- アリステア・テイラー
- 遭遇
- 契約
- 苦戦する売り込み
- ジョージ・マーティン
- 「ラヴ・ミー・ドゥ」
- 「プリーズ・プリーズ・ミー」
- ジョンとブライアンの旅行
- 狂騒
- 野望
- アメリカ制覇
- 『ハード・デイズ・ナイト』
メンバーに愛情があるから読後感は爽やか。
ビートルズシークレット・ヒストリー―まるで今ビートルズがここにいるみたい
- 作者:アリステア テイラー
- 発売日: 2003/11/01
- メディア: 楽譜
アリステア・テイラー
[2000人の関係者が登場する重さ3.3キロの『ビートルズ・アンソロジー』本に彼の名前は登場しない]
ビートルズの最初の契約書に名前を連ねたもうひとりの人物。彼は、ビートルズのミスター・フィックスマン(何でも屋)として、飛行機の便を手配し、父親認知の問題を片づけ、金を貸し、悩みごとの相談相手になった。ファブ・フォーに代わって島や車や邸宅を購入した。ジョンから熱心にLSDを勧められても屈しなかった。バンドを辞めようとしたジョージを必死で説得した。(略)ジェーン・アッシャーにふられ、ひどく落ち込んでいるポールをなぐさめた。
彼の名前は、アリステア・テイラー。ビートルズのオフィシャル・ストーリーに名を残すことはなかったけれど、荒削りの才能を育てあげ、世界をアッと驚かすようなバンドを世に送り出したいというエプスタインの若き日の夢を、一緒になって追い続けた男である。現在、アリステアは生活保護を受け、過去の思い出とともに暮らしている。かつて、ブライアン・エプスタインからビートルズの報酬の2.5%を支払おうと提案されたとき、アリステアは辞退した。この金額を推測するのは難しいが、数年前、信用できる人物からこう言われたという。君は、1億5000万ポンドもの契約を棒に振ったんだぞ。
遭遇
そのころ、ビートルズの「マイ・ボニー」のレコードはないかって聞いてくる客があまりにも多くて、僕は「ありません」って答えるのにいささかうんざりしていた。それで、適当な名前をでっちあげてレコードを注文したんだ。ブライアンは正規の注文しか受け付けなかったからね。もちろん、ちゃんと注文されれば、そのレコードが世界のどこかにあるかぎり、必ず手に入れるっていうのが彼のポリシーだったけどね。
レイモンド・ジョーンズって男が店にやってきてビートルズのレコードはないかって聞いた話は有名だけれど、それって僕がでっちあげた名前なんだ。
(略)
[入荷した25枚は2時間で売り切れ]
1000枚以上も売れたあと、僕たちはポリドールに電話して、異常な事態になっていることを説明しようとしたんだけれど、向こうはさほど興味を示さなかった。田舎の無名のレコード店で爆発的に売れているなんて話は、どうでもよかったのさ。
でも、ブライアンはビートルズっていうグループに好奇心をそそられた。2、3週間経ったとき、店にやってきたブライアンが僕に言った。「例のビートルズっていうグループのレコード、覚えてるだろう?このあたりのキャバーンっていう店に出てるらしいんだ。君、この店がどこにあるか知ってるかい?」
すぐ近所だよ。ここから200メートルも離れていない!僕は、よくキャバーンに通っていたんだ。以前はこういう音楽をやる店じゃなくて、ジャズ・クラブだったからね。
(略)
ビートルズ伝説のなかに、ブライアン・エプスタインがキャバーンに来ていることをディスクジョッキーのボブ・ウーラーがアナウンスしたとか、前日にブライアンが電話でVIP席を用意するように言ったとかって話があるけれど、みんなでたらめだよ。僕たちは、ちょっとのぞいてみようってぐらいの気分だったんだから。ブライアンは、いわば気まぐれでビートルズを見に行ったんだ。
(略)
キャバーンはとにかく汚い店だった。ジャズ・クラブだったころに比べると、明らかに落ちぶれていたよ。湿気が水滴になって壁をつたっているし、かつて野菜倉庫だったときの悪臭がまだ消えていなかった。店内は蒸し暑くて息苦しかった。
