セロニアス・モンクのいた風景

セロニアス・モンクのいた風景

セロニアス・モンクのいた風景

[独ジャズ評論家トマス・フィッタリングの伝記『セロニアス・モンク』からの抜粋]
バド・パウエル

そのようにモンクの家を最もしばしば訪れる常連の一人になった。そしてモンクがピアノを求めてふらふらと彷徨うとき、誰にも増して彼を熱心に引き受けた。二人は終生にわたる友になり、パウエルはモンクの音楽を熱心に通訳する存在であり続けた。右手でチャーリー・パーカーディジー・ガレスピーのような「ホーン・ライク」なラインを刻むパウエルの演奏スタイルは、モンクの演奏スタイルとは対極にあったにもかかわらずだ。多くのジャズ評論家やミュージシャンたちにとっては、見事なまでに指が速く、流麗なテクニックを持つパウエルこそ、ビバップを代表するピアニストだったが、皮肉なことに「ミントンズ」のビバッパーたちは、モンクが強く推薦したからこそパウエルを渋々受け入れたのだ。
(略)
 モンクをレギュラー・メンバーとして雇ってくれた数少ない人の一人が、大ヴェテランのコールマン・ホーキンズだった。モンクはそのことで、いつもホーキンズには深く感謝していたものだ。後年モンクが成功を収めたとき、今度は逆に彼がホーキンズに仕事を与えることになる。そして1969年にそのサキソフォン奏者が死の床に就いたとき、モンクは進んで彼の面倒をみた。
(略)
1945年1月21日に、彼はフィラデルフィアマックス・ローチと共に盛大なコンサートをおこなった。ステージが終わってからミュージシャンたちが楽器をケースに仕舞っているとき、警官たちがクラブになだれ込んできて、モンクの行方を捜した。モンクは証明書の提示を拒んだので、その場で拘束された。一人のファンが戸口を塞いで、警官たちの前に立ちはだかった。警官たちは彼をどかそうとしたが、その男は引き下がらなかった。「よせ」と彼は叫んだ。「あんたたちは間違ったことをしている。あんたたちは世界でいちばん偉大なピアニストを虐待しているんだぞ」。そのときに警棒が、まるで稲妻のように彼の頭上に振り下ろされた。この若いファンこそが、誰あろう、モンクのいちばんの友人であるバド・パウエルだった。彼はモンクと共にその場から連行された。そして病院でほんの形だけの治療を受けたあと、留置所に放り込まれた。
 釈放されたあと、パウエルは不吉な頭痛を訴え始めた。彼は結局ベルヴュー病院で診察を受け、それからの三ヶ月をクリードモア病院で過ごすことになった。そこで彼は様々な精神活性薬物を投与され、ショック療法を受けた。パウエルの芸術家としてのキャリアはまだ始まったばかりだったが、これを境に彼は終生、精神的な疾患に悩まされることになった。もしパウエルがそこに介入してくれなかったら、自分だって同じような目に遭わされていたであろうことを、モンクは承知していた。この不運に見舞われた愛弟子のために、モンクは「イン・ウォークト・バド」「52番街のテーマ」「ブロードウェイのテーマ」(ただ「ザ・テーマ」と呼ばれることもある)といった曲を書いた。後ろの二曲はバド専用の曲として書かれたもので、モンクが自らそれらを録音することは希だった。
(略)
[「ミントンズ」時代の仲間の活躍について]モンクは親しい仲間の前では本音を吐いた。その新しい音楽を創り出した功績をディジー・ガレスビーとチャーリー・パーカーが独占し、自分が見過ごされていることを快くは思っていないと。「もし彼らがそのスタイルを自分たちだけのものだと主張し、自分たちだけ成功し、有名になっていくつもりなら、私は自分のためにまた別の新しいスタイルを創り出し、その私だけの音楽を推し進めていくさ」。モンクの「自宅セミナー」に加わったことのあるサキソフォン奏者のバド・ジョンソンによれば、モンクはそう口にしたということだ。

