高畑勲の世界 ユリイカ7月臨時増刊号

誰が描いても「高畑さんの作品」になる 百瀬義行

 高畑さんの作品は一見地味ですが、先進的なんです。シナリオだけでなくアニメーションの表現についても、常に新しい技法を持ち込もうとされる方でした。子供向けだったアニメーションの枠組みを踏み越えて発展させた方だと思います。『ホルス』の迷いの森とか、ハイジがフランクフルトでノイローゼになる描写とか、そういうものも単に奇を衒った表現でなくそれが成立するような土台を築いた上で選択しているんです。
 「鉛筆の線をそのまま活かしたい」という考え方についても、『山田くん』や『かぐや姫』で突然始めたものではありません。
 そもそも、『ホルス』でセルに原画の線をそのまま転写する「ゼロックス」を導入したのは高畑さんです。それまでは、トレスによって全ての画がペンで清書され、フラットな線に変えられていたわけです。『ホルス』で初めて、かすれたり強弱があったりする原画の鉛筆線をそのまま使うのはアリなんだと現場の認識が転換させられたわけです。
(略)
高畑さんは、その線についての考え方をその後も持ち続け、デジタルになっても発展させ続けたということです。執念としか言いようがありませんね。
(略)
――(略)『火垂るの墓』では小津安二郎監督や溝口健二監督の作品をスタッフに観せていたと聞きます。(略)
小津作品では『東京物語』や、子供が主人公の『突貫小僧』『生まれてはみたけれど』『おはよう』とか色々観ましたね。小津監督の低いカメラとか特徴的な演出を参考にしたわけではなく、狭い日本家屋の玄関から見た六畳間とか廊下から見た三畳間の見せ方の参考にしたという感じでした。近藤喜文さんは、当時の日本人の立ち居振る舞いや、表情とか骨格を中心に観ていたと思います。どの作品も上手い役者さんが大勢いたので。
(略)
「映画はこうやって作るものなんだ」と学びましたね。原作との向き合い方とか、自分の解釈の込め方とか。
 「高畑さんは原作を尊重する」という言われ方もよくされていますよね。あれも少し言葉が足りない気がするんです。漫画原作の場合で言うと、『じゃりン子チエ』や『おもひでぽろぽろ』には原作の一コマの絵をそっくりに再現したカットや、コマの絵の並び通りにカットを繋いだシーンがあったりします。しかし、同じ絵・同じ進行なのに、そこから感じる印象が原作と全く違うということがあるんですよ。
(略)
たとえば、ぼくがイメージボードを沢山描きますよね。(略)前後の繋がりなども考えずに好き勝手にのびのび描く。高畑さんは、そうした絵を並べて「どうしたらこの絵が使えるか」と一所懸命考えるんですね。その結果、絵コンテを一緒にやっていても、フィルムになると「こうなったのか」と驚くんです。それについて不満は全くないんですよ。むしろひれ伏す感じです。あの絵を拾ってくれたということと、あの絵がこんな風な繋がりのシーンになったのかと。こちらが描いた時に全く考えもしなかったような深い感情を表現したシーンになっていたりするわけです。どこをどうしたら、あれほど上手く繋がるのか分かりません。だから、やはり誰が描いても「高畑さんの作品」なんだと思うわけです。
(略)
高畑さんは作品が完成すると「あのシーンが良かった」という話しかしないでしょう。「あそこはダメだった」「誰々は失敗した」といった言い訳や批難は一切言わないんです。良い部分はスタッフの功績として讃え、悪い部分は全て自分の責任として引き受けるという姿勢は一貫していました。高畑さんは決して人のせいにしません。ぼくは沢山の監督と組んで仕事をしてきましたが、そういう監督は高畑さんだけでした。まさに演出家としてあるべき姿だと思っています。
(略)
自分で悩んで納得して進めた結果なのだから、それに責任を負うということだと思います。なかなか真似できることではありませんが、見習いたいと思っています。

