宮崎駿の世界vs押井守

宮崎駿の世界―クリエイターズファイル (バンブームック)

宮崎駿の世界―クリエイターズファイル (バンブームック)

[鈴木敏夫対談]
『リトル・ネモ』でハリウッドに行きテーマもストーリーも決ってないのにイメージボードを描けと言われて激怒した宮崎駿だったけど、結局そういうのありかなと思ったみたいと鈴木。

じゃあ、それまで宮さんがどういう風にやっていたかというと、高畑勲とのコンビが長かったですからね。まず、全体の方向性を高畑さんが言うんです。その当時は二人の考えも一致していて、殆ど意見が分かれることもなかった。だから、高畑さんが「こうだ」と言ったら、宮さんもそれに賛同するし、逆に高畑さんも宮さんの意見を採用していたんですよ。それで高畑さんが色々喋ることを、宮さんがどんどん絵にしていく。そういう方法で、実は色々な映画やTV作品ができていった。

[テーマを決めるとかを]やめちゃったのは、正確には覚えてないですけれども『紅の豚』からなんですよね。それまではちゃんとシナリオがあるんですよ。やっぱり、その辺りからちょっと傾向か違うでしょ。

文芸作品トトロ

宮崎駿はすごいですよ。もうサービスの塊です。(略)
これはよく話すんですけれども、『となりのトトロ』は、第一案だと最初からトトロが出てきて大活躍ですよ。その幻のトトロは皆にも見せたいぐらいです。冒頭から最後までずっと出っ放し。

普通の映画はトトロが中盤で出て来るものだと言われ悩んだ宮崎、『火垂るの墓』と二本立てだからサービスを減らして文芸作品でいいかという結論になり、ストーリー激変、猫バスもコマ乗りも削除の勢いに。鈴木が説得。

彼の中で、唯一商業性というものから解放されて作ったのは、やっぱり『トトロ』だったんですよね。だからそれが、なぜか一番支持されているから、世の中というのは皮肉だな

[押井守対談]
関係ないけど押井の全共闘調会話ってあれですかなんでもプロレスで語っちゃうようなノリなんだろうか。
デジタル化を拒む理由

[動画をモニターで再現できるシステム]が入ったのが確か『魔女の宅急便』の頃じゃなかったかな。アニメーターは大喜びで使ったんだよね。特に原画マンが。高畑さんは大喜びしてたね。宮さんは、「あれは悪魔の発明だ」と言って最後まで使わなかった。実際問題から言うと、解らなくもない。クイックアクションレコーダーっていうのは、線画だからさ。実際、(色)を塗った時に見える動きと、線で見える動きは別ものなんですよ。これを見分けるには、手でパラパラやった時の方が解る。(略)
背景があって、エフェクトがあって、初めて映像なんだよね。セルだけ動かしてチェックしても[正確じゃない]

宮崎駿が逆らえない女

アニメーターだけだったら、多分、宮さんが、ある時期までは全部圧殺したかも知れない。でも、デジタルに転向したのは、あの人が保田道世さんというおばさんに逆らえない人間だったからなんだよ。保田さんって、ジブリの色指定で、動画とか外注とか、制作にも睨みをきかせていて、いわばジブリの影の実力者でもある。(略)
で、彼女がデジタルペイントに変えるって宣言したんだよね。その方がいいんだっていう。で、デジタルペイントを使い始めるっていうことは、自動的に撮影までコンピュータでやらざるを得ないということになるんですね。あとは一気に、スタジオ全部がデジタル化しちゃう。宮さんのポリシーはその時代に崩壊したんだよね(笑)。

ジブリスターリニズムだ、頭の中まで全部支配しようとしているとアジる押井。

いつか誰か書かないといけないと思ってるんだけどね。「ジブリ興亡史」を(笑)。(略)
凄まじい内部闘争があった筈なんですよ。間違いなく。高畑さんが今ジブリでものを作れない状況も、そこから当然出てきたわけですね。

