トクヴィルの憂鬱

「何者でもない」世代

大革命後に生まれたロマン主義第二世代(略)は思春期という多感な時期、ヨーロッパを征圧するナポレオンの雄姿を見て育った世代だった。[彼のような英雄になろうとした世代にとって七月王政は堪え難かった](略)
近代国家(官僚・教育)制度が整備され、上昇の途が定型化されると、富裕層の家柄と情実(コネ)が幅を利かせ、社会的流動性が失われる。青年の欲望は満たされず、不安と憂鬱に襲われる。
 解放の熱気が醒め、社会が静かになると、かつて「未来」を共有していたように見えた自己と社会の間に亀裂が生まれる。新しい時代では、自己と世界の関係性は失われ、自分は「何者でもない」という恐怖にますます駆られるようになった。一方、政治は利益誘導の機能に還元され、人間が社会で共に生きる相互行為としての「政治」の意味は失われつつあった。

「職が必要です」

この時代、「何者か」であることを保証する職がそもそも根本的に不足していた。「職が必要です。地位が必要です」とジュフロワは書簡で訴え、若きコントは「能力のある若者が生計を立てる手段がない」と不満を漏らした。その意味でスピッツアーが指摘したように、ロマン主義とは「過小完全雇用状態」のあらわれだったとみてよい。(略)
トクヴィルは、『デモクラシー』を「屋根裏部屋」で執筆していたという先の回想で、こう統けている。「深い暗闇のなかで著書の作成に取り組んでいました。これが私をその暗闇の外に出してくれるはずでした」。(略)
大革命後に育ったこの世代は、身分制崩壊によって解放された「悲しき虚栄心」を抱えて育った世代だった。その欲望が完全に充足されることはまずない。欲望は満たされるごとに大きくなるばかりで、それに悩まされ煩悶を繰り返すことになる。

悩めるトクヴィル

[再評価において]トクヴィルは、「大衆社会預言者」として、あたかも現代社会の病理を批判する「超越的な視座」をもった存在として語られる。(略)
しかし、『デモクラシー』第二巻の分析は、そもそも七月王政を念頭に置いたもので、抽象的でも、ましてや預言的でもない。それはトクヴィルが、ロマン主義世代の抱える問題に自ら悩み、それと向き合うことで、この新しい時代の憂鬱の理由を探ろうとしたものだった。(略)トクヴィルの社会分析は自己分析とつねに交錯するのを見落してはならない。

卒業旅行

イギリス貴族の子弟が教育の一環としておこなった「グランドツアー」と呼ばれるイタリア旅行は、十八世紀末に頂点に達し、世紀転換期にはローマ(略)のコロッセオの廃墟を訪れる人は後を絶たなかった。(略)一八二七年一月、ローマに到着したトクヴィルも、その<廃墟>に魅せられた一人だ。(略)
シチリア島へ向かう途中には嵐に見舞われた。冬のイタリア、雷雨は激しく、船は大きく揺れる。トクヴィルは動揺し、「畏怖すべき全能なる神の示現」を目の当たりにしたという。「ほとんど最高存在の前にいるような思いだった。この瞬間、人間存在の目的はそれまで考えてきたものとはまったく異なるように思えたことを私は素直に告白する」(略)
フランスに戻るのは、トクヴィル司法修習生に任所された後、その意味でこの旅行はちょうど大学卒業後の青年のモラトリアムに挙行されたことになる。

『荒野の二週間』inアメリ

[バッファローの荒野へ向かう途中の心象]
人間はすべてのものに慣れてゆく。戦場で死ぬのに慣れ、病院で死ぬのに慣れる。人を殺すのに慣れ、痛みに苦しむのに慣れる。すべての光景になれる。古代民族で、アメリカ大陸の最初の正統な主人たちは、日々の雪のように太陽の光で溶けてゆき、地表から消えつつある。同じ場所に、かれらに代わって別の人種がもっと驚くべき速さで増大している。この人種によって、森は切り倒される。

アパシー

トクヴィルは、ポスト革命社会は限りなく大きな欲望が群生するはずだという当初の推察を修正することになる。物質主義が人を小さな欲望充足の追求に没頭させ、無気力に陥らせるとトクヴィルは考えるようになったのだ。
 「私はそれを思い切って言ってもいいだろうか。来たる世代にとって私がもっとも恐れるのは、大きな革命ではなく、無関心である」と『デモクラシー』草稿の余白にはある。(略)「現代の真の悪夢、それはこれから先なにに好悪をもつべきかが分からず、ただ軽蔑するだけだということです」

バルザック『名うてのゴディサール』(1833)から

かれは物事の奥まで見通すということは決してしない。人や場所についてはその名前を覚え、モノについてはその表面だけを評価する。かれはすべてを自分の尺度で測るための特別の物差しをもっている。しかしその視線は事物の上を滑るだけで、なかまで見通すことはないのである。すべてに興味をもつが、何事にも興味を引かれることはない。

根気がないので明日につづく。