押井守『009』降板の経緯 鈴木敏夫

鈴木敏夫のジブリ汗まみれ 4

鈴木敏夫のジブリ汗まみれ 4

  • 作者:鈴木敏夫
  • 発売日: 2014/07/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

神山健治009 RE:CYBORG

神山 押井さんは、常に新しいことに挑戦したい人なので、「手描きの作画じゃなくて、3Dでいこう」(略)フォトリアルな方向で、これまでの日本のアニメとは違う表現をしようと、押井さんは模索していた。
(略)
 実は、押井さんよりも、むしろぼくのほうが「3Dでやりたい」と、ずっと前から言っていたんですよ。『イノセンス』の時、押井さんは、「自分は死ぬまで手描き作画でアニメをやる。神山は、勝手に新しいことをやれば?」と言ってたくらいなんですが、ところが、作画するアニメーターのほうが、もう、押井さんの要求に応えきれなくなっていた……。それから10年近くたって、今回の『009』では、「押井さんの表現したいことは、むしろ、3DCGに向いてるんじゃないですか」ということで(略)
[フォトリアルの方向でプロモーション映像を作ってみたら]「本物じゃない」ということだけが強調される結果になった。ニセモノだというマイナス点だけが、画面から立ち上がってきてしまう……。一方、セルアニメというのは最初からニセモノだから、「ニセモノじゃないか!」とは、あまり言われない。
(略)
[それでも]押井さんは、「どうしてもフォトリアルでいきたい」と。できれば、モーションキャプチャーだけじゃなくて、人間の身体ごと全部スキャンして、皮膚のテクスチャーとかも貼りつけて(笑)、リアルさを突き詰めたいと。
(略)
鈴木 その、押井さんの求める“究極のフォトリアル”というのは、ようするに、『アバター』のことでしょ?(略)ジェームズ・キャメロンを敵に回して、その上を行きたかったんだと。押井さんは、自分では絵が描けない。だから、世が世なら……今回の技術がもう少し早く出てくれば、使いたかったに違いないんですよ。
(略)
神山 (略)実際、『アバター』より先に、似たことをやろうとしてたわけですよね。人間は実写で撮って、他のものを3DCGでやるというのは、押井さんのほうが先に考えていたはずなんです。(略)
実は手描きのセルアニメにおいては、押井さんの描きたいことと技術との親和性がすごく高かった(略)
[セル画にすることで被写体は抽象的なものになる]
つまり、押井さんが“記号”として描きたかったことは、セルアニメの場合には、作品の中にうまく落とし込めた。リアリズムではなくて、抽象化されたキャラクターの中に押井さんが込めたものを、観客は読み取りやすかったんですね。そこに、具体性は必要なかった。だからこそセルアニメで、しかも、絵を動かさずに止めてしまうというやりかたを、押井さんはずっと採っていたわけです。(略)
[『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』のループ描写]
セルアニメって、同じセルを二回撮影すれば、一応、同じものにはなりますが、厳密に言うと、セル画を一枚一枚置き換えながら撮影するわけですから、二回撮れば、(作業工程的に)一回目と二回目は徴妙に違うものになるはずなんですね。そういうことも含めて、押井さんが「現実と虚構」とか「永遠の反復」というテーマを表現するのに、セルアニメは、もともと、とても向いていたんですよ。だけど、デジタルの素材をデジタルで二回撮影すると、それは、100%「同じ」になってしまうじゃないですか(一同笑)。
