- 作者:橋爪 大三郎
- 発売日: 2017/09/20
- メディア: 新書
三つのポイント「構造」「意図」「背景」
さて、本を読むとは、著者の思想と付き合うことなんだけれども、三つのポイントがあると思う。
第一。著者の思想には、「構造」がある。(略)
[読者に伝えようと試行錯誤して完成した]その組み立てに、著者の思想が表れている。だから、それを読み解く。(略)
第二。著者の思想には、「意図」がある。(略)
そのつもり(意図)が、実際に本文には、書いてないことがある。(略)
その「意図」とは何かというと、その本の著者の、他の著者に対する関係です。(略)
[著者は他の著者に不満があるから書いているので]
どの著者の、どの点に文句があるから、この本が成立しているんだろう。ということを読み取る。
(略)
第三。著者の思想には、「背景」がある。(略)
ものを考える、下敷きになるもの。方法と言っても、発想のもとと言ってもいい。それが、著者自身もわかっていない場合がある。(略)
[本という器に全てのことは書けない]
本は氷山の一角なんです。本に書かれていることを支えている、見えないものがあって、それが何かわかると、その本がスパッとわかる。
本の読み方の具体例:マルクス
リカードは、議論の必要に応じて、労働価値説をとったり、とらなかったりする。リカードは、労働価値説が、仮説にすぎないことをよく認識していたわけだ。
マルクスはこれが、気に食わない。
労働者を解放する理論の基礎となる、『資本論』を書くためには、労働価値は、仮説ではなく、実体でなければならない。
『資本論』は、まるごと一冊、労働価値説で終始一貫していなければならない。
そうすると、国際貿易をどう扱うか。扱うと、労働価値説が崩れてしまう(両国で、商品の価値が等しいとすると、貿易が起きない。価値が異なるとすると、労働価値説にほころびが生じる)。そこで、国際貿易は、扱わないことにすると決めた。だから、『資本論』には、国際貿易の話は一切出てこない。一国モデルなんです。一国モデルにして、そこから逸脱する話題には目をつぶる。そうやって、労働価値は実在であると考える、マルクス経済学を樹立した。
労働価値が実在でなければ、革命は起こすことが正しい、とは言えなくなるからね。
(略)
マルクスは、リカードと対抗関係にある。リカードと別なことをやりたい、という意図が、『資本論』にははっきり表れている。リカードが条件つきでのべていたことを、『資本論』は無条件であるかのように打ち出している。
(略)
搾取があると、商品の価値とその価格とは、乖離する(一致しない)。このことをリカードは、当然のことと考えていた。
これに対してマルクスは、こう言う。資本家と地主がいるから、労働者が搾取される。商品の価値と価格とが、乖離する。乖離してはならない。搾取があってはならない。どうする?資本家と地主が存在してはならない。
そういう本になるんですね。
(略)
さて、『資本論』の思想には、「背景」がある。
この背景になっているのは、ヘーゲルの弁証法です。(略)
ヘーゲルの弁証法とは何か。歴史のことだと思えばいい。社会には歴史がありますよ、なんです。
翻って、アダム・スミスや、リカード。彼らも、歴史があるということぐらいは知っている。でも、彼らの本の中には、歴史がない。物々交換をやっていた原始社会が、突然、近代社会になる。突然、近代社会になるきっかけは、社会契約です。人びとが合理的に契約を結んで造ったのが、近代社会である。それは、契約に基づかない中世社会なんかに比べて、ずっとマシである。
契約によって、いきなり近代社会ができあがる。
(略)
マルクスがやろうとしているのは、資本家や地主が合意しなくても、労働者だけの考えで社会をつくり変えてしまおう、でしょ。社会を壊している。
となると、マルクス主義は、社会契約説に立つことができない。近代社会の成立には合意がなかった、というのがマルクスの主張です。
では、何があったのか。歴史がなきゃいけない。
