ビートルズシークレット・ヒストリー・その2

前回の続き。

4人の熱意

 ビートルズは自分たちの音楽について驚くほど熱心だった。セッションをするのは大抵夜で、明け方まで続くこともしょっちゅうだった。早朝、アビイ・ロードの第2スタジオで僕のまぶたがくっつきそうなときでも、4人はひたすら曲作りに専念していた。率先してやっていたのはもちろんジョンとポールで、ジョージとリンゴが担当するパートは忘れられたり、ないがしろにされることが多かった。だからこそ、4人で協力し合うことが何より重要だったんだ。自分たちが完璧に満足できるサウンドになるまで、それこそ何度も何度も何度もやり直していたよ。音楽を作ることで4人はエネルギーを蓄えている。そんな感じだった。
 午前2時、僕は疲れきっていて今すぐにでも家に飛んで帰りたいのに、4人はさらに新曲にとりかかろうとするんだ。4人とも、自分たちが創造している音楽の世界に完全に浸りきっていた。自分たちはビートルズだからすばらしい曲を作らなきゃいけない、そういう使命感とは違うんだ。どちらかというと「そのメロディ、すっごくいいよ。ちょっとやってみようぜ」みたいなノリだ。スタジオにいるときの4人は生き生きしていて、本当に楽しそうだった。
 よく覚えているのは、メンバーのひとりが大声をあげてジョージ・マーティンに頼んでいたことだ。もう1回やりたいんだけどってね。マーティンの疲れきった表情から、彼がもう十分な出来だと思っているのは明らかだったけれど、それでも彼は精一杯の熱意をふりしぼって「いいよ」って答えていたよ。どこも悪くない完璧なバージョンが仕上がっても、4人はもっと良くできるかもしれないってがんばるんだ。何度も何度もね。やがてマーティンが感嘆の声をあげる。想像以上にすばらしい曲になるから感動するのさ。(略)
 エキサイティングなビートルズの初期時代、ジョンとポールはバンドのリーダーであるとともに、もっとも絆のかたい親友どうしだった。初期のふたりの対立をああだこうだと論じる人間もいるけれど、ほとんどは無意味だ。確かに言い争うこともあったけれど、僕にはジョンとポールがジョージとリンゴを引き連れて、自分たち以外の世界中の人たちと対立しているように思えた。いちばん誤解されていたのはジョン・レノンだろう。彼が聖人だったとは言わないけれど、僕にとってジョンはとてつもなく優しい男だった。でもジョンは頑固者で、女に冷淡で、ブライアンに辛辣だっていう自己イメージを作りあげていたんだ。心優しい男になれたはずなのに、他人を嘲笑するひねくれものになった。ジョンは世界最高の風刺家だったと僕は思う。

ジェーン・アッシャー

 ポールがジェーン・アッシャーに初めて会ったのは1963年のことだ。ジェーンは『ラジオタイムズ』誌の記事を書くために、ロイヤル・アルバート・ホールに出演したビートルズを取材しにやってきた。4人はそろって彼女にひと目惚れしたよ。(略)ジェーンはとても陽気で素敵な娘だった。4人は彼女の愛らしい赤毛を見たとたん、すっかり魅了されちゃったんだ。みんな白黒テレビの『ジュークボックス・ジュリー』のジェーンしか見たことがなかったから、彼女はブロンドだって信じ込んでいたのさ。
 僕はいつのまにか、ほかのメンバーたちよりもポールと親しくなっていた。ポールがジェーンとつきあい始めると、僕たちの仲はいっそう親密になった。(略)
ジェーンはポールが初めて真剣に愛した女性だったと思う。
(略)
[四年前に購入して放置していた農場へ]
ポールとジェーンは、女の子の大群にもみくちゃにされずに外を歩けるというだけで大はしゃぎだったよ。僕は、ふたりが本当に農場を気に入るかどうか少しばかり不安だった。ものすごく田舎で、何もなくて、ひたすら寒い場所だったからだ。(略)でも到着したとたん、ポールとジェーンはすっかり農場の虜になってしまったんだ。
 ハイ・パークはあらゆるものを拒絶しているような場所だった。ポールとジェーンは(略)日常の生活必需品すらないことに感動していた。
[DIYで家具を作ったり、捨てられていたステンレスの大きな牛乳タンクをバスタブにしたり]

