宮崎駿「風の帰る場所」

音楽を聴くのが楽しいせいか、本を読む根気がなくて、ついこーゆーの読んじゃうね。

風の帰る場所―ナウシカから千尋までの軌跡

風の帰る場所―ナウシカから千尋までの軌跡

  • 1990.01

渋谷陽一の前衛的自己表現欲みたいなのはないのですかという問いに、
集団作業だし

少なくとも子供に向けて作品を作りたいっていうふうに思ったときから、そういう部分で映画を作るのはやりたくないと思ってます。映画だけじゃないです、他のものでもそうです。それは大人に向けて作るときは、また違うでしょう。大人に向けて作ったら、たぶん『あなたは生きてる資格がないよ』ってことをね(笑)、力説するような映画を作るかもしれませんけど」

ゴローおおお
(左翼的理想主義捨てないですねと言われ)

[圧政に立ち向かう]そういう瞬間をたくさん持ったほうが人生っていうのはやっぱりずっといいですよね。(略)
そういうことを一回も経験せずに終わるのとね、やっぱり隣にいた奴の顔は知らないけども、なんか仲間だなあと思って高揚した瞬間を持った人生のほうがねえ。(略)」
「それは、そういうのは自分の息子にも味わわせたいしね。それで、今はお互いにくだらなくなってるけども、そういう瞬間が来たら、やっぱり前よりずっと親密になれるんじゃないかと思って人を眺めることができるとか、そういうふうなことのほうが僕はやっぱり同じ時間を生きるなら、ずっとましだと思う。

手塚治虫

「どうして彼があんなにアニメーションにこだわるのかってときにね、やっぱり彼の漫画が日本の漫画から出発してるんじゃないことなんですよね。ディズニーのアニメーションから出発してるところなんですよ。それで、とうとうあの人はやっぱり・・・・あるところではものすごく優れてるのに、その自分の親父さんをどっかで殺し損ねてるんですよね」(略)
「ディズニーを否定しきれなかったんですよ。やっぱり少年の日のまぼろしなんですよ、もう理屈を超えてるような気がするのね。

  • 1992.09

自己全開の「紅の豚」が出てわが意を得たりの渋谷陽一
なぜ今これなのか

バブルがはじけたときに(略)管理社会っていうのはバブルだったんじゃないかってわかったような気がしたんですよ。『管理社会に食い殺されるな』っていうふうなエールを送る作品なんていろいろ言ってきたけど、なんかこの管理社会そのものも一種の幻影でね。もちろん没落期になるともっとヒステリックになるから、一段と管理が強まったりするだろうけど、同時にそれも力を失っていくだろうと。説得力を失ってヒステリックになっていくだけだろうっていう。(略)
国境もなにもいろんなものがひしめきあい交じりあいながら生きていかなきゃなんないっていうときに、80年代の簡単な民族主義や安直なニヒリズムの刹那主義はうんざりだっていう。だから、どういうようにして自分は生きていけるかっていうことも含めてね、もう少し本質的な映画を作らないと駄目な時期がきたと思うんです。

ソ連崩壊はショックじゃなかったけど

その後また民族主義かっていう、その。“また”っていうのが一番しんどかったですね。第一次大戦の前に戻るのかっていう感じでね」(略)やっぱりユーゴの紛争が大きかったんです。(略)
それがこの映画作ってる最中に重なってきたから『オレは最後の赤になるぞ』っていう感じで、一匹だけで飛んでる豚になっちゃった(笑)。
だから、ある意味でものすごく個人的な映画になってしまったという。そういう恐ろしい現実に直面して

「魔女宅」「おもひで」がヒットして荒れる御大二人

‐ある意味で埋めるためということであるだけに余裕を持って作られてるっていうのが一つと、悪い表現ですけど、手練の仕事的な部分があって、それがすごいメガヒットに繋がったっていう要素は一つあると思いますね。
「ええ、そうですね。そういうことだろうと思います。実はパクさん(高畑勲)も終わってから、ちょっと荒れてるんです(笑)、僕はその気持ちすごくよくわかるんです。やっぱりねえ、ああいうものを作るとつらいですね、『魔女の宅急便』を作った後、僕もちょっとつらかった。それは言い訳がいろいろありましたから。しょうがないからピンチヒッターでやったんだとかね、そういうのがあったとしても、実のこと言うとちょっとつらかった。それが一番ヒットしたから、なおさらつらかった。『これをもし続けたら駄目になるな』っていうふうに思ったんですよ」

