宮崎駿全書

宮崎駿全書

宮崎駿全書

  • 作者:叶 精二
  • 発売日: 2006/03/01
  • メディア: 単行本

千と千尋』での安藤雅司宮崎駿の緊張関係

 安藤は、宮崎がこれまで描いて来た理想化された少女とは違ったリアリズムを持ち込もうと考えた。宮崎も従来型の作品構造から脱却した新しい作品を模索しており、二人は合意の上で新たな作風に挑んだ。キャラクターデザインは、従来同様に宮崎が描いたイメージボードを安藤が整形して仕上げるスタイルであったが、細部のニュアンスは安藤に任された。宮崎の初期案では露骨に臆病さ・怠惰なイメージの離れたタレ目の千尋が描かれていたが、本編のテザインとはかなり違う。

序盤の愚図な少女に寄り添ったスローな展開は、宮崎にとって暗中模索であった。破棄した絵コンテは膨大で、先の見えない物語に宮崎は困惑し、苛立った。中盤からは堰を切ったように波瀾万丈の展開となり、安藤の当初案では予定されていなかった極端な喜怒哀楽が描かれるようになる。曖昧さを嫌い極端な表現を好む宮崎は、結局安藤の設計志向と異なる従来コースに舵を取った。
(略)
 安藤は、物語とキャラクターの変転に違和感と失望を感じ、修正の方向性に悩みながらも、出来る限りの作業を怠らなかった。

 宮崎は、『カリオストロの城』の頃からずっと、「自らは引退し後継者にバトンを渡したい」と語ってきた。安藤は、ある時期までその筆頭候補だった筈である。宮崎は安藤との関係を次のように総括している。
「“ゴチャガチャ通り”ならまかすことが出来たと思うけど、おもしろくないという結論が自分から出てきちゃったんだ。その段階でぼくは約束を破った(中略)安藤の努力と才能がいい形で映画を新鮮にしていると思う。同時に、お互いうんざりした(中略)バトンは渡さない。あいつも、ぼくのバトンは要らないといっている」
 このように、本作には宮崎と安藤の、口もきかずに黙々と紙上で展開された暗闘が見え隠れしている。多くの作画スタッフが「安藤と宮崎の意図の違いに戸惑いを覚えた」と語っている。

霧のむこうのふしぎな町 (文学の扉)

霧のむこうのふしぎな町 (文学の扉)

霧のむこうのふしぎな町』と「ゴチャガチャ通りのリナ」

[『耳をすませば』で天沢聖司が読んでいた『霧のむこうのふしぎな町』]
 主人公は太目で取り柄のない小学六年生の少女リナ。リナは、夏休みに父の勧めで「霧の谷」を訪れる。そこは地図にない外国風の商店街で、住人は全て魔法使いの末裔。四季の花々が咲き乱れ、会話する動物や鬼・小人も出入りする。リナは、頑固なピコットばあさんが家主の屋敷に下宿し、「食いぶちは自分でかせぐ」という決まりによって、各店で一週間ずつ働く。リナは様々な仕事を体験して成長する。全ての仕事を終えたリナは、去りがたい気持ちを圧して帰路につくと、元の世界では数時間しか経過していなかった
(略)
 [98年]「少女のための企画」として、『霧のむこうのふしぎな町』は再検討された。企画は、原作の原題を模して「ゴチャガチャ通りのリナ」という仮題でスタートした。しかし、この企画は早々に断念することになった。

「煙突描きのリン」

98年6月、「シニアジブリ」と仮称されていた新事務所が「豚屋」として完成。(略)宮崎は、豚屋で仕切り直しの新企画「煙突描きのリン」に取り組んでいた。今度は銭湯を舞台とした企画であった。
 80年頃、宮崎は裸の人物たちが銭湯で格闘する話を構想しており、その延長で『ルパン三世 第145話 死の翼アルバトロス』を演出。86年の企画「アンカー」の舞台にも銭湯が予定されており、89年に次のような構想を語ったこともある。「番台にすわっているバアさんが犯罪組織の頭領で、ある少年が小さな女の子をかくまわなければいけなくなって、風呂屋に行くんだけど、男湯に連れて入るわけにはいかないから、女湯にいかせたら、いつまでたっても出てこない、そんなことが発端になって映画が作れないか」

紅の豚」ピッコロ社社長台詞「女はいいぞ。よく働くし…」に対する女性スタッフの感想

動画チェックの藤村理恵は(略)「楽に使えるという意味にも聞こえる」「大人数まとめるときは、女の方が主張がなくていいやといわれているようだ」と違和感を語っている。
 また、賀川愛はカーチスと空賊に啖呵を切ったフィオがポルコの前で震える姿に「ああいうところを見せたくなくて走っていく、というのが本当の女の子の弱みでは」とも語っている。


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