憧れのブリジット・バルドー

[ジョンは]永遠の夢をどうしても現実のことにしたくなったんだよ。ブリジット・バルドーがロンドンに来たとき、ジョンはデレク・テイラーに頼んで彼女と会えるように交渉してもらったんだ。彼女もジョンに興味を持ったらしく、ふたりはブリジットが滞在していたメイフェア・ホテルで会うことになった。ところがジョンはひどく緊張してしまい、自信を取り戻そうとして、何も考えずに酒とドラッグを一緒に飲んじゃったんだ。ブリジットの部屋を訪れるまでに完全に酔っぱらっていたジョンは、「難局をうまく乗り越えるのは不可能だった」って弁解したよ。フランスのセックス・シンボルが失望したのは明らかだった。ジョンはそれから何週間も、ほかのメンバーからボロクソにからかわれていたよ。ジョンはすっかり落ち込んで、僕に告白してくれた。「僕は中学生のときからブリジット・バルドーとセックスすることを夢見てきたんだ。シンシアを見たときも、最初に思ったのがブリジットにちょっと似てるなってことだった。でもいざそうなったとき、僕は自分でもどうにもならないくらい緊張しちゃったんだよ。何年もマスターベーションのときに想像してきた女性が目の前にいるっていうのは奇妙なものさ。彼女はすっかり乗り気で、僕らはちょっとふざけあったけど、でもいざってときになったら……まったく立たなかったんだ。困っちゃったよ。僕は彼女に自分ではどうにもできない問題なんだって説明したんだけど、これ以上に自分の問題なんてほかにあるかい?」

限界

ビートルズにしても、目の前のファンと一体化できたキャバーン時代のステージを懐かしがっていた。ジョージは腹立たしげに僕に言った。「いっそのことステージに4つのマネキンを置けばいいんだ。大差ないよ。実際、僕らはマネキンみたいなものだからね」。ジョージは、自分がビートルズ・マシンに容赦なく操られているという気持ちをいっそう強くしていた。(略)
[シェア・スタジアム]公演は、歴史に残る有名なコンサートのひとつとなった。だが、4人にかつての情熱はなかった。ジョンはファンに笑顔をふりまきながら、「うるせぇ!」と大声をはりあげた。客席の歓声で自分たちの演奏がかき消されてしまうことを知っていたからだ。演奏がどうでもいいことを実証するように、彼らはときどき、まったく音を出さないことがあったけれど、そのことに気づいた観客はいなかったはずだ。
(略)
 4人はすでに限界だった。ジョンは酒をあおりながら僕に言った。「僕らに一生こんな生活を続けさせるつもりなら、ブライアンの頭をぶん殴ってやるつもりだ」ってね。(略)すでに秋と冬のイギリス・ツアーが決まっていたけれど、彼らはやらないと言い、次の「ロイヤル・バラエティ・パフォーマンス」には絶対に出演しないと断言した。(略)
ビートルズの初めての大きな反抗は、ブライアンに大きな痛手を与えた一発だった。(略)ビートルズとブライアンの激しい対立が続いた。(略)最終的に到達したイギリス人らしい良識的な妥協案は、9回公演のツアーを1回するというものだった。
 だが、ツアーの前に一大イベントが控えていた。10月26日、バッキンガム宮殿で行なわれるMBE受勲式典だ。
(略)
[宮殿のトイレでマリファナを吸った以外に]
ジョンはLSDの錠剤も服用していた。式典の直後、ジョンは景気づけのために女王のティーカップに錠剤を落とす計画だったと告白した。本気だったらしいけれど、ジョンの場合、本気なのか冗談なのか区別がつかないんだ。女王を飛んでいる気分にさせるなんて最高だから、女王が何を飲んでいても錠剤を入れちゃえと思っていた、とジョンは言った。「女王の心を開かせて、どこかあたたかくて素敵な場所で戦争をするって宣言させたいんだよ。僕らがみんな海辺で戦えるようにね。じゃなきゃ、囚人を全員解放して、代わりにハロルド・ウィルソンをロンドン塔にぶち込むとかね」
 この話はブライアンには黙っていた。卒倒するかもしれないからだ。

