吉本隆明質疑応答集〈3〉人間・農業

吉本隆明質疑応答集〈3〉人間・農業

吉本隆明質疑応答集〈3〉人間・農業

国家をほんとうに開く

[1991年講演後の質疑応答。89年のベストセラー、石原慎太郎盛田昭夫『NOと言える日本』について]
石原さんというのはだいたい、「強い国家と高度な資本主義がうまく結びついているのが、ほんとうの国家だ」というイメージをもっていると思うんです。(略)ただ高度の資本主義というのは、強制的かつ経済必然的に国家を開いちゃうものだと思うんですよ。ですから、国家を国家主義的、民族主義的に強力にして高度な資本主義を保つという石原さんの考え方を実際にやってみれば、たぶんどこかで矛盾にさらされると思うんですよね。(略)
所得の半分以上を消費に使っている、そういうのが高度な資本主義ですよね。そして消費に使っている部分の半分以上は選択的な消費、つまり択んで使える消費に使っている。(略)産業においてはすでに、国家は完全に開いていく以外に方法はないというところまで行っちゃってる。(略)
 産業のほうから国家を開くことを要請され、開いていく。石原さんみたいな考え方は、湾岸戦争あるいは日米構造協議にさいしての日本国のあまりのだらしなさに憤慨して、そのアンチテーゼとして強い国家みたいなイメージを打ち出している。それで「NOと言える国家」みたいなものを打ち出してるんだと思うけど、それは高度資本主義である日本の社会と矛盾してきますから、自然に開いていかざるをえないんじゃないか。僕はそう思いますね。
 ですから産業じたいのありかたにしか希望がないともいえますし、逆に希望は産業のほうにあるともいえる。どんな政府ができて国家を閉じようとしたって、かならず産業がそれを開かせざるをえない。あるいは国際的に開かされちゃうよと。
(略)
 でも、国家をほんとうに開くというのはそういうことじゃなくて、選挙権をもっているごくふつうの人たち、つまり国民が無記名の直接投票で国家をいつでもリコールできる、替えることができる、そういうシステムがつくれたときに、ほんとうの意味で開かれるということになると思うんですけどね。でもなかなかどうして、そこに行くのはたいへんで、ジグザグの筋道を通らなければ、そこへはなかなか行けない。だけどいずれは、そこへ行くにちがいないと僕は思いますけどね。
 そして憲法九条にも、ちょうどそんな意味しかないので、「ジグザグしたって、いずれ世界中がそこへ行くよりしょうがないよ」といえばいえるわけですし。
(略)
 だけどもう一面から見たら、日本国憲法というのは途轍もない憲法で、リアルタイムでいったらば、世界中で通用するはずがないよということは、前提だという気がするんですよね。前提にしておかないといけないと思うんですよ。みだりに「平和憲法だからアレしましょう」みたいなことをいうのは、全然ちがうことだと思います。
 だから、これはもうどうしようもなくて、こんな憲法をもっているというのは変人奇人みたいなもので、なかなかどうしようもないんだよ、だけどこの方向で行くよりしかたがないんだよ、ということをいっていくよりしょうがない。この憲法をやめにするということになるのかも知れませんけど、二、三年経ったら、軍隊を認めよう、派兵を認めようという意見のほうが強くなっちゃうこともありうると思うんですけど、でも僕にいわせれば、それはまったくむだなことのように思えるんです。経済的な出費としても、むだなことだと思います。
 ここで軍国少年的な、昔取った杵柄みたいな言い方をしますと、アメリカとソ連の軍備を両方抑えられるぐらいの軍備を持つっていうならまだ意味があるかも知れませんけど、そんなことは天地がひっくり返ったって不可能なことなんですよ。だから、そんなことは初めからやめたほうがいいんですよ。また、それに近づけようなんていうのはまったく意味のないことです。
 それよりも「おまえ、戦争なんてやめたほうがいいぞ。核なんてみんな棄てたほうがいいぞ。あと、軍備も棄てたほうがいいぞ。そのほうが経済的に楽になるよ」と説得して、どんどん棄てていく方向に働きかけるほうがはるかに未来性があるし、近道だと思いますね。(略)
 それを今さら軍隊を認めようなんて、――でもそうなる可能性はずいぶん多いですよ。(略)
でもそういうことにめげないで(略)
現在の憲法九条はオクターブが高いということは覚悟のうえで、やっぱりそういうことを主張したほうがいいと思います。
(略)
[湾岸戦争に対する文学者の反戦声明について]
アメリカは半世紀前のやり方をしているからだめだ」という言い方と、「イラクっていうのはだめだ、天皇、東条と変わんねえよ」という言い方で、僕は両方だめだという言い方をしていますし、そう書いています。(略)
いちばん極端なのは、新民族派と旧左翼ですね。(略)彼らは後進国対先進国、あるいは旧植民地国対西欧諸国の争いという観点で見ようとしています。
 だから、文学者のアッピールも含めて、それはちょっとちがうニュアンスだと思ってきましたけどね。
(略)
「日本はこんなにだらしないんじゃだめだから、もっと強くならなきゃ」という石原さんみたいな主張のほうが多いんじゃないでしょうかね。(略)それはけっしていい兆候でないと思いますけど、これをいい兆候でないというためには、そうとう我慢しないといけないんじゃないでしょうかね。やっぱりどうしても、「そっちのほうが現実性があるよ」という論議になっていっちゃいますし、民衆のほうもだんだんそういうふうに傾いていくということが、ここ数年間で起こりそうな気がしますけどね。でも産業はそうはいかなくて、そういう風潮にたいして考え方を開こう、開こうというふうに発達していくように思いますけどね。
(略)
[明治六年の]地租改正をよく読むと、中身はけっして悪くないんですよ。税金は規模の大きいところからたくさん取って、少ない農地しか持ってないところからは少なく取ろうじゃないかとか、統一的な農業市場をつくって、農産物を売れるようにしようじゃないかとかね。税金を現物貢納じゃなくて、金で払えるようにしようじゃないか。地租改正というのはことごとく悪くないんですが、ところがやってみたら大変なことになりました。農地を売らなきゃ税金を払えないやつが出てくる一方で、大地主のほうはあまり影響をうけない。農業がめちゃくちゃ激変しちゃったんですね。困るやつはもう暴動を起こすよりしょうがなくて、日本の近代のなかでいちばん暴動が起きたのは、地租改正以降なんですよね。
(略)
[地租改正は]農業近代化政策なんですね。それまでは二宮金次郎だったんですよ。夜なべしてつくったものを売ったら、とにかく貯めておく。農家はそれで富むよりしかたがないというやりかただったんですよ。それを地租改正は近代的に変えた。それはことごとくいい政策なんだけど、やってみたらものすごいことになった。
 つまり、そういうことってあるわけですよね。農水省が今つくってる案には、悪いところがないといえばないんですよ。なにもないといえばないんですよ。ただあるとすれば、そこなんですよね。大規模経営を許すっていうことで、法人が農業経営をやることを許せば、大資本がいっぱい入ってきて席捲するだろうなと。それは今から予想できるひとつの危惧ですから、なんとか対応できなければ嘘だよなと。