火垂るの墓』の赤い色は降魔色だった。 山本ニ三

 「セピア色の三ノ宮駅の外観を描けますか」と[高畑に訊かれ、描いて提出すると](略)
監督はただ、「描けましたね」と言って何かを考えるように、「赤い色の三ノ宮駅は描けますか」と聞いてきました。(略)「描けます」と言い、自分の仕事机に戻りながら何で最初に赤い色の絵と言わないのか不思議でした。
 ポスターカラーの絵具の赤い色は乾くと、白っちゃけた色相になるので、乾いても変化しない値段の高いガッシュで仕上げをして、監督に見てもらいました。笑みを浮かべて、「描けましたね」と言って下さいました。
(略)
良く考えてみると、赤い色「朱色」は降魔色で清太少年のモデルの、阿修羅像も本来、赤かったのではないかと思います。蛍火も赤く、焼夷弾の色も赤く、燃え上がる家々も赤です。赤い色の三ノ宮駅の絵は『火垂るの墓』のアニメーション映画全体の舞台を作る上でのキィービジュアルだったのだと思います。セピアの色調で行くか、赤い色調で行くか、監督は考えられていたのですね。
(略)
空襲の焼け跡の街が燃え始めから大火になり、沈静化するまでの時間経過の背景画がなかなか描けなくて、苦しい日々が何日か過ぎました。監督に相談に行くと(略)被難者の人々の精神状態を説明して下さいました。「人間というのは、皆が同じように焼け出されると、皆苦しいけど安心するものです。ポカンとした状況を表現すれば、良いと思います」。又、「黒田三郎さんの詩集を読んでみたらどうですか」(略)と言われました。(略)
 詩を読んで(略)助かった安心感と沈静化する空の煙の薄さと、太陽の光を弱く描き、午後の黄色がかった光を浴びた校庭を白く輝かせて、希望を与えるような背景画を描き上げ、監督にチェックして頂くと「この絵で良いよ」と言ってくれました。
(略)
[ポスター制作時、傘をどうさすと監督に言われ、チェブラーシカの「僕が荷物を持ってあげるから、僕をおんぶして」というシーンを思い出し]
「節ちゃんに傘を持ってもらって清太がおんぶしたら良いですよ」と監督に言ったところ、「そのアイディアもらった」と笑みを浮かべました。その状況を作画監督近藤喜文さんがすばらしいキャラクターの絵で描いて下さいました。
(略)
ポスターの絵が仕上がりセル画を被せると、監督に怒られました。(略)上空に黒いシルエットのB-29を背景で描いたのに夜空に溶け込んで見えにくく「全然、見えないじゃないか!」ということです。でも、他の美術作業もあるので、良しとしてくれました。最近、ポスターをデジタルで明るくして見たらB-29が見えると話題になったそうです。

エコロジー

[中条省平との対談の中で]
 エコロジーについて言うと、「ディープなエコロジー」についていけない人がいるだろうなあ、って気がするんです。(略)雑木林を歩くだけでも、たまにドングリを拾ったりするだけでもいいじゃない、というか。(略)
危機感だけを煽り立てるようなことを言い過ぎるのは嫌いなんですよ。今、観念的な喪失感ばかりがひろがっている。
 森林資源の乱伐で言えば、明治維新の頃も、日本の山はものすごく荒廃していたんです。たしかに今は、山そのものを削ってしまうという問題があるけど、山の状態だけに限って言うと、木材を大量に消費せざるを得なかった当時も、ひどいことになっていた。(略)
自然に恵まれていて、人間さえしっかりしていれば、破壊された環境が甦ってくる可能性もあるんだから、喪失感より、未来への希望を語り、励ましたほうがいいんじゃないか。人間は自然に手を入れ続けてきたんですから、上手に手を入れていけば、少なくとも日本では、うまい付き合い方が可能だと思います。その付き合い方を知らせるべきなのに、今は「いかに自然が取り返しのつかないまでに破壊されたか」と、「いかに自然が人間の想像を超えて深いか」との両極端の言葉ばかり聞こえてくるでしょう。

