民主主義の死に方・その2

前回の続き。

民主主義の死に方:二極化する政治が招く独裁への道

民主主義の死に方:二極化する政治が招く独裁への道


独裁者が制度を破壊する過程をサッカーの試合でたとえると

-審判を抱き込む(略)
不正を防ぐのが審判の仕事なのだ。しかし、審判となる機関が体制支配者に支配されていたら?
(略)
“審判の獲得”はたいてい、公務員や非党派の当局者をこっそり解雇し、支持者と入れ替えることによって行われる。
(略)
[また簡単に支配されるはずのない機関も、情報機関が把握したスキャンダルによる脅迫で掌握してしまう]
(略)
 独立した裁判官を簡単に取りのぞけないとき(略)
ハンガリーのオルバーン政権は、憲法裁判所の判事数を八人から一五人に拡大し、指名のルールも変えた。(略)新たに空席ができるたびに支持者で埋めていった。
(略)
もっとも極端な方法は、裁判所を丸ごと解体し、新しい組織を作り出すというものだ。一九九九年にチャベス政権は最高裁による判決を無視し、制憲議会――裁判所を含むほかのすべての国家機関を解体する権限を与えられた臨時機関――を招集するための選挙を行うことを決めた。(略)
最高裁は解体され、新たな最高裁判所が代わりに設立された。(略)[さらに]判事数を二〇人から三二人に増やし、新しいポストを“革命的”支持者で埋めた。(略)それから九年ものあいだ、最高裁判所は政府の決定に反対する判決を一度も出すことはなかった。
(略)
-対戦相手を欠場させる(略)
もっとも簡単なやり方は、彼らを買収することだ。(略)
[フジモリ政権は、チャンネル4所有者に1200万ドルを支払い、ニュースの内容を管理する契約にサインさせた。
与党の議席過半数を切ると、18人の野党議員を買収して与党に鞍替えさせた]
(略)
 買収を受け容れようとしないプレーヤーには、力を弱める別の方法が使われる。(略)
[ペロン政権下で野党指導者は]選挙期間中に大統領を「侮辱した」罪で刑務所送りになった。(略)
[マハティール首相は対立相手を]同性愛行為の罪で捜査、逮捕、投獄した。
(略)
 政府はさらに、支配下に置いた審判を使い、中傷や名誉毀損などの訴訟を通して対立するメディアを“合法的に”脇に追いやることがある。
(略)
 大手メディアが攻撃を受けると、ほかの報道機関が警戒感を増し、自己検閲を始めるようになる。(略)
[チャベス政権下、最大手テレビ局]ベネビジョンは政治問題を取り扱うことをやめた。朝のトークショー占星術の番組に変わり、夜のニュース番組の時間には連続ドラマが放送された。(略)[かつては野党寄りだったが]二〇〇六年の選挙期間中には野党のことをほとんど報じず、チャベス大統領に関する報道に他社よりも五倍以上の時間を費やした。
(略)
-ルールを変える――(1)選挙区の変更(略)
(2)投票の制限
[南北戦争後]一八六七年の再建法と憲法修正第一五条によって人種を理由とした選挙権の制限が禁じられると(略)
各州は“中立的な”投票税、資産条件、識字能力の試験、複雑な書面を利用した投票システムを導入した。歴史家のアレックス・キーザーは、「これらすべての制限のもっとも重要な目的は、文字の読めない貧しい黒人を投票所から追い出すことだった」と論じる。
(略)
-危機による正当化(略)
未来の独裁者は、経済危機、自然災害、さらに安全保障上の脅威(戦争、武装闘争、テロ攻撃)を使って、反民主主義的な政策を正当化しようとする。
(略)
-自ら危機を作り出す指導者たち(略)
[マルコス比大統領]の“危機”はほとんどが捏造されたものだった。(略)
実際の反乱者の数はわずか数十人だったにもかかわらず、マルコス大統領は集団ヒステリーのような状況を作り出し、緊急措置を正当化した。(略)米諜報局によれば、マニラの連続爆弾テロはフィリピン政府軍による自作自演だった可能性が高いという。
(略)
[トルコのエルドアン政権は与党議席過半数を割った]直後に一連のイスラム国の攻撃が起きると(略)すぐに解散総選挙を行い[議会の支配を取り戻し、クーデター未遂では](略)広範囲に及ぶ取り締まりを正当化することができた。