小粋なポール

[エプスタインがアイバー・ノベロ賞の昼食会の予定を伝え忘れたことがあった]
「頼むから時間どおりに連れて行ってくれ、アリステア。それから、ふたりには僕が言い忘れたことは黙っていてほしいんだ。何か適当な言い訳をでっちあげてくれよ。お願いだから」
 ブライアンの言葉を翻訳すると、「悪いのはおまえだ。おまえが言い忘れたことにしろ」ということだった。(略)
僕のあせった弁明はかなりどんくさかったから、ジョンが「冗談じゃねえよ」とつぶやいてガチャンと電話を切ってしまっても、僕はさして驚かなかった。
 頼みの綱はポールだった。(略)
[ジェーンの母親は取り次いでくれなかった]
 正午まで待って、僕は電話をかけ直した。(略)
[やっと]眠そうなポールがものすごく不機嫌そうに電話に出た。どう話せばいいかは考えておいたから、僕は一気にまくしたてた。だが返事はなく、電話の向こうはしばらくシーンとしたままだった。もしかして、また寝てしまったのかもしれないと不安になったとき、ポールの声がした。「わかったよ。10分後にタクシーで迎えにきてくれよ」。ありがとう、ポール、僕は心の中でお礼を言った。それから15分後、タクシーがウィンポール通りに到着すると、ポールが玄関の扉を開けてくれた。トーストをかじっていたけれど、ポールはスーツを着て靴を履き、すぐに出かけられるように準備していた。
 「どうしたの?僕が君をがっかりさせたことあるかい?」。ポールは小粋に言ってのけた。(略)
[到着したのは]まさに昼食が始まる直前だった。危機一髪、滑り込みセーフってやつだ。でも僕はそれで解放されたわけじゃなかった。ポールが無理やり僕をジョンの席に座らせたんだ。(略)みんなが僕を見て、どこのどいつだって不審がっているのがわかったけれど、僕は気にしなかった。ビートルズのメンバーをひとり、時刻どおりにそこに連れて行ったのは僕だったんだから。

キリスト発言騒動

[フィリピンで]殺されてもおかしくないほど危険な目にあわされたことで、ビートルズの怒りは頂点に達していた。ブライアンにとって4人からの猛烈な罵倒は、転んで捻挫した足首よりもはるかにきつい打撃だった。取り乱したブライアンは、もはや発狂寸前だったよ。インドでも同じようにファンに包囲された4人は、ますます攻撃的になり、一刻でも早く帰国したいと言い張った。(略)
 ショービジネスには、おかしなジンクスがある。これがどん底だと思った瞬間、さらなるどん底があとに控えているんだ。アジア・ツアーでの一連の出来事によって、ブライアンは精神的にすっかりまいってしまい、ビートルズとの関係もこじれてしまった。傷心のブライアンは、気分転換のためにノースウェールズのポートメリオンに雲隠れしたよ。(略)次のどん底は、あまりにも唐突にやってきた。[ジョンのキリスト発言騒動](略)
[『イブニング・スタンダード』に掲載時は]何の反響もなかった。問題は、提携先のアメリカのティーン雑誌『デートブック』にこの記事が引用されたことだ。前後の文脈は無視してジョンの発言だけを取り上げて、しかも表紙の見出しに使ったんだ。「ジョンいわく、ビートルズはキリストより偉い!」ってね。実際のジョンの言葉は、「僕らがキリストより大勢の群集を引きつけているなんて滑稽だと思わないか?」だった。
(略)
ジョンは謝罪を迫られた。押し問答が続いたけれど、最後は記者たちに押し切られるかたちでジョンは謝罪した。のちにジョンは僕に漏らした。自分が思っていたほどタフな人間じゃないことに初めて気づいたってね。
 「あの発言を撤回する気はまったくなかったんだ」とジョンは言った。「すべて真実なんだからね。僕はただ、ビートルズがキリストより人気を集めるなんて、世の中がおかしいんじゃないかって言っただけだ。それがバカみたいに大騒ぎされて、キリストを冒涜したって責められるはめになった。僕は、責められるような発言はいっさいしていないんだ。だけど、キリスト教を崇拝している変人が僕らを狙撃するかもしれないって思ったら、怖くなった。撃たれるなんてまっぴらごめんだから謝ったんだよ」
 ジョンは記者会見で自分の発言が正当だってことを必死で説明したけれど、矢面に立たされた以上、いちばん口にしたくなかった言葉を言わざるを得なかったんだ。「ごめんなさい」とジョンは言った。でも会場のなかで、ジョンがまったく後悔していないことに気づいた記者はひとりもいなかったと恩う。
 ジョン・レノンは自分が悪いことをしたとはさらさら思っていなかったし、記者たちはとにかくジョンに謝罪させることしか頭になかったんだ。ジョンは本気で謝ったわけではない。うまくその場を切り抜けただけだ。そのときの有名な映像を見れば、ジョンがまったく悪びれていないことは一目瞭然だよ。