(略)
ブライアンも僕もポップ・ミュージックは好きじゃなかった。うるさいし、暴力的だし、サウンドというより騒音に近かったしね。(略)
ビートルズは4人とも黒いTシャツ、黒い革パンツに革ジャンというスタイルで、我を忘れて暴走してるって感じだった。(略)
ところが、気がついたら僕はいつのまにか、足でリズムを刻んでいたんだ。(略)こんな粗っぽい不良たちの音楽に魅力を感じるはずはないと思っていたのにね。彼らは、僕が学生時代にいつも避けていたような連中だった。つまり、他人にかまわず自分勝手に行動するトラブルメーカーだよ。だけど、どこか素朴な感じがする彼らの魅力を僕は否定できなかった。
(略)
ビートルズは5曲しか演奏しなかった。「マネー」「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」「蜜の味」「ツイスト・アンド・シャウト」、歌のひどさはどれも比べようがなかった。僕がおやっと思ったのは、ポールが「最後に僕とジョンが作った曲をやります」と言ったときだ。曲は「ハロー・リトル・ガール」。ホップ・ソングにしては、かなり良くできていると思った。でも、ビートルズはこの曲を一度もレコーディングしていない。何年かして、やはり僕たちがマネジメントしていたフォアモストというグループがこの曲をリリースし、みごとに大ヒットさせたけどね。僕とブライアンは、ちらりと視線を交わした。演奏するだけじゃなくて、曲も作れるってことがわかったからだ。自分たちで曲を作っているバンドは、当時ものすごくめずらしかったんだ。
契約
ブライアンは実に手際よく事を進めた。(略)キャバーンの出演料は、ワンステージ3ポンド15シリング。(略)ブライアンはすぐさま、ひと晩15ポンド以下の仕事はさせないと断言し、キャバーンのランチタイム・セッションの出演料もアップしてもらえるように交渉すると約束した。ブライアンはこの約束をあっというまに果たした。ギャラが10ポンドに跳ね上がったんだ。1961年にしては画期的な金額だった。(略)
[さらに楽器店への200ポンドの借金を全額返済]
ジョン・レノンが買った自慢のヘフナー・クラブ40のギターと、ジョージ・ハリスンが買ったフュチュラマのギターと、ポール・マッカートニーが買ったアンプの未払金だった。単純なことだけど、この一件で、ブライアンはビートルズとの絆を一気に深めたんだよ。(略)
4人をバーケンヘッドのテイラーに連れて行った。(略)モヘア織りのスーツで一着40ポンド。もちろんブライアンが支払ったけどね。スーツを着ろと言われたとき、目を丸くしてうなずいた4人の表情は、今でも忘れないよ。あとになってビートルズは、スーツを着ることについては僕らとブライアンはまったく意見が合わなかったと語っているし、ジョンは嘲笑するように、売り払おうと思ったと言っている。でも、僕が覚えているかぎり、ビートルズの反応はそれとはまったく逆だった。
4人は、とにかく早く認められて有名なバンドになりたいって思っていたんだ。仮にブライアンがビルの屋上からバケツに飛び込めって命令したとしても、彼らは「うん、いいよ、バケツはどこ?」って答えただろうね。ブライアンは正しいし、自分たちの希望をちゃんとわかってるって信じていたからさ。
でも、こと音楽に関しては、ブライアンはいっさい口を出さなかった。
(略)
僕らはマージー河を渡るフェリーに乗り込んだ。まるで、ふたりの私服警官が4人の不良少年を連行しているみたいだったよ。僕とブライアンは、4人のことを少しずつ理解し始めていた。ともかく契約を交わしたわけだから、僕らは対等な立場だったんだ。リーダー格がジョンだってことはすぐにわかったけれど、4人の会話ときたら、ジョークや皮肉やブラックユーモアばっかりで、自分たちだけに通じる言葉で話すんだよ。
