トム・ウェイツが語るトム・ウェイツ

《クロージング・タイム》1973

『フォーク・シーン』KPFK局

一九七三年九月二一日 ハワード・ラーマン

(略)

 ――どんなアーティストを聴く?

 うちにはFMがないから、ラジオはもっぱらAMだ。レイ・チャールズはよく聴くよ。レイ・チャールズの古いレコードをたくさん持ってるんだ。それからダイアナ・ロス。大好きなんだ。ビリー・ホリデイの古いレコードも何枚かある。モーズ・アリソンモーズ・アリソンは本当にいい。デール・エヴァンス、マイルス・デイヴィス。何でも少しずつかじってる。自分の曲のなかで、いろんな音楽を融合したいんだ。それにはいろいろ聴かないと。曲を作るのはピアノの方が楽だね。ギターじゃ決して見つからないことが、ピアノではたくさん見つかる。だから曲作りに関しては、ピアノの方が助かる。前はギターを弾いていたんだけどね。

(略)

子供の頃から音楽には興味があった。だが自分で曲を作ろうと思い立ったのは、六八年か六九年。それまではただ、いろんな音楽を聴いていた。小学校から高校までは学校のオーケストラでトランペットを吹き、クラシックのピアノを弾く友達が何人かいたから、見よう見真似で少しずつピアノを覚えた。ギターも覚えて、ヘリテージに拾ってもらった。

(略)

おれの通ったオファレル中学は、生徒のほとんどが黒人だったんだ。それで、七年生のときにバルボア公園でジェームス・ブラウンのライブを見て、ノックアウトされた。こてんぱんにやられた。だからブラックミュージックもずっとチェックしてきたし、できるだけ多様な音楽を聴くようにしてる。

(略)

 (〈土曜日の夜〉を弾きながら)これは新曲。早く生でやってみたい。土曜の夜にハリウッド大通りを車で飛ばす感じを歌った曲なんだ。ある土曜の昼下がり(略)ボブ・ウェッブとふたりで土曜の夜のど真ん中[ハート]を探すってのはどんなことなんだろうと言い合ううちに、歌詞が生まれた。その時点ではまだ曲の方は考えていなかった。おれもボブもジャック・ケルアックの熱烈なファンだから、これはケルアック・ファンに捧げる曲とも言えるだろうな。

(略)

 (〈土曜日の夜〉を弾いて)これは五分でできた。おれにとって曲作りの難しさは、なんといっても最初のアイディアを見つけること。アイディアを視覚化できれば、歌詞はすぐに書ける。ちょちょいのちょいだ。だがそのアイディアを思いつくのが難しい。よし次はラブソングだから歌詞は取りあえず「君を愛してる……」でいいや、なんて安易な発想ではなく、素材を見つけて磨き上げる。そいつが難しい。

 〈セミ・スウィート〉も楽にできた。なぜなのかよくわからないが、苦労した曲ほどできが良くないんだ。「愛[ラブ]」にしようか「鳩[ダブ]」にしようか「上[アバブ]」にしようかと悩んだ曲、苦心の作は、聞けばその苦労がばれちまう。

(略)

『サンディエゴ・リーダー』紙 一九七四年一月一三日

(略)

生まれて初めて買ったシングルは、ジェームス・ブラウンレイ・チャールズ。初めて買ったLPはJBの《パパのニュー・バッグ》。オファレル中学時代はJBがアイドルだった。

(略)

 ――二回目のツアーはフランク・ザッパと一緒だったね?

