ポピュリズム化する世界・その2

前回の続き。

ポピュリズム

[政治学者・水島治郎談]
「(略)一言で表現すると、『富の再配分が足りない』と訴えるのが左翼ポピュリズムであり、『富を再配分しすぎだ』と訴えるのが右翼ポピュリズムです」
 南北アメリカ大陸は、欧州に比べ所得の格差が激しい地域である。(略)[富の再配分が]大衆の広い支持を得る。ここから、左翼ポピュリズムが台頭する。
 ところが欧州では一般的に福祉国家がすでに実現しており、富がある程度再配分されている。そこで持ち上がるのが、「福祉を不当に受益する人々がいるのでは」といった疑念である。その一番の矛先は移民だ。
(略)
 欧州型ポピュリズムナショナリズムと結びつくことが多く、特定のスケープゴートを攻撃しがちだ。「排外」「少数者排除」を伴い、内に閉じこもる性格をしばしば帯びる。これに対し、南米型ポピュリズムは巨大な権力に立ち向かうべく、できるだけ多様な集団や勢力を結集し包含しようとする。外に開かれた性格が特徴といえる。
 ただ、南米型ポピュリズムがそのまま、スペインやギリシャに輸入されたわけではない。南米型をいったん理論化し、応用可能な思想に転換した人物がいる。アルゼンチン出身の政治思想家エルネスト・ラクラウである。
 ラクラウは、母国でファン・ペロンのポピュリスト政治を経験し、軍事政権時に英国に亡命した後、エセックス大学教授などを務めた。その思想は、イタリアの思想家アントニオ・グラムシらの影響を受けたポスト・マルクス主義と位置づけられる。彼が、パートナーの政治学シャンタル・ムフとともに発展させたラディカル・デモクラシー論は(略)南欧諸国で現実政治の指南書としても使われている。(略)
 ラクラウは、既存の勢力が支配する政治空間で、新たな集合的アイデンティティーをつくり上げるための論理を「ポピュリズム」と呼ぶ。(略)[よりどころを失って]浮遊する人々それぞれは社会的経済的に多様で、特定のイデオロギーの下に集まることは難しい。従って、こうした人々を引き付けるスローガンは、多くの人が集まるほど無内容になっていくのである。
(略)
 しかし、ラクラウはそこに可能性を見いだしている。彼は、この営みを「節合」と呼ぶ。特定の政治理念や思想を持たず、それだけだとふらふらと浮遊する不安や不満を節合し、何者かと敵対する存在として意味づけてこそ、現代政治の将来が開けると考える。
 彼のこのような考えの背後に、政治に対する強い危機感があるのは間違いない。
 先進国で既成の政治の枠組みが硬直化し、一部の指導層やエリートが政治を支配するようになって久しい。
(略)
[一時注目されたデモや集会、市民団体・NGOといった「参加型デモクラシー」は参加するのが意識的・積極的な人々に限られ、大衆がついてこない。「緑の党」もそれで失速した。]
 そこに、ポピュリズムの出番がある。さほど政治意識を持たない人も、内気な人も、空虚なスローガンによって動員される大衆の一人として、政治に参加できるからだ。
(略)
[『不審者のデモクラシー――ラクラウの政治思想』の著者・山本圭談]
 浮遊する人々がとらわれているのは、現状に対する怒り、不安、不満と言ったネガティブな意識である。
 「それが大事なのです。何かを否定するからこそ、人々は繋がることができるのですから」(略)
 参加型デモクラシーに象徴されるような「何か新しいものを作ろう」といったポジティブで積極的な政治意識だと、ついていけない多くの人が積み残される。そうではなく、「今のものはだめだ」といったネガティブで消極的な意識を持つ多くの人々を集め、そこに意味づけをすることによって、新たな政治の流れを作れないか、それがポピュリズム本来の営みだというのである。(略)
[そうしていたのが]主に右翼ポピュリズムだった。そうではないポピュリズムが、このような力を取り込んで新たな流れをつくれないか。そこに、ラクラウの問題意識があった。
[彼の思想が注目されたのは、その理論に依拠するスペインの「ポデモス」が、彼の死の一ヶ月後に躍進したから]

