カフカと映画

カフカと映画

カフカと映画

映画というメディア

社会人となってからの最初の数年間において、カフカは定期的に芝居、オペレッタ、カバレット、ワイン酒場およびバーを訪れるという変化に富んだナイトライフを楽しんだ。(略)映画作品の、当時は浅薄なものと考えられていた娯楽的性格が、彼の心をしっかりととらえたようなのだ。(略)
すでに1908年の終わりには、カフカは皮肉まじりの口調で、人は「キネマトグラフのために生き続けなければならない」と述べている。(略)
 カフカがとりわけ関心を寄せたのは、映画の映像の力動的な配列と連続化の技術である。彼は日記に、映画というメディアが人々が見慣れている出来事を加速化し、異様なものに変えることによって生み出す新たな運動の芸術を、きわめて的確に記録する。1909年夏の日記に書かれた、私たちが読むことのできるもっとも早い時期のメモには、「列車が通り過ぎるとき、観客たちは身体をこわばらせる」と書かれている。
(略)
1911年の旅日記には、映画は「見られる者」に、まなざしの静止状態によってのみ耐えられるような「運動」の「不穏な状態」をもたらすと書きこまれる。

路面電車の力動性とヴァイオリンの響き

日記のなかで、1909年5月におけるペテルスブルクのロシア皇室バレエ団の客演から受けた印象のもとに、彼が崇拝する舞踏家イェフゲニヤ・エドゥアルドーワがふたりのヴァイオリン奏者を従え、市電でプラハの街を移動しているという白昼夢を書きつける。舞話家を楽しませるために一般聴衆の前で弦楽奏者が演奏する音楽が、運動の感覚的な印象と奇妙なかたちで結びつく。高速の路面電車の力動性とヴァイオリンの響きが、異種の感覚を共鳴させる。カフカの記述は、最後にその共鳴を明確に強調する。「最初は少々意外なものに思われ、少し経つと全員に、不適切であると感じられる。しかし、全速力で進んでおり、静かな街路に強い空気の流れが生じているなかでは、それは素晴らしい音に響く」。音楽は、電車の運動によって新しい効果を得る。それは音楽が、電車を移動させている「全速力の走行」のひとつの要素を成しているからだ。音響の通過と路面電車の力動性が、空間と時間の知覚を、もはや刹那と継続、瞬間と連続のあいだに明確な区別がないような新しい次元に高める。カフカは1909年以後、近代的交通手段での運動体験を伝える状況をしばしば描写する。当人が列車に乗っており、あたかもそれが素早く進行する映画の場面であるかのように周囲の風景を眺める観察者の立場について述べた1909年の日記には、「車室の窓から」という簡潔な表現が見られる。

執筆のためのトランス状態

映画を観に行くことによって、想像力の働きを活発化させ、執筆を成功させるための前提である自己忘却が可能になるからだ。1913年11月21日、彼は日記に「僕はさまざまな構成を追跡する。ある部屋に入って、隅のあたりでごちゃごちゃになった、白みがかった構成を発見する」と記す。そのような「構成」を支える材料は、日常的な場面の観察だけでなく、映画体験からも影響を受けた知覚の想像力から生まれる。
(略)
「僕は僕という存在の隅々まで、からっぽで無意味だ。不幸であるという感情においてすらも」。(略)
映画を散漫に視聴することは――右に挙げたプログラムは三時間という長さだった――執筆のために欠かせない「自己忘却」の条件を整える精神的空虚化を可能にする。受けた印象によって想像力が満たされることを通じて、一種のトランス状態が生み出される。

『失踪者』

『失踪者』の逃亡のシークェンスは、カフカがある映画を研究したことを示している(略)
二度目のパリ滞在時に、カフカはマックス・ブロートとともにオムニア・パテの豪華な飾りつけのなされた上映ホールで、風刺映画『ニック・ヴィンテールとモナリザの盗難』を観た。(略)その絵画は1911年8月21日に、きわめて厳しい監視下に置かれていたにもかかわらず、ルーヴルから持ち去られたのであった。(略)
どちらにおいても問題となっているのは、誤って着せられる罪、まちがった解釈をされる証拠品、そして容疑者の追跡である。しかし、それよりも重要な意味を持っているのは、カフカがオムニア・パテで観た短い探偵ドラマの素早い展開と、アメリカ小説のグロテスクな逃亡場面との構造的同一性である。あとあとにまで影響を及ぼすニック・ヴィンテールの効果的な手段は、映像が流れる速度を上げられる映写装置の特別な調整によって強化されていた。
(略)
イメージの加速によって高度化された映画形式とめぐり合い、それを一年後に、長編小説の逃亡場面のなかに登場させる。進行の速度を上げるという技法が、追跡場面を文学として構築するための前提となるのである。
 『失踪者』にとってのふたつめの手本となるのは、アウグスト・ブロームが撮ったデンマーク映画『白い奴隷女』である。カフカはその作品を1911年2月半ばにプラハで観て、強い印象を受けていた。(略)
特にカフカが興奮を覚えたのは、天下の公道で誘拐され、売春を強制されていた婚約者を若い男性が解放しようとする自動車での高速の追跡劇であった。このシークェンスを際立たせている機械による運動の論理を、カフ力のアメリカ小説は、外面的な現実をカメラのように捕捉する視点から叙述をおこなうという手段によって置き換えようとする。

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