  • 1997.07

逃げろ庵野

「それはだって本人からも聞きましたから。テレビシリーズのときに、どういう目に遭ったかってことをね。それで、本当に困ってたから、『逃げろ!』って言ったんですよ。『本当にやりたくないんですよ』って言ってるから、『映画なんて作るな』ってね。すべてを出しきった人間の状態っていうのは自分の経験でわかりますからね。出しきったときにね、商売上の理由でそれを続けなくちゃいけないってなったら、どういう気分になるかって考えたら、もうこれは本当にものを作るのを続ける気なら、逃げたほうがいいですよ。自分が作ったものに縛られてね、結局大嫌いなおじさんたちの餌食になるだけですから。(略)
それよりもちょっと心配だったのは、あいつのほうがしたたかだと思うんですけど、ああいうのをやってしまうと、自分の作ったものに縛られていくでしょ。ヤマトとか、ガンダムとかね。そういうものに、縛られると最悪なことになりますから、なるべく自分が作ったものは、足蹴にして観ないようにして、別なことを始めるっていう……だって、それで稼いだんだから、その金で姿をくらますこともできるはずなんてすから。それ言うと『私はスタッフを抱えてるから』なんて言うんだけど、『スタッフなんておまえのことなんか考えてないんだから、捨てて出ていけばいいんだ』って言って。そういう余計なことをいっぱい言いましたけどね」

押井守

「いや、観てないんですけど。わかるんですよ。士郎正宗の『攻殻機動隊』は読みましたもん。これ全部入らないから、どうせ適当に全部意味ありげに語るんだろうって。意味ありげに語らせたら、あんなに上手な男いないですからね(笑)。(略)
実に語り口は巧妙なんですけど、要するに押井さんが言ってるのは、東京はもういいやってことなんだろう、だから、伊豆に行って犬飼うんだろうって。(略)
「いや、基本的に友人ですからね。だから、元気に仕事やっててほしいんですけどね。でも、押井さんはね、本当はものすごく生活を大切にする人で、彼が作ってるような形而上学的なとこで生きる人間じゃないと思うんですよ。(略)本当はものすごく健全で、潔癖な男なんですよね」
 --鋭いですね
「そんなことはもうちゃんとわかってますよ。朝早く起きて、夜は寝るもんだってね。そのくせジブリスターリン主義だとか、いろんなこと言うんですね(笑)」

宮崎駿高畑勲の世界観がずれてきてるのではという問い

−どうなんですか、高畑さんは戦友でもあるわけですけど。
「パクさんはもう作品を作らないほうがいいなと僕は思ってますよ」
−世界観のディスカッションはもうしないということですね。
「もう、しません。全然関係ないことを二人で話して、あははと笑ってるだけです。それはもうそういうものですよ。一時期本当に一緒にやったわけですから。資質の違いとか、取り返しのつかない部分も含めてね。それはもういいんじゃないのかなと思ってます。それぞれが意地で自分の範囲で生きようとしてね、とりあえず人間ってのはその範囲でやるしかないと、あの人は初めからクールに決めてるから。それはお互いによくわかるから。

  • 2001.07

鈴木敏夫

湯婆婆には、湯婆婆のストーリーというか、大人の生活があるはずですから。プロデューサーはね、夜な夜ななにをやってるか知りませんけども、なんか出掛けていくしね。なんか難しい作業をしていたらしくて、グッタリ疲れて帰ってくるし(笑)」(略)
徳間書店の本社の会議でクタクタになって帰ってきたりなんかしてるの見てると、なんか知らないけどバタバタと飛んでってね、で、いつの間にかバタバタと帰ってきてるって、その程度でいいんだっていうことですね」(略)
‐鈴木(敏夫)さんが湯婆婆なんだあ(笑)。
「ええ、頭のデカさだと僕なんですけど。本当にスタッフにはそう説明しました(略)
「いや、まあ、湯婆婆は鈴木さんと僕の合の子っていうか、混ざったもんだっていうようなこと言うと、みんなよくわかったみたいですけどね。突然理不尽に怒鳴るとかね。でも、経営者っていうのはそういう側面を持ってますよ。やっぱりお金も必要なんですよ。愚かな母親でもあるからね」

