生還 小林信彦

脳梗塞になった状態で書かれた前半の文章がなかなかに面白いというかコワイというか。果たしてこれはいつ頃書かれたものなのか。半年の病院暮しが終わった三週間後に自宅キッチンで転倒骨折し手術した頃に「週刊文春」で初回が掲載されている。

「生還」を書く予定は、まだ最初の退院もする前に、出来ていたと言えなくもない。このころには、私の発想、感じ方がおかしくなっていた。他人の表現を借りれば、〈足が地面から数センチ浮いている〉ということだろうか。
 エッセイか小説かわからない「生還」を書く予定は、私の中で妙に確固としたものになってゆき、(とにかく、これは書くのだ)とひとり盛り上がっていた。それを気配で感じてくれたのは次女で、私が倒れた時のまわりの人々の動きを描いた時間表を見せてくれた。

書籍化にあたり、既に掲載しているし経過報告としてそのままにしたのか、普通じゃ書けないヘンテコな文章だから面白いと思ってそのままなのか、そこがいまいち判断がつかないので読んでいてちょっと落ち着かない。

以下引用していくと、バカにしているのではないかと怒る人がいるかもしれないけれど、そういう意図ではない。

生還

生還

 

夢小説

冒頭三週分あたり夢小説のようにシュール。そのあとから普通の文章になっていくのでやはり狙ったというより夢うつつで書いたということなのだろうか。

第一章では「夢か現実にあったのか、わからないことなら、まだ記憶にある」とあってから夢うつつが綴られるので慌てないけど、第二章では「一週間たつと、部屋の中の様子がじっくり観察できるようになった」と冷静な回想のように始まりながら、すっと夢うつつ描写に入っていくので一瞬ざわざわする。

  人々の会話を聞いていると、この部屋は、大部屋と呼ばれているらしい。ときどき、事故にあった男性が運び込まれてきて、奥さんらしい人がめそめそ泣いている。これはパターンが決まっているといえる。
 三日ほどで私は階上の狭い部屋に移された。そこには〈閣下〉と呼ばれる立派な人がいたように思う。(略)

初老の〈閣下〉は白いひげを生やしていて、日露戦争の時代からタイムスリップしてきたようでもあった。

(略)

 〈閣下〉が女性好きであるのを、病院の男女は明らさまに口にしていた。(略)

 その女を私は〈閣下〉の愛人と見なしていて、しめし合わせて食事を一緒に摂るために、この一室で落ち合っている、とまで見ていた。

(略)

女は存外真面目なところがあり、外部からの電話に真剣に応対していた。二人が食事をともにすることもそれほど多くはなかったし、〈閣下〉が国外に去ってゆくのも近いのではないか、と思われる日もあった。
 ある日、〈閣下〉は、いなくなった。人々の噂によれば、東京からさほど遠くない中隊に去ったようであった。
 追記するが、〈閣下〉はたまに来る私の妻にも興味がなくはないそぶりを見せた。

(略)

[リハビリ室で]私はかつては有名だった落語家がプラスティック製の小型の三角帽子のようなものを手にしているのを見た。まわりの人は気づいていないが、落語家はかつて人気ニュースショーの司会者であった。

(略)

あとの調べで、私が人気者と認めた人は二年前に亡くなっていたのを知った。
 私をリハビリ室によく連れていった男は、私が彼に好意を抱いていないのを悟って、暗い場所に置きざりにした。彼のそれほど明るくもなく、人々に思われているほど楽しくもない性格であるのがなにかマイナスであろうか。それを悟られたから私を暗い場所に置いてゆく、というのが私には理解できない。
 翌日は転院という日、私は彼が出てくるだろうと思っていた。次の病院の性格はわからなかったが、次女が「野戦病院じゃないよ」と言うので信用したのだ。

(略)
 妻が渋谷の名画座のミュージカル特集のちらしを見せた時、不意に私は泣き出した。

シュールな会話

第四章、食堂で聞けるよくある会話といえばそうだが、なんかシュールな会話。

 そういう家もあるのではないか、と想像している家族がいることもあった。まるでアガサ・クリステイの初期の小説のようである。
 「じゃ、どうして貴女はここにいるの?」
 娘らしき、混血児らしい顔からして二世としか思えない女が母親に迫る。