 第5章 民主主義のガードレール

憲法という制度だけで民主主義を護ることはできるのだろうか?(略)答えはノーだ。(略)
[ワイマール憲法しかり、戦後独立した南米の共和国はアメリカの制度を導入したが、内戦と独裁統治に突入した。合衆国憲法を忠実にコピーしたフィリピン、マルコスは戒厳令を宣言し、いとも憲法を骨抜きにした]
(略)
その理由のひとつに、憲法がつねに不完全であるということが挙げられる。(略)
 憲法上の規定には、つねに“解釈”という問題がつきまとう。
(略)
憲法学者のアジズ・ハックとトム・ギンズバーグは、アメリカの大統領によるルール違反を防いでいるのは「慣習という薄いティッシュペーパー」にすぎないと主張する。(略)
同じく合衆国憲法は、大統領令や行政命令を通して一方的に行動する大統領の権限についてほぼ何も言及しておらず、危機下における行政権行使の限度を定義していない。(略)「真に独裁的な指導者にとって、アメリカの民主主義における憲法上および法的セーフガードを操作するのはいとも簡単なことだろう」
(略)
[では一体何が民主主義を守ってきたのか?]
 この国の膨大な富、大規模な中産階級、活気のある市民社会など、多くの要因が作用してきたことはいうまでもない。しかし私たち著者は、その答えの大部分が民主主義的な強い規範の発達に潜んでいると考えている。うまく機能する民主主義のすべては、憲法や法律には書かれていないもの、つまり広く認知・尊重される非公式のルールに支えられている。
(略)
 家庭生活から企業や大学の運営まで社会のあらゆる側面と同じように、政治の世界でも不文律は大きな役割を担っている。
(略)
[不文律は]うまく機能しているときにはとくに見えにくい。そのため、私たちは規範など必要ないと勘ちがいすることがある。しかし、それはまったくの見当ちがいだ。酸素やきれいな水のように、規範の大切さは、それがなくなるとすぐに明らかになる。
(略)
[特に二つの規範が必要不可欠]相互的寛容と組織的自制心だ。
(略)
 相互的寛容とは、対立相手が憲法上の規則に則って活動しているかぎり、相手も自分たちと同じように生活し、権力をかけて闘い、政治を行なう平等な権利をもっていることを認めるという考えである。相手に同意できず、ときに強い反感をもつことがあるとしても、私たちは対立相手を正当な存在として受け容れなければいけない。
(略)
組織的自制心は、民主主義そのものよりも古い伝統によって生み出された考えである。(略)
民主主義以前のヨーロッパの君主の多くは、自制心を働かせて行動した。結局のところ、「神に対して敬虔である」ためには、知恵と自己抑制が必要だった。
(略)
[1951年まで大統領任期を二期とする憲法の規定はなかった。1797年にジョージ・ワシントンが二期で退いた先例が規範として定着していただけ]
野心的かつ人気の高い大統領でさえ、この慣例を破ろうとはしなかった。グラントの仲間たちが三期目への続投をうながすと、政界は大騒ぎとなり、下院が[アメリカの自由な体制に危機をもたらすという決議案を出す事態に]

第6章 アメリカ政治の不文律

「私は、危機に立ち向かうために残された最後のカードを切ることを議会に求めます。つまり、緊急事態に抗う戦争を仕かけるための幅広い行政権です。(略)」。ルーズベルトは(略)戦争権限の力を利用して国内の危機を解決しようとしていた。(略)
[最高裁ニューディール政策の多くを違法と判断]
任期二期目に入って二週ほどたつと、ルーズベルト最高裁判所の規模を拡大する案を発表した。反対勢力が「裁判所の抱き込み計画」と揶揄したこの方策は、憲法の抜け穴を利用したものだった。事実、憲法第三条に最高裁判事の人数を定める規定はなかった。ルーズベルトの提案は、七〇歳以上の判事ひとりにつき新しい判事をひとり増やし、最大で一五人規模にするというものだった。当時、六人の判事が七〇歳以上だったため、この案が認められれば、ルーズベルトは新たに六人の判事を指名することができるようになる。(略)
この提案がまんがいち実現していたら、危険な先例となっていたにちがいない。最高裁は過度に政治化し、そのメンバー、規模、指名ルールはつねに意図的に操作されることになる。
(略)
 しかし、規範は持ちこたえた。(略)彼の就任中に発表されたどの計画よりも大きな反対に直面した。共和党員のみならず、報道機関、著名な弁護士や裁判官、驚くほど多くの仲間の民主党員も異を唱えた。結局、発表から数カ月のうちに、ルーズベルト自身の党が過半数を占める議会によってこの案は却下された。大恐慌のような深刻な危機のなかでさえ、抑制と均衡のシステムはきっちりと機能していた。
(略)
実際のところ、アメリカの初期の政治は「ガードレールのない政治」の典型だった。(略)連邦党員と民主共和党員は当初、相手を正当なライバルとして受け容れようとせず、お互いを反逆者ではないかと疑った。
(略)
 連邦党のアダムズ大統領と野党・民主共和党の党首であるジェファーソンが競い合った一八〇〇年の大統領選で両党は、永遠に相手の息の根を止めるほどの圧倒的な勝利を収めることを目指した。(略)
この激しい闘いは、そのあと数十年かけてやっと収まっていった。日々の政治への要求が増し、新しい世代の“職業政治家”が登場すると、闘いの激しさは和らいだ。(略)「政治では勝つこともあれば負けることもある」「ライバルが敵である必要はない」という考えが根づくようになった。
(略)
 奴隷問題による政治の二極化は、まだ脆かったアメリカの相互的寛容を粉々に打ち砕いた。(略)
党による暴力が議会に浸透していった。(略)
南北戦争によってアメリカの民主主義は崩壊した。一八六四年の選挙には三分の一の州が参加せず、上院五〇議席のうち二二議席、下院の四分の一以上の議席が空席になった。[混乱の中リンカーンは]人身保護令状を独断で停止し、違憲ぎりぎりの大統領令をいくつも出した。そして、その命令のひとつが奴隷解放につながったのだった。
(略)
六〇万人以上の死者を出した完全なる破壊は、[民主主義を築く]その信念を打ち砕くものだった。合衆国憲法は、神の意思によって生み出された文書ではなかったのか?この自己反省によって、やがて多くの人が不文律に眼を向けるようになった。