(略)
初めてオーダーメイドのスーツを作るっていうんで、4人とも大はしゃぎだったよ。(略)ビートルズはぽかんと口をあけながら、高級店のみごとな内装に目を奪われていたよ。テイラーなんて、バートンの店のショーウィンドウをちらりと眺めるぐらいしか縁がなかったはずだからね。ブライアンはてきぱきと生地を選び、スタイルを決めた。黒い革ジャンの少年たちが、洗練されたダークブルーのスーツを着込むことになったんだ。
お客としてちやほやされた4人は大喜びだった。(略)
髪を切った翌日の午前中、リバプールで最高級の仕立て屋を訪れた4人は、買ってもらった洋服の包みを自慢げに抱えて戻ってきた。まるで、クリスマス・プレゼントの包みを早く開けたくて、大急ぎで帰ってきた子どもみたいだったよ。ひとりひとりに数枚の真新しいシャツとネクタイ。4人ともこんな格好をするのは初めてだったから、着こなせるようになるまで、しばらく時間がかかったけどね。どんなスタイルと色のシャツにするか、どんなネクタイを合わせるか、選んだのは全部ブライアンだ。この買い物をいちばん楽しんでいたのは、本当はブライアンなんだよ。
ビートルズのまわりには特別な空気が漂っていた。とにかく陽気で、ふざけるのが大好きで、元気があり余ってるって感じなんだ。できるものなら、彼らのエネルギーを瓶詰めにしたいぐらいだった。
苦戦する売り込み
レコード店で成功していたので、バンド売り込みも簡単だと思っていたエプスタインだったがEMIを筆頭にどこにも相手にされず焦る。デッカには契約してくれたら5000枚購入すると提示したが結局駄目。
ディック・ロウの決断は、のちに彼をさんざん後悔させる結果になったけれど、僕自身は、彼に怒りを抱いたことは一度もなかった。少なくとも彼は、ビートルズをロンドンまで呼んでくれて、演奏を見てくれたわけだからね。浮浪者みたいなローリング・ストーンズと契約したときは、みんなからバカにされたけれど、結局、彼には先見の明があったのさ。
でも、ビートルズはそれほど寛大じゃなかった。何年かして、ディック・ロウが自分たちを蹴ってブライアン・プールとザ・トレメローズと契約していたってわかったとき、ポールはこう言った。「あいつ、今ごろ後悔してもしきれないだろうなあ」。ジョンはもっと辛辣だった。「後悔しすぎて死んじまえばいいんだよ」
ジョージ・マーティン
相次ぐ売り込みの失敗でビートルズからの信頼も揺らぎ始め、父親からは店を疎かにしていると怒られ、ついにEMIに取引を中止すると脅しをかけてジョージ・マーティンと録音できることに。
ブライアンは、レコード会社との交渉はこれで最後だと考えていた。(略)
僕はブライアンを元気づけるために、ジョージ・マーティンこそ僕たちが待ち望んでいた人物かもしれないじゃないかと言って励ました。(略)
「僕たちはレコードを売ることに専念すべきかもしれないな、アリステア?(略)どうやらレコードの制作には向いていないようだ」
もう1回だけトライしてみる価値はあるよ、僕はできるだけ明るく、精一杯の力を込めてブライアンに言った。(略)
ジョージ・マーティンに会う前の晩、ブライアンはハムステッドのおじ夫妻の家に泊まった。(略)
ブライアンは、ジョージ・マーティンに会う前から、この交渉を半ばあきらめていた。「どうすればいいかな?」。ブライアンはおじさんに聞いた。「まだひとつ約束があるけど、どうしたらいいかわからないんだ。すっぱりあきらめてリバプールに帰るべきかもしれない」(略)
[おじさんは]思慮深くこう言ったんだ。「最後の約束なら、それだけは守りなさい」
(略)