かぐや姫の「罪」

だって原作に書いてあるんですよ、姫は「昔の契りによって来たんだ」と言うし、お迎えの月の人は「罪を犯されたので下ろした」が、「罪の償いの期限が終わったので迎えに来た」とかね。僕のアイディアというのは、罪を犯してこれから地上に下ろされようとしているかぐや姫が、期待感で喜々としていることなんです。それはなぜなのか。地球が魅力的であるらしいことを密かに知ったからなんですよ、きっと。しかしそれこそが罪なんだと。しかも罰が他ならぬその地球に下ろすことなんです。なぜなら、地球が穢れていることは明らかだから、姫も地上でそれを認めるだろう。そうすればたちまち罪は許される、という構造。それを思いついたんです。(略)
簡潔には伝えにくいから暗示にとどめ[るつもりだったが、プロデューサーによる](略)
「姫の犯した罪と罰」というセンセイショナルなコピーが出ちゃった
(略)
歌は自分の記憶ではなく前に地上に降りたひと、ちらっと映像でも出しましたけど、羽衣伝説の天女なんです。天女は月の人間とは書いてないんですけど、月に還って、記憶を失っているはずなんだけど、なぜか歌の記憶が残っていて泣いているのにかぐや姫が居合わせて、いろいろ話を聞き出したりしたのだろうと。天女から聞いた断片から彼女は、鮮やかな色彩があるとか、生命に満ちあふれているとかいう地球のことを想像して好奇心をかきたてられる。それも罪なんです。
(略)
あそこで月に還ったかぐや姫もきっと誰かに残った記憶を話して、また次の誰かが来るでしょうから。あるいは自分がまた来るかもしれない。

