EU騒乱 ピケティの本国での扱い

ピケティ『21世紀の資本』の本国での扱い

[頁数とタイトルから]高度な専門書のように思われがちだが、じつはまったく逆で大学生や一般社会人向けに噛み砕いた本である。(略)
活字も大きくして数式を避け、フランスの本にしてはめずらしく図表を多用した。また、これだけの厚い本なのに、30ユーロを割る価格である。フランスでは書籍の値段が高いから日本の感覚でいえば1980円で売り出したようなものだった。
 『21世紀の資本』は親切設計とお手頃価格のためか、専門書にしては珍しく発売一週間で6000部も出た。とはいえ、フランスではあくまでも新学期を狙って出される本の一つで、発売前後に書評が出たくらいで終わった。ところが2014年の春、英訳されるとアメリカで「ピケティ・パニック」といわれるほどの政治現象になった。これについてピケティに考え方の近いフランスの経済誌『アルテルナティブ・エコノミー』のシャビニュー副編集長は、
 「人気低迷のオバマ政権で格差は極めてまれな支持率の高いテーマです。ピケティが公式にメディアや財務長官、オバマ大統領の経済補佐官などに会えたのも、有名な経済学者がアメリカには本当に格差拡大があることを示すためで、オバマが2013年末に言った、格差との戦いが自分の任期の最後の時期の優先課題の一つであるという言葉を信用付けたかったのです」と時流ともうまく合致したと指摘する。
 さらにはアメリカのサマーズ元財務長官も言うように「彼のちょっとしたエキゾチックなフランス語訛りの英語もメデイアにとってはパーフェクト」だったのだろう。
(略)
 だが、フランスではピケティ・パニックは起こらなかった。たしかに英語版のヒットのブーメラン効果でフランスでもまた書店に山積みされるようになったが、あくまでもアメリカで流行したフランス人の本だったからにすぎない。1995年の大統領選でシラクのスローガン「社会的亀裂」が国民の心を射抜いたように、「格差」は大きな問題としてフランス社会に根深く浸透していたのである。
(略)
[ピケティは]18世紀、フランスの国民資本は国民所得の七年分あったが、第一次大戦頃から急激に落ちて1920年から1950年まで三年分を割った。それが再び増え始め、18世紀の水準に戻った――というのだが、グラフをよく見てみると、「その他の国内資本」はたいして変わっていない。植民地がなくなって「純外国資本」はさがっている。おおきく増えたのは「住宅」である。反対に「農地」が急激に減少している。1960年代というと、アルジェリア戦争のあとで引揚者が増加、住宅が増えた時期である。フランスの場合、農地が住宅になるとそれだけで価格は最低250倍になる。しかも、そこにマンションがたてば各マンションの価格の総和はさらに増え、1000倍にもふくれあがることになる。
 急激な変化の理由は、あくまでも不動産の質の変化である。土地の生産量が上がったわけではない。しかもしばしば農民は農地の価格で公共や民間の開発業者に土地を売り、土地が整備されて不動産業者が住宅地として買う。富の量だけでなく、富の所有者にも変化がおきた。さらにフランスでは1980年代、バブルがあり、2000年代以降には狂乱としかいいようのない資産インフレが起こった。「その他の国内資本」の中にも企業の設備投資だけではなく「事業用の建物」「これに関連した土地」も入っている。このような経済、社会構造に変化を与える要素を検討せず、ただ紋切型かつ表層的に評論しただけだというべきであろう。
(略)
 そもそも、『21世紀の資本』は格差を語った本ではない。語られているのは「1%」あるいは「10%」への富の集中の問題だけである。ピケティのいう「中産階級」とは明らかにそのすぐ下の層のことであって、中央値以下の人、ましてや下位の人のことは念頭にない。はじめから人口の半分以上を占める人びとは議論の対象外なのである。
 しかしながら、格差の問題は、彼が語らない下層にこそ存在する。

 まずは、委員会の報告責任者だったジャン=フランソワ・マンセル議員である。
 「(『21世紀の資本』には)まったく説得力がありません。あの本は流行にすぎない。話題になったのはアメリカで流行した効果であって、ブリンブリンのようなものです」
 「ブリンブリン」とは「ちゃらちゃらした、派手に見せびらかす」、いわば「成金趣味」という意味である。サルコジ大統領を揶揄してよくつかわれた。
(略)
 「ピケティのアメリカでの人気はあの強固な自由主義の国で、その経済システムに疑問を呈する人のテーゼを高く評価するように見えたので喜ばれたのです。称賛する人たちには偽善の部分があります。つまり、どうせできないのだから、大好きなのです。ピケティはフランスでは税制の理論家として知られていました。しかし2014年の春夏にアメリカで受けたほどの有名さは獲得できなかった。当たり前だと思います」
 もうひとり、社会党との連立を組む中道左派「PRG」所属のポール・ジャコビ議員にも感想を聞いた。彼は委員として報告書に「ファイナンス危機への構造的アプローチのために」という長文の意見論文を寄せている。
 「ピケティの本の考え方は、所得の格差が経済成長に関係するということで、別にオリジナリティはありません。ピケティは皆がよく知っていることを書いただけです。クルーグマンが新しい理論だといっていますがそんなことはありません。格差が広がっていることは間違いないですが、それはとくに投機によるものです」