 第7章 崩れていく民主主義

[規範の衰退が始まったのはトランプよりも何十年も前から]
 一九七九年にニュート・ギングリッチがワシントンにやってきたとき、政治を戦争とみなす彼のビジョンは共和党執行部の考え方と相反するものだった。(略)[開局したばかりの政治専門チャンネルで過激なレトリックで有権者に訴えた]
議会を「腐敗している」「病んでいる」と形容し、民主党のライバル議員たちの愛国心について疑問を投げかけた。
(略)
ギングリッチと協力者たちは、これらの戦術を党全体に広めようとした。GOPACは二〇〇〇本以上のトレーニング用音声テープを制作し、毎月のように配布した。そうやってギングリッチの「共和党革命」への賛同者を募り、同じ過激なレトリックを使うことを推奨した。(略)
共和党候補者に簡単なマニュアルを配り、ライバルの民主党候補に対して使うべき否定的な単語を伝授した――哀れ、気持ち悪い、奇妙、裏切り者、非国民、反家族的、反逆者……。それは、アメリカ政治における劇的な転換のはじまりだった。
 ギングリッチ共和党執行部への階段を駆け上り(略)一九九五年には下院議長に就任した。それでも、彼は過激なレトリックをやめることを拒んだ。(略)彼は新しい世代の共和党議員のお手本として持て囃されるようになっていた。(略)上院も“ギングリッチ・チルドレン”の登場によって変わろうとしていた。
(略)
 当時気がついていた人はほとんどいなかったものの、ギングリッチとその仲間たちは新たな二極化の波の先端にいた。
(略)
民主党のバーニー・フランク下院議員はギングリッチについてこう指摘する。
 <span class="deco" style="color:#003399;">ギングリッチアメリカの政治を「たとえ意見が一致しなくても相手の善意を尊重する」というものから、「反対者を不道徳な悪人として扱う」ものに変えた。いわば、マッカーシズム支持者が成功を遂げたようなものだ。</span>
 共和党の新たな強硬路線は、ビル・クリントン大統領の就任中にさらに加速していった。(略)ロバート・ドール上院少数党院内総務はフィリバスターを先導し、大統領発案による一六〇億ドル規模の雇用政策の可決を阻止した。一九八〇年代から九〇年代はじめにかけてフィリバスターの利用はすでに大幅に増えていたものの、クリントン就任から二年のあいだにさらに頻繁に使われるようになった。その数は、元上院議員のひとりが「伝染病」のレベルに達したと揶揄するほどだった。
(略)
[94年圧勝した共和党はギングリッチを下院議長に据え「いっさい妥協しない」アプローチをとり、予算審議が膠着し政府機関が閉鎖に]
共和党クリントンを「厳密すぎる法解釈にもとづいて」弾劾しようとした。(略)
[ギングリッチ引退後、実権を握ったトム・ディレイは]
ロビイスト企業に共和党員だけを雇うように圧力をかけた。さらに、共和党の役人への支持や献金にもとづいてロビイスト企業を法律的に優遇する“見返り献金”システムを作り上げた。(略)「違法でなければなんでもやれの精神」(略)
[規範の衰退はさらに進み]
ブッシュが大統領だった八年のあいだに党同士の抗争はみるみる激しくなっていった。就任直前にブッシュは、議会の現状についてディレイから次のように説明を受けたという。「われわれは民主党と協力などしません。仲を裂くか、まとめ役になるかなどという議論はそもそも起こりませんよ」
 ブッシュ政権は大きく右に舵を切った。カール・ローブ政治顧問の忠告にもとづき、ブッシュは超党派による見せかけの協力をすべて取りやめた。ローブとしては、有権者の極端な二極化に勝機を見いだしていた。わざわざ無党派層を取り込もうとしなくても、共和党の支持層を動かすだけで選挙に勝つことができる、と彼は結論づけた。結局、二党が協力したのは、9・11同時多発テロヘの対応とその後のアフガニスタンイラクでの軍事行動についてだけだった。(略)
[民主党も対抗して日常的にフィリバスターを使うように]
 民主党が大統領を邪魔するために自制心を捨てると、共和党は大統領を護るために自制心を捨てた。
(略)
 規範の衰退は州レベルでも起きた。(略)
 二〇〇三年、テキサス州共和党はトム・ディレイ下院多数党院内総務を中心に、慣例とは異なる時期に大規模な選挙区の見直しを行なった。彼ら自身が認めたように、その目的は選挙を有利に進めるということだけだった。(略)
まず、アフリカ系アメリカ人とラテン系有権者民主党優勢の選挙区に組み込む。同時に、共和党有権者の一部を白人の現職民主党議員の選挙区に加え、確実に相手を倒すというのが作戦だった。新たな区割りによって、六人の民主党現職議員の再選がとくに危うくなった。この計画はどこまでも強硬なものだった。ある専門家が言うように、これは「法の目をかいくぐる限界ぎりぎりの強硬手段だった」。

