあての実現をひきうけるのが隣組です。
 隣組は近所づきあいの人間関係のなかですべてのことがらを処理します。ここには法治国家の原則も、多数決の原理も、権利義務の観念もはたらきません。隣組は、愛国心治外法権です。(略)
滅私奉公の建前と、うちの組だけわりあてを達成できないのはまずいという世間体と、食糧配給と衣料切符の配分を隣組長ににぎられている弱みとが相乗して、隣組のなかに無言の圧力をうみだします。その結果、愛国心の美名のもとに権利放棄が強制されるのです。これが、かつて日本ファシズムとよばれた社会現象の正体です。
 しかもこの強制力は法律上存在しませんから、外見上、国民がみずからの意思で自分の権利をなげうって協力を申し出たものとなり、権利侵害の懸念はなくなります。政府は臣民の権利を侵害することなく、戦時体制に必要な強制を国民に課すことができるのです。(略)
[これは]際限ない人権侵害の温床となります。人権は権力から人間をまもることはできますが、自分の意志で権利をすてた人間をまもれないからです。

聖断による明治憲法の破綻

 たとえば中谷武世は、閣議不統一のままポツダム宣言受諾を聖断、すなわち天皇の専断によって決定するというやり方は、明治憲法が規定した責任内閣制を破壊し国務大臣輔弼の責任制度を全く蹂躙したものであり、降伏は憲法違反の手続きによってきまったのだとのべました。(略)中谷は、聖断を天皇の専断、天皇の独断専行といい、天皇親政の実現を憲法違反だと批判したのです。(略)
聖断すなわち天皇親政によらなければ、陸海軍をしたがわせることは、できなかったでしょう。天皇親政と天皇超政の平衡関係は全く失調していたというほかありません。つまり明治憲法は機能不全におちいっていたのです。そして聖断によって終戦を成功させたものの、昭和天皇の戦争責任論を惹起してしまいました。ここに明治憲法は破綻したといってよいでしょう。天皇が責任を問われる事態を回避するための、明治憲法だったからです。

著者について検索してたら出て来たw。

評価 ど鬼
コメント:まず、全講義出席さないと単位をもらえない鬼畜っぷり。 さらに出席点はなく、試験の点数のみで評価。 試験は論述問題1問のみで、非常に難しい。 一応救済措置としてレポートはあるが、こちらも難しすぎて全く救済されない。 そのうえ、絶対評価で60点を下回るとOUT! シラバスには高校で日本史を履修してなくても大丈夫と書かれているが、もちろんそんなわけなく日本史選択者でも厳しい。 テストで合格点をとるには毎週莫大な量の予習復習をこなさなければならない。 この講義をとるには相当な覚悟が必要なことを覚えてほしい。(特に理系) 同じ時間帯にはもっと容易に成績をとれる科目(アイヌとか)があるので、特に興味がない人はそちらをとるように勧める。 唯一の講義をとってよかったことは、論述力が無駄に身についたことだ。

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