投機筋に踊らされただけの欧州債務危機

 このとき、債権放棄した民間投資家のうち、ヘッジファンドなど短期の投機家はすでに額面割れしたギリシャ国債を買っていたので、損失は少なかった。いや、ひきかえに安全なEFSF債が手に入ったので、放棄して損した分は元が取れ、利益も望めたというべきである。これに対して長期で国債を保持していたギリシャの年金基金個人投資家には大打撃となった。ギリシャ国会債務真相究明委員会は年金基金の損失を1450億ユーロ(15兆〜20兆円)と試算し、15万世帯の小口投資家の資産が半分以下になり、17名が自殺したと報告している。
(略)
 2012年の秋、欧州債務危機はあっけなく終わった。べつにギリシャ政権交代が成果を出したというわけではない。市場関係者もいいかげん疲れてきたところに、ギリシャなど危機に陥った国の国債を無制限に市場で買い支えるという欧州中銀のドラギ総裁の発言がうまく嵌っただけである。もともと危機は、ギリシャ人の「ゴマカシ」を口実にした投機筋に踊らされた市場の空気で始まったものであった。空気が変わったので終わったのだ。2013年春、キプロスで危機が再燃しそうになったが、それも早々に収まった。

ドイツの戦時賠償

演説の中で「ドイツの債務」という言葉が出てくるが、これはドイツの戦時賠償のことである。この問題提起は、国民の人気取りのためにチプラス首相が突然おこなったようにもいわれるが、決してそうではない。たしかに、チプラス首相にも国民の目を外に向けてそらすという意図もあったであろうが、このドイツ戦時賠償はチプラス政権発足前からの懸案である。2012年、サマラス政権時代にも賠償問題に関する国会委員会がつくられていた。
 第二次大戦中(略)形式的にはドイツ、イタリア、ブルガリアによる分割占領と傀儡政権の樹立ということになっていたが、実際はナチスが主導しており、クレタ島をはじめとする各地で抵抗勢力に対し集団処刑を行った。また食糧徴発によっておこった飢饉で何十万人ものギリシャ国民を餓死させ、さらにはギリシャ中央銀行から戦費を調達した。名目は融資だが、ギリシャの金準備全部を差し出せというものであった。
(略)
[戦後]フランスや英国、ソ連はこの賠償の大きな恩恵に浴したが、ギリシャは忘れられた。(略)
 サマラス政権時代に創設されたギリシャ国会委員会は、ドイツの賠償領を1620億ユーロと試算している。この数字は破壊されたインフラ(現在価値で1080億ユーロ)とナチスによる1942年から1944年の強制融資(同540億ユーロ)の合計である。また判決はゲーテ・インスティチュートやアテネのドイツ人学校などのドイツ資産差し押さえが可能であるとした(ただし当時のギリシャ政府の政治的判断で判決の執行は停止された)。
 このほかに、占領中のドイツが犯した個別の事件に対する訴訟も起きている。たとえば、2000年にギリシャ最高裁は、1944年6月、ディストモ村で起きた赤ん坊から老人まで、村民218人が虐殺された事件の犠牲者の親族の訴えを認め、ドイツに対して2860万ユーロの支払いを命じた。(略)
 ドイツは一貫して、ギリシャに対する戦時賠償は1960年の二国間協定によって解決済として拒否している。だが、ギリシャ側はこの1960年の二国間協定には、ナチス・ドイツによる強制融資やインフラと経済の破壊、戦争犯罪の賠償は含まれていないとしている(なお、この二国間協定ができた頃、ギリシャアメリカの影響の強い王国で、軍事政権をへて74年に現在の共和政になっている)。

国民戦線(FN)

は、いまから40年あまり前、1972年に結成された政党である。初代党首はマリーヌの父ジャン=マリー・ルペン。(略)
[1956年「プジャード運動」の候補に]
この運動はスペインに近い南西フランスの地方都市で書籍文具店を営んでいたピエ−ル・プジャードが始めたもので、各地にでき始めたスーパーマーケットや大量生産の工業製品に脅かされている零細企業・職人・商人へ向けて、税の減免や税務調査の撤廃などを主張して急成長していた。この選挙でプジャード運動は12%の票を得て国民議会の9%にあたる52議席を獲得したが、その原動力となったのは従来のフランスの政治家の組織票と集会での高尚な演説だけに頼る選挙とは異なる、市井の人々の中にとびこむ、日本式にいえば「ドブ板選挙」を行ったことにある。この経験は、のちのちまで政治家ルペンに大きな影響を与えた。