[スティーブ・レイシーが上記の『セロニアス・モンク』伝記によせた序文]

  • モンクの言葉

 セロニアスは「こう演奏しろ」とは言わなかった。しかし私が脇に逸れていきそうになると、すぐにやめさせた。「そんなつまらんことはどこかにやってしまえ。ただメロディーを演奏すればいいんだ!足でリズムをとり、頭の中でメロディーを歌うんだ。それともメロディーのリズムをそのまま演奏しろ。コード・チェンジなんてそっくり忘れてしまえ」。あるいは「私の音をいちいち拾わなくていい。私が君の伴奏をしているんじゃないか!」。あるいはまた「ドラムの音がもっときれいに聞こえるようにするんだ!」。このような素晴らしい忠告は、なかなか他で聞かせてもらえるものではない。
 モンクが口にしたその他の叡智の言葉。
「その曲のインサイド(ブリッジのこと)とは、アウトサイドをよく響かせるもののことだ」
「天才とは最も自分らしい人間のことだ」
「いつだって夜なんだ。さもなければ光など必要あるまい」
「こんなことはできっこないと君があきらめたとき、他の誰かがやってきて、それをやってしまうことになる」
(略)
 「君は選り分けることの重要性を知らなくてはならない。加えて、自分が演奏していないものの価値を、空白を用いることの、音楽をやり過ごすことの価値を知らなくてはならない。ただ余計なところをつまみ出せばそれでいいんだ」
 「ひとつの音符は山のように大きい。あるいはピンのように小さい。どちらになるかは、ミュージシャンの想像力ひとつだ」
(略)
一度彼に、「がつがつ仕事をほしがるんじゃない。大事なのはその場にいて、いつでも準備ができていることだ」と言われたことがある。考えてみればそれは、モンク自身が身をもって厳しく学んだことなのだ。彼はキャバレー・カードを取り上げられ、長い期間ニューヨークで仕事ができなかった。皮肉なことにその一方で、他のミュージシャンたちは少しずつ彼の曲を演奏するようになり、やがてはまともに演奏できるようになっていった。

ナット・ヘンホフ「通常のピアニストがまず行かない場所に」

[1960年のある春の夜]私は[ニカ]男爵夫人とモンクと、彼の奥さんがオーネット・コールマンについて論議しているのを聞いていた。コールマンは論議を呼んでいるアルト・サックス奏者で、そのときちょうど「ファイブ・スポット」に出演しており、何人かの評論家は、彼はジャズの即興演奏の新しい可能性を切り拓いていると主張していた。
 男爵夫人は自分がコールマンの音楽をよく理解できないことを不安に思っていた。彼女とネリーがその問題について語り合っていると、モンクがきっぱりと言った。「彼の演奏には美しいところがひとつもない」と。男爵夫人は同意するように熱心に肯いた。「彼はいつも大きな音で演奏し、音符をスラーさせているだけだ」とモンクは続けた。「あれなら誰にでもできる」。男爵夫人はまた肯いた。「そしてあの彼のサウンド。あれはちっとも新しいものじゃない。私はこの曲で同じことをやっている」。彼はベッドの脇に積んである、ジャケットから出されたままのレコードの山の方に行きかけた。「しかし私はいつもいつもそういうことをやっていたわけじゃない。ある一ヵ所でその音が欲しいときに、そうしただけだ」。彼はそのレコードをかけた。ネリーと男爵夫人は息を殺して耳を傾けていた。自分の指摘するポイントに下線を引くみたいに、もう一度そのレコードをかけたあとで、モンクはまたばたんとベッドに横になった。「とにかく彼は大した潜在能力を持っている」と彼は枕の下からうめくように言った。「しかし今のところ、みんなが騒ぎ立てるほどの大物じゃない。結局のところ」、モンクはまた立ち上がり、まるでジャズ評論家のような有無を言わせぬ口調で言った。「彼はいったいどんな貢献をしたんだ?」

