他にも引用しようとしたのだが、なかなか難しくて。
再読なのだが、ロリコン云々のくだり全然記憶にない。
渋谷天外と藤山寛美
私の印象では、新喜劇の看板である〈涙と笑い〉を天外は必ずしも信じていないようであった。
「けど、シュールやナンセンス一本槍では、お客はつかんですわ」
と彼はききとりにくい早口で言った。脳出血で倒れるまえである。(略)
「自作自演ちゅうもんは私でおしまいやと思うとります。私は、まあ、自制力があった。しかし、これが外れると、お山の大将になりますわ。(略)
天外はもっぱら舞台裏の仕事に力を入れていた。劇作・演出・劇団の組織固め、などである。
私は三分の一ぐらいはききとれなかったが、アタマのいい人であるのがよく分った。
〈極道しなければ一人前の芸人になれぬなどは自己弁護の嘘の皮〉
〈主演役者が脚本書くなど狂人に刃物ともいえる〉
〈私は芸談というものにある疑義をもっている〉
等々、彼のエッセイ集は名言集、天外語録である。
(略)
このような良識が、役者莫迦である十吾との訣別の原因となったのではないか(略)
十吾の古風な芸人根性が、天外の組織者としての才能に反撥したという説に、私は同意したい。
[天外に代わり]<事実上の責任者>となった藤山寛美には大きな欠点があった。自分で脚本を書けないことである。
<役者>寛美にとって、そんなことは弱点でもなんでもない。しかし、<責任者=劇団運営>寛美にとっては、弱点となる。
(略)
寛美はつねづね、
「十吾先生は名人、天外先生は天才だと思います」
と語っていた。
香川登枝緒がぼくに、「あれは十吾のほうが天外よりえらいと言っているのだ」と<通訳>してくれたので、へーえ、と思った。これは通訳なしではわからない。
天外と反目したためでだけではなく、寛美は十吾に<芸の血脈>を感じていた。
[74年]
「小島秀哉がよくなりましたね」
と、ぼくは寛美に言った。
「そう、秀哉はようなった……」
香川がうなずいて、
「一皮むけたいうか」
とたんに、寛美が声を荒らげた。
「よくない! 秀哉はよくない!」
寛美が怒った顔をぼくは初めて見た。
フシギな話である。座員の演技が向上したとホメられて、座長が怒り出すというのは……。
座が白けた。
寛美は秀哉の演技が未熟な理由を、えんえんと述べ始めた。それは気分のよいものではなかった。(略)
「あの人は秀哉に新喜劇をのっとられると、本気で思とる」
渥美清、弘田三枝子
[台本を書いていた「シャボン玉ミコちゃん」出演を依頼]
「おたくが書くんなら出てもいいや」と言ってくれた。(略)本当は弘田三枝子の魅力に惹かれたのだと思う。
弘田三枝子は後年の〈弘田三枝子〉とは(ま、同一人物ではあるが)別人である。当時十五歳の弘田三枝子は仔犬のようにころころして、薮睨みの可愛い少女だった。(略)
ミコこと弘田三枝子はかなり変な十五歳だった。
スタジオの隅で、古今亭志ん生や〈「マック・ザ・ナイフ」を歌う雪村いづみ〉の真似をしてみせたかと思うと、ひとりで「ジョージア・オン・マイ・マインド」をロずさんでいた。
(略)
弘田三枝子は美人でないことにコンプレックスを持っていたと思われる。
「あの子の本当の才能はあの子にしかわからない」
と渥美清は呟いたが、これは自分のことを語ったのだろう。
(略)
「あの子のおしっこを飲めといえば、おれは飲むね」
彼はとんでもないことを言いだした。
「ただし、銀のスプーンでなきゃいやだ。安いコーシー屋のさ、人が噛んだあとがある凸凹のスプーンだったら、俺は断る」
そこまで入れ込んでいるから出演OKになったわけで
清純なもの、自分が触れてはいけないようなものへの憧憬があった。たとえば、少女への憧れである。
こう書くと、ロリコンですか、と訊く人がありそうだが、そこは徴妙に違う。(略)
渥美清は二枚目意識を持っていた。後年、佐藤蛾次郎が指摘した通り、渥美清は主観的には〈二枚目〉だったのである。フーテンの寅を演じるはるか以前から。
同時に、彼は自分の顔が醜いという意識も持っていた、とぼくは思う。
「おれの顔も、おかしいなりに、さまになってきたな」
という呟きでもわかるが、実は、この当時はまだ、〈さまになって〉いなかった。(略)
若き日の渥美清の顔は、おかしいというよりは、いかつくて、怖かった。
しかも、彼は無垢で清純なものに憧れていた。それはたまたま〈少女〉という形をとったが、別のなにかでもよかったのだと思う。(略)
渥美清は自分がお花畑のような所を少女と散歩する、CMみたいな絵柄を本気で考えていたふしがある。それは、いってみれば、彼をとりまく現実、育ってきた環境と正反対の世界である。
この夜、何を考えたのか、弾かれたように、こう言った。
「おれは現実が厭なんだよ。とても耐えられないよ。だから、結婚もできないんだ」
同業者のねたみ、渥美の殺気
「おれたちの世界は食うか食われるかだから。おれへの風当りはこれから強くなると思うよ」(略)
「ねたみが憎しみに変ってるね。このあたりに……」と彼は首筋を軽く叩いて、「そういう視線を感じてますよ。灼きつくようなやつをね。おれが普通の人間じゃないことを知らないんだ」
「普通じゃない?……」
「キチガイだからね、おれは」
ぼくは不安になる。渥美清は細い目でぼくを見つめた。
〈キチガイ〉というのは彼独特の表現であり、業が深いということである。
(略)
[伴淳三郎のひどいいやがらせに]
「さすがに、かっとなった。おれも以前(まえ)が以前だからよ。よっぽど、やってやろうかと思った」
ぼくの笑いは凍りついた。
相手の過去を全く知らないから、〈以前〉という意味がわからなかった。
〈やってやる〉も〈殺ってやる〉に思えた。渥美清の全身から吹き出るのは殺気以外のなにものでもない。
(略)
「おれには特技が二つあるんだ」
渥美清はうかがうようにぼくを見て、
「一つは口跡よ。仁義を切る時の口跡がいいというので親分にほめられた」
ぼくは身を硬くしている。いったい、この男は何者なのか?
「もう一つはな。おれが他人の家の玄関にすっと立っただけで、相手は包んだ金を出したんだ」
- ビデオのない時代に、黒澤『野良犬』の河村黎吉(女スリを待つシーン)や志村喬(三船を自宅に招いたシーン)の物真似をしてみせる渥美
テレビ衰退
昭和28年から膨脹しつづけた民放テレビの城壁がゆらぎ始めたのは昭和40年代の半ば近くであり、昭和45年にはTBSとフジテレビが、制作を分離するという方法で経営の合理化に踏み切った。