クラシック畑のジョージ・マーティンにしてみれば、ビートルズの才能は認めたものの、リバプールの4人の若僧たちのレコーディングに積極的になれるはずはなかった。エプスタインとの取引きを失いたくなかったEMIの上層部が、マーティンにプレッシャーをかけたんだ。僕とブライアンは、いざというときのために、NEMSでEMIの3つのレーベル、つまりHMV、パーロフォン、コロムビアをどうやって切り捨てるかまで話し合っていた。
(略)
「ビートルズ、EMIのパーロフォン・レーベルとのレコーディング契約成立。最初のレコーディング日程は6月6日」。このニュースは、あっというまにリバプール中に知れわたった。ビートルズは、ついにやったのだ。
でも実際には、これはレコーディング契約ではなくて、オーディションだった。メンバーたちは、すぐにそのことを悟ったよ。
(略)
[だがそれきり連絡はなく]
「電話をくれるって約束したんだよ」。ブライアンは怒鳴った。「何でかけてこないんだ? まったく、どうなってるんだ?」(略)
ブライアンは日増しに感情的になっていった。涙をぼろぼろ流しながら、「なんで電話をかけてこないんだ?」って訴えるんだ。もちろん、ビートルズの4人はこんなエプスタインの姿を一度だって目にしたことはなかったよ。
(略)
ジョージ・マーティンからついに、待ちに待ったレコーディング・セッションの電話がかかってきたのは7月の終わりだった。ブライアンはジョンとポールにその話をし、ふたりはジョージに伝えた。でも3人ともピート・ベストには黙っていた。ピートは自分たちのドラマーにふさわしくない、そう決めたからなんだ。
ブライアンの話では、ジョージ・マーティンはピートを評価していないし、ほかの3人も彼のビートは自分たちの音楽に合わないと思っている、ということだった。ブライアンは今のままバンドを続けていくように説得したけれど、3人は、ピートは自分たちとやっていくには保守的すぎると考えていたんだ。ピートは、ジョンとは仲が良かったけれど、ポールやジョージとは親しくなかった。ピートを辞めさせてほしい、3人は結束してやってくるとブライアンにそう頼み込んだ。
(略)
ファンは快くは受け入れてくれなかった。しばらくのあいだ、リバプールのビートルズ・ファンはこぞって抗議したよ。ブライアンはビートルズをキャバーンから遠ざけた。オリジナル・メンバーを望んだ熱狂的ファンたちが「ピートを戻せ、リンゴは消えろ」って書いたプレートを掲げ、大声をはりあげて、あやうく暴動になりそうだったからだ。ブライアンはがっしりした体格のボディガードを雇ったけれど、ボディガードがいなかったジョージは、興奮したファンに殴られて目に青あざをこしらえたよ。
「ラヴ・ミー・ドゥ」
まだ全国的に注目されるには至らなかった。でも、発売から1週間後、『レコード・リテイラー』誌の売上チャートの49位にランキングされたんだ。そのときのメンバーたちの喜びようといったら尋常じゃなかったね。あんなにうれしそうな顔は、それまで見たことがなかったよ。
ジョンがぼーっと立ち尽くしてチャートを眺め、僕の顔を見て言ったんだ。「僕らのレコードが売れてる。現実の社会の人たちが僕らのレコードを買ってるんだよ」って。(略)
ジョンが鼻歌で「よんじゅうきゅうい〜」って歌い続けていたのを今でも思い出すよ。
「プリーズ・プリーズ・ミー」
ミッチ・マレーが「ハウ・ドゥ・ユー・ドゥ・イット?」という可愛らしい曲をジョージ・マーティンのところに持ち込んできた。マーティンが間違いなくヒットすると太鼓判を押すから、ビートルズはためしに演奏してみたんだけれど、気に入らなかったんだ。代わりにこの曲を演奏したジェリー・マースデンは、みごとにナンバーワン・ヒットを放ったよ。でも、ビートルズは悔しがったりしなかった。ある晩、ジョンはきっぱり言ったよ。「ナンバーワンになっても、くだらない曲はいっぱいある。僕らは、くだらない曲はやらないんだ」(略)
ジョージ・マーティンは激怒して大声をあげた。この曲に不満があるならヒットする曲を作ってこい、今すぐにってね。