最後のコンサート

 8月29日、サンフランシスコのキャンドルスティック・パークでのツアー最終公演が、ビートルズ最後のコンサートになることを、ビートルズは誰にも打ち明けていなかった。肌寒い晩だった。(略)
4人はこのツアーで初めて、ラスト・ナンバーにお気に入りの「ツイスト・アンド・シャウト」を選んだ。コンサートが始まる直前、ポールがステージに向かって走りながら、広報担当のトニー・バーロウに声をかけた。今日のコンサート、録音しといてくれないか。その場にあったのは記者会見用の小さなテープレコーダーだけだったし、突然の要求にバーロウは戸感っていたけれど、言われたとおりに録音したんだ。いつもと同じコンサートのひとつ。観客も僕たちも、誰もがそう思っていたけれど、ビートルズだけは違っていた。4人にとっては、めまぐるしい9年間の1400回を超えるステージの最後を締めくくるコンサートだったんだ。サンフランシスコを飛び立った飛行機の中で、この決断を告げたのはジョージだった。ファーストクラスのシートに深く腰かけながら、ジョージは言った。「つまり、おしまいってことさ。僕はもうビートルじゃない」
 このツアーから戻ると、ブライアンはがらりと変わってしまった。放心したように気が抜けて、手あたり次第に薬に頼るようになったんだ。(略)オフィスに顔を出すこともなくなった。ツアーの企画や交渉がいっさいなくなると、ブライアンの仕事はほとんどなくなってしまった。
 寂しさをまぎらわすかのように、ブライアンは処方された薬のほかに、あらゆる薬に手を出すようになった。薬に溺れていくブライアンを見ているのは、いたたまれなかったよ。ビートルズにとって自分はもはや不要な人間だってことをブライアンは悟っていたんだ。

ジョンの代わりに島の競売に参加

 すばらしい小旅行だった。ドラッグが覚めると、なつかしいジョンの口調が戻ってきた。おもしろくて、優しくて、一緒にいると愉快になるジョンだ。ジョンはお気に入りの古びたアフガン・コートをまとい、僕の肩に腕をまわしながら言った。「最高の島だよ、アル。端っこの土地をやるから、君もここに隠れ家を建てればいい。ほら、あそこなんかどうだい?」。(略)
初めて島を訪れたあと、ウェストボートの人々は島の本当の購入者をつきとめた。2度目に訪れたとき、僕たちは大歓迎されたよ。このときはジョンの友人の「マジック」・アレックス・マーダスが一緒だった。彼は、ドリニッシュ島に建てるジョンの別荘と、「振動が伝わらないように地面から1フィートの高さのところに浮いているレコーディング・スタジオ」の設計プランを持ってきたんだ。

ポール、焦る

 ポールはいたって冷静で、たいていのことには動じなかったけれど、真っ赤になってあわてたことがあった。
(略)
[ある晩、突然サックスを入れたいと言い出し]
まだ起きていそうなサックス奏者をかき集めることになった。最初のサックス奏者がスタジオに現れるまで1時間ほどかかったけれど、そのあとは次から次へ、いろんなミュージシャンが集まってきた。おなじみの顔に出くわしたのは、僕とポールがちょうど休憩室から出てきたときだった。男は、声をかけようかどうか迷っているふうだった。
 「サックス奏者の方ですか?」。ポールが気遣うようにたずねた。
 「まあね、そう呼ばれることもあるよ」。男はにっこり笑ってそう答えると、ぶらぶらと廊下を歩いていった。
 あっけにとられているポールを見て、ジャズ狂の僕としては男の正体を教えないわけにはいかなかった。
 「有名なロニー・スコットだよ」
 「嘘だろう?」。ポールはすっとんきょうな声をあげた。「冗談じゃないよ、まったく」。ポールはいきなりダッシュして伝説のミュージシャンを追いかけたよ。これがきっかけで、ふたりはすごく親しくなったんだ。ロニーにとっては愉快な出来事だったけれど、ポールはたぶん、穴があったら入りたい気持ちだったんじゃないかな。

