夢・アフォリズム・詩 フランツ・カフカ

 

 ほんとうに判断を下せるのは党派だけである。しかし党派である以上、党派は判断を下すことはできない。そのためにこの世には判断の可能性はない。あるのはただそのほのかな照り返しだけである。

 

 誰もが真実を見ることができるとはいえない、しかし真実で〈ある〉ことはできる。

 

 狩りに行くという口実のもとに、彼は家を出ていく。狩りに行くのだとわかっていなければ、われわれは彼を引きとめるのだが。

 

 すべての責任が君に課せられると、君はその一瞬の機会を利用して、責任の重さに屈服してしまおうとすることもできる。しかしそうしてみたまえ、君は気づくだろう、君にはなにひとつ課せられてはいなくて、君がその責任そのものなのだということを。

 

 訊ねなかったら、お前は押し戻されていただろう、訊ねたから、お前は大海原もう一つ分先へ、押し流される。

 

 鳥籠が、鳥を探しに出かけていった。

 

 悪の手に乗って自分自身を信じ込ませられないこと――そうすれば悪に対して、なにかと秘密をもつこともできるはずなのだが。

 

 お前は練習問題だ。どこをみても生徒はいない。

 

 どうやって世の中のことをうれしく思えるだろうか、そこへ逃げてゆくとき以外に?

 

 ゴールはあるが、道はない。われわれが道と呼ぶのは、ためらいのことである。

 

 悪に対して分割払いはきかないのだが、人はしょっちゅうそれを試みている。

 

 二つの可能性――自分を無限に小さくすること、それとも無限に小さく〈ある〉こと。最初のほうは完成、つまりは無為、二番目のほうは開始、つまりは行為。

 

 悪というものはときによると、こちらが気づいているかどうかは別として、道具のように手のなかにある。そのつもりになれば、苦もなく脇にどけることができる。

 

 お前が家を出て行く必要はない。じっとお前のデスクに坐って、耳を澄ますがいい。耳を澄ますこともない、ただ待つがいい。待つこともない、すっかり黙って、ひとりでいるがいい。お前の前に世界は姿を現わし、仮面を脱ぐだろう、世界はそうするほかないのだ。恍惚として、世界はお前の前で身をくねらすことだろう。

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