村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事

前半が翻訳作品についての本人の解説、後半が柴田元幸との対談。

本当の戦争の話をしよう

 ここに収められたティム・オブライエンの短篇小説の大半は、アメリカの雑誌に掲載された。僕は雑誌に出ていた頃から、ひとつひとつ順番に訳していたのだけど、一冊の本にまとめられたものを通して読んでみると、雑誌に出たときとはかなり違う内容になっていることがわかった。いろんな小説的仕掛けがほどこされて、ひとつに繋がった総合的な世界に作り替えられている。いちおう「短篇集」というフォームにはなっているけれど、これまでに書いたいくつかの短篇をひとつにただまとめました、というような簡単なものではない。その丁寧な手の入れ方に感心させられた。
 ティム・オブライエンの小説は、従来の小説のリアリズムと、彼の中から自然に出てきた反リアリズム性みたいなものが、とてもうまく自然に喘み合って、分かれ目が簡単には見えない。そのあたりも僕の好みにぴったり合っている。そういうリアリズムと反リアリズムの融合(あるいは合意)は、僕の小説に関してもある程度は言えることだと思うし、そういう面でも、作家同士としての共感は強いかもしれない。

本当の戦争の話をしよう (文春文庫)

本当の戦争の話をしよう (文春文庫)

翻訳チェッカーのチーム

村上 『熊を放つ』[「マリ・クレール」連載]のときに、翻訳チェッカーのチームを組織したんです。ずいぶん長い小説で、僕ひとりじゃとてもできそうにない。(略)ひととおりざっと訳したものを、ちゃんと英語のできる人に洗ってもらいたいんだけど、そういうことは可能だろうかと安原さんに相談し(略)柴田さんと畑中(佳樹)君と斎藤(英治)君、武藤(康史)君、上岡(伸雄)君、その五人が集められた。(略)
不思議なのは、英語がそんなにできない人も入っていたことですよね。武藤君。
柴田 武藤君は国文学の専門家で日本語の達人だから、「この日本語、合ってる?」と武藤君にお伺いを立てるというやり方でしたね。(略)
畑中君があの雑誌の書評欄なんかをレギュラーで書いていて、他にだれかいないかと安原さんが畑中君に聞いて[集められたメンバーだった]
(略)
村上 (略)そういうラディカルな人選をした安原顕という人に感謝するべきなんだよね。ふつうだったら会社から「五人なんて、ちょっと君それは……」って言われるに決まってる。言われても気にしない人しかできない。ただあのころは、雑誌に広告がたくさん入ってお金が充分あったから、「マリ・クレール」のおかげなんですよ。バブルの恩恵というか、いちばんいい時期にめぐりあったと思う。今だったらあんな贅沢のこと、とてもじゃないとできないですね。

森鴎外

村上 職業的小説家でいえば、僕くらいたくさん翻訳をやってる人はあまりいないですよね。
柴田 日本では森鴎外だけですね。(略)
手に入ったものはなんでも、どんどん訳している感じです。
村上 それはもうキャラクターですかね。使命感というよりは。
柴田 キャラクターですね。翻訳もそうだし、岩波文庫で出ている『椋鳥通信』、あれはようするに、シベリア鉄道経由でドイツから新聞を取り寄せて、こんな記事があった、あんな記事があったというのを、ただただツイッターみたいに書いている。それも匿名でやっていて、当時の「スバル」に載っていたけど、人気もそんなになかったらしいんですよね。だれも喜ばない。だけとやっている。そういう、取り込んでは出す、というのを、ちょっと異様なくらいにできる人だったんですね。

村上 作家の翻訳というのが、翻訳の専門家の翻訳とは違うのかと、よく聞かれるんだけど、そのへんは自分ではよくわからないですね。僕の場合、翻訳の文章に自分の文体をそのまま使うようなことはありません。だから、僕のなかでは「作家の翻訳」という特別なカテゴリーはないんです。(略)
柴田 そういう意味では作家的な翻訳じゃないと思いますね、村上さんのは。鴎外はすごく作家的で、『諸国物語』のドストエフスキーでも、ポーでも、何をやってもみんな「鴎外節」、ぶつぶつ切った、非常に簡潔な文章に訳していて、あんまり原文を尊重しないですよね。『モルグ街の殺人』だと、冒頭の理屈を並べた数段落は要らないから削除、みたいなことを平気でやっています。だから鴎外の翻訳というのは、むしろ悪い翻訳ができる粂件がそろっているみたいな感じなんだけと、でも読むとすごくいいんですよね。独自の味がある。
(略)
村上 (略)僕はどちらかといえば、他人の文体に自分の身体を突っ込んでみる、という体験のほうに興味があるんです。自分のほうに作品を引っ張り寄せてくるというよりは、自分が向こうに入って行って、「ああ、なるほどね、こういうふうになっているのか」と納得する。その世界の内側をじっくり眺めているととても楽しいし、役に立ちます。だからカポーティの小説を訳せば、カポーティの文体のなかから、カポーティの目で世界を見るし、カーヴァーだったら、カーヴァーの文体のなかから、カーヴァーの目で世界を見る。