 三週間ほど一緒に回った。(略)会場は主に大学のキャンパス(略)前座として三〇分ほど演奏するんだ。フランクには恐れ入ったよ。あの人も不思議なことに、おれの音楽を気に入ってくれた。

ケルアック、ブコウスキー

『フォーク・シーン』KPFK局

一九七四年七月二三日 ハワード・ラーマン

(略)

 (〈霧の夜に〉を弾き始める)これは映画のサウンドトラック。映画ができてから、かなり後になって作られたサウンドトラックだ。映画が封切られたのは一九四七年あたりで、おれが音楽をつけたのは二週間前。深夜放送で見かける類の三角関係モノで、ある霧の夜の出来事を描いてる。ジョージ・ラフトとフレッド・マクマレイとロザリンド・ラッセルが出ているような映画。一人の女とふたりの男の関係は、誰かが退場しないことには永遠に堂々めぐりだ。今回消えるのはマクマレイ。霧深い道を、ラフトがマクマレイの古いプリマスを転がしていく。トランクのなかにはマクマレイの死体。トランクから上着の襟がはみ出しているのが映ったところで、ラジオからこの曲が流れるのさ。

(略)

 (〈土曜日の夜〉を弾き始める)これはギターとベースだけで録音した。それとカフエンガ通りにマイクを持って行き、二〇分ほどラッシュアワーの音を録音してオープニングに使った。お陰で雰囲気がキマった。

 ――今でも《クロージング・タイム》は手に入るのかな?

 どうだろ。最近はどこのレコード店でも見かけない。廃盤なんじゃないか。赤字にはならなかったし、ちょっとは評価もされ、そこそこ売れたが、廃盤になったんじゃないかと思う。探しても見つからないって、友達も言ってた。次のアルバムが出たら、また売ってもらえるかもしれない。様子見だな。

(略)

 ――語りを入れるようになったきっかけは?

 うーん。《ジャック・ケルアック/スティーヴ・アレン》っていうアルバムを聴いて、語りに初めて感動したんだ。スティーヴ・アレンのピアノにケルアックがしゃべりを被せたのが、とてもリアルで印象的だった。あんなのは聞いたことがなかった。それで自分でも書いてみた。

 ――語りは五〇年代に流行ったね。

 ああ、ロード・バックリー(略)とかもやってたな。語りはソングライターを解放してくれる。リズムを外すんじゃないかとかそういう心配なしに、音楽に彩りを加えることができる。語りを書くのは楽しい。最近のおれは、普通の歌よりこっちに力が入ってるみたいだね。

 ――ケルアックを愛読してるんだよね?

 彼の書いたものはすべて読んだ。ケルアックが書いた雑誌記事まで見つけ出して読んだ。それがローグとかCADとか、際どい雑誌でさ。ケルアックはそういうエロ雑誌にも寄稿したし、その手の雑誌には彼に関する記事もたくさんあるんだ。とにかくケルアックが書いたものは片っ端から読んでるよ。

 ――ケルアックの他に好きな作家はいる?

 もちろん。チャールズ・ブコウスキーはおそらく今の文学界で、詩も散文も小説もすべて引っくるめたなかで断トツに個性的で重要な書き手の一人だろう。ブコウスキーは時代の最先端を突っ走ってる。圧倒されるよ。

(略)

 ――(略)曲作りは技術?それとも自然に生まれるものなのかい?

 技術以外の何ものでもない。ソングライターをふたり、腕がいいのと悪いのを並べてみればいい。曲作りが技術だってことも、技術の優劣もすぐにわかる。

 ――自然に湧いてくると言うソングライターをたくさん知ってるけど?

 嘘だ。(略)何かに心を動かされて書くことはあるが、突然体がぶるぶる震えて言葉が湧き出すなんてことはない。そんなのは、おれに言わせりゃ嘘八百イカサマだ。

 曲はコンセプトっていうか、アイディアを温めるところから生まれる。本を読み、耳を澄まし、ラジオを聴き、歌番組に耳を傾け、このKPFK局も聴く。そうやっているうちに、たぶん腕が磨かれる。

(略)

ランディ・ニューマンは職人だ。曲を作り、作った曲であんなにも聴き手の胸を揺さぶる。それはランディが汗水垂らし苦心して曲を作っているからだ。

(略)

 ――ランディ・ニューマン以外にはどんなアーティストを聴くのかい?