で、見渡してみると、イギリス系の思想じゃなくて、ドイツ哲学の系譜に、ヘーゲルというひとがいて、弁証法なるものによって哲学を構成していた。これは、近代に進んでいくのに歴史があります、それは人間精神の発達によるのです、みたいになっているわけです。
これが、マルクスが、ヘーゲルを議論の下敷きにしなければならない、理由です。
ところでへーゲルにも、背景がある。ヘーゲルの背景は、キリスト教神学なんです。(略)
歴史が成立するためには、人間個々人の生き死にと関わらない、一貫した視点が必要です。その視点を持っている誰かは、死なない。誰かの死なない視点を手に入れないと、歴史は書けない。
(略)
歴史を記録してみると、ある時代に起きた、一見不合理な出来事の背後にも、合理性があると考えることができる。それを、神の計画、という。
(略)
[ヘーゲルはそういう歴史の考え方を]世俗の哲学に応用したらどうなるかと考えて、弁証法なるものをこしらえた。だから、弁証法は、歴史を記述する能力がある。そして、一見非合理な現実の背後にある合理性を、取り出せる。
マルクスに言わせると、資本主義社会は、非合理そのもの。けれども、こういう歴史段階が生まれたのは、歴史がその先のステップに進んでいくための、計画のようなものである。この計画のことを、歴史法則という。
こうして、マルクス主義歴史学が成立する。そして、モーセのように、人びとを導いて歴史をつぎのステップに進める、共産党が成立する。
(略)
さて、こんなことは、『資本論』には一切書いていない。でも、このように理解しなければ、『資本論』を読んだことにはならない。
以上、『資本論』の、構造、意図、背景についてのべました。
本の読み方の具体例:レヴィ=ストロース
人間の生きる世界は、たった一つではない。日本語の世界、英語の世界。それに、いわゆる未開人の世界、と何種類もある。その関係は、どうなっているのか。(略)
もしも、まったく無関係だったら、同じ「人間」という観念が成り立たない。
奴隷制の当時。植民地にいる有色人種は「半人前」だと思っていた人びとが多かった。(略)
奴隷解放になったのだけれど、差別はなくならない。レヴィ=ストロースが人類学を学んだ時代はまだ、植民地は独立していない。主権を奪われていた。
そこで、レヴィ=ストロースは、みんな人間として対等であることを、証明したいと思った。
構造主義は、その証明をしているわけです。
言葉がいくつあっても、そのつくりは、本質的に同じ。親族のつくり方。(略)
基本的アイデアはみな同じです、などと主張する。
これが、構造主義の中身(本の構造)です。
(略)
著者の思想には、「意図」がある。
レヴィ=ストロースは若いころ、まじめなバリバリの社会主義者だった。マルクス主義者だったと言ってもいいかもしれない。フランス知識人の一員として、世の中をよくするために、現実の政治闘争を頑張りましょう、みたいな感じだった。
でも、第二次世界大戦が迫ってきた。勤務先のブラジルから急いで帰国し、陸軍に入隊したら、ナチス・ドイツが攻めてきて、あっという間にフランス軍は降伏。除隊になったけれども(略)[ユダヤ人は収容所送りになりかねない]ボートピープルとなって、キューバの辺りまで行った。でもアメリカ入国のビザがなかなか取れなくて……といった、辛酸をなめている。
この経験から、フランスという国、ヨーロッパのシステムのもろさ、危うさも身にしみている。ヨーロッパの知識人たちは、口でもっともらしいことを言いながら、ひと皮剥けば、たちまちユダヤ人を差別し、見捨てた。こんなヨーロッパ思想の嘘っぽさを、信用できるだろうか。
レヴィ=ストロースは、マルクス主義も、社会主義も、もうダメだと思った。人間は進歩・発展するもので、だから歴史があって、知識人はそのために戦わなければいけない、という考え方に、危険を感じた。マルクス主義は、ナチズムに似たところもある。とにかく、根本に立ち戻って反省しなければ、と考えた。