 「それは、ここで食事をするためです」

 品の良い母親(だと思うが)はそれだけしか言わない。しかし、私が聞いていても、これは返事になっていない。
 「おかしいと思わない?」と娘は声をひそめる。「食事が良さそうだと思っても、お母さんを病院に入れるって、変じゃありませんか。まあ、兄さんがそうするとも思わないけれど、カナコさん(略)ならやりかねないわ。お母さん、鍵はちゃんと持ってる?」
 「カナコさんが持っています」
 「ほら、ごらんなさい」
 娘は勝ったように言った。
 「あの人の思う通りじゃない」
 「そうかね」
 老女は気が乗らぬ態である。娘は苛ら苛らして、
 「いつも、こうだから。北区のあの家にもう戻れなくなるのよ!」
 私は聞いてはならぬことを聞いてしまったような気がする。

(略)

〈ダンケさん〉(略)にとってはすべてがだんどりであった。また、彼のそういう感覚を乱すものは敵であった。

(略)

朝食が配られた時に、箸やスプーンが欠けていたら〈ダンケさん〉の怒りは爆発する。

(略)

 言語のリハビリのプロセスで、私は宿題をやることがあった。食堂のテーブルで高校生相手程度の問題に行きづまっていることがよくあった。〈ダンケさん〉は、私の手元の質問用紙を眺めていたが、やがては、私から取り上げて、考え始めた。それでも、出来ないとなったら、さっさとあきらめるのが〈ダンケさん〉らしいと思わないでもなかった。
 ある夜、私がテレビをリモコンで消して寝ようとすると、人が入ってきた。〈ダンケさん〉がつきそいの看護人の懐中電灯をバックにして立っていた。私が食堂に置き忘れた宿題を届けにきたのだ。(私はどうも、と言ったが、彼に感謝する気持はなかった。彼の気まぐれな〈親切〉がたまたま私に向けられたとしても。)
 私にホット・コーヒーを飲めというのも、彼の気まぐれな親切の一つだった。秋に入って、アイス・コーヒーをやめた私がホット・コーヒーを手にした朝、彼はたまたま退院していた。

闘病エッセイ風になってきた第五章、

最後の文章がものすごくテンプレ文ぽくてちょっとコワイ。

 多くの読者からのお手紙、葉書を読むことが出来た。いずれも、ご本人、又は家族、知人が脳梗塞に苦しんだ経験を持っておられたようで、その苦しみは、他人には理解できないものがある。この病院のここがいい、といったことは書けないにしろ、なるべく日常的な視点で病気のおそろしさを描いてゆけたらと思っている。それは作家として生きる者の義務でもあるだろう。

第八章ラスト

二階のリハビリ室には、奇妙な(といってはいけないのだが)人々が集っている。この病院は、患者も療法士も、比較的美男美女が多く、それをまず認めよう。
 その上で言うのだが、事故で目を片方しかあけられないのである。長くリハビリ室にいるから、なかなか開眼しないのだろう。
 そういう人がいると、つい眼がそっちへ行っちゃうじゃないですか。黙っているが、私の眼の動きは、私のうしろに密着しているAさんの察するところとなり、「集中!集中!」という言葉が飛んでくるのだ。「わかってます」と私は小声でうなずき、どうすりゃいいんだ? と呟く。

第九章

 そして医師は、いかにも〈私はこの方面のことには疎いのだが〉といった調子で、「風邪を直す薬というのはないんですよ」と紋切型の言葉を口に出した。こうした時の台詞は「あなたが強いて欲しいならば、それ風の薬を出してもいいんですがねえ」というもので、私はとにかく頷いたのである。その態度は、いかにも〈私は脳関係のリハビリ治療にたずさわっているものですが〉といった〈上からの目線〉であったのはいうまでもない。

(略)

ベッドから車椅子に移ろうとして、床に転げ落ちる人もいるが、これはこの種の病院においては減点ではすまなくなる。
 うちの病院では、床は二日に一回清掃している。だから、床に糸くず、紙くずが落ちているはずはない、というすごい大前提である。そして、患者がベッドの外で倒れているのは、すべて転倒と見なす、という論理になってくる。
 実際、私は入院後すぐに、車椅子からずり落ちてしまったことがある。これは車椅子から落ちたとして喧伝されたが、車椅子は下に車というものが付いているのだ。ずり落ちたとき、背中が車を押すので、車椅子は少しうしろにズレてしまう。では、手でナースコールを押せなかったのか、という疑間が生じるのは当然だが、私の左手は全く動かないのである。右手ではナースコールが転がっているところまで届かないのだ。
 こういう時に限って、ナースだの、療法士だのがあらわれて、あら、とわざとらしく驚いて見せるのである。私は三度、床に転がった人として知られたが、こんなのはみんな、ツクリゴトで、私を笑うためのものである(病院では他に笑うことがないので、仕方がないとは思うが)。