 モーズ・アリソンも好きだ。彼は無駄のないソングライターだ。腹が立つくらいスタイルができ上がっていて、とことん好きにならずにはいられない。聴いてると、体じゅうに蜂蜜を垂らされたみたいにうっとりする。モーズ・アリソンは心から尊敬してるよ。

 

 

 《土曜日の夜》1974

作詞作曲のクレジットはすべてトム・ウェイツで、ボーンズ・ハウはエンジニア、プロデューサー、サウンドマンとしてクレジットされた。ふたりの相性は上々だった。ジャズの表現方法を取り入れたい若き吟遊詩人にとって、ジャズ畑出身のハウは尊敬できる相手だった。ハウは出会いをこう振り返る。「君の音楽と歌詞はケルアックを感じさせるね、とトムに言ったんだ。私がケルアックを知っていると知って、トムは大喜びした。私がジャズドラムを叩くのを知ると、さらに興奮した。そこで私はノーマン・グランツ(略)の下で働いていたときの話をした。あるときノーマンがケルアックの録音テープを見つけたんだ。ケルアックがホテルの部屋で、ビート時代の自作の詩を吹き込んだテープをね。そのコピーを作ってあげるよと、私はトムに言った。私たちの仲はこれでうまくいくと決まったも同然だった」

 ベースのジム・ヒューアートは二〇〇〇年、ベーシックス誌でこんな思い出話を披露している。

 「(略)さて、これから話すのはおそらく私がトムに抱いた唯一の不満だ。スタジオに入ると、トムはポケットから紙切れをごそごそ出して『それじゃ、こんな感じてやってくれ』と言い、指でテンポを取る。そして私のベースラインに合わせて、紙に書いた言葉を歌う――というより唸る。それが、メロディーになっていくんだ。完成したレコードに『作詞作曲トム・ウェイツ』とあるのを見て、文句の一つも言いたくなった。作曲に、私をクレジットしてくれてもいいじゃないか。どのみちトムの曲をカバーするやつはいないんだ。いたとしても、ごく少数だ。だから少しくらい印税を分けてくれたって罰は当たらない。とはいっても、トムと働くのは楽しかった。一分一秒が楽しかった」

(略)

《土曜日の夜》プレスリリース

一九七四年一〇月 トム・ウェイツ

 

 小糠雨がぼんやりと窓ガラスを伝い、酔ったネオンライトが夜気をかき回し、キューボールの月が黒曜石の空を一人ころころと横切り、人気の多い大通りの角ではバスがうめいたり喘いだり(略)

ノームのパンケーキ屋でおれが仏頂面で六九セントの今週の定食を食いながら、この都会のはらわたのなかで羽を伸ばそうとしている。

(略)

土曜の夜の中心を探し求める旅のさまざまな側面の包括的研究になったと自負する二枚目のアルバムを、この度晴れてお披露目する運びとなった。(略)

音楽的に影響を受けたのはモーズ・アリソンセロニアス・モンクランディ・ニューマンジョージ・ガーシュウィンアーヴィング・バーリンレイ・チャールズ、スティーヴン・フォスター、フランク・シナトラ……

 贔屓の作家はジャック・ケルアックチャールズ・ブコウスキー、マイケル・C・フォード、ロバート・ウェッブグレゴリー・コーソ、ローレンス・ファーリンゲッティ、ラリー・マクマートリー、ハーパー・リーサム・ジョーンズユージン・オニール、ジョン・レチーなど。

(略)

ピアノの腕は大したことないが、メロディーのセンスは悪くない。創作の場はコーヒーショップと酒場と駐車場で、お気に入りのアルバムはハノーバー・レコードから出た《ケルアック/アレン》。

(略)

 《クロージング・タイム》に《土曜日の夜》と二枚の卒業証書を手にしたからには、音楽を続けていける程度にはクラブの仕事が入るはずだと信じている。

(略)

 あなたとおいらの友

 トム・ウェイツ

(略)

『フォーク・シーン』KPFK局

一九七五年一月一二日 ハワード・ラーマン

(略)

あの[五四年型]キャデラックは、おれが生まれて初めて店で買った車だ。どうして今まで店で買わなかったのかと言うと、カーディーラーはみんなペテン師、こてこてのイカサマ野郎だからだ。ともかくおれは(略)