 だから、『イノセンス』の時は、わざわざ構図を変えたりして、同じループに陥っていくシーンを撮影し直してるんですけど、構図が変わった時点で、「変わったじゃん」と思われてしまう……。そうすると、押井さんが本来表現したかった――シンプルなセルアニメであるがゆえに吸収してくれた“抽象性”みたいなものが失われる。もう少しくわしく言うと、『イノセンス』の時は、カメラの構図を変えたり、建物とか写りこんでいるものの位置や形を微妙に変えながら、反復するシーンを作ったわけですが、それはもう“違うもの”なんであって、観る側にすぐバレちゃうんですよ。観る側が、「おやっ?」と思わないで、「ああ、これ、二回目のループね」と思ってしまう。昔の押井作品だったら、こっちが完全にだまされて「ええっ!これ、どうなっちゃうんだろう?」という現象が起きていたのに、『イノセンス』では、もう起きなくなっていた。
(略)
[デジタルに移行して]
押井さんがやろうとしたことが、以前と同じ意味を持たなくなってきた。そのことに関して、押井さんが一番自覚的ではなかったのが、たぶん『イノセンス』なんじゃないかなと思うんですよね。
 で、次には、フォトリアルのほうにいくんですけど、そもそも「現実と虚構」という押井さん本来のテーマと技法が合うのか? フォトリアルCGは、「現実である実写」とは違って、「現実に限りなく似ているニセモノ」ですよね。限りなく本物に近づけたとしても、結局はただのニセモノだから、そこには、何の演出的トリックも生まれ得ない。一方、セルアニメは、「見た目からして、いかにもニセモノ」であるがゆえに、かえって、抽象的な意味での「本物」をイメージさせやすいという機能がある。だから、押井さん本来のテーマは、セルアニメという媒体に乗っかりやすかった……
 そういう意味では、セルアニメを一番上手に演出したのは押井さんだったと、ぼくは思うんです。
(略)
セルアニメがそもそも持っている“構造的な理屈”を演出の中に持ち込んだのは、たぶん、押井さんが世界で初めてだったはずです。
(略)
鈴木 (略)[押井守は]いわゆる娯楽映画というものを、こんなに観た人はいないっていうぐらい、いっぱい観てるんですよ。で、彼が本来やりたかったのは、宮崎駿みたいな映画。実は、そうなんです。ところが、いざ自分が映画を作ろうとした時、同時代に宮崎駿がいた。(略)そうすると、「宮崎駿とまったく対極の映画とは何か?」っていうことを真剣に考えた人なんですよ。
(略)
押井さんにとって、映画を作るとは何かというと、「もう一つの現実を作ること」なんですよ。「現実がそこにあるのと同じように、映画においても現実を作ることができる。で、そこで観たり作ったりした“もう一つの現実”は、本当の現実と重さが同じなんだ」と。だから彼の、おれへの批判はね、「敏ちゃんは、いまだに、アニメにおける芝居がどうのこうのって言ってるけど、そんなものを映画で云々した時代は終わったんだ」ということなんですよね。
神山 [降板理由は技術的なことだけでなく、神山の脚本を押井が直すと言い出したこと]
「彼ら[009達]は、全員死んじゃってるんだ」と。(略)
とにかく、最初に全員死なせると。「もう、みんな死んでしまっているんだ。もしかしたらこれは、フランソワーズ(003)の夢だったかもしれない」と。
石井 「謎の建築家が作った巨大な塔があって、フランソワーズは世界中を回りながら、その塔がなぜ建ったのか探っていく話にしたい」と……。001は、犬になっていてね。
神山 そう。001は犬!「もう、生まれ変わったんだ」と。でも、その方向でいくと、原作とかけ離れてしまうし、エンターテインメントとしても、ちょっと成立しなくなってしまう……。ぼくも、何とかしようと、説得したり、相当努力はしたんですけど……。結論から言うと、「やりたくなかった」としか思えないよね。
(略)
鈴木 「映画というメディアはもう死んだんだから、新しい映画を作らなきゃいけない。なのに、もう一回、この“セル画風アニメ”をコンピュータで作るの?」と考えると、それは、彼にとっては“後退”なんですよ。(略)
それが嫌でしょうがなかったんでしょう。たぶん、そんなことが降板の理由かなという気がするんだよね(笑)。