ヨーロッパ文明の病根は、ナチズムに見つかるが、マルクス主義にも見つかる。いや、自由主義、近代主義にも見つかるのではないか。なにしろ、自由主義、近代主義が、植民地をうみだした当のものなのだから。
じゃあ、どこまで遡ればいいのか。(略)
人間が言葉を話していて、そういう意味で理性的な存在であるという、そこまで遡って、そこで踏みとどまって、そこから戻ってくるしかない、と思い至った。
この「理性」は、フランス百科全書派が言っているみたいな、お上品な理性ではない。
もっと、野生的なものである。文字がなくてもいい。だからレヴィ=ストロースは、『野生の思考』を書いたのですね。
(略)
無文字社会が文字社会と同等に価値があるなら、そこには歴史はないでしょう。
ということは、社会の中に、歴史の時間は流れていない。当然、マルクス主義なんかウソだ。近代主義も怪しい。
(略)
さて、レヴィ=ストロースの思想には、どんな「背景」があるか。
[ストロース自身は、マルクス主義、フロイト、地質学、この三つだと答えている。だが著者は現代数学こそが構造主義の背景ではないかと考えている]
フーコーの誤訳
[『知の考古学』の]日本語訳が出たけれど、ひどい訳だった。そこで新しい訳が出たんだけれど、やはりひどい訳だった。読んでも全然、わからない。
大事な本なので、ぜひ読みたい。仕方がないから、フランス語の原典と並べて読んでいくと、ごっそり誤訳があることがわかった。
(略)
この誤訳がなぜ起こったか考えてみると、著者の意図と背景について無知なまま、本を読むから。意図と背景は、本のなかに書いてあると限らないから、仕方がないと言えば仕方がない。
たとえば、セリーという語を、翻訳では「系列」としている。(略)でも数学では、「点列」なんです。その前後には、ほかの数学用語がたくさん並んでるんだから、点列と訳すのが正しい。
(略)
『知の考古学』には(略)言表は、点列ですよ、と書いてある。そこにはいろいろな関数が設定されて、そこにある構造が生まれていますよ。こういうことを考察するのが、知の考古学です。そう書いてあるのに、そのことがまったく伝わってこないわけです。
フーコーも、レヴィ=ストロースと同じように、抽象代数学の言説を使おうとする意図がある。たぶんフーコーの権力分折は、相対性理論(重力場の理論)から、多大な影響を受けている。
- 作者:木下 是雄
- 発売日: 1981/09/25
- メディア: 新書
『理科系の作文技術』
ちゃんと読んでとっても参考になったのは、『理科系の作文技術』(木下是雄、中公新書)です。(略)
すばらしい本です。約40年前の本だが、日本中の理工系の学生に読まれて、100万部以上売れている。
この本には、メソッドが書いてある。それは、思想でもあり、スタイルでもある。こういう本はない。
この本をマスターすれば、文章を書くプロになれる。
(略)
『理科系の作文技術』に書いてあること。
日本語の文章と、英語の文章の間には、差がある。文法や用語の差ではなくて、ものを書くときの態度が違う。英語には、ものごとをきっちり伝えようという、態度がある。そういう態度で日本語を書かないと、理工系では勝負できませんよ。その書き方のメソッドが、徹底的に述べてある。
理科系の作文技術だから、理科系の文章を念頭に書いてあるわけだが、文系の文章にもとっても役に立つ。それは、トピック・センテンス・メソッドです。
(略)
文章をすみずみまで、意図的に構成する。
論文や本は、著者の考えを立体的に伝えるもの。考えには、構造がある。
段落(パラグラフ)が、その基本的なユニットである。
段落は、ある小さな考え(アイデア)のまとまりをのべる。それがレンガのように積み重なって、全体をかたちづくる。
そのことをよくよく意識しつつ、段落を組み合わせて、論文を構成するのが、トピック・センテンス・メソッドである。
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