カーヴァー詩集

レイモンド・カーヴァー詩集三冊から引用。

水と水とが出会うところ (村上春樹翻訳ライブラリー)

水と水とが出会うところ (村上春樹翻訳ライブラリー)

「避暑地の別荘の窓」

(略)
僕らは家のほうを振り返ることもなく
そのまま車を走らせた 昨夜僕は台所で
魚をきれいに洗った


今朝、コーヒーを作ったとき、あたりは
まだ暗かった。陶器の流し台の
側面に血がついているのが見えた。
カウンターにはもっと血。ぽたぽたと道を辿るように
ついている。冷蔵庫の底にも血が落ちて
いる。はらわたを抜かれラップされた
魚から垂れたのだ。
いたるところにこの血。僕らが――
あのいとおしい若い妻と、この僕とが――
ともにした時間への思いと混じりあいながら。

ウルトラマリン (村上春樹翻訳ライブラリー)

ウルトラマリン (村上春樹翻訳ライブラリー)

バルサ材」

父さんはレンジに向かって、脳味噌と卵を、
フライパンでいためている。でも今朝は、食欲のある
人間なんていない。僕はバルサ材みたいに
やわになった感じがする。なにかが言われたばかり。
(略)
「俺はもう、穴のなかにいるんだ。これ以上深く掘らないでくれ」
窓から光がこぼれてくる。誰かが泣いている。
僕が最後におぼえているのは、脳味噌と卵が
焦げているにおいだ。その朝のすべてのものが
ごみ箱に放りこまれ、なにやかやとごたまぜに
なってしまう。すこしあとで父さんと僕は、
十マイルはなれたごみ捨て場に車でいく。
(略)
父さんはなにか言いいたそうだ。でもなにも言えない。
彼は百万マイルも遠くにいる。僕らはふたりともそこから、
はるか遠く離れた場所にいる。誰かはまだ泣いている。そのときすでに、
僕はわかりかけていた、ある場所にいながら、同時にまた、
ほかの場所にいる。そんなことも可能なんだと。

「検死解剖室」

そのころ僕は若くて、十人分の力があった。
何だってまかせとけ、と思っていた。とはいうものの、僕の夜の
仕事のひとつは、検死官が仕事を終えたあと、
検死解剖室を清掃することだった。
(略)
小さな赤ん坊は
石みたいに動かず、雪みたいに冷たかった。あるときには
白髪頭の大きな黒人の男、胸がぱっくりと
切り裂かれていた。器官という器官は一切合切、頭の横の皿に
のせられている。ホースの水は流れっぱなしで、
頭上の電気はこうこうとついている。
あるときには脚が一本、女の脚が、
テーブルの上にあった。白い、綺麗なかたちの脚。
それがなんだかすぐわかった。前にも何度か見たことがある。
でもそれは、僕の息を詰まらせた。


僕が夜に家に帰ると、女房は言ったものだ、
「ねえシュガー、何もかもうまくいくって。今に新しい
人生がすかっと開けるから」。でもそう簡単には
いかない。
(略)
僕の頭は曇っていて、がたがきている。なんにも
起こっていない。何もかもが、起こっていく。人生は
石だ。研がれて、尖っていく、石だ。

「単純」

雲の切れ目がある。山々の青い
稜線がある。
野原の暗い黄色。
黒い河。僕はここで何してるのか?
孤独で、悔恨の情に満ちて。


僕は無心に、鉢からラズベリー
食べつづける。もし僕が死んでいたら、と
僕はふと思う――今頃こんなもの食べては
いないよな。そんなに単純なことではなくて、
それくらい単純なことなんだ。

「残り」

(略)
大きな鮭を、濡れた草の上にごろんと転がし、
もう僕のからだの一部みたいになったナイフを、
使いはじめる。ほどなく僕は、
居間のテーブルにむかって、
死者をよみがえらせようとしていることだろう。月と
暗い水が、僕の仲間。
僕の両手はうろこで銀色になっている。
指は、黒い血にまみれている。
最後に僕は、巨大な頭部を切り取る。
埋めるべきものを土に埋めてしまい、その残りを
もっていく。最後にもういちど、高みにある青い光を
見上げる。僕の家のほうに
目をやる。僕の夜のほうに。

滝への新しい小径 (村上春樹翻訳ライブラリー)

滝への新しい小径 (村上春樹翻訳ライブラリー)

「かろうじて」

その兄弟は自分たちのことを臆面もなく「死」と「眠り」と名乗った。二人は
夜の九時ごろ、ちょうど光がだんだん薄らいでいく時刻にうちにやって
きた。
(略)
西の空にはまだサフラン色の残光が見えた。皮膚のすぐ下に見える血のように。サフラン


その香料が刈り集められると、カシミールの農夫たちはみんな発狂寸前になって
しまうのよ、と君は言った。畑はそのもわっとした重い匂いに包まれる。恍惚、
というやつね。まるで本当に本を読んでいるみたいに、君はページを繰った。
レコードは演奏を続けていた。それから「死」がその引き金を引いた。しゅっしゅ
という音が何度も何度も何度も聞こえてきた。下からは「眠り」が
声をかけていた。「もっともっと盛大にやっちまえよ」と彼は言った。「そうだよ、
ばんばんその調子だよ。よし、それでいい。もうそのへんでいいから、下りて
きな」ほどなく彼らは引き上げていった。
(略)