不審者のデモクラシー――ラクラウの政治思想

不審者のデモクラシー――ラクラウの政治思想

  • 作者:山本 圭
  • 発売日: 2016/05/19
  • メディア: 単行本

キャメロンの火遊びが招いた悲劇

[2009年]頃まで、英国でナショナル・ポピュリズム政党というと、ユーキップではなく、英国国民党を思い浮かべる人が多かった。
 ただ、英国国民党は元極右だけあって差別意識が抜けず、大衆政党としては広がりに限界があった。一方、ユーキップは明るく柔軟なポピュリズム政党としてのイメージを前面に打ち出した。(略)
 「ファラージは、ユーキップから移民排斥のイメージを排除し、『反EU』に集中させようと気遣いました。この作戦が英国国民党支持者の中で相対的に穏健な層を引き付けることにつながった。2010年以降、英国国民党はユーキップにすっかり食われてしまったのです」
(略)
[だが実際には支持者はEUよりも、移民問題に関心があり、ユーキップは偏見や差別のエネルギーを]
国民投票の過程を通じて「反EU」というある意味でより健全な政治主張にうまく誘導したといえる。(略)
[支持層が重なる保守党はユーキップの伸長に神経を尖らせていたが、それでも右翼と同一視されるユーキップはまだ政治の表舞台には立てなかった。キャメロンはユーキップ支持層切り崩しと党内不満鎮静化を狙い「EU離脱カード」を使った]
 狙いは当初、まんまと当たったように見えた。総選挙で、保守党は予想外の大勝(略)
[だが]もともとの計画は、マッチポンプである。いったん付けた火を、今度は消しにかからなければならない。そのために、政権は極めて複雑な論法を組み立てた。
【1】現在のEUには問題が多いと指摘する。その方針に沿ってEUと交渉を重ね、改革を促す。
【2】EUが改革を受け入れたら、それを成果として掲げて国民投票を実施する。改革が実現したEUは評価に値するとして、英政府は残留を訴える。(略)
[2015年秋]「政治統合への英国の不参加を認める」「福祉を受けるために英国に流入する移民を制限する」など四点の改革を求めた。(略)
[離脱されては困ると概ね要求が通り、キャメロンはこれを成果とし、残留を選択するよう呼びかけ国民投票を実施]
 当時、英国の政権や官僚たちがどれほど楽天的だったかは(略)
[駐英大使の会見からもわかる]
 「英国はEU内での特別な地位を得ます。実にユニークな地位、全世界で最良です。英国は加盟国として自国の権益を守りながらも、政治統合、ユーロ、シェンゲン協定から永久免除されるのです」
 権利だけ得て義務はなし。英国は大いに得をした。それを、とうとうと自慢して恥じることがない。この改革が欧州の将来にどのような影響を及ぼすのか。それがグローバル世界の中でどのような意味を持つのか。全く触れることなく、すべてを自国の損得勘定に還元していたのである。
 ただ、この成果は英国市民の間でほとんど共有されていなかった。市民の多くは一連の経緯に関心を持たず、キャメロンがEUと交渉していたことさえほとんど知らなかった。
 政権がわざわざ国民投票を実施して、しかも現状維持を訴えるという摩訶不思議な状況は、こうして生まれた。本来だと、EU残留を望むなら、最初から国民投票などしなければいいのである。キャメロン自らが国民を説得すれば、それで済んだ話だった。なのになぜ、わざわざ実施するのか。政権は「EUとの交渉の結果、ああなってこうなって」と説明したつもりだったが、市民は全然理解していない。
 これでは、火消しになっていない。
(略)
 実際、市民の意識を支配しているのは、残留派が主張するような「儲かるかどうか」といったのんきな話ではなかった。自分たちが感じている不安と不満こそが問題なのだ。EUの規制が自分たちの仕事を妨げているのではないか。移民が職を奪うのではないか。インテリやエリートばかりが恩恵を受けているのではないか――。そのような疑問に比べれば、貿易や経済成長に伴う損得勘定などどうでもいいのである。
 彼らが感じる不安や不満は、必ずしも現実のものではない。しかし、離脱派のポピュリストたちが付け入る隙はそこにあった。
 国民投票を実施すること自体、ユーキップのファラージにとって願ってもないチャンスだった。大して期待もせず落とし穴を掘っていたら、向こうから飛び込んできたのである。これを利用しない手はない。ポピュリストたちは、人々の不安しきりにあおった。離脱派キャンペーンの中心はユーキップだが、保守党内や労働党内の離脱支持者たちがそれに乗る形となった。(略)
[離脱で浮いた金を医療サービスに回せるetc]ウソやハッタリは、ポピュリストの戦術の常道である。(略)
大英帝国時代のノスタルジーに訴えるなど、戦略の巧みさは残留派よりも離脱派の方が数段上だった。(略)
[さらにキャメロンのタックスヘイブン・スキャンダルで残留派は投票に行く気を無くした]
 英国が失ったのは、カネではないのだ。もっと大きな「英国」というブランドを損ねてしまったのである。
(略)
EUの弱体化は避けられないだろう。英国に見習って、自国さえ良ければいいというエゴが大手を振るようにもなりかねない。(略)
 それ以上に懸念されるのは、「ポピュリストが混乱を生み出せる」という英国の経験が、各国に伝播することだ。(略)各国のポピュリストたちはその様子を目の当たりにして、気合を入れ直しただろう。「英国が孤立化するなら、米国だって壁をつくるぞ」「フランスでも国民投票を」などといった主張が、説得力を持つ。そのうちのいくつかの試みは実現するかもしれない。