田中小実昌

村上 (略)そういえば『高い窓』は、田中小実昌さんが訳しているんですよね。小実昌さんの翻訳したチャンドラーの世界は、リズムがとてもよくて面白かったな。やっぱり文章のセンスの問題だと思うんです。好き嫌いはあるだろうけど、いったんはまると面白い。僕は個人的に好きです。
柴田 田中小実昌さんの訳文は、てきとうにやっている感じがいいんですよね。ノリがいい。
村上 ひょうひょうとやっている。
柴田 かつ、けっこう正確なんですよ。
村上 本当にね。僕もあらためてじっくり細かいところまで読んでみて、ちょっとびっくりしました。
柴田 ご本人の後期の小説もそういうところがありましたよね。『ポロポロ』とか、一見するとだらけた感じの文章だけど、じつはけっこう哲学的な中身があるという。

サリンジャー

村上 僕は柴田さんのいろいろな訳し直しで、いちばん面白かったのは『ナイン・ストーリーズ』ですね。(略)ずいぶん雰囲気が違いますよね、野崎さんの訳と。
柴田 (略)あれを訳したのはほとんど成り行きで、「モンキービジネス」という雑誌を始めたときに、毎号、モダンクラシックの短篇を一本載せようと思ったんです。で、「バナナフィッシュ日和」がすごく好きだから、それを翻訳する許可をまだ健在だったサリンジャーに求めたら、それ一本じゃだめだ、一冊ぜんぶなら許可する、と言われて。それじゃあやってやろうじゃないのと思ったということで、そう言われなかったら、ぜんぶは訳さなかったかもしれないですね。
村上 僕は『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を訳したときに、だめもとでサリンジャーにインタビューを申し込んだら、やっぱりだめだった(笑)。ひょっとしてと思ったんだけど。

下訳

村上 あと昔は、下訳があるんでしょうとよく言われたけど、下訳はね、僕は一度も使ったことがないです。だって、そんなことしたら、翻訳の面白いところが半分以上なくなっちゃうじゃないですか。いちばんおいしいところがね。ゼロから起こしていくのがなにせ楽しいんだから。
(略)
最初の頃は、ときとき出版社が下訳を持ってきて、これを翻訳してくれますかって言われることはあったね。僕はやりませんってぜんぶ断ってましたけど。
柴田 そうですか。昔は作家の訳ってたいてい下訳がありましたよね。谷崎潤一郎も友人の助けを借りているし。鴎外や二葉亭四迷あたりまでさかのぼるとぜんぶ自分で訳していますが。鴎外はすべてドイツ語から訳していて、原文より名文と言われるアンデルセンの『即興詩人』なんかも、原文のデンマーク語からではなくドイツ語訳からかなり自由に重訳しています。
村上 あれはドイツ語からだったんですか。
柴田 はい。ポーもトルストイもドイツ語訳から。

カフカ

村上 そういえば以前プラハに行ったとき、カフカの書斎というのがありまして、本棚がその当時のまま残っているんだけど、英語の本がやたら多かったのでびっくりしました。ディケンズとかね、ふーん、英語で読んでいたんだと驚きました。カフカが英語で本を読むって、ちょっと意外ですよね。ところでチェコの人って、カフカチェコの作家だと思っていなくて、ドイツの作家だと思っているんです。作品はぜんぶドイツ語で書いているから。だからチェコの人はカフカをほとんど読んでいないんですよ。チェコに行ってカフカの話をしてもぜんぜん盛り上がらない(笑)。フランツ・カフカ賞を受賞したとき、プラハに行ってフランツ・カフカの話をしたんだけと、みんな彼のことをよく知らないんですよ。とくにある程度年齢が上の人は、共産主義政権下で育ってきたから、カフカの著作は発禁になっていて、ぜんぜん読んでない。

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