質問者が語る兼業農家の実態

質問者4 80%を占める兼業農家は、実際にはもう自分でやらないんだよね。私なんかは百姓ですけれど。どうしているかというと、春になるとトラクターを頼んで植えてもらう。昔は苗代をつくってそれを植えたわけだけど、それは省いて苗を買って植えてもらうんだよね。そして秋になると刈り入れは全部やって、ちゃんと袋に入れて「はい、できました」と。そうでなかったら、今度は農協に頼んで刈り入れをやってもらう。それをみんな請け負ってもらっても、多少でも利益はあるんですね。そしてなおかつ、土地は守っておれるんです。実際はそういう兼業農家が80%を占めているわけですね。それでも土地を守っているわけですから、昔の意識が非常に濃いんですよ。そして政府も票につながるから、米価を据え置く。そういう力があるんです。来年はわからんというけれども、それだってまだわかりませんよ。

1987年講演後の質疑応答

 いや、それはちがう。国労なんか潰れたっていいんだよ(会場笑)。国労は潰れちゃいけないといってるのは、国労を中心に拠点をもってる政党だけですよ。政党的な理由だけですよ。労働者はそうじゃないですよ。労働者が真に資本と抵抗したい、資本に対して異議を申し立てたい、あるばあいには政治的なところまで行きたいというならば、自主的に労働者組織をつくるべきなんですよ。でも、今はそうじゃない。国鉄・官庁(の労働者組織)っていうのは要するに、官僚型の古い左翼ですよね。ロシア革命の時の古い型の、要するに前衛意識に溢れた左翼政党のいちばん大きな拠点だから、そういうふうにいわれているだけですよ。あんなものは潰れたってなんでもないし、またつくればいいんだから。政党なんかいっさい入れないで、労働者が労働組合をつくればいい。「政党員といえども、政党員としての活動はすべからず」という規定をもった労働組合をつくればいいんだから。民営化されたJRでそういう労働組合をつくればいい。もしあなたがその一員だったら、あなたがつくれよ、そういうのを。つくれよ。政治、政党なんか全部入れない、入りたければ、政党員じゃないってことになって入ってこいと。そういう労働運動をつくれよ、あなた。そうすればいいんだよ。きみのいうことは全部、既成政党あるいは政治組識がいっていることの口真似なんだよ。全然そうじゃない。おれは絶対に反対だね、そんなの。そんなのは要らないんですよ。国鉄労働組合なんか要らないですよ。何をしたんですか。要らないですよ。そうじゃないですよ。そんなんじゃないですよ。国鉄労働組合とか官庁の労働組合っていうのは、拠点をつくりやすかった。要するに官僚型の政治運動の名残りを潰したくないから、そういってるんですよ。そんなのは潰れちゃったっていいんですよ。すでにそういう段階じゃないんだよ。
(略)
労働者は。そういう自覚をもったっていい時期でしょう。一般大衆がすでに意識だけはね、中流意識を六、七割以上がもっているってことは、市民社会の半分以上のところを自分たちが占めているという、そういう意識だけはもっているということを意味しているんですよ。すでにそういう段階なんですよ。
(略)
自分たちの自主的労働運動と労働組織をつくって、政党のいうことは聞かない(略)そういう組織をつくってもいい時期なんだ。自分たちは主人公だという自覚をもっていい時期なんだよね。そうでしょうが。おれのいうことはちがうかな。

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