その答としてビートルズが作った曲が「プリーズ・プリーズ・ミー」だ。彼らの運命を変えた曲さ。
(略)
でも、リバプールの熱心なファンたちは、ビートルズが全国的に有名になったことを喜ばなかった。マージーサイド以外で活動するようになれば、大好きなグループをそう頻繁には見られなくなるのを知っていたからだ。キャバーンで初めてビートルズの曲がナンバーワンになったことが告げられたとき、客たちは石のように黙りこくってしまったらしいよ。
ジョンとブライアンの旅行
が招いた疑惑をきっぱり否定
この旅行については、いろんな人間がさまざまな作り話をでっちあげているけれど、真実と言えるのは「旅行した」という事実だけだ。(略)
次々と流れてくる噂を耳にして、ジョンは腹を抱えて大笑いしたよ。自分とブライアンがゲイの恋人同士だっていう話を聞くと、おもしろがってわざと煽るようなことを言うんだ。ジョンは世界一の大ほら吹きのひとりだったからね。その後、ふたりで腹を割って話したときに、ジョンは僕に、ブライアンから誘惑されたことは一度もなかったって打ち明けてくれた。ジョンは、ブライアンがじろじろ眺めていた若い男たちや、ブライアンの部屋を探してうろうろしていたおかしな男たちの話をして、ブライアンをからかったらしい。(略)
「真剣に迫られたら、僕はたぶん彼の望みどおりのことをしていたかもしれない。正直なところ、いつ迫られるかってすごく恐かったんだ。だからある晩、僕のほうからブライアンを誘ったんだ。でも、ブライアンはそんなこと望んじゃいなかった。うそじゃない。僕は少しばかりおどけて、ブライアンをその気にさせようとしたんだよ。でも、ふたりとも本心じゃないってわかったのさブライアンが求めていたのは、一緒に笑い合えて、人生の手ほどきをしてやれる友だちだったんだ。ブライアンが相手にしていた男たちは退屈な連中ばかりだったし、ブライアンもそのことはわかっていた。僕はどんなに気がふれたとしても、男とセックスはできないよ。ただ寝そべって、好きになようにさせるのだって嫌だ。ブライアンみたいなナイスガイでもね。想像しただけで胃がむかついてくるよ」
(略)
その後、バルセロナに行く途中でジョンがブライアンと寝たことを告白したという自称「ジョンの友人」が何人か出てきたけれど、僕は信じていない。何年も経って、メンバー間の辛辣な関係が続いてジョンとの仲がすっかり冷え切ったあと、ポールはインタビューで、ジョンからブライアンとの関係を打ち明けられたことは一度もなかったと語っている。もし、何らかの関係があったとしたら、ポールは絶対に知っていたはずだ。話すことが何かあったとすれば、ジョンが真っ先に打ち明ける相手はポールしかいない、僕はそう確信している。そのあとに起きたことがどうあれ、その当時、ジョンとポールほど親密だった男の友情関係を僕はほかに知らない。初期のビートルズのメンバーたちは、4人とも岩のように結束が固かった。それが彼らの成功の秘訣だった。でもジョンとポールは、まるで兄弟のようだった。しかも、どんな兄弟よりも、はるかに親密だった。
僕がジョンにスペイン旅行のことを聞いたのは、ブライアンには直接聞けなかったけれど、何があったのか知りたかったからだ。僕は、ブライアンがいわゆる「低階級のゲイ」と呼ばれるような男の子たちに弱いことも知っていた。ブライアンが厄介な問題に巻き込まれるのは、いつだって、本質的に粗野で魅力のある少年を自宅やホテルに連れ込むからだった。僕はジョンも、この手の少年の部類に入ると思ったんだ。ジョンは確かに粗野な少年だったけれど、ブライアンとビートルズの関係は、ブライアンにとって性的な関係よりも、もっとずっと深くて大切なものだったのだと僕は思う。ブライアンはビートルズを愛していた。メンバー全員を愛していた。でも、ホモセクシャルとしてではない。それだけは断言できる。