 2014年の欧州議会選挙戦、FNのパリ集会で、マリーヌ・ルペンの演説のテーマは、「移民問題」から、EUの拡大、トルコ加入の絶対反対へと移り、次いで「経済、雇用、人々の生活の問題」へとつながっていった。
 EUのせいで、わが国の脱工業化が進み、何十万人という大変な失業を生んだ。EUのせいで、我々は産業を保護することができない。独自の産業政策は何もできない。国や地方公共団体の入札においてすらフランス製品を優先することもできない。不正競争をしている国からの輸入禁止もできない――そんな主張をしながら、カ強くこう言い放った。
 「EUの馬鹿げた規則によって、もっとも乱暴で貪欲な多国籍企業に得点が与えられる。彼らが最も競争力があるから入札で受注を勝ち取る。奴隷を働かせれば慟かすほど、虐待すればするほど、賃金を少なくすればするほど、消費者の安全の尊重をないがしろにすればするほど、地球を破壊すればするほど、金持ちになるチャンスがあるのです!」(略)
 「ギリシャはユーロとこのばかばかしい経済政策の犠牲者。いやそれ以上に、前代未聞の乱暴な福祉の低下に加えて、人道主義者を自称する偉い人たちの無関心の中で苦しむギリシャは、欧州の専横的連合の実験室なのです!」
 会場からは、一斉に拍手が沸きあがった。

 1950年代、フランスではジャン=マリー・ルペンも参加していたプジャード運動が出現した。総合的な政策の展望もなく、唯一、大資本を敵とし、税金を安くすることだけを訴えて躍進した。だが、国会進出してから僅か二年、次の選挙で消滅した。典型的な「ポピュリズム」だった。この運動が、おもに中小企業の経営者や職人など「資本家」でもなければ「労働者」でもない隙間の層に訴えたのは、象徴的である。当時の世界は「資本主義」と「共産主義」に二分化され、人々も資本家と労働者に二極化されていた。
 だが、「栄光の30年」と称された戦後復興と高度成長から中間層が増大し、価値観も多様化し、さらに冷戦が終わって「自由主義」と「共産主義」という対立軸もなくなった。政治家はコアの支持層を失い、メディア受けする言動で大衆を動員することに腐心している。サルコジ前大統領もオランド大統領も民衆を利用するだけのポピュリストなのではないだろうか。ところが彼らはそう呼ばれず、既成の政治エリート以外が、庶民にわかるように訴えかけようとすると「ポピュリスト」と軽蔑される。
 私は1984年、当時のFN党首ジャン=マリー・ルペンをインタビューした。その時、彼はこんなことを言っていた。
 「私はよく、テクノクラートの話し方をしないと批判を受けます。しかし、テクノクラートが権力を握るということは国民と断絶するということなのです。経済学者、政治学者、政治家は仲間内だけで政治学の言語を喋る。しかし、政治とはまったく別物です。政治とはむずかしい問題を簡単な言葉で説明することです。民衆のインスピレーション、衝動、感動、欲望、希望を表現することです」(略)
大衆は煽動に踊らされるだけなのだろうか。ジャン=マリー・ルペンは確信を持ってこう言った。
 「国民大衆は、深い合意がない限り何かを行うことはありません。彼らはまず人の言うことを理解し、そして、もしそれが自分たちの望むことならば支持します」
 先に紹介したグローバリゼーションを享受する「メトロポール」と取り残された「周縁」で二分されているフランスの現状と、FNへの投票との関係を調べた地理学者のクリストフ・ギュリーは何でも「ポピュリズム」として片付けてしまうことに異議を唱える。
《1992年のマーストリヒト国民投票から2005年の欧州憲法の拒否までの間に庶民階層のゆったりした解放のプロセスがおきている。棄権やFNの得票の増加はアノミー(社会解体期の無規律状態)を示すものでも「ポピュリズム」の非合理的な進展の兆候でもなく住民の大多数による下からの解放なのである。》(『周縁のフランス』)
 さらに、ギュリーはいう。
《「ポピュリズム」を強調することがエリートの間で一般化しているのは、それによって「下から」の診断の信用をなくして「上から」の診断を押しつけることができるからである。だが、ひろく信じられているのとは逆に、合理的で客観的な診断は庶民階級のものである。なぜなら彼らこそ、この30年来、グローバリゼーションの効果(給与の停滞や低下、不安定化、失業、社会的昇進の終り)と移民に関係するグローバリゼーションの帰結(共存による不測の事態、難しい地区、住宅問題、学校の劣化、人口問題の不安定……)を日々生きているのである。至るところで書かれたり言われたりしているのとは反対に「下からの」診断は、思慮分別のない逆上によるもの、非合理的な過激化あるいは表面的な抗議ではない。明確な経済的社会活動的選択の影響の客観的な分析なのである》

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