Haruki Murakamiを読んでいるときに我々が読んでいる者たち

 
Haruki Murakamiを読んでいるときに我々が読んでいる者たち

Haruki Murakamiを読んでいるときに我々が読んでいる者たち

 

翻訳を持ち込んだバーンバウム

[KI(講談社インターナショナル)とのノンフィクション翻訳仕事の打ち合わせ後に勝手に訳した「ニューヨーク炭鉱の悲劇」のサンプル訳を見せ]『羊をめぐる冒険』も翻訳したいと申し出た。

(略)

 バーンバウムは、なぜ『羊をめぐる冒険』を訳したいと思ったのだろうか。
 「『羊』が魅力的かつ挑戦的だったのは、それまでの[日本の]小説が極端なリアリズム(略)と極端なファンタジー(略)のどちらかでその中間がすっぽり抜け落ちていたなか、退屈な日常とファンタジーの両方を見事なバランスで切り取っていたところ。(略)

他のどんな日本人作家とも全く似ておらず、むしろ圧倒的に英米の小説家に近かった(略)

 なにしろ魅力的だったのはその「軽さ」。それから『羊』には作者が気負わずに書いている感じがあった。これは以降の作品からは失われてしまったけど。

(略)

 「超現実」(シュール)な部分にも魅かれた。とにかく僕は変なものが好きなんだ。それもすごく変なものではなく、一癖ある感じのものが。

(略)

当時は『羊』のように、ただの馬鹿馬鹿しさとは違う奇妙さを備えていた小説は皆無だった。

(略)

羊をめぐる冒険』は「長すぎてビジネス的に難しい」と言われ、代わりに[初期二作を渡され、二冊出せる保証がなかったので、『1973年のピンボール』を選択]

「(略)シュールな部分に惹かれたんだと思う。登場人物がピンボールマシーンと会話する場面とかは、僕のユーモアのセンスにどんぴしゃだったしね」

(略)

[単行本かと思っていたら、国内発売のみの英語学習者向けの薄い文庫本でガッカリ。ただ依頼があったので『風の歌を聴け』も翻訳]

 「なんだこれは、話が違うじゃん、と思った。振り返ってみれば、僕がナイーブだったところもあるかもしれないけど」

(略)

「翻訳について、ムラカミと直接やりとりしたことはほとんどなかったと思う。お互い、海外を移動していた時期も長かったし。(略)」

[一方春樹も]

「(略)[国内向けだし]特に難しいことは考えなかった(略)これで海外に進出しようとか、そういう気持ちはなかったですね。(略)

僕はその頃にはもう、もっと大きい長編の方に気持ちがいってたから、その二つに関してはあまり関心がなかったんですよね」

(略)

[初期二作が英語圏では30年ほど封印された理由を語る春樹]

「(略)[海外では刊行の順序が]無茶苦茶だからね。この二冊が出て、これが新刊だと思って買って読む人もいるわけじゃない?そういう人が“なんだこれ”って思うだろうなという違和感もあったしね。もうひとつは、この最初の二冊は僕が学生の頃に好きだった、例えばカート・ヴォネガットとかリチャード・ブローティガンとか、そういうアメリカのあの時代の作家のスタイルを色んなところで借りて作っている部分があるんです。やっぱりそういうのは今になるとちょっと恥ずかしいというか、それはあるね。一九六〇年代後半のいわゆる「カウンター・カルチャー」みたいなのは、やっぱりどうしても年代が経つと力を失っていく。例えば、ジャン=リュック・ゴダールの映画が今観ると退屈に見えちゃうのと同じで。僕が高校生の頃にゴダールの映画を観たときは、ほんとにビリビリ電気に痺れるみたいにシビレたんだけど、今観てもそういうのはもう戻ってこない。それはブローティガンに関しても、ヴォネガットに関しても、ある程度言えるんじゃないかと思う」

(略)

[ベストセラーになった『ノルウェーの森』は読む気になれず]

英訳依頼を受けて読んでみたが、「僕が好きなユーモアや非リアリスティックな部分がなくて、ちょっとセンチメンタルな印象を受けた」(略)

翻訳したのは「生活のためという部分もあった」という。

(略)

[バーンバウム談]

「日本人の視点の先にあるのは常にアメリカだった。特にニューヨークは、文化的ロールモデルみたいな位置付けだった。(略)

日本はこの「中毒 addiction」からいつ解放されるんだろう(略)大学や出版業界で「アメリカ文学者」が中心的存在であるのも、考えてみれば不思議なことだよね。(略)」

アメリカ進出

一九八八年の段階では単行本六冊のうち五冊を講談社から出していた。(略)

[90年代半ば以降、講談社と新潮社から交互に単行本が出るように。しかも主な長編「ねじまき」「カフカ」「1Q84」等は新潮社]

そのような状況下で、英語圏への進出を望む村上の活動をサポートすることは、ベストセラー作家を自社に引き留めるのには有効な手段だと考えられたはずである。

[編集の]ルークは言う。

講談社は、スター作家を喜ばせるためなら、喜んで身銭を切ったよ」 

(略)