(略)
[ビートルズを成功させることが]自分の使命だと思ったブライアンが、ジョンを怒らせて関係をこじらせるようなことをするはずがない。ビートルズの魅力はジョンだって、ブライアンが口癖のように言っていたのは、ジョンの才能に心から惚れ込んでいたからなんだ。(略)
いずれにせよ、ブライアンがジョンと性的な関係を持つことを望んでいたとすれば、おおっぴらにジョンと旅行に出かけるなんてことは絶対にしなかったはずだ。僕も何度か、よく働いてくれたお礼にってブライアンから旅行に誘われたことがある。旅行はブライアンの感謝の気持ちなんだ。僕たちはいつも別々の部屋に泊まったし、ブライアンが夜中に僕の部屋をノックするんじゃないかって不安に襲われたことは一度もなかったよ。(略)
[ずっと一緒に働いていたが]ブライアンがゲイだってことを具体的に見せつけられたことは一度もないんだ。当時は今と違ってホモセクシャルは違法だったし、他人に知られてはならない秘密だった。ブライアンは、世間的には自分はゲイだと思われていないって信じていたよ。そのことに関しては、慎重すぎるぐらいに神経質だったからね。ビートルズのイメージを何より大切にしていたし(略)
ジョン・レノンに「オカマ」のレッテルが貼られるなんて、ブライアンにしてみれば言語道断だったのさ。
(略)
ブライアンがジョンをスペインに連れて行ったのは、ブライアンの情熱の対象をジョンにも見せたかったからだ――そう、闘牛ショーさ。ブライアンが愛してやまなかったのは、鮮やかな色彩と凶暴性に満ちた、身の毛もよだつような壮絶な戦いだ。ブライアンは、ジョンもきっと感動すると信じていて、実際そのとおりになった。最初、ジョンは闘牛を観ることを拒んだらしいけれど、ブライアンはどうしてもって説得したんだ。案の定、ジョンは純粋な真剣勝負に夢中になり、血が飛び散ってもまったく気にしなかった。
ブライアンに聞いた話だけれど、ジョンは夫と一緒に観光していたアメリカ人の女性を誘惑したそうだ。(略)
[トイレに行った美人妻を追ってジョンも席を立ち長い間戻ってこなかった]
「ふたりが席に戻ってきたとき、何かあったなっていうのは明らかだったよ」。ブライアンは言った。「ジョンが先に戻ってきて、そのすぐあとで、妻が頬を真っ赤にして戻ってきたんだよ。(略)驚いたねえ。でもあの夫婦、ビートルズをまったく知らなかったんだ」。(略)
ポールの21歳のバースデイ・パーティーのときだ。ディスク・ジョッキーにスペイン旅行の件でからかわれたジョンは、軽く受け流せなかった。(略)ジョンの話では、DJに「オカマ」呼ばわりされたらしい。すでにかなり酔っていたジョンは、いきなりDJに襲いかかって殴り倒したんだ。(略)肋骨が3本折れていた。(略)
あいつ、骨休みが欲しいって言うから一発見舞ってやったのさってね。「誰にもオカマなんて呼ばせない」とジョンは言った。「ブライアンを中傷することも許さない。僕がそばにいるかぎりね」
狂騒
どこに行っても必ずファンにもみくちゃにされたし、自宅の外には昼夜かまわずファンがテントを張っていて、4人の言動をくまなく監視しているんだ。僕がこんな状況に追い込まれたら、絶対にドラッグか麻薬に手を染めていたと思う。ビートルズの場合は、4人だけの別世界に逃げ込むことが多かったけどね。正真正銘のスーパースターになるという奇妙な体験を、4人で共有できたのは幸運だったよ。ビートルズがソロだったとしたら、間違いなく気が狂っていただろう。あの気の毒なエルビスみたいにね。
ビートルズはよく言っていた。僕らは箱の中で生活しているんだってね。(略)
[楽屋、コンサートホール、飛行機という箱に]
僕らの箱はどれも、僕らを見て悲鳴をあげる人たちに囲まれています。だから僕らは、箱の外には出られないのです」
