作家はどうやって小説を書くのか カーヴァー、チーヴァー

前回の続き。

  • ジョン・チーヴァー(続)

E・E・カミングズ

作家としてすこしでもやっていけるのかどうか自信がなかったときに、ふたりの人物に会った。とても大事なふたり だ。ひとりはガストン・ラシェーズ、もうひとりはE・E・カミングズ。カミングズは大好きだし、思い出は大事にしている。ティフリスからミンスクヘ走っていく木炭機関車の物真似がすばらしく上手だった。ビンが柔らかい土のうえに落ちる音も三マイル離れたところから聞きとれるようなひとでね。カミングズが死んだときの話は知っている?九月だった、暑い日で、カミングズはニューハンプシャーの家の裏で薪を割っていた。66歳か67歳か、そんな歳だった。奥さんのマリオンが窓から顔をだして、訊いたんだ、カミングズ、薪割りにはむちゃくちゃ暑すぎない?カミングズは答えた、もうすぐやめる、しかし、斧を研いでからだ、やめるのは。それがかれの最期の言葉なんだよ。
(略)
カミングズには父親みたいなところはぜんぜんなかった。でも、首の傾げかたとか、暖炉の煙突に風が吹きこんだような声、マヌケヘのやさしさ、マリオンヘの愛の巨大さ、そういうものからはいろいろ学んだ。
――詩は書いたことはあるんですか?
ない。まったく原理がちがうものだと思うな……言語も別で、フィクションのとは別な大陸のものだ。ときには、短編小説のほうがそこいらの詩よりも高度に磨き上げられたものである場合もあるけど、しかし、磨き上げかたがそもそもまったくちがうんだよ、12ゲージのショットガンを撃つみたいな、水泳をするみたいなところがある。
(略)
――小説家がジャーナリズムに文章を書く傾向がでてきていると思いますか、ノーマン・メイラーがやっているみたいな?
その質問は気に入らないね。フィクションは一級の報道文と張りあわなくちゃいけないんだから。デモ隊であふれる街の戦いを事実にもとづいて報告する文章に匹敵するような小説が書けないんなら、小説は書けないってことさ。さっさとあきらめたほうがいい。このところ、フィクションはかなり負け気味だけとね。最近のフィクションの分野は、養鶏場で成長していく子どもとか、色気ぬきで商売をする娼婦の心情を書いたお話なんかにすっかり汚染されてしまったし。「ニューヨーク・タイムズ」の新刊の広告がこんなにゴミだらけなのは初めてだよ。(略)
――フィクションの実験には惹かれますか、突飛なことをしてみたいというようなことはあります?
フィクションは実験なんだよ、そうであることをやめたら、フィクションはやめたということさ。文章ひとつを書くときも、いまだかつてこのようなかたちで文章は書かれたことはなかったという気持ちで書いていないときはない。この文章のこのような重みもいまだかつて味わったことがないという気持ちすらもっていることもある。文章のひとつひとつがイノベーションさ。

フィッツジェラルドについて

はちょっと書いたこともあって、伝記や批評はぜんぶ読んだ、読むたびに臆面もなく泣いたよ――赤ん坊みたいにギャーギャーと――すごく悲しい話だから。かれにかんする評論はどれも、1929年の株の大暴落についてのかれの感想とか大変な好景気や服装や音楽をとりあげる、だからその結果、かれの作品は日付のある文章ということになるわけだ……一種の歴史物。そうされると、フィッツジェラルドのほんとうの良さはかなり損なわれてしまう。(略)
作品の時代設定にあんなにも熱心だった作家はいなかった。だけど、わたしは思うね、あれは疑似歴史じゃなくて、自分の存在をああやって表明していたんだよ。

ほんとうに気に入っている本

というのは、開いた瞬間から、そこにいたことがあるかのような気持ちにさせてくれるものさ。あらたにひとつ、記憶のなかに部屋をこしらえてくれるみたいな。行ったこともない場所や、見たことも聞いたこともないものが、じつにしっくりとしっかり収まってしまうので、なんだかそこにいたことがあるかのような気持ちになる。