コミック版の『ナウシカ』の「庭」

やっぱりここに寄んなきゃ駄目だなって寄ったんですね」
−それはもうあえて出したっていう感じですか?
「いや、寄らざるを得なかっただけなんです。庵野には言われましたから、『あんなことするから時間がかかるんだ』って(笑)」
庵野さんの場合、あすこに寄りっぱなしみたいな気がしないでもないですけどね。庭に住んでる人というか(笑)。
「ええ、そうですねえ、庵野はそうですねえ、困ったですねえ。自意識の井戸なんか掘り始めてもね、そんなものはただのカタツムリが貝殻の中をウロウロしてるようなもんでね、先までいったらなにもないってことはもう十分わかってるんですよ。それなのにまた回るのかっていう。(略)
「生き永らえて四十代に入るんだったら、『エヴァンゲリオン2』を作り続けるか、そうじゃなくて誰かのために映画を作るか、その二つの道のどっちかを選ぶしかないって。そうしたら、実写に逃げやがって、あの野郎。あれ、逃げですよ、ただの」(笑)
(略)
−押井さんも一緒ですかね。
「うーん、押井さんよりもずっと庵野のほうが才能ありますよね。押井さんの実写はもう、あれ学園祭向きのフィルムから一歩も出ないから。あれ反復強迫だと思うんですよ。完成品を作っちゃいけないっていうね。押井さんの実写によくスポンサーがつくなと思うだけで(笑)」
(略)
「だって、たかが武装ヘリコプターが一機飛んだだけでワクワクしてるの、ただのオタクだって」
−宮崎さんももオタクじゃないですか。
「オタクったって、僕は、ああいう鉄砲のオタクっていうのが一番嫌いなんですよ。はっきり言いますけど、ああいうのはレベルが低いと思ってるんですよね。鉄砲の中でも、ピストルのマニアっていうのは一番レベル低いんです、一番幼児性を残してるんです。(笑)

  • 2001.11

ナウシカのラスト

映画の最後の大ラストのところで絵コンテが進まなくなっちゃったんですよ。なぜ進まないかっていったらね、王蟲を一匹も殺したくないんですよね。『もう殺したくない!人間は殺しても王蟲は殺したくない』っていう気持ちが強くて(笑)。それで最後、パクさんが、『殺しゃあいいんだ!』って怒鳴ってね。『じゃあ殺す!』って、それであっという間に絵コンテができたんですよね(笑)。
(略)
やっぱり僕は通俗文化の担い手のー人だっていう自覚が強烈にありますから。これ手塚さんだったら、ナウシカを殺すなって思ったんですよね」(略)
それで、王蟲ナウシカを連れて森に去っていくっていうので、みんなで泣くっていう映画を作るなって。僕はそんなことしてたまるかって思いましたからね(笑)」

ナウシカからラピュタ

「いや、やっぱり四十歳にもなってね、プロダクションを辞めて、仕事のチャンスがないっていうことの苛立ちみたいなものが、とにかくこういう形で一回満たされた途端に、今度は素っ裸で自分がなにほどのものかっていうかね。(略)
だから、『ナウシカ』の後、『ナウシカ2』を作らないかとか(略)当然会社のほうから出たわけですけども、なんか裏切りたいんですよね。(略)ハンコ押されるの嫌だっていうね。『ああ、エコロジーの宮崎さんですね』ってなってしまうのは嫌なんですよ(笑)。それで、かわしたい、裏切りたいっていうのもあって、『ラピュタ』みたいなのをやっちゃおうって思ったんです」

助走としての「耳をすませば

ただ『もののけ姫』に僕はすぐ入れなかったんですよ。だから、実のこと言うと『耳をすませば』っていうのをやろうって近藤喜文を巻き込んだのは、もちろん近藤喜文にやらせたいっていうのも本当にあったんですけど、助走としてああいうものをちょっとやってみたかったんです。それなしに『豚』から突然ね、『もののけ姫』にはならないですね。なんかやっぱりこの現代に生きてる子供たちに向けて、なんかこれは面白いんじゃないかっていうものを作りたい、だけど、それをやってしまうと次の作品に全力投球できないから、これは人にやってもらうしかないっていうところで、このモチーフであれば近藤喜文がいいだろうっていうふうに、実に辻棲が合ったんです。だから、『耳をすませば』では僕は監督じゃなくて、絵コンテ・マンをやっただけで。そういう意味では、僕にとって傍流なんですけど、ほんとに大事なステップだったんですよね」

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