黒い五四年型キャデラックに惚れちまった。でかいリムジンモデルで、誓ってもいいが、ミシンみたいにすーっとなめらかに走るんだ。今まで古いオールズモビルやシボレーに乗ってきたが、あいつらときたら一つ角を曲がって最初の交差点に行っただけで、ゲホゲホしやがる。おれはそのとんでもなくイカしたキャデラックを四百ドルで買い、さっそくアリゾナのノガレスまで転がしていった。いやあ、走るのなんの。あの車は鼻歌交じりで走ってくれる。とびきり音楽的なトランスミッションがついているのさ。

 ――前に話していたサンダーバードはどうなった?

(略)

実は雨の日にバーモントで事故ったんだ。四台の玉突き事故。事故を起こしたのは初めてで、あれはおれが悪かった。時速四〇キロくらいで走ってたときに、街灯が点いてさ。(略)街灯の明かりと雨で道路が虹色にぼやけて見えるせいで、おれには車が普通に流れているように見えた。そこへラジオから〈パパのニュー・バッグ〉が流れてきたもんで、すっかり頭がお留守になっちまった。

(略)

そんなわけでおれのサンダーバードは現在、運転休止中。(略)

今はキャデラックに乗ってて、こいつが素晴らしい。運転するとハイドロマティック・ダイナフロー・トランスミッションが歌い出すんだ……ラララララ〜ってな。

(略)

『ロサンゼルス・フリープレス』紙

一九七五年一月一七日 マーコ・バーラ

(略)

 デュークス・コーヒーショップのカウンターの隅で、トム・ウェイツはスツールに腰かけ、肩をだらりと落としている。新聞紙が散らばった床、調理器具や灰皿や冊子やらで散らかったカウンター。(略)

帽子とチョッキと皺だらけのシャツを身につけ、用心深そうな目は少々疲れてしょぼついている。(略)

「おれはこの町が大好きだ。ロスを愛してる。だが今はちょいと視界がぼやけてるんだ。車がないせいで」

「車を物色してるんだが、まともなのを買わなきゃってプレッシャーに押しつぶされそうでさ。『あんたアホか?百ドルで買い、修理やメンテに三千五百ドルつぎ込んだ車で事故って散々な目に遭い、売るときゃたったの一二ドル?いいかげん生き方を変えたらどうだい?』とみんなに呆れられてるんだ」

(略)

 ベンツかポルシェはどうですか(略)と私は勧める。  

 「ベンツねえ。おれも自分のイメージは大事にしないとな。だがおれが探してるのは、もっと独創的な車なんだ昔のプリマスみたいなやつ。いい身体をした車、プリマスバットモービルみたいのがいい」

 (略)

 「運転は楽しいね(略)車を転がしてると歌が湧いてくる。

(略)

最高の師は経験らしく、創作のヒントは「サンディエゴにあるナポレオーネのピザ屋で朝の三時までピザと格闘した」時期から得ていると、彼は言う。

(略)

文学は身近にあり、自然と興味を持った。ピザ屋からライブハウスへの転身を後押ししたのも、ウェイツが「自然の成り行き」と表現する幅広い読書体験だ。

(略)

土台にあるのは軽妙でのんきなユーモア、酔っ払いがクダを巻いているような酒場のユーモアだ。ウェイツはとりとめのない、しかし気の利いた思い出話に際どいエピソードを交え、タイミングを狙い澄ましてオチを繰り出す。

 「おれはコメディアンが好きだ。パフォーマンスに関してもユーモアのセンスのある人間が好きだ。肩をすぼめて舞台に上がり、心の傷を吐露するようなやつは虫が好かないね。客はカネを払って見に来るんだから、その分楽しませなきゃ。教会の説教みたいなステージは嫌だね」

(略)

「いつか自動車の修理工場か中古車店を持ちたい。そうなりゃおれもいっぱしの大物さ」

(略)