[海外市場を狙い、アメリカ的な『羊』作り]

バーンバウムとルークは「日付をはじめ、一九七〇年と結びつくもの」を本文や章や節のタイトルから削除し「作品をもっと現代的に」することを選択した。

(略)

[タイトルも直訳調から、スタインベックの「Of Mice and Men」をもじった「Of Sheep and Men」など様々な案が検討され、結局、「あてのない追求 a wild goose chase」にかけた「A Wild Sheep Chase」に決定]

(略)

当時の日本のバブル景気(略)とKIの資金力が村上の海外での成功を後押ししたことは間違いないだろう。

 ルークは言う。

「確かにこれが五年、十年後だったら、あそこまで資金と労力をつぎ込む環境があったかはわからない」

(略)

 村上は、ニューヨークでのプロモーション活動に十一日間を費やした。

(略)

 国内では当時から既にメディア露出を抑えていた村上だが、この時は日本のメディアの取材も受け

(略)

『羊』のKIハードカバー版は、読書クラブヘまとめて(割引で)販売された三〇〇〇部の他に八五〇〇部が売れた。
 翻訳文学の英語圏「デビュー作」としては、特にKIでは「初版三〇〇〇~五〇〇〇部」が「普通」とされていた現状を考えると、一万部越えは充分立派な数字だろう。しかし、発表部数初版二五〇〇〇部(プラス刊行前の三〇〇〇部増刷)でスタートし、プロモーションにもかなりの資金や労力をつぎ込んだことを考えると、当時の出版社サイドの感覚としては「数字的にはもうひと伸び」という感もあったとルークは言う。
[ただ、広報・営業活動の結果、全体的に好意的書評が掲載され、米文芸界に村上の名を印象づけることに成功した]

(略)

 村上は当時を次のように振り返る。
 「出してみたら、やっぱり配本はけっこうキツかったし、そんなに売れなかったんだけど、批評的にはすごくよかった。(略)『ニューヨーカー』に長いレヴューが載って、それはすごく嬉しかったね。『ニューヨーカー』というのは僕にとっては、もう無茶苦茶すごいものだったし。だから、そんなに売れなくても批評的にすごく注目されたというのは、出発点としてはよかったんじゃないかと僕は思ってた」

『ニューヨーカー』に「TVピープル」掲載

[村上談]

「ニューヨーカー」という雑誌の持つプレスティッジと影響力は、日本の雑誌からはちょっと想像ができないくらい強力なものです。アメリカでは日本で小説を百万部売ったとか、「なんとか賞」をとったとか言っても「へえ」で終わりますが、「ニューヨーカー」に作品がいくつか掲載されたというだけで、人々の対応ががらりと変わってきます。

(略)

『ニューヨーカー』で村上を「発見」したのは、当時の編集長のロバート・ゴットリーブ。

(略)

[ゴットリーブはドナルド・キーンの誘いで母校コロンビア大学で]日本文学翻訳コンクールの審査員をつとめていた。(略)

[その候補作にバーンバウム訳の『ピンボール』があり]

受賞こそしなかったが、この「ワイルド」で「クレイジー」な作品は「(審査員)全員の関心を引いた」

(略)

[村上談]

「(略)僕はどうせうまくいかないだろうと、わりと懐疑的だったんですよね。でも、彼が『ニューヨーカー』に短篇をいくつか売り込んでくれて(略)エルマー[・ルーク]のそういう売り込みがなければ、あの『ニューヨーカー』に載るのは難しかったんじゃないかな。そういう面では、彼にはとても感謝してる

(略)

[『ニューヨーカー』掲載に合わせて、性描写を削除]

 [引用者註:さらに「べつにアレン・ギンズバーグみたいな詩を書けって……」をアメリカでも誰でも知ってるから、T.S.エリオットにしたとあるが、そういう意味でギンズバーグじゃないと思うのだが、そんな翻訳でいいのか心配。それに春樹比喩も結構ばっさり削っている模様]

プリンストン

ルークは言う。

アメリカの文芸界は、主に二つの場から構成されている。ひとつはニューヨークを中心とした出版界、もうひとつが全国に広がる大学。ハルキは、プリンストンからニューヨークと大学の両方に足を運んだ。プリンストンは、アメリカのアカデミアの中心であり、出版業界の中心であるニューヨークにも近かったから、結果的にはアメリカでのキャリアを形成していくためには最高の場所だったと思う」

村上自身も「アメリカに行ったのが大きかった」という。

「(略)[日本はバブルだったが]文化的アウトプットはほとんどなかったんですよね。で、これはちょっといけないんじゃないかという、ある種の焦りというのか、切迫感みたいなのがあった。(略)

外国に暮らしてみると、やはりなんとか外へ出て行かないとどうしようもないという気持ちがすごく強くなってきた。

(略)

[英語圏デビュー二作目。『ノルウェイの森』国内向け英語文庫は一年で14万部売れていたが、米読者向けではないと刊行見送り]