ナウシカタペストリ

[世界観の説明が足りないと鈴木が指摘すると]
もう、宮さんが怒っちゃってねえ(笑)。(略)
そしたら、高畑さんが、それをとりなしてくれてね。高畑さんて、非常に論理的な人でもあるけど、一方で、ものすごく具体的な人だから、解決策として、こういう提案[タイトルバックのタペストリー]をした。(略)
で、宮さんていう人の面白いところは、「そのタペストリーを描いてみたい!」って。それが映画の全体にどういう影響をもたらすかよりも、そういうものを描いてみたいっていうほうに、興味がいく。

駿の想像ソープ

[キャバクラ好きの友達に]「お前、何でそんなところばっかり行くの?」って言ったらキャバクラの女の子って、もともと、コミュニケーションがそんなに上手じゃないんだと。でも、そういう子に限って、そういうところで働きたがる。ところが、要求される仕事内容は、コミュニケーションをとることでしょ。そうすると、やってるうちに元気になっちゃう――(略)
[その話を聞いた宮崎が『千と千尋』を発想]
だから、あの映画に出てくる湯屋って、あれ、ようするに風俗のつもりなんですよ、宮さんにとっては。(略)
宮さんの中では、ソープランドなんでしょう。なかなかそういうところへ恥ずかしくて行けない人だから、想像でね(笑)。でも、神様を接待するっていうのは、言いかたは品がいいけど、何をやってるかといったら、そういうことですものね。

コクリコ坂から』憂鬱な吾朗

[昨日浮かない顔でスタジオを歩いていたわけは]
吾朗から、暗いメールが来てたの。やっぱり、作品が出来上がる寸前って、作り手はそうなるんだよね。(略)
昨日観た時、全部ではなかったけど、ほぼ、だいたいのシーンが揃っていたもんだから、映画の全貌が見えてきたでしょう。(略)
「完成を間近にして、ひどく憂鬱です。自分の能力に失望した。スタッフのほっとした顔をまともに見られない。今後、ぼくはどうしていったらいいのか。スタジオでの居場所。この気分で、キャンペーンその他を乗り切れるんだろうか」
(略)
ああー……どうしたらいいの? うつっちゃったんだよね、おれに、吾朗の憂鬱が(笑)。

十二単を脱ぎ捨てる『かぐや姫』はハイジ

[あのシーンは]『アルプスの少女ハイジ』の第一話と同じなんですよ。ハイジがアルムの山ヘやって来て、着ぶくれしてた服を、一枚一枚脱いでいく。それと同じアイディアなんです。かつて、高畑勲宮崎駿が中心になって『ハイジ』を作ったんですけど、終わったあとに、「いつか、日本を舞台に『ハイジ』をやろう」って考えていたらしい。それが、今回の『かぐや姫』なんです。だから、それを知った宮崎駿は、この作品にすごく期待してるんですよ。

落合博満:オレ流のかげに「チキバンあり」

落合 今の自分があるのは、映画のおかげ。その出発点の『チキ・チキ・バン・バン』のおかげだと思う(笑)。(略)
もし、あの時、『チキ・チキ・バン・バン』を観に行かなかったら……「おれはどこで時間を潰しながら、何回補導員に補導されたのかな」と考える。一回も補導されずに、18歳で高校卒業できたのは、映画のおかげ。もう、それがすべて。(略)
[だから]全映画の中のナンバー1は『チキ・チキ・バン・バン』なんだ。(略)クルマが船になって、空を飛ぶ……いったい、どういう映画なんだ?
(略)
映画館で一番多く観ている映画って、回数でいうと、『ロミオとジュリエット』なんだよ。その時の同時上映が、おれの地元(秋田)では、たしか『白い恋人たち』だった。(略)
映画の女優さんで、「こんなかわいい子がいるんだ!」って思ったのは、オリビア・ハッセーだよ。『ロミオとジュリエット』のジュリエット。
(略)
なんせ、彼女のかわいさだけでもってた。彼女は、その後も映画に出たけど、あのふっくらしたかわいさは、もうなくなっていた。(略)
言っちゃ悪いけど、美人とかじゃなくて、「えっ、こんなかわいい子がいるの?」っていう感じ。(略)あの映画だけ。彼女を見たいためだけに、あの映画を何度も観に歩いた……強烈な映画だよ、あれは。

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