共同作業

スタジオの隅におとなしく座って4人の様子を見ていると、確かに曲作りを率先するのはジョンかポールだったけれど、ジョージとリンゴも積極的に発言していた。決して言われたとおりにしていたわけじゃない。リンゴはドラムについて自分の意見を言ったし、ジョージもギターのリフにこだわった。レコーディングはまさしくビートルズの4人とジョージ・マーティンの共同作業だったんだ。(略)
 ジョンとポールが一緒に曲作りに取りかかることは滅多になかった。大抵は、どちらかが作り始め、アイデアがほぼ固まったところで、初めて相手の意見をきくという感じだった。でも、プレッシャーが大きいときは別だ。EMIの担当者は目の前でレコーディング契約書をちらつかせながら、次の曲をすぐ作れと口やかましく命令したりしたんだ。そういうとき、ジョンはキャベンディッシュ・アベニューのポールの家に行って、ふたりでビールを飲みながらシングル曲を完成させてきた。しかも、とびきり上等な曲をね。

ギリシャ旅行

1967年、僕はまたもやビートルズの隠れ家となる島を探すことになった。しかもエーゲ海でだ。僕はビートルズの技術の魔術師、アレクシス・マーダスを連れて行くことにした。(略)とりわけジョンと仲良くしていたけれど、彼の奇妙さ加減ははんぱじゃなかった。それでも旅の道連れとしては申し分なかったし、何よりギリシャ人というのが心強かった。島探しの旅は最高だったよ。僕たちは広さ80エーカーほどで、天国のように美しいビーチが4つあるすばらしい島を見つけた。つまり4人がそれぞれプライベート・ビーチを持てるってわけだ。
(略)
[さっそくビートルズ一行は視察旅行に]
なかでも最高に幸せな気持ちになったのは、ある月夜の晩遅く、ジョン、ジョージ、マル、僕とでデッキに腰をおろし、金色に輝くギリシャの月を眺めたときだった。船長は、穏かに波打つ海面を美しく照らしている月の光に向かって、まっすぐに針路を保っていた。月はずっと遠くにあったけれど、まるで月をめざして天国の航路を進んでいるようだった。ジョージがウクレレクリシュナ教の合唱のメロディを奏で、ジョンとマルと僕が静かに歌い始めると、もはやそこは幻想の世界だった。ビートルマニアとは無縁のひたすら静かで平和な世界。荘厳な月の光の円柱のもとで、僕たちは輪になって座禅を組み、互いの顔をじっと見つめあった。そのままの状態で2時間は海を漂ったと思う。ぎこちないながら、この沈黙を破ったのは僕だった。
 「月を見ようよ」
 僕を拒絶できなかったジョンは、ぼそりと言った。「名案だな、アリステア」
 それから僕たちは腹を抱えて笑い転げた。翌日から、これが僕への決まり文句になった。僕が何かを指摘すると、それきたって感じでからかわれたんだ。「名案だな、アリステア」ってね。