イデア

いちばん好きなのは、まったく関係のないことが同時にやってくること。たとえば、カフェで家から来た手紙を読んでいたら、そこには近所の主婦がヌード・ショーに出演していたということが書いてあった。それを読んでいると、イギリス人の女性が子ともたちを叱っているのが聞こえてきた、「ママが三つ数えるまでに言われたことをしなかったら」というのがその台詞ね。すると、木の葉が一枚、宙を舞った、それでわたしは、ああ、冬なんだ、と思い、妻はわたしから離れていまはローマにいるんだ、と思い出した。それでわたしの小説ができたよ。おなじようにして、「さようなら、弟」や「田舎の夫」のおしまいのところもかなりうまく行った。このふたつはヘミングウェイナボコフも気に入ってくれたけどね。

父の想い出、少年期の読書

――どういうきっかけで書きたいと思うようになったんですか?
唯一説明になるものといえば、わたしが子どもの頃、父が自分のことや自分の父親のことや自分の祖父のことをたくさん話してくれたということでしょうか。父の祖父は南北戦争で戦ってました。それも両軍のために!裏切り者だったんですよ。南部の負けがみえてくると、北部のほうに渡っていって、北軍のために戦った。父は大笑いしながらこの話をしてました。そのことを悪いともなんとも思ってなかった、だからわたしもたぶんなんとも思ってなかった。ともかく、父はよく話をしてくれました、逸話みたいなものばかりで、教訓もなにもない。森を放浪した話とか、列車にただ乗りして鉄道警察官に見つからないように警戒していたこととか。わたしは父と一緒にいるのが好きでしたから、父がそんな話をするのを喜んで聞いてました。たまには自分が読んでいる本の一節を読んでくれることもありました。ゼーン・グレイの西部物ですがね。それらがわたしが初めて見たハードカバーの本です、小学校の教科書や聖書以外ではね。そうしょっちゅうではありませんでしたが、ときどき父が夜にベッドでゼーン・グレイを読んでくれると、その姿をわたしはまじまじとながめたものです。家庭的な和やかさというものとは縁のない家にあってそれはとても家庭的なプライベートな行為に見えました。父にもこういうプライベートな面があるんだ、と思ってました、わたしにはよくわからないなにか、そういったときどきの読み聞かせを通してあらわれてくるなにかを大事にしているところがあるんだ、と。父のそういった面には惹かれたし、その行為そのものにも惹かれました。だから、いま読んでいる本をぼくにも読んで、とよくねだったものです、すると、ちょうど読んでいた箇所を喜んで読んでくれる。そしてしばらくすると、「ぼうず、もうなにかほかのことでもしに行け」と言う。ええ、やることはいっぱいあったんですよ、あの頃は。家からそう遠くない渓流によく釣りに行ったし、しばらく後になると、アヒルやガチョウやキジやウズラを狩りにも行ったし。当時夢中になっていたのはそういうものでした、狩りと釣り。わたしの感情にもっとも訴えてきていたのもそういうもので、書きたいと思ったのもそういうものについてでした。あの頃に読んでいたものも、ときどき読む歴史小説ミッキー・スピレーンのミステリーを除くと、「スポーツ・アフィールド」や「アウトドア・ライフ」や「フィールド&ストリーム」でしたから。逃した魚や捕まえた魚についてあれやこれや長めのものを書いては(略)投稿しました。