 ウェイツは自分の歌詞から抜け出てきたような、正真正銘の夜型人間だった。小話を披露し、詩をまくしたて、歌いながら夜更けまで起きていた。午前四時にいったん帰ったトム・ディライルが、昼頃ふたたびスチュワート宅を訪ねると、なんとウェイツはまだ起きていたという。「太平洋から太陽が、マリブ・ロードにギラギラ照りつけていた。トムは眩しそうに目を細めて、こう言った。『暗くなるのを待ってるところさ。この明るいのはいつまで続くんだ?』」

 場数を踏むことで、ウェイツは話芸を形にしていった。メリハリのつけ方を計算し、軽快で洗練されたレパートリーに磨きをかけた。

(略)

友人フランシス・サムは、多様な音楽性を誇るハリー・パーチ・アンサンブルのメンバー。現代音楽家パーチの作品群に、ウェイツは深く影響され、刺激を受けていた。レナード・バーンスタインの下で指揮を学んだこともあるサムは(略)ウェイツとの思い出を語っている。

 

 自分では認めないが、トムは家庭で歌や楽器を楽しむという、古きよき音楽教育を受けたんだ。母親に教わった曲や教会で覚えた賛美歌もたくさんあった。出会った頃の僕とトムは、まさに家庭で音楽を楽しんでいた。声を合わせてガーシュウィンの曲を歌ったりしてね。ピアノの前に並んで腰を下ろしては、老人ホームの爺さんたちのように次から次へとガーシュウィンを歌った。トムはどんなジャンルの音楽も対等に扱う。彼のなかではクラシックと他のジャンルの間に垣根がないんだ。トムは音と音楽の奴隷で、彼の前で何か面白いものを演奏したら最後、食いついて離れない。それは子供っぽいようでいて、極めて洗練された姿勢だ。(略)

『都会のたわごと』

『メロディー・メーカー』誌

一九七五年六月二一日 ジェフ・バーガー

(略)

 トムが初めて仕事に就いたのは一九六五年のことだった。一五歳のときから四年間、カリフォルニア州ナショナルシティーのピザ店で調理をやり、皿を洗い、トイレを掃除した。(略)

「宝石店で働いたこともある。しばらく消防士をやり、アイスクリームの移動販売もやった。配達人もバーテンもナイトクラブのドアマンもやった。食うためには、何でもやった」

 仕事を転々としながら古いギブソンアコースティックギターで曲作りを始め、やがて音楽の道を考えるようになった。サンディエゴ界隈の小さなライブスポットに出演し、ロサンゼルスのトルバドールのフート・ナイトに参加した。

 トルバドールは毎週月曜日の晩、ステージをアマチュアに開放していた。トムは片道約二四〇キロの道のりをサンディエゴからバスに揺られてロスに行き、数時間、列に並んで待った後、呼ばれてステージに上がった。数曲歌い終わる頃には、表ではすでに太陽が昇り始め、バスで帰る時間だった。

 七二年のある晩、フランク・ザッパやティム・バックリィのマネジャーを務めるハーブ・コーエンが、トルバドールでトムの歌を聴いた。感心したコーエンはトムを顧客名簿に載せ、アサイラム・レコードとの契約を取り付けた。

(略)

今もトムが歌うのは、もっぱらナポレオーネのピザ屋で夜更けまで働き、仕事を転々としながら貧しさに耐えた頃の暮らしだ。

(略)

時には一曲も歌わないことさえある。

 「最近はスポークン・ワードをやることが多い」二杯目のビールを飲みながら、トムは説明する。「おれはソングライターってことになってるから、そっちの方もやらなきゃならない。だが自分の歌は聞き飽きたし、しゃべる方が楽しいんだ。尊敬する大勢の詩人を思うとおこがましいから、こいつを詩とは呼ばないが、伝統的な話芸の一つであるのは確かだ。おれは『都会のたわごと』って呼んでるよ」

 ここでポケットから紙を引っ張り出して「〈イージー・ストリート〉だ。聞いてくれ」と言い、紙をテーブルに放り出すと暗唱を始めた。

 終わると煙草に火をつけ、満足そうに椅子の背にもたれる。フォーマイカのテーブルには空のジョッキ、吸い殻で一杯の灰皿と、詩を書きつけた紙が数枚。テーブルをサッと見渡し、そろそろ時間だとトムは言った。

