大塚康生インタビュー

大塚康生インタビュー  アニメーション縦横無尽

大塚康生インタビュー アニメーション縦横無尽

 

「止めの美学」について

出崎統さんは、普通なら止めなくてもいいところをわざわざ止めたり、独自の映像テクニックを駆使する人ですし、「動かしかた」については語らない(略)[コンテを切ったらラッシュまでは現場まかせ]一種のコンテ芸術家なんです。(略)
近ごろはある大学の教授が、「止めのアニメこそ日本が世界に誇る技法である、動きを主張するのは時代遅れである」などと言っています。動かさないかわりにデザイン的に見せるというやりかたが、これから将来にわたってずっと支持され続けるのかどうかわかりませんが、少なくとも僕たちは動かすことでやってきたし、反対に出崎さんは動かせなかったし、理屈で動かす必要もないと思ってきた---と言ったほうがわかりやすいでしょう。そりゃ、「主人公の青春があればいい」と言えば、それでもいいですよ(笑)。だけど、僕にはとても空虚な言葉に聞こえる。言葉をまぶしちゃうから、わかりにくくなってしまう。(略)
[夕日、光る波]そういうイメージ的な映像を、お話の前後と関係なく心象風景として出す。ところが、それにダブらせて、女の子が横を向いて潤んだ目をしていれば、それだけで観るほうは「何か」を感じるじゃないですか。
そういう、感覚的なものにすがるようなところがあって、その点では、あくまで論理的な映像のつながりで納得したい僕なんかの見かたとは対極にあるような気がします。まあ、それはそれでいいとして、出崎さんのことはこのへんで(笑)。知らない人じゃありませんから、批判的と思われるのは困るわけで……。何とかして客観的に話したいんですが。

古い新しいで言うなら、東映はたしかに古かった。これは「作画汗まみれ」には書かなかったけれども、虫プロができたときに馳せ参じた人たちは、実はみんな、その古くささが嫌だったんですよ。東映の、一種のヤボったさがね。
(略)
それでね、実は僕は『千と千尋』にしても、ある意味でダサいというか、いまだに東映的だなぁと思うんですよ(笑)。

なぜ虫プロに移った東映スタッフから「動き」の技術が伝わらなかったのか

[その一因として]手塚さんに、「漫画が描ける人はすぐアニメーターになれる」という楽観主義があったからだと思います。初期教育でアニメの原理からキチンと教えられていない素人でも、2、3年もたてばそれなりのアニメーターとして育ちますが、「止め」であっても絵さえ上手なら世間が承認してくれるとなれば、今さら初心者には戻れないでしょう。(略)
きっと『鉄腕アトム』をやる前までは、手塚さん自身を含めて、本心では、東映とは違うタイプの斬新なフル・アニメーションをやりたかったんじゃないかと思うんですよ。
[それがテレビの制約で大幅にスケールダウン]
これはもうダメだと思った矢先に、『アトム』が国民的な支持を得た。それで自信がついたというか、これでいいんだということになって、そっちにパーツと走り出しちゃったんじゃないでしょうか。そういう状況下で、あの人たちは、独自の止め絵的な美意識とテクニックを発展させてきたわけで、極論すれば、それが今日のアニメ界の状況に脈々と連なっているんだと思います。

せっかくアニメーションには、「動く」という、漫画にはない特権があるわけだから。しかし、それをやるには手間と枚数がかかる。変なアングルを多用したり、やたらとカットを刻んだりするのは、手間をかけないで派手に見せるための一種のハッタリとも取れます。そういう現象も、ひいては、雑誌漫画からの悪しき影響なのかもしれませんね。

