アフター・ヨーロッパ ポピュリズムという妖怪にどう向きあうか

アフター・ヨーロッパ――ポピュリズムという妖怪にどう向きあうか

アフター・ヨーロッパ――ポピュリズムという妖怪にどう向きあうか

 

 人権と危機

 難民危機は、欧州の政治における支配的な言説としての人権の言説の衰えを突如もたらした。

(略)

開かれた国境は自由の印ではなく、今や不安定の象徴である。

(略)

欧州人が、自分たちの政治制度を輸出すれば脆弱な世界に安定がもたらされると考えていたとすれば、今では彼らは、民主主義の広がりが不安定化への引き金を引きうることについて(略)プーチンに同意するだろう。

(略)

[移民危機は左派と右派のバランスを変え]何十年もの間、欧州を支配してきたリベラルなコンセンサスの基盤を掘り崩した

(略)

[90年代]グローバリゼーションは(略)世界を民主化する力として賞賛された。現在はもはやそうではない。早くも一九九四年に、エドワード・ルトワクは、グローバルな資本主義の広がりは、ファシズムへの回帰を引き起こしうると警告した。(略)

今では多くの者が彼の見解が先を見越していたと支持するだろう。(略)

 寛容と礼節は、長い間、EUの基本的な特徴であった。今日、それらはしばしばEUの中心的な脆さと見なされている。 

 ブルガリア

 それではなぜ、東欧の人々は難民に対してそれほどまでに冷淡なのだろうか。ブルガリアの事例は特に示唆に富む。バルカン戦争と第一次世界大戦の惨事の後にブルガリアに来た難民の数は、人口の四分の一に上った(略)。当時のブルガリアは、今日のヨルダンやレバノンのようであり、ブルガリア人はかなりの短期間に極めて多くの人々を統合できたことについて、当然のことながら誇りにしている。
 かつて難民に救いの手を差し伸べたブルガリア人が、今日どうして同じことを行うのを拒否するのだろうか。答えは簡単である。一世紀前に保護を求めた人々は、民族的にブルガリア人であった。今日ではそうではない。ブルガリア人は、かつて同じ民族の人々のために必要と考えていた連帯が、戦争や迫害から逃れてきた他の民族の人々にも広げられるべきであるとは信じていない。実際に、違法に国境を越えてくる難民を自発的に助ける人よりも、今日では「市民による取り締まり」の任務を率先して行うブルガリア人の方が多い。

 中欧の憤り

中欧は、欧州の他の地域以上に、いわゆる多文化主義の利点と、しかしまたその陰の部分にも気付いている。(略)

中欧諸国は、欧州の大陸の帝国であるドイツ、オーストリアハンガリー、ロシアの解体とそれらの後に起こった民族浄化のプロセスにより生まれた。(略)

現在のポーランドは、世界で民族的に最も同質性の高い国の一つであり、人口の九八%が民族的にポーランド人である。彼らの多くにとって、民族的多様性への回帰は、騒然とした戦間期への回帰である。結局のところ、中欧における国民の中流階級の成立を可能にしたのは、ユダヤ人の殲滅とドイツ人の追放であった。(略)

中欧の人々は、難民危機の際に彼らに向けられたドイツからの批判に特に憤慨した。彼らは文化的な統一体としての国家のアイディアを、まさに一九世紀のドイツ人から拝借したからである。
 しかし、現在の難民に対する中欧の憤りは、その長い歴史のみならず、共産主義体制後の移行の経験にも根差している。共産主義と多数のリベラルな改革の後に続いたのは、シニシズムの蔓延であった。公的制度への不信感のレベルの高さについては、中欧は世界の筆頭にいるであろう。

(略)

移民の流入に直面し経済的な不安定さにつきまとわれて、多くの東欧の人々は、EUへの参加によってすぐに繁栄がもたらされ危機に満ちた生活が終わる、という希望が裏切られたと感じている。(略)

グローバリゼーションに対する東欧の人々の反応は、率直に言って、白人労働者階級のトランプ支持者とそれほど変わらない。彼らは共に、自分たちを忘れさられた敗者と見なす。

(略)

 国境開放の最大の受益者は、結局、優秀な個人の出国者、質の悪い東欧の政治家、および外国人嫌いの西欧の政党であった。

(略)

東欧の人々は、すでに自分たちの間にいる「他者」を統合する自分たちの社会と国家の能力を信用していないこともあり、外国人を恐れている。

(略)

西欧において、人権にまつわる議論が「われわれの権利」のことであるとすれば、中欧において、それは「かれらの権利」についてである。人権活動家は、多数者の問題を無視し、また被害者という立場を獲得しようという不健全な競争を煽ることで非難される。

 しかしながら、つまるところ、東西を分断するのは、世界主義的[コスモポリタン]なものの見方に対する、中欧に深く根付いた不信である。東欧は植民地支配の歴史がなく、よって罪の意識を持たないが、植民地を持った経験にしばしばつきまとう運命を共有することもない。

(略)