 きっとこれから貨物列車に飛び乗り、終夜営業のジャズクラブでギンズバーグと朝まで詩を読むか、ケルアックと飲んだくれるのだろう……だが実際にはトムは貨物列車に乗ったことはないし、ギンズバーグに会ったこともない。そして言うまでもなくケルアックは死んだ。

 トムの世界は彼が実際に暮らしている場所ではなく、本で読み、頭に描き、歌や詩で表現する世界。仲間は彼を取り囲むパプリシストでもライターでもクラブの出演交渉係や経営者でもなく、心象風景のなかにいるケルアックやギンズバーグレニー・ブルースだ。

 席を立つ前に、トムはジャズ評論家ナット・ヘントフの記事について語った。

(略)

「ある日、マイルス・デイヴィスに町でばったり会ったんだそうだ。昔は気の置けない仲だったが、ここ数年はすっかりご無沙汰だ。マイルスは自分に会ってどんな顔をするだろう。ヘントフはちょっと不安だった。だが結局、ふたりは抱き合い、マイルスはヘントフに向かってこう言う。『おれたちは別の時代の人間なんだよ、ナット。だから昔の友達が必要なんだ』」

 トムはブース席を出てコートを羽織り、考え込んだ様子で宙を見上げた。「昔の友達が必要だ、か。いい話じゃないか」

 

《娼婦たちの晩餐》1975

『ロサンゼルス・フリープレス』紙

一九七五年一〇月一七~二三日 トッド・エヴェレット

(略)

「誰しも人生のどこかの時点で、ケルアックは読むもんだろ。おれは南カリフォルニア育ちだが、それでも途方もない影響を受けた。黒いサングラスをかけ、ダウンビート誌の定期購読を始め……たんだが、ちょっとばかし出遅れた。ケルアックは年を取って偏屈になり、六九年にフロリダのセントピーターズバーグで死んだ」

 「とにかくビートニクのスタイルに好奇心を刺激された。それでグレゴリー・コーソローレンス・ファーリンゲティを読み……ギンズバーグは今でもときどき書いてるね」

 インスピレーションの源泉はさらに多様化した。コメディアンのロード・バックリー。ジャズの即興演奏とモノローグを融合したユニークなアルバム《ワード・ジャズ》で知られるケン・ノーディン。レイ・チャールズモーズ・アリソン。そしてジェームス・ブラウン

 「五七年にハノーバー・レコードから発売された、素晴らしいアルバムがあるんだ。《ケルアック/アレン》っていう。スティーヴ・アレンのピアノをバックにケルアックが語る。あのアルバムこそがビート文化なんじゃないかと思うよ。おれがスポークン・ワードをやってみようと思い立ったのも、あれの影響なんだ」

 ナイトクラブのステージに立つ数多のアーティストのなかでウェイツを際立たせるのは、何よりもこのスポークン・ワードだ。

(略)

 「詩[ポエトリー]ってのは危険な言葉だ(略)ひどく誤用されている。"詩"と聞いて大抵の人が思い浮かべるのは、学校で机に縛り付けられ、〈ギリシャの壺に寄す〉[英国ロマン派の詩人キーツの作品]かなんかを暗記させられたことだろ。おれだって、誰かに詩を読んでやるって言われたら、他にやりたいことを十も二十も思いつくさ。"詩人"って言葉にこびりついた汚れが、おれは気に入らないんだ。だから自分のやっていることは「即興の冒険」だとか「酔いどれ紀行」と呼ぶことにしてる。そうすると俄然、まったく新しい形と意味が生まれるからね」

 「縛られて、『肩書きを選べ、さもないと殺すぞ』と脅されたら、おれは『ストーリーテラー』を選ぶ。詩や詩人の定義は人それぞれ。おれに言わせりゃ、チャールズ・ブコウスキーは詩人だ――異論のあるやつは少ないだろう」

(略)

