村上春樹と私 ジェイ・ルービン

村上春樹と私

村上春樹と私

夏目漱石『坑夫』を推す春樹

海辺のカフカ』で言及されるまで、『坑夫』は日本でもほとんど忘れられた作品だった。漱石の小説の中で一番不評の作品である。(略)[『海辺のカフカ』でも大島が]「あれはあまり漱石らしくない内容だし、文体もかなり粗いし、一般的に言えば漱石の作品の中ではもっとも評判がよくないもののひとつみたいだけれど……」と。
 それでも、村上さんは、2015年9月に出版された私の『坑夫』の改訳の前書きで漱石の全小説の中で『坑夫』が一番好きな作品だと言った。『海辺のカフカ』では、カフカ君がこんなことを言う――「本を読み終わってなんだか不思議な気持ちがしました。この小説はいったいなにを言いたいんだろうって。でもなんていうのかな、そういう『なにを言いたいのかわからない』という部分が不思議に心に残るんだ」と。
 改訳の序文では、村上さんはもう少し詳しくこの小説の読者のいわゆる「読後の空白感」について、こんなことを言っている。
 「そこにはまるで良質のポストモダン小説を読んだときと同じ種類の、ざらりとした渇きに似た感触がある。意味を欠くことによって生じる意味、とでも言えばいいのだろうか?」
(略)
 実を言うと、『坑夫』を初めて翻訳したのは1988年だった。そして1993年から2年間私は村上さんと同じケンブリッジに住んでいたころ、二人で『坑夫』の話をした記憶がある。
 その時、村上さんはもちろん『坑夫』を読んでいたが、詳しく覚えていなかった。私が一生懸命に勧めたので、彼はすぐ読んで、主人公がいろいろな辛いことを経験しても全然変わらないというところが一番好きだと言った。その後、『坑夫』の話をしなかったが、2002年になって、『海辺のカフカ』を読んでみて、こんな言葉に出合った。
 「主人公がそういった体験からなにか教訓を得たとか、そこで生き方が変わったとか、人生について深く考えたとか、社会のありかたに疑問をもったとか、そういうことはとくには書かれていない。彼が人間として成長したという手ごたえみたいなのもあまりありません」と。

二人の翻訳者の違い

村上作品の国際的な人気はアルフレッド・バーンバウムという翻訳者に負うところが大変大きい。(略)
 バーンバウム氏の英訳を通じてアメリカの出版社が村上作品に興味を持つようにならなければ、私は永遠に村上さんの作品を読まなかったかもしれない。(略)
当時、バーンバウム氏は村上さんのすべての長編小説を翻訳していたが、短編の翻訳は少数だったから、私は他の短編の翻訳の許可をもらって、『象の消滅』や『パン屋再襲撃』や『眠り』を翻訳し始めた。
 以後は、好きな作品に出合って翻訳したくなると村上さんに直接頼むのが習慣になったが、不思議なことに、「それはバーンバウムさんがやった」という答えが返ってきた例は一度しかなかった(『トニー滝谷』)。村上さんの話によると、バーンバウム氏にも「それはもうルービンがやった」と答える羽目には一度もならなかったそうだ。このことは、二人の翻訳者がそれぞれ熱烈な村上作品の愛読者でありながら、志向はまったく違うということを証明している。しかし、この話はそこでは終わらない。
 そのころアメリカの一流出版社であるクノップ社から村上さんの短編集を出す話が持ち上がった。(略)編集者はバーンバウム訳9作とルービン訳8作を選んだ(略)
 いよいよ本が出て、書評が新聞や雑誌に現れはじめると、批評家たちは全部が全部と言っていいほど、バーンバウム氏のものだけに言及するか、私のものだけに言及するかで、両方にふれた評はなかったのである。彼らもまた、二人の翻訳者の志向の違いを、無意識のうちに反映していたに違いない。

質問攻めされ「どうせ小説というのはいい加減なものだ」と春樹

[たまたま日本にいたので質問リストを携え参上し質問責め]
 その酷い一日に村上さんにした質問は次のようなものだった。
1.『ねじまき鳥クロニクル』では水のイメージが大事だが、第1部3章で主人公の岡田亨のネクタイのパターンが「水玉のネクタイ」と形容されているところは、作家がわざと水玉の水を強調しているなら、「水玉の」の普通の英訳の「polka-dot」には水のイメージが現れないので「polka-dot」の代わりに「water-drop pattern」として翻訳した方がいいと村上さんは思いますか。
  村上さんは普通の「polka-dot」を使った方がいいと答えた。
2.第2部2章に出てくる「塀」は石や煉瓦でできた「wall」とも、板でできた「fence」とも翻訳できるが、村上さんはどちらのイメージがいいですか。
  村上さん「fence」だと答えた。
3.第2部7章に出てくるフォークシンガーは「茶色のプラスティックの縁の眼鏡をかけていた」が、同じ人物が第2部17章に出てくると「黒いプラスティックの縁の眼鏡をかけて」いる。作家がわざと色を変えたのですか。
  村上さんは両方とも「black」にするべきだと答えた。
(略)
 一日中こういう些細な問題と取り組んでうんざりした村上さんは「どうせ小説というのはいい加減なものだ」と溜息を漏らした。
(略)
その時期村上さんが自分の小説の翻訳を評価する方法は、両方のテキストを綿密に読み比べるのではなく、ただ、英文を読んで、英文の小説として面白いかどうかを判断することだけだった。原作者からのうるさい指摘どころか、簡単な「面白かった」という反応だったのは私にして見ればいささか不満でさえあった。これはフランス語の小説を翻訳して、しょっちゅう原作者と言葉遣いについて激しく議論する友だちの経験とは極端に違っていた。村上さんは自分の作品を読み直すのが嫌いだと言う。なぜかというと欠点ばかりに気が付くからだと。違う国語に翻訳された自分の作品は他人の書いた作品を読むようで、単純に楽しむことができるとのことである。
 しかし、記録的な大ヒットの『ノルウェイの森』を英訳した時は、事情が一変した。なぜなら、日本であまりにもすごいベストセラーだった『ノルウェイの森』が西洋でもそのスケールになり得る可能性に村上さんは気が付いたのだろう。なるべく間違いがないように自分も責任を取るべきだと思ったに違いなかった。それで初めて英訳のテキストと原文のテキストを比べ、いくつかの誤訳に気が付かれた。

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