右翼ポピュリズム政党の手本となるプーチン

 プーチン政権は多くの右翼ポピュリズム政党の目に、理想的な統治システムを築いていると映っている。指導者に権力が集中する権威的政治制度、強大な力の誇示、基本的な自由の制限、戦略的部門への国家介入、市場メカニズムに対して国益の重要性を常に強調すること、などである。これらの特徴が自分たちの将来のモデルになると、右翼側は考えている。
 なかでも重視するのは、プーチン政権が見せる市民社会との付き合い方だという。ロシアは近年、NGOの活動制限やメディア統制によって市民社会を抑え込んでいるだけでない。ロシアの利益を主張する若者グループやシンクタンクを組織し、積極的に政権支持の世論をつくり出す姿勢を顕著にしている。
(略)
[NGOを拠点とした民主化を求める世論形成で東欧の]親ロ政権を次々と失ったロシアのプーチン政権は、その教訓から新たな戦略を身につけた。
 それを、今度は欧州の右翼が見習おうとしているのである。権力に追随する市民団体をどう組織するか、当局に好意的なメディアをいかに育成してプロパガンダを広めるか、などに関してロシアは右翼の先生なのだ。
 欧州右翼との連携は、ロシア側にとっても魅力的だ。何より、ウクライナ危機を巡って今や敵対する欧州連合の内部に、自らの立場を理解する勢力を築くことができるのである。
 もちろん、クリミア半島でしたように傀儡勢力を利用して乗っ取るには、EUは大きすぎる。欧州の右翼ポピュリズム政党も、完全なロシアの言いなりとはならないだろう。ただ、たとえばEUが対ロ制裁を強めようとする際、右翼はきっと妨害してくれると、ロシア側は期待している。
(略)
 プーチンが2000年に政権に就いて真っ先に手がけたのも、メディア統制だった。当時調査報道で名を上げていた民間テレビNTVに治安当局が乗り込み、詐欺などの疑いで書類を押収し、オーナーを拘束した。このテレビ局は政府系メディアグループの傘下に収められた。
 現在、ロシアのほとんどのテレビはプーチンの息のかかった人物に支配され、内容に関する締め付けも厳しい。
(略)
[ユーゴ紛争で情報戦に敗れ]「か弱いボスニアをいじめる乱暴者セルビアとロシア」のイメージ定着を許した。
[これに懲り、グルジア紛争では欧米コンサルタント会社を使い宣伝を展開](略)
「先に攻撃を仕掛けたのはグルジア」「ロシアは応じただけ」といった見方をうまく定着させたのである。

2016年2月、エール大学教授ティモシー・スナイダー談

 「『マリーヌ・ルペンドナルド・トランプファシストになる』と言いたい訳ではありません。ナショナル・ポピュリズムファシズムは別のものです。ただ、もしこの二人がフランスや米国の大統領になれば、ファシズムを想起させるような何かをするでしょう。それは、一つの兆候です。ファシズムが到来したことを示す印ではなく、ファシズムが到来し得ることを示す印なのです。彼らの次に、もう一つ別のステップがあるでしょう。ポピュリズムの先に、ファシズムを含むもっと悪いものが待っているかもしれません」

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