ブライアンの死

 もう十分に生きたから死のうと思うんだ、ブライアンはそう言って僕に電話してきたことが2回あった。どちらも日曜日だった。2回ともブライアンはこう言った。「アリステアかい? 僕はもう生きていくのが嫌になったよ。お別れを言おうと思ってね。さよなら」。ちょっと待てよ、そう言いかける前に電話はプツンと切れた。僕はあわてて家を飛び出し、タクシーをひろって大急ぎでブライアンの家に向かった。(略)[ブライアンの秘書のビビアン・モイニハンと]ふたりで階段を駆けあがると、ブライアンはちょこんと椅子に腰かけていた。
 「日曜だっていうのに、ふたりしてどうしたんだい?」。ブライアンは聞いた。
 「電話してきたじゃないか、ブライアン」。僕は言った。「生きていくのが嫌になった。さよなら、なんて言うからだよ」
 「それで、わざわざ飛んできたのか」。ブライアンは不機嫌だった。「ちょっと気分が沈んでいただけだ。さっさと帰ってくれ」
 僕は思った。ブライアンが自殺しようと思ったのは薬で頭がもうろうとしていたせいだ。薬が切れて、そう思ったことも、僕に電話して死ぬと脅かしたことも、忘れてしまったんだろうってね。
 1967年8月27日、僕がその電話を受けたのは、予定外の週末のサンフランシスコ出張から帰宅した直後のことだった。
[NEMSは少し前にロバート・スティグウッド・グループと合併しており、全米ツアー開始前のクリームの労働ビザ不備の処理のためだった]
(略)
 2日前に話をしたとき、ブライアンは元気いっぱいで、フォートップスをまたイギリスに呼ぼうってはりきっていたんだ。ブライアンはまさに世界の頂点にいるという感じだったけれど、その電話をもらったとき、背筋に不気味な悪寒が走るのを感じた僕は、いてもたってもいられなくなった。長時間のフライトで疲れきっていたし、家に戻ってレスリーに会うのは1週間ぶりだった。最初は、誰か別の人間に頼んでブライアンの様子を見に行ってもらおうと思ったけれど、僕が行かなければっていう奇妙な強迫観念にとらわれたんだ。そして、僕の勘は的中した。
(略)
いくら寝室のドアをノックしてもブライアンの返事がないらしい。(略)ブライアンは金曜の晩から部屋に閉じこもったままだという。(略)
医者は全身でドアにぶちあたり、無理やり扉を叩き壊したところだった。僕はあとを追うようにして部屋に入った。(略)
ブライアンはぐっすり眠っていた。いや、眠っているように見えただけだ。死んでいる。僕はとっさにそう思った。全身が言いようのない苦痛に包まれた。あれほどつらい経験は、あとにも先にも、あのときしかない。僕の人生を180度変えたのはブライアンだ。つましい店員だった僕が20世紀最大の音楽グループの仕事に関われたのも、ブライアンがいたからなんだ。
 医者は手際よくブライアンの身体を調べると、僕に告げた。「残念ですが、お亡くなりになっています」。全身からすーっと苦痛が遠のいたかと思うと、身体中が恐ろしいほどガタガタ震え始めた。体が硬直してしまい、ほとんどスローモーションのようにしか動けなかった。
 ゆっくりと部屋の中を見まわすと、ベッドサイドのテーブルの上に錠剤のビンが置いてあった。全部で8本。それぞれに違う薬のラベルが貼ってある。ブライアンは薬に頼って生きていたんだ――目覚めるための薬、眠るための薬、活力を保つための薬、興奮を抑えるための薬、そして胃腸薬。どのビンもきちんとキャップが締めてあり、まだ十分に錠剤が詰まっていた。空のビンは1本もなかった。ベッドの片側には、やりかけの仕事の書類の山と、チョコ味の丸いダイジェスティブ・ビスケットが3枚のった皿があり(略)
 医者と僕は、ブライアンに何が起きたのかを知るために、手がかりになりそうなものを探した。引き出しの中に大量のマリファナを見つけた僕は、そっとズボンのポケットにしまいこんだ。
(略)
 翌日、チャペル・ストリートに戻ってみると、そこらじゅうに数え切れないほどの花束が折り重なるように捧げられていた。いくつかの花束を拾いながら玄関に向かうと、ドアの前に真っ赤なカーネーションが5本、きれいに並べられていた。そばに破ったノートの紙切れが置いてあった。「私たちも、あなたのことが大好きでした」と書かれていた。僕はもう限界だった。それらを残らず拾いあげてドアを開けると、すぐさまバスルームに駆け込み、小さな子どもみたいに大声で泣きじゃくった。(略)
僕の友人は死んでしまった。僕のボスは死んでしまった。わかっているのは、ブライアンの代わりになる人間なんかどこにもいないってことだ。友人としても、そして、ビートルズのマネージャーとしても。

マハリシ

金儲けを企んでいたマハリシは4人を洗脳しようとしたんだ。ブライアンの死去は喜ぶべき出来事であり、悲しむ必要はないってね。物質世界と精神世界は永久に対立しているという見解を悟らせ、形あるものはいずれ破壊されることを実証するために、マハリシは4人に美しい花々をめちゃくちゃに踏みつぶすように命じたという。マリアンヌ・フェイスフルは、マハリシはすぐさまブライアンの死を狡猾に利用したと語っている。「ビートルズはぼろぼろの状態だった。思い出すのも嫌だけれど、マハリシはこう言ったのよ。『ブライアン・エプスタインは死にました。彼はあなた方の面倒を見てくれた、いわば父親のような存在だった。これからは、私があなた方の父親になりましょう』ってね。哀れな4人にはその意味がまったくわかっていなかったけれど、私にしてみれば、身の毛がよだつほど恐ろしい発言だったわ」

次回に続く。

ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実

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