 「モンクの曲ではすべてがぴたりとうまくはまっているんだ」とテナー・サキソフォン奏者のジョン・コルトレーンは付け加える。「いったん内側が見えるようになれば、それがわかる」。別のミュージシャンは発見する。「彼の曲のひとつを覚えようとするとき、メロディーとかコード・ネームを覚えるだけじゃ駄目なんだ。内側のヴォイシングとリズムを正確に頭に入れなくちゃならない。すべてがとても密接に結びついているんだ。彼の作った曲はしっかり丹念に作曲されている。それはいわゆるジャズの『オリジナル曲』にはあまり見られないことだ」
(略)
ある若いトランペッターがモンクの「十三日の金曜日」の中で、いわゆる「バップ風」のソロを吹くことに固執していた。そのミュージシャンは、曲のコード・チェンジにのっとって流暢な即興演奏をすることに重きを置き、それ以外の要素にはろくに注意を払わなかった。モンクはその演奏をストップさせて言った。「君がそのメロディーを知れば、君はもっと良いソロが吹ける」。「あなたは僕にメロディーを吹いてほしいわけですか?」とその若者は苛立った声で尋ねた。「君がそのメロディーを知れば」とモンクは繰り返した。「君はもっと良いソロが吹けるはずだ。ただコード・チェンジを追うだけの演奏とは違うものが」
(略)
[セッション中]彼はミュージシャンの前に立ち、足を突き出すようにして踊り出す。見ている人の多くは、モンクのそのぎこちないステップを、いつもの「奇行」のひとつだろうと考える。しかし彼のダンスには特別な理由がある。「それは彼にとっては指揮するのと同じことなんだ」とジジ・グライスは言う。(略)
彼のリズミックなパルスを追っているうちに、みんなは知らず知らず、彼の求めるリズムを刻むようになっていた」
(略)
ディック・ガッツは言う。「一部がピアノで、一部が音楽でというんじゃない。何人かの優れたピアニストの演奏は、その素晴らしいテクニックのせいもあって、音楽よりはピアノの要素が勝っている場合が多い。たしかに流暢ではあるけれど、彼らがやっているのはあくまでメカニカルな性質のものごとであって、音楽とは知性的なところでのみ繋がっている。実際のことを言えば、モンクは他のピアニストが技術的に困難を覚えるような、数多くのむずかしいことをやっているんだよ――たとえば非正統的な指使いでの全音階のランをするとかね。それはいくぶん無骨に聞こえるかもしれない。しかし自分で実際に試してみるといい。彼はまた四度和音を素早く連続して弾き、すべての音符をきわめて鮮明に鳴らすことができる。彼は通常のピアニストがまず行かない場所に、堂々と踏み込んでいく。それはちょうどジャズの初期の歴史において、独学で楽器の使い方を覚えたミュージシャンたちが、自分たちの楽器の音域とキャパシティーをどんどん拡大していったのと同じことだ。それというのも彼らは、その楽器で何ができないとか、何をするべきでないというようなことが書かれた教則本を与えられなかったからだよ」
 モンクは音楽以外の領域においても、挑戦的になれるかもしれない。「私にはかつて神経症的傾向がありました」とネリーは言う、「璧にかかっている絵や写真なんかが少しでも歪んでいると気になるんです。セロニアスがそれを治してくれました。彼は壁の時計をほんの少しだけ――でもそのことで私が激怒するくらい――歪んだ状態で釘付けしてしまいました。それで私たちは二時間くらい激しく言い合いをしました。しかし彼は私が時計をまっすぐにすることを断固として許しませんでした。そして最後には私もそれに馴れてしまいました。今では何かが少し歪んでいたところで、ぜんぜん気になりません」

次回につづく。