高畑勲との交差にいたるまで 片渕須直

[大学三年]の秋に『名探偵ホームズ』が始まったころ、宮崎さんが池田先生に電話をされたらしいんです。既存の、いわゆるプロのシナリオライターのやり方に納得がいっていないので、むしろプロとしてのやり方をまだ理解していないけれどとりあえずものは書けるような学生に頼りたい、脚本を勉強している学生を誰か紹介してくれないか、と。(略)
五、六本書いたところで冬休みから演出助手でテレコムに入ることになるのです(略)
大学四年生になるころまでは『ホームズ』をやっていたのですが、あれはイタリアとの合作で、イタリアからの送金がうまくいかずお金が入ってこないので中断しようということになり(略)全員『ニモ』のほうにシフトするという話になったんですね。ところがレイ・ブラッドベリのストーリーができあがってきたのに対して、宮崎さんが納得いかないと。
(略)
行ってみたら目が真っ赤になっている宮崎さんと煙草の吸殻の山、そしてその向かい側に高畑さんがいて、そこで宮崎さんに「僕はもうここで『ニモ』をやっていくわけにはいかないから、お前のことも作品のこともあとはパクさんに任せた。これからはパクさんを頼れ」と言われて。(略)そこから高畑さんの演出助手につくことになったわけです。
(略)
[宮崎さんは]ブラッドベリが書いたものとどちらがいいか見てくれればわかるだろうと言ってもう一度、自分の書いたストーリーをゲイリー・カーツに提出したのですが、あとで聞いたところによれば「君の書いている『ニモ』は原作のウィンザー・マッケイの『ニモ』とは関係ないだろう」と言われたらしく、それでもうやっていけないからやめるということになったんですね。
それに対して高畑さんの場合は、まっさらの状態でブラッドベリのストーリーを読み解いてくことになったけれど、ブラッドベリのものはシナリオではなくてあくまでもストーリーのベースだったので、そこに書いてあることが作品を作るうえでどんなふうに芯棒として意味をもつようになるだろうかということをまず考えたいというんですね。で、それを考えるにあたっては人と会話しながらすすめていくのがいいというので(略)
ストーリーミーティングをやりました。(略)
ブラッドベリのストーリーをどう読み解いて、それをどう脚本にしていくかをほとんど高畑さんが示しながら組み立てていき、その周りに聴衆がいるという感じでしたね。僕はそこで筆記を任されていたんですけど、ほかにも二期生、三期生くらいの若いアニメーターの人たちが自分たちも加わりたいと言ってくるのに対して高畑さんは「何人いても構わないけど、自分は自分でストーリーを作るのに精いっぱいなんだから、君たちに教えるようなことはしない」と言っていました。
(略)
こういうふうに話を作れば宮崎さんの面白さが出るだろうというので『名探偵ホームズ』のシナリオをも書けていたわけなんだけど、高畑さんのやっていることというのは、それこそ「人間を描く」というのがなんなのか掴めないというところから始まって、しっぽがどこにあるのかわからない。
(略)
[『ニモ』の現場がアメリカに移ることになり、お前は日本で現場の経験を積めと言われ、日本側に残った]
大塚康生さんと一緒に机を並べてお話をする時間が長かった気がします。
(略)
[宮崎は『ニモ』『もののけ姫』『風の谷のヤラ』『ルパンの娘』など色々企画を出したが全て却下された]
基本的に、企画はプロデュースの側から降りてくるものだったんです。
 そういうなかで、高畑さんは降りてきた企画に対してまずは「やる意味がないんじゃないか」ということを言うんですね。(略)
これは本当に自分がやる必要があるのかということ、それを映像にしていくための何かを自分として発見できるのかということを見極めようとするわけです。しかもその際、会話を通じて自分の口から言語化することによって目の前にある企画の意味を見出していくので、企画をもっていった側は相当粘り強くないといけない。高畑さんって、決して能動的ではないんですよ。それは逆に言うと、誰かの口から発せられた言葉の中から何か核となるものを見つけて、どう語ればそれが最良のものになるかを確実に捉えていけるということなのですが、とにかく企画をもらったうえで自分に道を拓けるかを考えるタイプなんてすね。明らかに自分側から発信して始めたのは『太陽の王子』『火垂るの墓』と『国境』くらいじゃないでしょうか。そう考えるとやはり高畑さんはもっと自分のやりたいものを主張すべきだったという気はしますね。あんなに人のもってきた企画ばかりやる必要はなかったのではないか。一本一本の作品の出来とは別に、高畑さんの人生を全体として俯瞰したときにもったいなかったところだと思います。
(略)
[『ハイジ』『三千里』のころからあった生活のリアリズム、ディテールの描き込み]は、たとえば『ナウシカ』のときも言っていたわけです。風の谷の生活をどう組み立てていくかみたいなことを高畑さんは言っていて、ただ宮崎さんが言うこと聞いてくれないんだと。宮崎さんは生活というよりもっとヒロイックなことをやりたかったのに対して、高畑さんは「現在の文明が滅んでから何千年と言うけど、では現在の文明が生活のなかにどんな風に名残っているかということにかんしてはもっとやれるはずだ、そのあたりのディテールでもって世界観を語る余地はもっとあるはずだと提案したんだけど聞いてくれないんだよ」と言っていましたね。それは『太陽の王子』のときからずっとべースにあるんですよ。だから『国境』にしても高畑さんは、もちろん活劇として作ろうとしているんだけど(略)「国境」ということの意味、それも二国間の国境ではなくもっと多くの民族がいるところ、そこに日本人もいるということの意味を描きたいと思っていて、そのための方法として文化人類学的なものを使えるのではないかと考えたわけですね。ただ、もっと違う道まで考えたいような表情も当時の高畑さんにはありました。
(略)
高畑さんはある講演で『この世界の片隅に』について「片淵くんがたくさん調べているというところを取り上げていてはダメなんです。調べるのは当たり前のことで、それをどう使って映画を作ったのかが肝心なんです」ということをおっしゃっていました。僕もそうだと思います。

みずみずしく自由に 坂口理子

戦争ものの映画だと、一般庶民である主人公が戦争反対の思想を持っていることがよくあります。高畑監督は、そういったものに対して「ありえない!」と怒っていらして、「あの時代はみんなが戦争に賛成だった。その怖さのほうこそ忘れちゃいけないのであって、映画を見る人を気持ちよくさせるために主人公をぶれない人物として描くのはありえない」とおっしゃっていました。かといって、監督はそういったメッセージを声高に訴えるわけでもないんです。淡々と登場人物たちの生活を描くことによって伝えられるものがかならずあるということなのでしょう。