(略)

[深夜水滴の音が気になり装具をつけずベッドを出て床に倒れ]

そこに、たまたま私の部屋の担当ケアワーカーが入ってきた。あら、と叫んだ彼女は私の担当者であるAさんを呼びに行った。ケアワーカーとAさんがならんで私を叱る図が目に見えている。
 床にしゃがんだ私は反省から泣く態勢に入った。しかし、涙が出てこない。どうしようもない形で、私は笑い出していた。笑いでも、泣きでもいい、私は二人の女性――特に失望がはげしいであろうAさんの心中を思って、本当に泣きたい気持になっていた。
 気がつくと、二人の女性は煌々とした電灯の下で、笑っていた。
 私は、私の目の前で、車椅子からずり落ちてゆく若い人の姿を食堂で目撃していた。また、リハビリ室で人が倒れる激しい音を耳にした。が、病院で、その後始末がどうであったかを聞いていない。

どことなく中原昌也風でもある文章

 さらに、私がなんとしても許しがたいと感じたのは、病院の従業員の活字に対する無神経さである。
 私は新聞、週刊誌、その他の活字をベッドのまわりに積み上げている。しかし、ただ積み上げているのではない。分類して、保存する分、捨てる分、そこがまだあいまいな分の三つに分けているので、ゴミを保存しているのではない。
 部屋をつねにキレイにしておきたい、そしてそのことが日常の習慣になっているナースたちは何も言わずに、すべてをまとめて捨ててしまう。そして、きれいになったから、と私に示す。
 病院の場合、これは単に彼女の性格を現わすだけのものではない。衛生の観念からの裁きなのである。
 私はじっとして答えない。それは彼女たちを喜ばすものであり、私がひとことも返せなくなって、忍耐しているのを楽しんでいるのだ。

 学生上りらしい青年にとっては、もっと楽しいことのようだ。彼、もしくは彼らは、そうした清掃のあと、私に向って、ああした写真週刊誌を金を出して買うのか、と問いかける。当り前である。私はいいとしをして、万引きの趣味はない、といちいち答えてやらなければならないのが面倒くさい。
 病院にいても、出世していける見通しはない、と常々公言している〈不良になれなかった青年〉(と私は常々呼んでいるのだが)の一人である彼は、私の横で、捨てるはずの写真週刊誌の表紙をめくりながら、「へえ……」などと呟いている。恥毛があらわになっている写真をいつまでも見ていたようなのだ。
 「よければ、一冊もっていったら?」
 私はからかうように言う。入院患者から物品をもらうのは禁じられているのだ。
 「全然、かまわない。他人には言わないよ」
 そう言うと、青年はおずおずと写真週刊誌を手にして、「いや、皆で廻し読みします」などともっともらしく言う。
 「お好きなように」
 青年は写真週刊誌を丸めて上着の下にひそめ、部屋を出てゆく。
 病院の人々がそれらの週刊誌に一片の価値も認めないことに私は溜息をつく。人々の怒りを弛めるきっかけになる記事があり、老人が少しでも長生きできるヒントになる記事もある。それらをすべて、ゴミとしかあつかわぬナースたちは、どこかおかしいのではないか。

 私はそれらの〈ゴミ〉を改めて整理しながら、なんという世界だ、と呟く。

ミステリアスな展開?

第二部に入り、わりとあっさりした普通の闘病エッセイになっていくと思いきや、また不思議な文章が入ってくる。下の処理についてのミステリアスな展開?

第十四章

 私は、私が耐えなければならなかった記憶を、もう一つ書き記そう。この記憶を書くことは楽しくないし、できれば、やめたいのだが、そうもいくまい。他人に迷惑がかかることであるのを承知の上で、もう少し続けてみよう。

 私の退院が噂されたりする時期に、一人の中年のナースが妙にこだわり、語りたがることがある。そういう時は、なんだろう、と私は考えた。そんなにこだわることではない、と、まず考えてもいいと私には思われたからである。そのナースは、それが私にとって重大事であると信じているらしい。その理由は明らかではない。
 ナースはナースであって、私のリハビリに関心はあるが、〈私が病院に滞在して彼女の仕事=生活に災難がない限り〉触れないですむことには触れたくない人と考えるべきである。そうであるとすれば、病院における私の存在が気になるというのは私をうるさく思っているからだ、と乱暴にいえば、言えるのではないか。
 私の退院が噂されたりする頃、そうした噂らしきものが流されたりするのは、私にとっても面白くない。ナースがそれほど悩んでいるのは何だろうか。
 私は、夜遅く、ナースが話を切り出し易い雰囲気を作ってみた。それほど気を使う間もなく、彼女は切り出した。
 聞けば、(はっきり言えば)別にどうということもない話であった。とはいえ、なんでもない話ではなかった。人によっては、かなり気分を害する話であり、それは他人の気分を害さずに話すのは、かなりむつかしい事柄であった。
 ズバリといえば、オシッコのことである。(略)