最初、この話は単なるジョークだったけれど、ビートルズの人気が急上昇するにつれ、彼らの生活はますます包囲され、閉じ込められていった。僕は恐かった。でも僕は、NEMSを辞めさえすれば恐ろしい悲鳴のスイッチをオフにできるんだと思うと、少し安堵した。ある晩、ジョンはあきらめたように言った。「問題は、僕らは絶対にビートルズと関係を切れないってことだ。このばかばかしい事態から逃げるには、バンドを解散するしかないんだよ
野望
ブライアンは言った。「あいつらがどれほど成功したがっていたか、僕は本当の意味でわかっていなかったんだ。もちろん成功したいって言っていたけど、僕のほうが、その思いはずっと強いって思い込んでいたのさ。(略)
「スペインに行ったとき、ジョンが僕に言ったんだ。成功する前に僕らを見捨てるなんてことないよねって。ジョンは、僕がいろんなおもちゃと遊んで、飽きたら捨てるようなプレイボーイだと思ったんだろう。僕がどれだけ全力を注いでいるか伝えようとしたら、笑ってたけどね。ジョンは、冷酷というほどではないけど、冷ややかな口調で言ったよ。あんたみたいな金持ちのアホ野郎には、成功したいって野望がどんなものかわかりゃしない。あんたには、いざとなれば家業があるけど、僕には家族すらいないんだからってね。シンシアと赤ん坊のことが頭をかすめて、ちょっと胸が痛かったよ。
(略)
[自分の夢をバカにして嘲笑した]アホ野郎どもを見返してやるって、ジョンは何度も何度も言ったよ。ジョンは僕が思っていた以上にビートルズを成功させたがっていた。人前では決してまじめな素振りを見せなかったけど、誰よりも強く成功することを望み、誰よりもまじめに取り組んでいたのは、ジョンなんだよ」
アメリカ制覇
「万事うまくいってるよ」ブライアンは穏やかに答えた。「『エド・サリバン・ショー』の依頼を断った」(略)
「まだその時期じゃない」(略)
ブライアンは厳しい口調で続けた。「アリステア、決めのレコードがなきゃだめなんだよ」(略)
[しばらくして聴かされたのが]
「抱きしめたい」の試聴盤だった。曲を聴いて、僕は完全に打ちのめされた。だから、そのとおりにブライアンに伝えた。
ブライアンはにんまり笑うと、黒い大きな革張りの椅子にどっかと腰をおろして、こう言った。「さあ、アメリカに突撃するぞ!」。これこそブライアンが求めていたもの、アメリカ制覇のための「決め」のレコードだったんだ。今思っても、ブライアンは天才マネージャーだったよ。正真正銘のね。
(略)
[サリバンがヨーロッパに新人発掘に来た際に空港でビートルズ騒動を目撃]
新進アーティストのコーナーで紹介したいと提案したんだけれど、ブライアンはそんな半端な出演では困ると主張した。トップゲストとして出演させてくれるなら、最低額のギャラでビートルズを出演させてもいいと言ってね。
(略)
衝撃的なラジオ広告「ビートルタイム」がニューヨーカーの目覚まし代わりになり、ティーンエイジャーたちがヨーロッパの超人気バンドに興味を持ち始めると、ビートルズが『エド・サリバン・ショー』に登場することは出演前からアメリカ中の大きな話題になった。
アメリカに到着し、すぐさま盛大な歓迎を受けたビートルズは心から感動した様子だった。(略)
ジョンはアメリカ訪問にかなり慎重だった。クリフ・リチャードでさえアメリカでは失敗したことを知っていたし、ビートルズの前途を台無しにしたくなかったからだ。ジョンは出発の直前まで、僕らがアメリカに行くのはLPを何枚か買って、あちこち観光するためだって言っていた。だけど、「抱きしめたい」の爆発的なヒットで状況が一変したんだ。
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リンゴ
アメリカ人にことのほか気に入られたリンゴは上機嫌だった。おどおどした愛嬌のある顔が、アメリカ人にはひどく魅力的に見えたらしい。リンゴは、ジョンやポールを差し置いて自分が突然いちばん注目されたことに驚いていた。(略)