 「朝一〇時にトルバドールの前に並び、夜までひたすら待つ。その晩プレイさせてもらえるのは、最初に並んだ数人だけだ。でもってステージに上がると、歌えるのは四曲まで。たった一五分で努力が水の泡になることだってある。そりゃもうチビりそうなほど緊張したよ」

(略)

現在のところレコードの売れ行きは「散々」で収支は「トントン」だが、まめに地方を巡業しているお陰でファンは着実に増えている。

(略)

フランク・ザッパの前座に立ったときのことを思い出すと、今も背筋が寒くなるという。耳の肥えたザッパのファンにも、ウェイツと彼の「ストーリーテリング」は斬新過ぎたらしい。

 「三回ツアーに参加して、もうだめだと降参した。五千から一万の観客の前にひとりでのこのこ出て行ったら(略)視覚的言語的攻撃に遭わない方がおかしいくらいだ。ああいうのは、もう二度とやらない。イメージに傷が付くし、おっかないからな。観客が舞台に近づいてきて、おれに果物や野菜をぶつけるんだぜ。(略)

そういうのが続くと心が荒む。あれはつらかった」

 だがつらい経験は、よれよれのスーツにくたびれたネクタイというステージ衣装を生んだ。「どんなにめかし込んでもおれは冴えない。だから初心に戻って、スーツを着た。飲んだくれと呼ばれるようになったよ」

 衣装以外のトレードマーク――足を引きずる歩き方やアドリブ満載の話芸――は、どんな風にして育まれたのか。「試行錯誤を重ねて、何がウケて何がウケないかを学んだ。おれをひいきにしてくれるお客は、しゃべりを期待してライブに来る。人目なんか気にしねえよって感じの歩き方も。何年か前から、こういう歩き方をしてるんだ。ステージでの自分にある種のイメージがあることは、自覚してる。家のリビングとステージじゃ、煙草の火のつけ方も違う。ステージに上がると、態度や仕草がガラッと変わるんだ。すべて大げさになる。ステージでは自分のカリカチュアを演じたいのさ」

(略)

チャールズ・ブコウスキーに出会えたのは、本当に幸運だった。二回、一緒にステージに立った。今までのところ、あれがツアーのハイライトだな。尊敬できて、一緒にステージをやるのが楽しい人と共演できたって意味では。ブクにはロスでも会ってた。あの人は間違いなく現代詩のパイオニアだ。(略)」

(略)

ロンドンのソーホー地区にあるロニー・スコッツ・ジャズクラブにモンティ・アレキサンダーの前座として出演することになった。だが経営者のピート・キングと口論になって店を追い出されるという事件を起こし、なんとか務めたステージも評判は芳しくなかった。

(略)

[NMEの]フレッド・デラーに対しては、自分の曲をカバーするアーティストをこき下ろして見せた。イーグルスは「ペンキが乾くのを見つめているのと同じくらい退屈」で、そのアルバムは「ターンテーブルの埃除けには悪くねえ」。

おれは懐古趣味を売りにしてない

『シラキュース・ニュータイムズ』紙

一九七六年六月一一日 ロバート・ウォード

(略)

 ウェイツの手には古ぼけたスーツケースが一つ。(略)本人のくたびれた様子は楽屋で会ったときと変わらない。ベルトはひん曲がり、茶色いネクタイは安っぽくテカり、擦り切れた黒いスポーツコートもテカって全身から安っぽさを発散している。いわば、あてどなく行商を続ける聖書のセールスマン。

(略)

 マイクの前で、ウェイツがモノローグを始める。その後ろでウッドベースがクールに粋にリズムを刻む。ブンブンブンブン。ウェイツはリズムに合わせて指を鳴らし、体を揺らす。

(略)

ウェイツの半ば語るような半ば歌うような声が響く。声はサッチモのようでもあり、デイヴ・ヴァン・ロンクのようでもあり――いや、トム・ウェイツそのものだ。

 「旅に出て――」ブンブンブン!「長いこと旅に出て、ようやく家に帰ると冷蔵庫のなかは理科の実験室みたいになってやがる」ブンブンブン!ベースは笑顔で、サックス奏者は超然と、プレイを続ける。「忙しいのはいいことさ」ブンブンブン!「忙しいのは御の字さ。プエルトリコ人の結婚式のジャンパーケーブルより、おれたちは忙しい。わかるだろ、ベイビー」ブンブンブン!

