民主主義のつくり方 宇野重規

民主主義のつくり方 (筑摩選書)

民主主義のつくり方 (筑摩選書)

プラグマティズムとは

[実用主義で哲学的深み欠けるという偏見のある]プラグマティズムが、62万人もの死者を出した南北戦争への反省から出発したことを忘れてはならない。(略)
 近代主権論が宗教内乱のなかから生まれたとすれば、プラグマティズム南北戦争後の荒廃から出発した思想である。

自分が信じることだけを絶対視し、他の信念を許容しないときに何が生じるか。その痛切な反省から生まれた、あらゆる人が、自らの信じるところを実験することを許す思想こそが、プラグマティズムである。
 一人ひとりの個人が、自らの生をもって、自らの信じるところを試してみる。問題は、そのような諸個人の営みがいかにして結びついていくかであった。この問いに対し、プラグマティストたちが注目したのが「習慣」であった。

プラグマティストたちは、ある理念がそれ自体として真理であるかどうかには、ほとんど関心をもたなかった。というよりも、それを真理であると証明することは不可能であると考えていた。そうだとすれば、ある理念に基づいて行勤し、その結果、期待された結果が得られたならば、さしあたりそれを真理と呼んでもかまわない。彼らはそのように主張したのである。
 重要なのはむしろ、各自が自らの理念をもつことに関する平等性と寛容性である。

トクヴィル

まず強調したのは、民主主義とは、移民社会であるアメリカにおいて、名も無い人々が実際に経験したことや、その際の感覚であるということだった。
 その感覚とは、いわば自分たちが誰にも従属していないという感覚である。人々は等しく自由であり、誰も特別な存在ではない。したがって、人々は自分たちの力で社会をつくっていかねばならないが、そこに自然の支配者は存在しない。いいことも悪いことも、すべては自分たちから発し、自分たちに帰ってくる。外で操っている人間など存在しない。
 「ここでは社会がそれ自身の力で、それ自身に働きかける。力は社会の内部にしか存在しない。(中略)神が宇宙を統べられるように、人民がアメリカの政治の世界を支配している」。これこそが、民主主義の出発点にあった感覚であった。そして多くの人が、この感覚を抽象的な理論として理解したのではなく、実際に経験していたことが何よりも重要であった。

イソノミア

アレントはこの言葉を、「市民が支配者と披支配者に分化せず、無支配関係のもとに集団生活を送っているような政治組織の一形態を意味していた」と理解する。民主主義があくまで、民衆(demos)による支配(cracy)であったのに対し、そもそも一切、支配や被支配が存在しないことがイソノミアであった。完全に平等と自由が一致したとき、支配そのものが存在しなくなる。
(略)
 これに対してハイエクは、あくまでこの言葉を「法の前の平等」として理解する。ハイエクにとって重要なのは、人ではなく法が支配することであり、政治への平等な参加は副次的な意味しかもたなかった。ところが近代とは、人民の権力の名の下に、民主主義によって「法の前の平等」が蹂躙されていく時代であった。
(略)
 問題は、両者のイソノミア理解のどちらが正しいかではない。より本質的なのは、同時代のアメリカ社会に違和感をおぼえた二人の思想家が、ともに民主主義に対抗する意味で、イソノミアに言及したという事実である。
 現代の民主主義においては、何かが抑圧され、忘却されている。この何かを取り戻さない限り、いまのままでは民主主義は空洞化していく一方である。

トランセンデンタリズム(超越主義)

ニュー・イングランドにおいて有力だったカルヴィニズムの伝統に対抗して登場したのがトランセンデンタリズムであった。(略)人間が生まれながらに罪を負っていることを強調するカルヴィニズムは、やがてアメリカの地にあって、むしろ人間は元来善の存在であるはずだとする方向へ変質していく。(略)
[これに対し]トランセンデンタリズムはあらためて個人の良心を強調するものであった。(略)
自然を賛美し、自然との神秘的な一体感を強調し(略)[結果として]都市文明を批判する一方、個人の良心を否定するものに対し、敢然と不服従を促すことになる。

オリヴァー・ウェンデル・

ホームズ連邦最高裁判事

コッページ対カンザス州事件(1915年)において(略)弱い立場にある労働者が、経営者と同等の立場で契約に臨むために組合を頼ったとしても、必ずしも契約の自由を侵すものではない。このように主張したホームズは、法律の原理は、未来永劫人々を支配するものではなく、その時々の社会状況に照らして、人々にもっともよく仕えるべきものであると主張した。
 このようなホームズの立場はしばしばリアリズム法学と呼ばれるが、その基盤にあったのは、もちろんプラグマティズムである。
(略)
 ホームズは、「この世で大事なことは、自分が「どこ」にいるかではなく、「どこに」向かっているかである」という言葉も残している。彼にとって重要なのは、歴史的な法の原則を、生活のなかから取り入れた新たな原則と結びつけていくことであった。「法の生命は論理にではなく、経験に宿る」とは、そのような意味で理解されるべきであろう。
(略)
 ホームズは、つねにコミュニティの平均的な構成員の経験を基準に、自らの議論を組み立てていった。一部のエリートの論理より、一般人の経験に根ざすことで、法は生命をもつ。