アメリカを気に入ったいちばんの理由は、僕のことをステージのうしろにいる奴じゃなくて、ちゃんとドラマーとして扱ってくれたからなんだ」
サウンズ・インコーポレーテッド
オーストラリア・ツアーは大成功だった。20万人以上の観客を動員し、どの会場でも過去最高の収益をあげた。真夜中に給油のために北部の田舎町ダーウィンに内緒で立ち寄ったときでさえ、どこからか極秘情報を聞きつけた数百人のファンが自分たちのアイドルをひと目見ようと集まってきた。意外にもビートルズのオーストラリア・ツアーは一度きりだったけれど、このとき共演したサウンズ・インコーポレーテッドはオーストラリアで驚異的な人気を集め、そのあともツアーを繰り返した。完全なインストゥルメンタルのバンドだったけれど、異常なほど売れたんだ。
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『ハード・デイズ・ナイト』
はすばらしい映画だ。大成功の旋風にめまぐるしく翻弄されながらも、ジョンとポールがあれほどすぐれた曲を作り上げたことを思うと、僕は今でも胸がつまる。(略)メンバーたちはある意味、不満なところもあったようだけど、僕は当時の狂気じみたユーモアがよく反映されていると思う。(略)
当時、ブライアンがアーティストたちに与えていたプレッシャーは想像を絶するものがある。とにかく働かせて、働かせて、働かせたんだ。ビートルズはイギリス国内で多数のステージに出演し、スウェーデン公演をこなし、それから初めての全米ツアーに挑戦した。ブライアンと僕が立てたスケジュールは、34日間で24都市をまわり、26の会場で32回のショーをするというものだった。今のバンドにこんな過酷な条件を提示したら、ショックですぐさま気絶しちゃうだろうね。
でも、ビートルズはやり遂げた。不満をもらすこともなかった。長年、ハンブルクで安いギャラで苦労してきた結果、ようやく手に入れた成功だったからだ。
車椅子の子供達
やがて、どのコンサートでも、車椅子の子どもたちを優先的に入場させるというのが習慣になった。もちろん、純粋な思いやりからだった。ところが驚いたことに、ビートルズのメンバーに触れてもらった子どもは病気が治るって、親たちが本気で信じ始めたんだ。実にばかげた話だよ。僕は言いようもなく胃がむかむかした。親たちは体の不自由な子どもを楽屋に入れるために必死だったんだ。(略)子どもたちを廊下におとなしく並ばせると、二ール・アスピノールは楽屋に入り、ビートルズの気を引くために、わざとジョンみたいな口調で叫ぶんだ。「さあ諸君、麻痺の時間ですよ」ってね。ビートルズもニールもうんざりしていたよ。みんなブラックユーモアで本心をごまかしていたけれど、ポールは僕に打ち明けた。障害のある子どもを楽屋に連れてくるような人間は大嫌いだってね。
「初めは純粋な好意だったよ」。ポールは言った。「普通と違う運命を背負った子どもたちに、いちばん良い席を提供するのは全然かまわない。問題は、それだけで終わらないことさ。ショーの前に楽屋に来て、僕らに会いたがるってこと。しかも、僕らの手で病気が治ると思い込んでいる。体が不自由だろうが健康だろうが、僕らは子どもたちをだますようなことはしたくないんだ。ジョンだって犠牲者さ。障害者のふりをしたり辛辣なジョークを言ったりするのは、あいつがいちばん繊細で、いちばん心苦しく思っているからなんだよ。でも、少しでも協力を拒むような素振りを見せれば、新聞に何を書きたてられるかわからない。ビートルズに触れば病気がよくなるなんて子どもたちに言うのは、残酷としか言いようがないね」
次回に続く。ジョンがブリジット・バルドーと!?他。
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