(略)

ウェイツのピアノはセロニアス・モンクにはほど遠いものの、凡庸ではない。タッチも雰囲気もペースもいい。すべて悪くない。だが彼の本当の強みは言葉、秀逸な歌詞にある。

(略)

ウェイツはアメリカの負け犬/ヒーロー――場末のラウンジピアニストや、当たり馬券をなくしてしまう粋がったチンピラ――を描き、ノスタルジックでありながら真に現代的なスタイルで、そうしたキャラクターに新しい生命を吹き込んでいるのだ。

(略)

もちろん、評価は一様ではない。(略)自由詩に近いスタイルを採用してビート詩人とジャズのコラボレーションを蘇らせ、スキャットを好むウェイツに、ローリング・ストーン誌その他は厳しい評価を下した。

(略)

ビート作家たちは自然発生的な創造を標榜したが、言葉を音楽にマッチさせる才能はほとんど持ち合わせていなかった。(略)ビート詩人がジャズとコラボレートした古い作品を一つ二つ聴けば、トム・ウェイツが郷愁を乱用しているだけでないことはすぐにわかる。ウェイツはビート世代のスタイルを進化させているのだ。

(略)

[演奏後]

「いいや、盛り上がっちゃいなかった。お客はおれのことがさっぱり理解できなかったのさ。ウケたのは下ネタだけ」(略)

モーズ・アリソンの話を思い出す。モーズはすごいだろ?だが簡単にジャンル分けできないせいで、アトランティックに契約を切られた。

(略)

「懐古趣味を売りにしていると批判する評論家もいますね」(略)

「ああ、ローリング・ストーンの記事の話か。いいさ。記事を書いたやつは、腕を二本とも折ったらしい。もちろん、その件におれは関係ないよ。夜も昼も、アリバイはちゃんとある。けどな、あんな書き方は本当に不公平だ。おれは古い音楽が好きなんだ。ジョニー・マーサーの古い歌が好きなんだ。昔から聴いてるんだ。でもそういうのだけじゃないぞ。たとえば〈オール'55〉。あれはただ昔を懐かしむ歌じゃない。おれは本当に五五年型のキャデラックに乗ってるんだ。昔からずっと古い車に乗ってる。懐古趣味とは関係ない。オールディーズのカバーはやらない。〈ミニー・ザ・ムーチャー〉なんか、逆立ちしたってキャブ・キャロウェイのオリジナルにはかなわない。おれの方がうまくできると確信できない限り、オールディーズに手を出すつもりはないよ。マンハッタン・トランスファーとかポインター・シスターズとか、今は古タイヤをリサイクルしたみたいな音楽が流行りだが、そういうのにも興味はない。過去を食い物にしてるのは、ああいう連中だ」

(略)

 次は笑いについて聞いてみる。

 「(略)下ネタは八方ふさがりなときの切り札さ。ああ、おれはジョークが好きだ。(略)

誰かにこっぴどく野次られたとする。そんなときは『やあ旦那、あんた、結婚してんの?』と聞いてやる。相手がうなずいたら、『かみさんの写真を見せてくれ』。写真は持ってないと答えたら、『ここにあるよ。見るかい?』と言っておもむろに財布に手を伸ばすって具合だ

(略)

 歌詞は本の影響を受けていますか、と私は聞く。

 「ああ、昔から本は読んでる。そこがちょいと人とは違うんだろう。好きなのはネルソン・オルグレン。詩人のチャールズ・ブコウスキーも大好きだ。(略)

ジョン・レチーもいい。『夜の都会』『Numbers』に『Fourth Angel』。レチーは『夜の都会』を基に脚本を書いていて、ひょっとしたら音楽をやらせてもらえるかもしれないんだ。彼もずっと過小評価されてきた作家だよ」

次回に続く。