第8章 トランプの一年目

トランプ大統領はメディアや批判者に対して言葉の戦争を繰り広げたが、その言葉は(まだ)実際の行動に移されてはいない。ジャーナリストが逮捕されたことも、政府の圧力によってメディア機関が報道内容を変更した例もない。より不穏だったのは、有利な立場を築こうとするトランプの動きだった。二〇一七年五月、彼は上院の“古くさい”ルールの一部を変えることを要求した。フィリバスタクーの廃止を含むそれらのルール改正は、少数派の民主党をより不利に、多数派の共和党をより有利にしようとするものだった。実際に上院共和党は、最高裁判事指名に対してフィリバスターを使うことを禁止し、ニール・ゴーサッチの就任への障害物を取りのぞいた。それでも、彼らはフィリバスターをすべて撤廃するという案には待ったをかけた。
 トランプ政権によるもっとも反民主主義的な動きはおそらく、「選挙の公正さに関する大統領諮問委員会」を設立したことだろう。(略)
[オバマが勝利した選挙の]少数民族投票率は驚くほど高かったからだ。
 この流れに脅威を感じた共和党の指導者たちは、かつて人種差別を助長したジム・クロウ法の記憶を蘇らせるような対応策を思いついた――所得の低い少数民族の市民が投票することをよりむずかしくする(略)より厳しい投票者ID法だった。たとえば、有効な運転免許証や政府発行の写真付き身分証明書の提示を投票所で求めるというルールを定めれば、少数民族有権者投票率は下がると考えられた。
 このような投票者ID法の制定は、アメリカで不正投票が広まっているという偽りの主張にもとづいて推し進められた。信頼できる研究のすべてにおいて、アメリカにおける不正投票のレベルは低いという結果が出ている。
(略)
 たとえトランプ大統領が制度を表立って壊そうとしなかったとしても、彼の規範違反によって民主主義が蝕まれることはほぼまちがいない。(略)
嘘や弱い者いじめなど、かつては常軌を逸した赦しがたい戦術だと考えられていたものが、いまでは政治家のツールキットのなかに主要な武器として組み込まれるようになった。