アルコール依存症

酒飲みにはいろいろ神話がついてまわりますが、わたしはそういうものとは無縁でした。ただひたすら飲んだだけです。ひどく飲むようになったのは、たぶん、自分が人生に一番求めていたもの、自分のために、自分が書くもののために、自分の妻や子どもらのために求めていたものがまず得られそうにない、とわかってからです。不思議なものですよね。だれだって、破産しようと思って、アル中になろうと思って、ペテン師や泥棒になろうと思って人生に乗りだすわけはないんだから。嘘つきになろうと思ってとか。
(略)
正直な話、酒をやめたことはわたしが人生でいちばん誇りにしてることです、ほかのどんなことより。わたしは回復したアル中なんです。アル中であることに変わりはありませんが、もはや現役のアル中ではない。
――飲むとどんなふうにひどいことになっていたんですか?
当時どうだったか、それはちょっと考えるだけでもかなりつらいね。わたしの手が触れるとすべてが荒れ地に変わってたから。でも、付け加えておくと、最後の頃にはもうろくに力もなにも残ってなかったな。
(略)
――どうやってやめたんですか?(略)
最後の頃は、わたしはもうまるで手も付けられないものすごく深刻な状態になってましたから。記憶喪失です、なにもかも――自分の言ったこと、したことが思い出せないところにまで行ってました。車を運転する、作品の朗読をする、授業をする、折れた脚をなおす、だれかと寝る。ところが、後にその記憶がぜんぜん残ってないんです。自動操縦されてるようなものです。覚えている自分の姿はというと、手にウィスキーのグラスをもって自分の家のリビングにいて、そしてアルコール中毒の発作で転倒したために頭には包帯を巻いている、そういうものです。もう狂ってますよ! 

自分の人生の話をフィクションにする

――あなたの小説はどこから生まれてくるんですか?(略)
わたしがいちばん興味をもっているフィクションというのは、現実の世界とつながりをもっているものです。もちろん、わたしの小説はどれもじっさいに起きたことではない。ですが、いつも、なにか、あるものが、ひとから言われたことや目にしたことがだいたい出発点にはあります。ひとつ例をあげると、「きっとあなたがわたしたちを踏みにじる最後のクリスマスになるわ!」という台詞。これを耳にしたときはわたしは酔っ払ってた、でも、覚えてたんです。で、後に、かなりたってから、しらふのとき、その台詞を、自分で考えた、こういうことになっていてもおかしくないだろうという周到に想定したほかの事柄といっしょにつかって話をつくりました――「深刻な話」という作品です。わたしがいちばん興味をもっているフィクションは、トルストイのフィクションであれ、チェーホフやバリー・ハナやリチャード・フォードやヘミングウェイやイサーク・バーベリやアン・ビーティのであれ、どこか自伝的なものにわたしには映ります。少なくとも、現実のなにかとつながってるところがある。小説は、長いものであれ短いものであれ、どこからともなく現れてくるということはないんですよ。
(略)
もちろん、自分の人生の話をフィクションにするときには自分がなにをしてるのかは承知してなくてはいけません。ものすごい勇気をもって、きわめて巧みに、想像力豊かに、快く、自分についてすべて語るようでなきゃいけない。
(略)
多くの作家にとってのすごい危険は、というか、すごい誘惑は、自分のフィクションにアプローチするのに過度に自伝的になることだから。すこしの自伝とたくさんの作りごと、それがベストですね。
――あなたの登場人物たちはなにか大事なことをしようとしてるのですか?
しようとしてると思います。でも、しようとすることとうまく行くことはべつなことですから。いつもうまく行ってるひとたちはいますよ、そうなったらすごいなと思いますけとね。でも、そのいっぽうで、しようとすることが、いちばんやりたいことが、大小にかかわらず人生の支えとなるものがうまくつかめないひとたちがいる。そういう人生こそが、もちろん、書くにふさわしいんです、うまく行かないひとたちの人生。わたし自身が経験してきたことも、直接的にないしは間接的に、後者の状況になってしまうものばかりでしたから。わたしの登場人物たちのほとんどは自分の行動が大事なものになってほしいと願ってると思います。しかし、同時に、そうはならないと承知してるところにまで来てるんです
(略)
かつては大事なことだと思い、必死に求める価値のあるものだと考えてたものが、一銭の価値もなくなった、と。自分の人生が不快なものになり、人生がこわれていくのが目に見えている。なんとか立て直したいが、しかし、できない。そしてたいていの場合、かれらはそういうことがわかっていて、そのうえで、やれる範囲でベストなことをしてるんだ、と思います。

――有名になって変わりましたか?