移民排斥者の主な強みは、世界に興味がなく、外国語を話さず、外国の文化に興味を持たず、ブリュッセルに近寄らないことである。

ギリシャ危機

 アテネからの反抗に対処するため、欧州のリーダーたちは厳しい選択を迫られた。ひとつは、ギリシャ債務不履行を許して共通通貨を危険に晒し、ギリシャ経済を崩壊させ、債権者と債務者の政治同盟に連帯の余地はないというメッセージを発信することである。もうひとつは、ツィプラス政権のギリシャを助け、それにより政治的な脅しが奏功することを示唆し、欧州大陸中のポピュリスト政党を鼓舞することである。
 このジレンマに直面して、欧州のリーダーたちは第三の選択肢を見出した。それは、他のポピュリスト政府がギリシャの例を決して真似しようと思わないような極めて厳しい条件によって、ギリシャを救済するというものである。

(略)

 多くの者にとって、EUの「民主主義」はすぐに市民の政治的無力を表す記号となった。EUの首都であるブリュッセルは、欧州の共通の家という栄光を象徴するよりもむしろ、市場の際限のない力とグローバリゼーションの破壊的な力を示すものとなってしまった。
 ギリシャ人は市場の呪いに抵抗することに失敗して絶望したかもしれないが、隣人であるイタリア人は市場の呪いを祝う準備ができていた。

(略)

 七五歳の独裁者かつメディア王がイタリア大統領に面会し辞任の意を伝えたとき、大統領宮殿の外の通りは、イタリア国旗を振りながらデモをする人々の詠唱とシャンパン・ボトルのコルクを抜く音で賑わっていた。

(略)

 しかし、事態はお祝いムードとは程遠いものであった。ベルルスコーニの辞任は「人民の力」による古典的な勝利とはとても言えず、むしろ金融市場の力の明らかな勝利だった。有権者の意思が腐敗し非効率なベルルスコーニの派閥を政権から追放したのではない[EUの最後通告によるものだった]。(略)

 ギリシャの事例においてブリュッセルは、危機のコストを弱く無防備なギリシャの民衆に転嫁した高慢なエリートの象徴となった。イタリアの場合、少なくともしばらくは、ブリュッセルは不人気な首相を失脚させ、彼が築いた寡頭政治的な体制を打破する、市民にとって唯一の希望であった。(略)[だが]イタリア人はより良い生活を求めて彼らの希望を(略)ポピュリスト的で欧州懐疑主義的な政党へと方向転換した。

(略)

[ダニ・ロドリクが『グローバリゼーション・パラドクス』で]

明確にしているのは、われわれがハイパー・グローバリゼーションと民主主義、自己決定権を同時に手に入れるのは不可能であるということである。(略)

政府は国民が投票する権利を保持することを望むが、それらの投票がポピュリスト的な政策を認めることにはまだ覚悟ができていない。(略)

自由貿易と相互依存を支持するが、必要な時(現在のような危機の時)には、国家が経済をコントロールできる状況に戻ることができるようにしておきたいのだ。(略)

政治エリートは不可能を可能にするために、民主主義と主権を再定義しようとしている。しかしそれは実行不可能である。すなわち、選択肢のない民主主義、意味をもたない主権、正当性のないグローバリゼーションがもたらされるのである。

(略)

民主的な欧州では、緊縮財政の「代わりとなる政策がない」という言説が今日の決まり文句になっている。有権者は確かに政府を交代させることはできるが、経済政策を変える力を奪われている。多くのマクロ経済の決定を立憲化すること(たとえば、財政赤字、公的債務の水準)により、ブリュッセルは事実上、選挙を伴う政治の領域からそれらを追放したのである。

グローバリゼーション・パラドクス: 世界経済の未来を決める三つの道

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 EU危機の核心、EUエリートが憎まれる理由

 [EU危機の]核心にあるのは、能力主義的な社会のビジョンが危機に陥っていることである。(略)

マイケル・ヤングの理解では、能力主義の勝利は政治共同体の喪失につながることになる。

(略)

 欧州では、能力主義的エリートは、報酬目当てのエリートである。彼らは、欧州大陸中の最も成功しているクラブチーム間で取引されるサッカーのスター選手とまったく同様に行動する。

(略)

成功したオランダ人の銀行家はロンドンに移動する。有能なドイツ人の官僚はブリュッセルに向かう。EUの諸機関や銀行は、サッカーのクラブチームのように、最高の「選手たち」を獲得するために巨額資金を投じる。
 しかし、これらのチームが負けはじめたり経済が減速したりすると、ファンは直ちに「選手たち」を見限る。その理由は主に、互いに勝利を祝うことを超えた「選手たち」とファンの間をつなぐ、人間的な関係というものが存在しないからである。彼らはファンと同郷ではないし、共通の友人もいなければ、共有する思い出もない。選手たちの多くはチームが拠点を置く国の出身ですらない。雇われたスターは、尊敬されることはあっても、同情される訳がない。能力主義的エリートから見れば、母国の外での成功は彼らの才能の証なのである。しかし多くの人々から見れば、まさにこの流動性こそが能力主義的エリートを信用しない理由なのである。
 人々がリーダーに対する信頼を深めるのは(略)自分たちを本気になって助けてくれるだろうと感じるからでもある。