 第9章 民主主義を護る

[トランプ後の三つのシナリオ。ひとつ目は、トランプの失脚ですぐさま民主主義が回復するという楽天的未来]
しかし、そうなる見込みは薄い。(略)長年にわたる民主主義の規範への攻撃、それを推し進める根本的な原因となった二極化は、ドナルド・トランプホワイトハウスにたどり着くずっとまえから始まっていた。アメリカ民主主義の柔らかいガードレールは、何十年ものあいだ弱りつづけていた。(略)
 より暗いふたつ目の未来は、トランプ大統領共和党が白人至上主義の旗印のもとに勝ちつづけるというものだ。このシナリオでは、親トランプ路線の共和党ホワイトハウス連邦議会上下院、州議会において圧倒的な力を保ちつづけ、最後には最高裁判所で安定過半数を得るようになる。それから憲法違反ぎりぎりの強硬手段のテクニックが使われ、白人有権者過半数独占を長きにわたって護るための施策が生み出される。大がかりな強制送還、移民の制限、有権者登録名簿の更新、厳しい投票者ID法の採用などがいくつか組み合わせて実施されるはずだ。選挙区の見直しも進められ、上院の少数政党を保護するために設けられたフィリバスターなどのルールが廃止されるにちがいない。そのような策を講じておけば、共和党はぎりぎりの過半数でも政策を押し通すことができるようになる。
(略)
 このような悪夢のシナリオになる可能性は低いものの、まったくありえないとも言い切れない。(略)
たとえばレバノンでは、多数派だったキリスト教グループの人口減少が、一五年間にわたる内戦の引き金になった。
(略)
二五年にわたって右への移行を続けたことによって、共和党の組織の中核は空洞化してしまった。(略)
全米税制改革協議会やアメリカンズ・フォー・プロスペリティーなどの外部組織が、その優れた資金調達能力を武器に、多くの共和党議員の政策に多かれ少なかれ影響を与えるようになった。さらに、フォックス・ニュースをはじめとする右翼メディアの力が増したことによって、党執行部は主導権を失っていった。有力なメディア司会者やコーク兄弟などの裕福な外部の支援者は、共和党の執行部よりも所属議員に対してはるかに大きな影響力を及ぼした。共和党は依然として全国の選挙で優位に闘いを進めているものの、かつて共和党の「エスタブリッシュメント」と呼ばれたものはもはや幻になった。この空洞化によって共和党は、過激派が乗っ取りやすい組織に変わってしまった。
 二極化を和らげるためには、共和党は(ゼロから設立しなおすとまではいかないまでも)組織を刷新する必要がある。まずなにより、自らのエスタブリッシュメントを再建しなければいけない。これは、四つの大きな分野において党幹部の主導権を取り戻すことを意味する――財政、草の根組織、情報発信、候補者選び。(略)
より多様な層から有権者を取り込むことを目指し、規模が縮小しつつある白人キリスト教徒の支持層への依存をやめるべきだ。そして、白人至上主義に訴えることなく選挙に勝つ方法を見つけなければいけない。つまり、アリゾナ州選出の共和党上院議員ジェフ・フレイクが名づけた「ポピュリズム、移民排斥主義、大衆扇動のシュガーハイ」に頼るのをやめる必要がある。
 アメリカの主要な中道右派政党を再び作り直すというのは、一筋縄ではいかない仕事になる。しかし、そのような変革には歴史的な先例があり(略)
なかでも劇的だったのが、第二次世界大戦後の西ドイツの民主化だ。この成功の中心には、公にはあまり評価されていないある動きがあった――一度は国民に見捨てられた保守と右翼の残骸のなかから、中道右派ドイツキリスト教民主同盟(CDU)が誕生したのだ。
 一九四〇年以前のドイツには、組織的で選挙に強い保守政党もなければ、穏健で民主的な保守政党もなかった。ドイツの保守主義はつねに、内部の分裂と組織の弱さに悩まされてきた。とくに、保守的なプロテスタントカトリック教徒のあいだのぴりぴりとした分裂は中道右派に政治的空白を作り出し、過激主義者と独裁者につけ込む隙を与えた。
(略)
[戦後]新たに設立されたCDUは、まず過激派と権威主義者を自分たちから切り離した。その基礎を作り上げたのは、コンラート・アデナウアーなどの“確固とした反ナチス思想”をもつ保守的な政治家だった。(略)
彼らが目指したのは、独裁者を拒絶し、自由と寛容を受け容れた“キリスト教社会”だった。
 CDUはさらに、カトリックプロテスタント教徒の両方を迎え入れることによって、その支持基盤を広げて多様化させることに成功した。これは大きな挑戦だった。(略)
地方のあるCDU幹部は当時の協力体制についてこう語った。「刑務所、地下牢、強制収容所カトリックプロテスタントによる密な協力が生まれると、古い対立が終わり、両者のあいだに橋が築かれるようになった」。(略)カトリックプロテスタントの新たな指導者たちは両宗派の教徒の家々を戸別に訪問してまわり、ドイツ社会を再び形作る新しい中道右派政党を魔法のように作り出した。CDUはその後、戦後ドイツの民主主義を支える大切な柱となった。

 

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