先日鈴木氏は国営放送で「排除したらまた別の人間が生贄になるだけだから排除はしない」と語っていました。

僕はこのI・Gというスタジオでどういう現場を作ろうかっていう時に、ジブリであってはならないんだっていうさ。僕は現場でも公言してるし。「ここはジブリじゃないんだ。作品を誇るべきであって、スタジオを誇るべきではないんだ」って。どんな人間だろうが、どんな仕事の仕方だろうが、要求したことに応えてくれるのであれば、それでOKだと。(略)
ジブリで宮さんに口答えする人間がいるとは、僕は思えない。恐らく、口答えした人間はとっくの昔にはじき飛ばされてるか、頭に来て辞めてるか。僕が一番嫌だったのは、教育っていう名の注入もそうなんだけど、そういう組織につきもののスケープゴートってあるわけじゃないですか。誰かを血祭りにあげて、そのことで結束をはかるっていう。

抑圧したくない

僕からすれば左右の問題じゃなくて悪党であるか、否かだけでやってきたんですよ。悪党だけにはなりたくないって。抑圧する側にまわりたくない。それと、自分の職業である”監督”とかね、バランスをどうとるのかっていうこととか、内実はどうかとか。僕は僕なりに苦闘してきた。(略)
今は逆にさ、要はオタク世代というかオタク的な感性の最大の特徴は、そういうこと自身もすべて面白がるっていうことなんだよね。あらゆることを面白がりすぎるんだよね。あらゆるものが茶化す対象なんだ。(略)
これは感性からいったら、もしかしたら一歩前進しているかも知れないんですよ。(略)
[しかし]僕はやっぱり承服できないと思ってるわけ。あらゆるものを面白がるだけではやっぱり足りないんだってさ。だから、面白がれない限界は来る筈だって、どっかで。

宮崎と庵野秀明は似てる。劇場エヴァを観て庵野はバカじゃなかった、頭がよかった、ああいうことを延々やれる真面目なところも宮崎と似てる、と押井

そこら辺でもあの二人、とってもよく似ているよね。どんなにおどけて見せようが、斜めに崩して見せようが、どこかしら妙に真面目なところがあるね。二人とも収容所の所長になれるタイプであって(笑)。(略)
エヴァ』を観て考え直した。こいつは収容所の所長になれるタイプだって。そうでないイメージで売ってるけど実は違う。

「実感の世界」三者三様

これは僕の想像でさ。間違ってない気がするんだけど、宮さんとあいつの最大の違いは何かっていったら、宮さんは自分が「実感の世界」に生きているっていう自信があるんだよね。僕に言わせれば根拠の無い自信なんだけどさ。いつもその話で揉めるんだけどね。庵野はね、「実感の世界」に生きてないっていう自覚があると思うんだよね。そこは僕に似ているんだよ。でも、そうでありたくないっていう思いがあの男にはあるんだよね。僕はそれでかまわないっていう思いがどこかにある。「実感の世界」に生きようが生きまいが関係ないんだっていうさ。そこが違うんじやないかな。

キャシャーン』観てないけど、会って話して、紀里谷はいい奴だったよ。

映画に関しては真摯な男だなって、それはよく解った。メッセージとか情熱とかは本物だっていうことは解った。ただ、どうすれば映画になるのかっていうことは多分これからだと思う。(略)
多分、映画になってないんだろうなとは思ったし。フッテージを見た限りでは、映画に必要なある種のスケール感を掴み損ねてるのは間違いない。ただ浮わついた気分では、ああいう映画は絶対にできないから。あれはお金をかけたわけでもなくてさ。基本的に情熱で作ってる作品だから。それは正当に評価していい作品だと思ってますよ。ただね。やっぱり色々ね(笑)。

全然関係ない話だけれども、映画がどういう風にして映画になるか、どうやったら映画として感じてもらえるか。それはね、独特の方法論が実はあるんだって、ずっと思ってるんだよね。多分そういうことに感づくか感づかないかで監督の意味は変わると思っているんですよ。プロモ系のディレクターが映画で成功しない原因はそこにあると思っているから。(略)作っている画が違うんだ。世界の縮図が見えるだけで世界が見えてこない。多分それは映像っていうものに対する捕らえ方が根本的に違うんだろうっていう気がしてしようがないね。

糸井重里は、そういうのイヤなんだけど、ある種体育会系にしてかないと立ち行かぬと言ってたな。

僕は、あの人が若い子を血祭りにあげてるところを見たことあるけどさ、あれが未だに許せないよね。あの人に言わせれば教育なんであってさ。でも誰に対しての教育なんだって。どこに対しての教育なのか。その状況を見ている人間に対する教育なのか。

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