ウィリアム・ジェイムズ

南北戦争に際して、彼はついに銃をとることはなかった(プラグマティストのうち、ホームズは軍に身を投じている)。奴隷制反対運動とけっして無縁ではなかったにもかかわらず、ついに従軍する決心がつかなかったのである。
 このことはジェイムズの精神的なトラウマとなった。以後、彼にとって、十分な判断材料がないにもかかわらず、人間は何らかの選択をしなければならないことが、その運命であると考えるようになった。後年になって彼が、人の「信じようとする権利」を強調するに至った原点もここにある。その意味で、彼にとってのプラグマティズムとは、人々が哲学的な選択肢のなかから、善き選択を行うためのものにほかならなかった。

デューイ

 この場合、デューイにとって重要だったのは、ある理念が共有されることだけではなかった。より重要なのは、人々がともに行為し、経験を共有することであった。その意味で、民主主義社会を打ち立てるために、人々が共同して働くための技法を広く教育によって提供していくことが大切である。このように考えたデューイは、民主主義社会における教育の重要性を説き続けた。
(略)
 経験を強調し続けたプラグマティストたちの議論は、デューイにおいてついにはっきりと民主主義の擁護へと結びついた。このようなデューイの「経験」論に、〈プラグマティズム型〉の民主主義の一つの理念型をみてとることができるだろう。

藤田省三

経験が失われるとき、自由の精神もまた失われる。(略)
藤田にとっての経験とは、自分が思うようにはコントロールできない物や事態との遭遇を意味した。その意味では、経験とは自分の恣意性の限界を知ることに等しい。
(略)
 自分の思うようにならない物事との交渉は、当然苦痛を伴うものになる。しかし、自分を震撼させるような物事との出遭いを回避するとき、人はすべてを支配できるという幻想に自閉することになる。とはいえ、それは真の意味での「自由」とはほど遠い。「自由の根本的性質は、自分の是認しない考え方の存在を受容するところにあ」るからである。(略)
[『全体主義の時代経験』(1995年)で]「安楽への全体主義」に警告を発した。現代日本社会をますます覆い尽くすようになっているのは、「私たちに少しでも不愉快な感情を起こさせたり苦痛の感覚を与えたりするものは全て一掃して了いたいとする絶えざる心の動きである」

「緩衝材で覆われた自己」

宗教内乱を終息させるにあたって、政治の実務家たちは、なるべく宗教問題を表に出さないことが、秩序を実現するにあたっての鍵であることに気がついた。(略)
 結果として、肝心なことは外に出さず、かなり狭いチャンネルでのみ他人と意思疎通をはかる人間のあり方が、いつの間にか政治の基本前提になってしまった。

[マキアヴェリとルターは]人間を内面と外面に分離できるという考えを強化する上で、ともに重要な役割をはたしたことになる。政治を人間の外面にのみ関わるものとしたのがマキアヴェリであるとすれば、宗教を人間の内面的事柄として純粋化したのがルターであった。その限りで、二人はまさにコインの表と裏であったともいえる。
 逆にいえば、それ以前において、宗教とはけっして純粋に内面的な事柄ではなかった。(略)
 政治もまた、古代ギリシア以来、自由をはじめとする人間の内面的価値と不可分とされてきた。政治とはまさに人間性を開花させるためのものであり、内面的価値と不可分とされてきた。
(略)
[「緩衝材で覆われた自己」の確立により宗教と政治が分離され、政治は「やせこけた概念」になってしまった]
 「十六世紀、十七世紀ぐらいまでは平和の実現に政治の役割を限定することに意味があった。ところが、成功して、平和が確実に実現されてしまうと、平和の実現のためにという政治の役割の意味自体が薄れてきて、自らの基盤が崩壊を始めるという話に逆になってくる」。政治にとって、目標を達成することによって自らの存立の目的が問われるという皮肉な事態が生じたのである。
 個人の自然権によって政治社会の設立を正当化する社会契約論の登場も、このような文脈において理解することができるだろう。宗教などの内面的価値から切り離されることでやせ細ってしまった政治の概念を、あらためて所有権を中核とする人権の理論によって意味づける必要が生じたのである。このことは、「政治の自立化」という最初のベクトルが、「人権によるよる正当化」という第二のベクトルによって補完されたことを意味する。
(略)
ジョン・ロックを参照するまでもなく、所有権の理論は「個人が自らの身体を自己所有する」という理解と不可分であった。自分の体は自分のものであって、他の誰のものでもない。それゆえ、自分の体は自分で好きなように処分できる。さらに、自分の体を使った労働によって生産したものも、自分の所有物となる。このような考え方こそが、所有権の理論を支えたのである。
 ここにあるのは、自分の精神が自分の身体を所有し、排他的な処分権をもつという考え方である。さらに、その前提にあるのは、外部からの影響を断ち、自分の内面へと閉じこもった自己が、自らの身体を足がかりに、自分の外にあるものを所有の対象として捉え直していこうという志向であった。
 所有権の理論とは、このような志向を正当化するものであり、ひいては所有権理論に立脚する近代社会契約論もまた、このような新たな自己イメージの産物であった。その意味で、「緩衝材で覆われた自己」とは、近代政治思想にとってきわめて重要な位置を占める要素であったといえるだろう。

うーん、一回で終わらなかった。次回につづく。
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