その言葉にはどうも馴染めません。だって、まったく見込みのないところからそもそも始めたんですから――短編小説を書いていて人生でどうにかなるなんて、考えます?それに、酒のことがあったから自尊心なんてものもろくになかったし。だから、驚きの連続です、こんなふうに注目されるなんて。でも、ひとつ言えるのは、『愛について語るときに』が受けいれられたことでいままでは持ったことのない自信がわいてきたということです。いろいろいいことがあって、それらが合わさって、もっとたくさん、もっといい仕事がしたいという気持ちになってるんですよ。いいかんじで拍車がかかってます。そういうことがいっせいにいま、人生でいままでにない力を初めて感じているときに、やってきた。言ってること、わかります?どういう方向に進むべきか、いままでになく力強く、確信をもてるようになってきたんです。だから、「有名になったこと」――というか、ここにきて新たに注目されて関心をもたれるようになったこと――はいいことでした。わたしの自信にカをくれましたから、カをもらうのが必要だったときに。

ゴードン・リッシュ

1970年代の早くに「エスクァイア」にわたしの短編を載せはじめた編集者でした。でも、友人としての関係はもっと前にまでさかのぼり、1967年か68年、カリフォルニアのパロアルト以来の付き合いです。かれが働いていた教科書の出版社がわたしが働いていた会社の真向かいにあったんです。わたしをクビにした会社です。かれは普通の勤めかたはしてなかった。会社の仕事のほとんどを自宅でかたづけてました。週に最低一回は、昼飯を食べにこないかと誘ってきました。かれ、自分は食べないんです、わたしのためになにかを料理すると、テーブルのまわりをぐるぐるまわりながらわたしが食べるのを観察してるんです。こっちは落ち着かないですよ(略)[それで残すと]かれが食べるんです。おれはこういうふうに育てられてきたんだとか言いながらね。(略)いまでもやってますよ。

――あなたの書いたものがひとを変えると思いますか?

わかりませんね。そういうことはないでしょう。(略)しょせん芸術はエンターテイメントのひとつだから、でしょ?作り手にとっても消費者にとっても。(略)
[若い頃名作に触れ]こういう経験をした以上は自分の人生は変わらなければならない、こういう経験の影響をうけたら変わらないわけがないと感じたものです。ちがう人間にならないはずがないとね。でも、まもなく、自分の人生は結局は変わらないと気がつきました。自分にわかるような、認識できるようなかたちでは変わらない、と。そして、芸術とは、時間があって、余裕があって初めて、自分にも追究していけるものなのだ、とわかった。そういうことです。芸術は贅沢品であり、わたしを、わたしの人生を変えるようなものではなかった。そして強い認識を得るにいたりました、つまり、芸術がなにかを引き起こすことはない、とね。ぜったいない、と。(略)
イサク・ディネセンは、毎日すこし書く、希望も絶望ももたずに、と言ってます。わたしはそういうのが好きです。
(略)
いいフィクションというのは、ある意味、ひとつの世界からもうひとつの世界ヘニュースを伝えるものなんです。それでいいんだと思いますね、まったく。フィクションを通してなにかを変える、ひとの政治への姿勢や政治システムを変えるとか、鯨やアカスギの木を救うとか、そういうものではない。あなたのおっしゃる「変える」というのがそういう意味だとしたら、そういうものではないですよ。また、そういうことをしなくちゃいけないとも思わない。なにもしなくていいんです。そこにあればいいんです、読んでいくわたしたちの素晴らしい歓びとして。

[関連記事]
kingfish.hatenablog.com
(↑チーヴァーとの交流の記述あり)
kingfish.hatenablog.com
kingfish.hatenablog.com
kingfish.hatenablog.com