[ナースが聞きたかったのは]貴兄は尿瓶を使用しても平気であるかどうか。(略)

「今夜、そのベッドで、やってみてください」
「ここでですか」
 私は臆病になった。
「そう。大丈夫でしょ?」
「考えさせて下さい。明日、返事をします」
「あなたがOKというと思わなかったのよ」
「どうして? そんなこと、決められるのですか」
「あなたが怒ると思ってたのよ。私だけ、そう思っていたんじゃないから」
「まあ、いいです」
 私はむっとして言った。
「でも、中側でするってのは、どうなんですか。汚さないですか、あたりを」
「さあ」

 ナースはどうでもよさそうだった。

「どうやるのかしら?」
 この人は、早く片づけば、どうでもいいのだ、と私は思った。だから、私の答えが意外だったのだ。
 「尿瓶を使うってのは、今となっては無理かも知れないけど……試してみます」
「すみませんね」
 彼女はにわかに明るくなった。
「良い返事をお持ちしてるわ」

(略)

 そんなことは出来ない。私はそう思った。
 家人との結びつきを私は並のことではないと思っていた。八十を過ぎた男が何を言っているのだ、と言われれば、私はそういう風なのだ、と突っぱねるしかない。
 その道具はウェスタンなんとかというので、もう忘れてしまった。その夜、ナースのきびきびした声に導かれていた家人の手つきはたどたどしさしか覚えていない。ナースは、あとでもう一回繰り返した方が覚えるとか言って、家人に次の束も約束させた。ナースが口にする〈陰茎〉という、彼女らの教科書に出てくるらしい言葉のいかめしさが滑稽で、笑いをこらえるのに苦労した。
 翌朝、私は映画好きというだけで親しくしている三十代の院内の友人が、奇妙な顔で立っているのに驚いた。
「小便の匂いがきびしい。すぐわかるよ」
 と彼は言った。
「しかし、あなたが失敗したのではない。ゆうべ、誰がお世話した?」
「ああ、Tさんだ。慣れてると言っていたけど」
「十五年、ここで働いているんだよ、おれは。今夜、おれがやってやるよ」
 それだけで気が楽になった。(略)
 友人は、その夜、てきぱきと片付けてくれた。その上、余分なことを言った。
 「君のものが大きいので、はめるサイズを変えなければならない」
 私の〈陰茎〉が大きいとは、生れて初めて言われたことだった。しかし、いい気になるまでもなく、多毛という意味だった。

(略)

[食堂のテーブルでこぼれたスープをクリネックスで拭う速さに]

私の鼻先であんなことをされてはたまらないと思った。次の瞬間、私の前のクリネックスの箱から白い紙をさっと彼いた女性が、別にこぼれたスープを拭いた。私を意識した油断のない顔を見て、これは危険だと思うことと、私の血圧がつながっているとは思えなかった。
 病院の個室に戻って、ナースに計ってもらった血圧が100ほど増えている時、見た私は、こういうことか、と思った。以後、私は彼女を〈血圧女〉とひそかに名づけて、油断なく接するようにしていた。
 夜中に部屋に入ってきた者がいた。暗闇の中でも、(例の女だ)と思った。
 「すぐにドアを閉めてくれ。血圧が上る!」
 「……血圧のこと、私のせいにしないで」
 彼女は精一杯叫んだ。
 「いや、血圧はおたくが関係あるのだ。ドアを閉めて、廊下の光を入れないでくれ!」

 私が抗うと、彼女は信じがたい言葉を口にした。私が食堂で予感した通りだった。
 「おたくが退院できないようにしてあげる。血圧が200を超えたら、うちに帰れないでしょう」
 廊下の方で音がして、友人の声がした。急に、女の声がきこえなくなった。
「安心しろ。追い払ったよ。もう来ないだろう」
 男は唸るように言う。
「あいつは俺のことも嫌っている。それに、あんたを嫌ってることも知ってた」

