東京少年  小林信彦

東京少年

東京少年

集団疎開、飢えて蛙喰い。地面に叩きつけ気絶させ

逆さにぶら下げ、後肢の末端の皮をつまんで、頭までいっきに剥いてしまう。シャツを裏返しに脱がせるような恰好なので、皮は薄いゴム状に伸びる。
皮をはがれた蛙は、ぶよぶよした桃色の肉に黒いビーズのような目がついた奇妙なものになるが、それでも思盧深げに目ばたきをしたりする。左手で押え、右手の人さし指を腹に突き立てて、色のついた泡のような内臓を抉り出す。これで蛙は死ぬのである。
バケツに汲んだ水でよく洗い、焼いて食べるのだが、盗んできた醤油でつけ焼きにするとうまいことがわかった。肉が付いているのは腿の部分で、ぼくたちは骨が白くきれいになるまでしゃぶった。

幻の戦果。<台湾沖航空戦>の大戦果が幻だったことを海軍上層部が知った時には、天皇による勅語発表寸前、そのまま勅語として発表され動かせない事実となる。

この〈怪しい戦果〉の事情を、海軍は陸軍に知らせなかった。これは、大本営内部における組織の問題である。
大本営陸軍部情報参謀の堀栄三少佐がここで登場する。
堀少佐の専門は〈米軍の戦術の研究〉であり、日本海軍の戦果発表に疑問を抱いていた。(略)
少佐はまず、報告されてくる戦果が、未帰還の搭乗員があげたものが多いのに気づいた。正確な数字はなく、〈根拠のない歓喜の波〉だけがある。堀少佐は宮崎県の新田原飛行場に戻り、大本営あてに〈直視した戦果〉の緊急電報を打った。海軍の戦果に疑いあり、という短い電文である。夕暮れと夜間の戦闘が多く、未熟な搭乗員たちが戦果の判断を見あやまったが、〈未帰還の搭乗員〉への〈思いやり〉から、上官たちはすべての報告を〈戦果〉にしていたのである。(略)
こうして、貴重な堀少佐の情報は、なぜか、葬られた。電文は陸軍電報綴りの中にも存在しない。
この時に電報を〈握り潰した〉のは、堀少佐によれば、大本営陸軍部作戦参謀だった瀬島龍三中佐である。「あの時、自分がきみの電報を握り潰した。戦後、ソ連から帰ったら、何よりも君に会いたいと思っていた」
かつて大本営の作戦参謀だった瀬島中佐は、「あれ(握り漬したこと)がこちらの作戦を根本的に誤らせた」とも明言した。
しかし、のちに出版された瀬島龍三回想録では、「台湾沖航空戦のころは自宅で静養していた」と述べ、さらに編集部の注として、〈握り潰し〉は堀氏の思い違いではないか、という言葉がそえられていた。

疎開先での飢えと寒さで、作者は友人と

「なんで、こんな目に遭わなきやならないんだ」
床の掃除をしながら早坂がぼやく。
「もっと強力な内閣ができなきゃだめだ」
「だれか、小磯さん(首相)を暗殺すればいいんだ」
他の者が口をはさむ。

こんな会話をしてたりもするだけれど、敗戦の際にはこんな熱い<疑問>を持つ。
「正しい者が負けることがあるのか」。小林信彦、当時13歳。こういう体験があると北朝鮮ネタでは笑えない。

ぼくの疑問とは---正しい者が負けることがあるのか、という一点だった。日本軍の正しさを毎日のように報道していた新聞が、その点に触れていないのが納得できなかった。
ぼくたちは、時としてシニックな口調になることはあったとしても、〈日本(軍)の正しさ〉を疑ったことは、一度もなかった。かりにこまかい嘘に気づいたとしても、それは〈正しさ〉を貫き通すための方法と思っていた。
正しい者が負けるとすれば、この世界は根本から崩れてしまう。悪が猖獗し、蔓延する。---それでも良いのか。そんなことが許されるのか。

世界がわからなくなっていた。しかし、それは誰にも言えないことだった。
ぼくが知りたいのは、あまりにも幼稚なことかも知れない。しかし、その核心がどうしても納得できなかった。
まず、<悪い方>が勝つ、ということがこの世にあるのか?あるのなら、あると、はっきり説明してもらいたい。
そして、現在、世界は、とりあえず、そうなっている。

友人に子供はどこから産まれると問われて「腹から」と答える13歳

「ちがうわね」
照れたように彼は答えた。
「じゃ、どこだい?」
「言ってええかね」
深刻な口調だった。
「ああ」
「ええかね。一度しか言わんからね。……女の人のあそこだわ、あそこ」
ぼくは息をつめた。耳のうしろを一撃されたようで、雨の音も山鳩の声も遠くなった。頭がからっぽになり、考えることがでぎない。言葉も出てこなかった。
しばらくして、ようやく、
「あそこかい?」
と低い声で言った。