[だが能力主義的エリートは、その国に留まったりはしない、逃げ出すだけだ](略)

この意味では、能力主義的エリートは土地所有の貴族政治エリートと対照的である。

(略)

新しいエリートは統治するように訓練されているが、犠牲を払うことは教えられていない。

(略)

能力主義的エリートは極めて固く結束しているが、そのネットワークは水平的なものである。ブルガリアのソフィアの一流のエコノミストスウェーデンの同業者と親密であるが、官僚登用試験に落ちた同国人については知りもしないし関心もない。彼はそうした人々から学べることはないと断固として考えているのだ。
 そうであれば驚くことではないが、欧州の新しいポピュリズムの魅力の中心は忠誠心、つまり民族、宗教、あるいは社会集団への無条件の忠誠心である。ポピュリストは、人々を能力のみによって判断しないと約束する。彼らは正義とまでは言わないまでも連帯を約束する。(略)

皆が共有するものがあるという理由から、構成員が互いに助け合う、家族としての社会像を支持する。

(略)

彼らは、人々が外国語を話さないことや海外のどこにも行くところがないことを褒めそやす。つまり、ポピュリストが有権者に約束することは、能力ではなく親密さである。

(略)

人々がリーダーに期持するのは、危機のコストを引き受けるという個人としての気概を明言し、社会に対して家族的な義務を負っていることを公に見せることである。

国民投票

 直接民主制の反対派は(略)国民役票は人々に権力を委ねる最良の方法ではなく、彼らを操作する最も正道を外れた方法であると主張する。マーガレット・サッチャーの言葉に、国民投票は「独裁者と煽動政治家」の装置だというものがある。国民投票は複雑な政策事項を危険なほどに単純化し、しばしば辻褄の合わない政策へと導いてしまう。国民投票は諸問題を切り離して単一の争点を問うものであるから、人々は互いに矛盾するような複数の政策を承認する結果となってしまうかもしれない。(略)

もし同じ日に社会保障の増額と減税について投票を求められたならば、人々は両方とも賛成してしまう可能性が高い(政治家であれば減税をすれば社会保障支出の増額は不可能であることを十分に知っている)。直接民主制に対する批判者は、国民投票は議論によってではなく感情によって動かされることが極めて多いとも論じている。彼らは国民投票が市民参加を促進するということを否定する。それを裏付ける証拠がある。国民投票の機会が急増するにつれ、欧州における国家規模の国民投票での投票率の中央値は、一九九〇年代初めの七一%からここ数年の四一%に低下した。

(略)
EUのような多くの共通政策をもつ政治構造においては、共通の政治ははるかに少ないということである。EUにおいて加盟国が他の加盟国に劇的に影響しかねない事項について投票するのを誰も防ぐことはできない状況で、国家レベルの国民投票の急増は、EUを統治不可能にする最も手っ取り早い方法である。そのような国民投票の機会の急増は、連合の崩壊を引き起こす「取り付け騒ぎ」を誘発する可能性すらある。(略)

もしEUが自殺を遂げるなら、用いられる凶器は、一度か数度にわたる国民投票である可能性がかなり高い。

(略)

二〇一六年に実施されたすべての国民投票に共通するのは、政府はその目的を決して達成しなかったことである。ポピュリストは残留か離脱かを問う国民投票を純粋に進めるよりも、そのような国民投票を実施すると脅すのを好んでいるといっていいだろう。(略)

ポピュリストが好む戦略はおそらく、離脱に関する明確な信任投票を求めることではなく、すべての選挙がEUに関する非公式な国民投票であると主張することである。

(略)

 二〇一六年の春、マッテオ・レンツィが国民投票実施の計画をもくろんだことは全く驚くべきことではない。(略)[ベルルスコーニ退陣]から五年を経ても、イタリアはEU危機の主要な犠牲者の一人のままであった。(略)今や、エキセントリックな政治的抗議集団の「五つ星運動」の勢力の台頭が目立っていた。同時に、この国は欧州に到着したほとんどの難民や移民が通過する入口になっていた。(略)

この苦難に折り合いをつけながら、レンツィは選挙を経ずしてイタリアの首相に就任していた。政治的問題がしばしば国民投票で決定されるこの国で、若く新しい首相が、より実効的な政策決定過程となるような政治制度改革に対する国民の支持ばかりでなく、国民から正当性を取り付けるための手段として、国民投票を使うという賭けに出たいと思ったとしても驚くことではない。

(略)

レンツィの憲法改正案は決定的に敗北し、彼は辞任に追い込まれた。(略)

政府の敗北により市場は、危機に対処するイタリアの能力に対してさらにいっそう懐疑的になった。政府の敗北は、ブリュッセルとの交渉におけるイタリアの立場を弱くし、欧州大陸全土の市民の間に欧州悲観主義が広がることを後押しした。

(略)

 レンツィの国民投票での失敗で明らかになったことがひとつある。それは、現在の欧州危機の文脈で、民主制度が市民による信頼を失い、政府が市民の敵とみなされているときに、改革への支持を取り付ける手段として国民投票を用いようとするいずれの試みも、かなりの確率で自滅するということである。 

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