 ルークは言う。
 「『ノルウェイの森』の恋愛は「若すぎる」というか、うぶすぎると思ったんだ(略)「経験豊富」な欧米の読者から見るとね。それといくつかの性的な場面は、正直、読んで痛々しく感じた。(略)

あまりにも日本的すぎる、これでは輸出も翻訳もできない、と。正直に言うと読者が逃げてしまうだろうとさえ考えた。ヨーコは『ノルウェイの森』を気に入っていたけれど「わかった。あなたは無理に気に入ろうとする必要はないし、気に入らなかったら無理に出版しなくてもいい」と言ってくれた。でも出版したがっているということは察しがついた(略)

[実際のちに『ノルウェイの森』は売れた]

ヨーコは僕にはわからなかった何かを嗅ぎとっていたんだ。(略)」

[村上談]

「[エルマーは売れないとずっと言ってたが、結局]世界中で圧倒的に『ノルウェイの森』が売れているんですよね。だからエルマーの推測は外れたんですよ(笑)。
 でも『ノルウェイの森』は僕の作品の系列の中では、ちょっと違う作品なんです。リアリスティックな物語だし。僕の書いてきた長編小説のメインストリームは『ねじまき鳥クロニクル』なんです。僕はやっぱり『ねじまき鳥クロニクル』を出したからこそ、『ノルウェイの森』という小説もある意味理解されたんじゃないかと思う。こういうものも書くんだけど、こういうものも書くんだという、そういうポジションみたいなのが明確になったと思うんです。先に『ノルウェイの森』を出してたら、“あ、この作家はこういうものを書く作家なんだな”と思われてたかもしれない」
[『ダンス・ダンス・ダンス』も候補にあがったが、結局、『ワンダーランド』に決定] 

 『ワンダーランド』

[日本語では「私」と「僕」で二つの世界を区別していたのを]

時制で区別することにした。「ハードボイルド・ワンダーランド」の章は過去形で語り、より幻想的な「世界の終わり」の章は現在形で語ることにした。

(略)

[英文で]五〇〇ページを超えると読者の手が伸びにくくなる。バーンバウムとルークは、章の構成はそのままにしながらも、ほとんどの章を「主要なプロットに不可欠ではない部分は削る形で短縮し[400ページに収めた](略)

 村上は、作品にドライブ感を与え、読み進めやすくするために探偵/冒険小説の要素を付け加えたわけだが、この(全体の七割を占める)「ハードボイルド・ワンダーランド」の各章は長く、著者が「どんどん理不尽なものを出していこう」と意識しただけあって、脱線や余談も少なくない。展開が遅いと、手にとってもらえても、最後まで読んでもらえないかもしれない。そう考えたバーンバウムとルークは、物語のテンポを上げるため、特に「ハードボイルド・ワンダーランド」の章を大幅に短縮した。数ぺージ単位で省かれている部分も少なくない。ピンクの服を着た女性にまつわる描写は特に大胆に編集されている。
 バーンバウムは言う。
 「正直、あのピンクの女の子の描き方は、少し大げさすぎると思った。小説の中でも明らかに突出していた。あのまま訳していたら、果たして読者が読み進めてくれたかどうか。アメリカ人は短気だからね」
 四ページにわたって彼女が自分のピンクの自転車について歌うシーンや、その「ピンクの女の子」を青山の深夜営業のスーパーで待つ場面で「私」が店内のポスターについて延々と語る部分などもほぼ完全に省かれている。
(略)

 また、村上は、日本では独特な比喩を用いる作家としても知られているが、『ワンダーランド』では、何十もの比喩が省かれている。

(略)

[村上談]

「僕は一字も削りたくないとか、そういうタイプの人間ではないし、僕の書く「物語」とは、流れの中でその小説として成り立っているものなので、あまりスタティックに考えない。(略)物語がしっかりしてれば大丈夫っていう。

(略)

[バーンバウムは]自分が紹介したいようなかたちにもっていく人なんですね。(略)ただ作者にしてみると、ちょっとここやりすぎじゃないの?ってところはある。(略)

アメリカ人のエディターというのは、ほんとにエディティングが好きだから。(略)[エルマーも]アメリカ人の編集者としてはごく当り前のことだと思うんだけど、僕にしてみれば、やっぱり“あれ?”って思うことは何度もあったよね。(略)ホセア[・平田】にこの前会ったら、いま僕の『世界の終り』[の英訳」を使ってクラスを教えているんだけど、原文と違うんですごくやりにくいんだと。で、とくに最後の方は、筋まで違ってきちゃってるから、これなんとかしてほしいって言ってて、そうだね、これなんとかしなくちゃねっていう話はしてたんだけどね(笑)」

(略)

[売り上げは前作の半分以下の5000部]

村上は言う。

「やっぱり講談社から出してる限りグローバルにはなれないだろうなって気がすごくしたね。(略)

[伸びるかと思ってたら頭打ちで] 焦りは感じたし、これじゃダメだなと思った。(略)」

次回に続く。 

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