手塚治虫の絵はリアルに動かさない方がいいから、動かしたい自分には向かないと虫プロからの誘いを断っていた大塚康生が、

虫プロ『W3』のオープニングをやったわけ。

当時虫プロでは、穴見さんという常務が経営を一手に引き受けていたんですが、その奥さんがもと東映の美人アニメーター、中村和子さんだったんです。ある日、彼女がいすゞベレットというクルマに乗って東映にやって来た。色はシルバーメタリックだったかな。ピカピカの新車で、「大塚さん、私、こんなの買ったのよ」って。そのころ僕もボロ車(日野コンテッサ)に乗っていたんですが、いいなあと思って、「ちょっと運転を教えてあげる」と二人でベレットで表に出た。大泉の街路で、「高速コーナーリングというのをやってみせるよ。ブレーキを踏みながら、同時にアクセルを踏むんだ」。ヒール・アンド・トゥっていうのかな、僕も若かったもんで、はりきってやったんです。そしたら、クルマがくるくるっと2、3回転して、どこかの会社のブロック塀にドカーンと激突した。
[新車がいきなり廃車で、妻呆然、大塚が代わりに事情を伝えようと虫プロの穴見さんに会うと]
「それはいいですから、そのかわりオープニングの作画を1本やってよ」と。
『W3』のオープニングを描く人がいなくて困ってて、ちょうどその会議をしていたんですね。で、会議室に引っぱり込まれたら、手塚さんがいらした。穴見さんが、「先生、すべて解決しました。オープニングは大塚さんがやってくれるそうです」。手塚さん、「ええっ、ウソでしょう!?」って驚かれましてねえ。事情を話すと、「大塚さんにやってもらえるなら、そんなクルマ、1台でも2台でもつぶれていいよ」。穴見常務も、「これは天から降ってわいた幸運だ。さっそく打ち合わせしましょう」と、その場で、「ターンターン、タンタカタッタ」って手塚さんご自身の実演入りで打ち合わせが始まったんです(笑)。

侍ジャイアンツ』のあと『コナン』の直前、一時休業して

プラモデル会社の企画部長としてマニアック車を製作

MAX(マックス)というメーカー。「企画はすべて任せる、好きなトラックのプラモを作っていいよ」と言われて、ぐらぐらっと心が動いた(笑)。(略)
カナダ製のCMPとか、アメリカのダッジ・シリーズとか、イギリスのベッドフォードQLトラックとか、日本ではマイナーな車種を選んで作った。ところが、これが当時は売れなくてねぇ。あとになって、世界的に有名なキットになったんですが。今でもすごいと言われているんですよ。(略)
たった2、3人の会社だから、ふろしき包みでサンプル持って問屋を回り、何ケース買ってくれとかいう交渉までやらなきやならない。あっちこっちの金型屋を値切って歩いたり、どんどん営業マン化していくんですよね(笑)。(略)
これはダメだと思ってねえ。社長が、「こんなに売れないんじゃ、もうやめようか」と言うから、「うん、やめよう」。「金型をどうする?」「僕が売ってきましょう」と、アメリカに金型を持って行ったんです。ペンシルバ二アで、ピアレスという会社のゴールドバーグというユダヤ人に会って、売値の交渉をして、金型を全部売っぱらってしまった。で、ゴールドバーグは、すぐにエアフィックスというイギリスの会社にそれを転売した。(略)
あそこが僕たちのキットを、世界的に、大々的に売り出したんです。エアフィックスでしばらく売ったあと、今度は、イタレリというイタリアの会社にまた転売された。今は、イタレリから出ていますけどね。

『コナン』ロボノイドの人間くさい動きは

「僕がそう考えてるだろうと想像して、実は宮崎駿さんが設定した」というのが正確です。僕らはそういう関係なんですよ(笑)。(略)
宮崎さんは、スタッフをものすごくよく見ているわけです。(略)とことん相手を読む。これはアニメーション演出においてはすごく重要なことで、この人に描かせたらこうなるだろうというのを読まなきゃ、本当は絵描きを使えないはずなんです。今、日本のアニメ界で一番壊れているのは、そこですよ。誰に描かせても同じだろうと期待して、韓国などに外注でばらまく。同じものができてくるはずないのにねえ。

明日につづく。

 

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