英単語の世界 - 多義語と意味変化から見る 寺澤盾

真ん中辺りをチラ読み。

want

 この語は13世紀初め以前に古ノルド語から借用され、当時の意味は古ノルド語と同様に「欠ける、欠く」であった(略)
「欲する」の意味は、1706年が初出となっています。(略)つまり、人は何かが欠乏していると、それが必要であると感じたり、それがなくて寂しいと思ったりし、その結果それを欲するようになるものです。

debt、hierarchy

 ところで、debt(借金)はフランス語からの借用語ですが、英語に輸入された当初(13世紀初め)は、「人間が神に対して負っているもの、罪」という意味でした。それが14世紀末頃になると「他人に対して金銭的に負っているもの、借金」という極めて世俗的な意味をもつようになりました。ただ、キリスト教会の礼拝で必ず唱えられる「主の祈り」の一節――「我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ」――の「罪をおかす者」や「罪」は現代英語訳聖書の多くでdebtor,debtとなっています。
(略)
hierarchyは本来「天使の階級」や「聖職者の階級」を表しました

婉曲表現(doublespeak)

ベトナム戦争のときアメリカ軍による北ベトナム空爆air support (空からの支援)と呼ばれました。またイラク戦争時には、アメリカ軍の誤爆によって多くの市民が犠牲となりましたが、そうした人的犠牲はアメリカ為政者に都合よくcollateral damage (付随被害)と呼ばれていました。

silly 皮肉に使われ意味が変化

[ひどい仕打ちに対し]皮肉を交えてIt's so kind of you. (ご親切なこと)と表現することも可能です。この場合、kindは「親切な」という意味でなく「意地悪な」という皮肉な意味で用いられています。
 kindの皮肉の意味は慣習化していないようですが、皮肉な意味が定着してその語の一部になっている場合もあります。 sillyという語はもともと「幸福な」、「祝福された」という意味をもっていたのが、後に「愚かな」という意味に変化しました。この「意味の下落」は皮肉な言葉使いに起因します。つまり、sillyが本来指す対象とは正反対の人・ものに対して、「皮肉」や「冷やかし」で使われていくうちに、そうした指示対象と直接結びつくようになり、もとの意味とは反対の「愚かな」という意味を身につけたと考えられます。日本語でも「あの人はおめでたい人だ」といった場合の「おめでたい」は否定的な響きが感じられます。

do

 古英語ではdo(当時の形はdon)には「する」という意味と並んで「させる」という使役の意味(17世紀初めで廃義)がありました。後者はたとえば I did him clean my room. (私は彼に私の部屋を掃除させた)のように目的語と不定詞を伴った構文で用いられました(例文は現代英語に置き換えてあります)。そして、古英語・中英語期においてはこうした使役構文ではしばしば不定詞の主語(被使役主)が省略され、l did clean my room. のような文が用いられました。被使役主が省略された文においては、曖昧性が生じます。つまり、l did clean my room. に対して、「私が誰かに私の部屋を掃除させた」という本来の使役的な意味のほかに、「私が直接自分で部屋を掃除した」という解釈も可能になります。後者の解釈ですと、doの意味はゼロに等しくなり、ここから迂言のdoの用法が生じたと考えられます。
(略)
 使役の意味を失ったdoは英語から消えてなくなったとしても不思議ではありませんでした。実際、1755年に初めての本格的な英語辞典を編纂したサミュエル・ジョンソンは、その辞典の冒頭でこのようなdoの用法を批判して次のように記しています。(略)
doはときどき I do love,I did love のように必要もないのに使われることがあるが、これは非難されるべき誤った語法である。
 しかし、迂言のdoは過去と現在が同形の動詞の時制を明示する手段として有用でした。 1611年刊行の『欽定訳聖書』の福音書においてはeatの過去形としてはdid eat しか用いられていません。これは当時の英語では、eatは現在形でも過去形でも発音は/ɛ:t/となり区別が難しかったためと考えられます。
(略)
And as they sate, and did eat,Iesus said
(略)
 また、韻文では詩行の音節数を整えたりする韻律的な手段として用いられることもありました。以下は、『ハムレット』からの一節です。(略)弱強のリズムが5回繰り返されるのが基本です。(略)下の例の最初の行では、didがあることで10音節からなる詩行は弱強のリズムを形成しています。(略)
It lifted up it[s] head and did address
(略)
 このようにそれ自体は意味をもたないdoは細々とではありましたが、存続していきます。 16世紀以降になると迂言のdoは新たな働き場所を得ることになりますが、その「転職」の過程を見ていきましょう。
 英語の疑問文では、もともと助動詞だけでなく一般動詞も主語と動詞を倒置させました。
 しかし、doを用いた疑問文も用いられるようになり、16世紀中頃以降は、doを用いない単純形を上回るようになります。疑問文におけるdoの増加は16世紀中頃の英語に見られた語順の変化と関連しています。つまり、この時明に主語(S)と動詞(V)の語順倒置(VS(O))が、助動詞やcomeやgoなど一部の自動詞を除き少なくなります。その結果、疑問文を形成するときにも主語と動詞の倒置を避けるためdoが有用になりました。 Read you the book? ではVSOの語順ですが、doを用いるとDid you read the book? (do SVO)となり、SVOの語順が維持できます。
 一方、否定文の場合、初期近代英語の頃は動詞の後にnotをおくのが一般的でしたが、doを用いた否定文も次第に増えてきて17世紀後半になるとdoを用いない否定文と拮抗するようになります。否定文におけるdoの文法化には、疑問文の場合と同様、16世紀中頃の英語に見られた語順に関する変化が関わっています。つまり、とくに他動詞においてSVOの語順が一般的になった結果、動詞(V)と目的語(O)の結びつきが強まりました。そのため、否定の副詞によって動詞と目的語を分断してしまう You read not the book.(V not O)よりも動詞と目的語の隣接を可能にするYou did not read the book. (do not VO)のほうが好まれるようになりました。

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