不快感と向き合うこと 可児洋介

[レトロブームのなかでつくられた『おもひで』]
 ただし、高畑は世のレトロブームには批判的だった。「過去をふりかえり、あれこれ細かいことを数え上げ、みんな同じだったんだ、と安心する。いわゆるアイデンティティーとか帰属意識とかいうものが人間の精神安定に必要だとして、私たちはこれほど微弱なものにすがらなければならないのだろうか」と。
 高畑は観客のレトロ気分を満たすだけの作品にはしたくなかった。そこで精神病の治療法を参考にした。「患者の過去を掘りおこし、無意識の領域までさぐりを入れる。そして患者が自己を対象化し、自己分析をやりとげたとき、病は自然に癒えるという」(略)
かくして、映画は二七歳のタエ子によるトラウマ克服の物語となった。
(略)
[ラストが通俗と批判されたが]
高畑を糾弾すべきでない。これが本稿の立場である。(略)問題のラストは「映画なんだから感動させてください」というプロデューサー・鈴木敏夫の求めによって変更されたものだからである。
 鈴木は公開直後のインタビュー記事で映画の舞台裏を赤裸々に語っている。これを読むと、意思決定のあらゆるプロセスに鈴木が関与し、その意向が制作に反映されている実態がよく分かる。
 鈴木のもとに『おもひで』の企画を持ち込んだのは音響監督の斯波重治であった。当初は三〇分の短篇として宮崎駿監督作『魔女の宅急便』との併映が模索されたが、実現には至らなかった。しばらくして宮崎が高畑をこの監督に推薦し、鈴木が交渉をおこなった。高畑は原作の絵解きに終わらないための構成を考え、鈴木に一つの条件を提示した。「映画じゃない映画を作っていいですか」、「自分がこの作品をやるとしたら、劇的構成のない映画を作るしかない。それでもいいですか」と。鈴木は了承し、本格的なシナリオ作りに入った。(略)シナリオはタエ子が東京に帰るところで終わっていた。しかし鈴木は「やっぱりサービスがほしいと思った」。結果として(略)蛇足というべきラストがつけ加えられた。
 もともと『魔女の宅急便』の同時上映のための企画だったいう証言は、とくに興味深い。たしかに両者はテーマが通底している。ともに女性が悩みながら自分なりの生き方を肯定する物語であり、二、三〇代の女性が感情移入するのに適している。
(略)
 押井守はスタジオ・ジブリの成功の立役者は宮崎でも高畑でもなく鈴木敏夫だと明言している。(略)
 押井の見解によれば、継続的なヒットを生み出すために「女性の自分探しの物語」というジブリ映画の黄金パターンを作り出したのは鈴木である。
(略)
高畑は唯々諾々としたがうばかりではなかった。それは問題のラストは「うまく二股をかけたつもり」だったという証言から明らかである。高畑は節を屈してはいないのである。
 高畑は「トシオを、前夜はじめてタエ子は「対象」として意識した。(略)だからタエ子は引き返した」と語っている。
(略)
高畑にとって「手を繋ぐ」という動作は極めて重要である。
[「赤毛のアン」「ホルス」を例にした解説があり]
(略)
トシオがサイドブレーキを引いたりギアを変えたりする度、二人の手はいまにも触れそうな距離に接近する。しかし、彼らはどちらも、ついに相手の手を握るという決断には至らないのである。タエ子の冗長なモノローグは、むしろ「手を繋ぐ」行為を描かないための方便である。
(略)
ちなみに、トシオは「女性のひとり旅といったら、やっぱり男と出会うもんですよね」という鈴木敏夫の提案で生まれたキャラクターであり、提案者から名前をとって「トシオ」と名づけられたという。やはりタエ子とトシオの手を繋がせなかったのは高畑の意地だと思われる。