「それが、どう、つながるんだ」
私はわからなかった。 

大島渚

 大島渚の大きな顔がいやでも浮かぶ。細い、女性的な独特の文字も。大島渚は、私に映画監督になれ、と言った唯一の人だから、忘れようにも忘れられない。そのことで、私は脚本家の石堂淑朗(昭和七年生れ。大島、私もそう)に相談したことがある。(略)
 すると、石堂は、当時〈大島一家〉と呼ばれたグループの一人なのに、真顔で、「大島渚は大嫌いだ」と言い出した。「あの顔を思い出すと、うまい酒がまずくなる」
 やっぱり、そうか。思いついたことをすぐに実行する大島も、その世話になっていながら「実は嫌い」と言う石堂も、わかる気がした。どちらも本音で生きる男である。

(略)
 昭和七年生れの人間が育ってくるとき、黒澤明は途中で出てきた人である。エラいといわれていたのは、小津安二郎だけであった。作家でいえば、志賀直哉が圧倒的にエラく、谷崎潤一郎は「細雪」を完成した大家という扱いであった。私は八十五歳まで生きたおかげで、「瘋癲老人日記」の谷崎をベストワンと誇り、太宰治をひそかに支持してきたことを安心して自慢できる身になった。世の評価すべては、私が二十歳のころと全く違っているので、安心してこう書けるのだ。

ケア・ワーカー

 とはいえ、奇妙な出来事が身近でおこる。
 夜明けに――といってもまだ暗いころだが、冗談ではなく、知らない男の顔が三センチぐらいのところにあり、「大丈夫ですか?」と訊いた。こんな状態で私が大丈夫なことはない。おまけに、相手の顔はむさ苦しく、髪はボサボサで、厚い眼鏡をかけ、要するに汗くさいのである。
 「ナースを呼びましょうか?」

 汗くさい男が訊く。私は黙っていた。ナースの方がいい、ということも、考えようによっては、否定されるかも知れない。(略)
 夜が明けてから迎えにきたナースにたずねて、私は汗くさい男の職種を知った。いわく、ケアワーカー。
 ケアワーカーは男女ともに存在しているが、男の方が目立つ。私の偏見では、この人々は〈スキマ産業〉の中で生きていると思う。彼らが異様に張り切って、汗まみれで、走って暮らしているように見えるのも、立ち止って考えられない存在だからである。他の病院で中年のケアワーカーに「走っていないと我々はクビになる」と恐ろしいことを告げられた。その病院では、その男だけが目立っていたが、第二のリハビリ病院であるR病院には、せわしないケアワーカーたちが複数いて、私をうんざりさせた。

二度目の骨折

せっかく帰宅できたのに、家でバランスを崩して骨折し、再入院。ようやく退院、という流れで

 床に倒れていた。なぜベッドの脚の脇に倒れているのか。そして治癒したはずの左足が不自然な形になっているのか。(略)

 すべては昨秋の出来事の繰り返しだった。

と風雲急を告げたところで次週に続くとなり、はじまった翌週はかなりホラーサスペンスな展開。

 二回目の〈事故〉ばかりは言いわけの仕様がなかった。
 私自身の記憶がないというのが、まず他人に信用されない根本であった。本当に事故の瞬間の記憶がないのだ。妻は立ち合っていなかったから、やはり無言だ。嘘でもいいから――と言って、本当に嘘では困るのだが、私がドジで失敗したという証言が欲しかった。
 致し方ない。開き直りと見えようが、私は記憶がないと言い続けた。少くとも、私の愚かな日常からほんの一コマのショットが抜けているだけだ。
 妻も、娘も、私を信じなくなるのが当然だと思った。もう誰も私を信用していない。――個室にこもってそう思いつづけるのは辛いことだ。それでも私は、仕方がない、と思った。妻も次女も私を信用しない生活――そういうものがあるのだ。耐えるしかない。
 本当に、そうだったのか、と自分に問いかけることがあった。誰にも言わないから話してごらん、絶対に言わないよ。
 それでも、私は話すことがなかった。次女は、呆れたのかも知れないが、私と握手してくれた。

(略)
 あの〈事故〉は何だったのだろう、と私は思いつづけた。二、三の人に打ち明けたところ、そういうことはある、と言われた。この病院を退院した人でも、戻ってきた人の多くはそんな事情だったらしい、と言われた。やや安心したものの、薄気味の悪い思いもした。もしそうだとしたら、私はまた似た事故を起し、憶えていない、と頭をかくのではないか。
 そっくりな感想を抱いているのは、次女のようであった。鋭いところのある彼女は、一瞬、ひやりとしたのではないか。
 いくら考えても、その光景が出てこないので、思いだすのを諦めた。病院の医師は苦笑を浮べて、また三ケ月なのかな、と言った。医師は、骨折よりも脳梗塞の再発を恐れているかに見えた。

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