理性の使用―ひとはいかにして市民となるのか

理性の使用―ひとはいかにして市民となるのか

理性の使用―ひとはいかにして市民となるのか

世論の曖昧さをカバーするもの。

「世論」とは実のところ二重の意味で矛盾撞着をふくむ言葉である。というのも「意見」という語のもとにあるギリシァ語の「ドクサ」はまず個人が保持するものであり、したがって「公共の」という語でもって修飾されるべきものではない。それはまた他方で「エピステメー」と対比されるかぎりにおいて、正しい認識を意味するどころか、むしろ「臆見」とでも呼ぶべきものでもあった。ところが十八世紀の半ばにいたって「公的な意見」という表現が採用されることで、なにか社会がしたがうべき正しい方向を示すものが確実に存在するかのように見なされてしまうのである。(略)
いいかえれば仮りに世論というものが存在するにしても、それがどこに存在しているのかは暖味なままなのだ。そうした暖味さと不確実さを被う役割を果たすのが文人と呼ばれる人びとであり、彼らがサロンその他で行う議論であった。「あらゆる支配のうちで文人たちのそれが、目には見えないもののもっとも拡がりをもっている。権力者は命令するが文人たちは統治する。なぜなら彼らは長期的には世論をつくり、それは遅かれ早かれあらゆる種類の専制を征服しあるいは覆すからである」と書くのはデュクロである。

あたしゃRPGなんて認めない、ゲームNOだとDJガラ。

[D・J・ガラは黙読の退屈と会話の愉しみとを対照させ]
「書物には驚きもなければ興奮もない。そこでは怒りでさえが計画されている。書物はいつも人工的に作られるものであり、人物よりもはるかに偽善的である。」(略)

文学サマー’68

貴族と文学者とは別個の階級に属していたのである、ところが一八世紀の終わり頃には事情が変わってくるとトクヴィルは述べる。文学者が政治の世界で一定の地位を認められるようになるのではないが、逆に貴族が文学者のほうに移動してしまうのだ。「文学はこうして平等が隠れ家を求める中立の場所のようになっていた。そこでは文学者と領主とが出会い(略)しかもある種の想像上の民主政が現実の世界の外で支配するのが見られた。」この貴族と文学者の「出会い」にはこれまでの主題であったサロンの存在が少なくとも暗示されているように思われる。そしてこの空間を支配していたのがほかならぬ平等であり想像上の民主政であったという指摘がわれわれにはきわめて興味深い。

サロンだって荒れるわけで、それを収められるのは参会者よりも上位に存在する女主人の巧みな導きであり、全員が平等である革命期の政治結社では対立は解消されず悪化するのみであった。

ガラが次のように書いている。会話は読書とはことなり同じ場所に集まった複数の人間による口頭によるコミュニケイションであり、そこでは場合によって相手の攻撃的な言辞やまた自身の声の高ぶりから参加者のあいだで興奮状態が生じることもないわけではない。

印刷がネットだった18世紀。みんな、つながれ。全ての者に情報を。

文字の発明が「場所と時間を結びつけ、うつろいやすい思考を固定し持続的に存在するのを保証する」ことで人間精神の進歩に寄与したことが語られるとともに、さらに永いあいだ青銅板に刻まれた文字しか考えられてはいなかったが、「名もない個人」が紙のうえにも印刷するという「新しい技術」を考案するやいなや「古代の宝物が挨のなかから取り出されてあらゆる人間の手にわたり、あらゆる場所へ浸透してゆく」ことでルネサンスが到来したのだと論じられていた。(略)
大きな領土に広く散らばった人民はこの手段によってかつての都市国家の人民と同様に自由になることができる。散在する人間たちが集合した人間たちと同じように検討し、討議し、判断できるのである。