ザ・ビートルズ史<誕生> 上

分厚い上下巻でデビューあたりまでしかいかないのである。

ザ・ビートルズ史 上

ザ・ビートルズ史 上

[ポール]の目に映るジョンは「遊園地のヒーローで、車をぶつけ合って遊ぶ乗り物に乗ったすごい奴」であり、大人のテディ・ボーイであった。汚い言葉を使い、タバコを吸い、喧嘩をし、性体験があり、酒を飲み、カレッジに通っていた。そしてエルヴィス・プレスリーのようにもみあげを伸ばし、服の襟を立て、背中を丸め、威嚇するような目つきで歩きまわっていた
(略)
ポールが『アリス』を一回か二回しか読んだことがなかったのに対し、ジョンあいかわらずこの作品を数ヶ月ごとに紐解いており、ルイス・キャロルの言語遊戯をすっかり自分のものとして取り込んでいた。

 家で過ごす日曜はいつも楽しかった。メアリーは口笛を吹きながら、限られた配給品で最高の昼食を作ろうと材料を火にかける。ジムはNEMSで購入したアップライトピアノの前に座り、パイプをくわえながらなじみの曲のメロディを手探りで奏でている。そのなかにはジム・マックス・バンドが「狂騒の20年代」に演奏していたレパートリーもあれば、もっと最近の曲もあった。それは年若い息子たち、とりわけポールに、衝撃的かつ永続的な影響を与えた。「じゅうたんの上に寝転んで、父が演奏するのを聴いていた。〈ステアウェイ・トゥ・パラダイス〉とか、ぼくが好きだった〈木の葉の子守唄〉とか、それから父が自分で作った曲とか。ただ即興的に弾いているだけなんだけど、素敵な音だった。(略)
ジムはポールにピアノを教えたがらなかった。自己流の悪い癖を受け継いでほしくないと思っていたからだ。しかし、教えなくても問題はなかった。ポールは音を聴き、動作を見て、すべてを吸収した。あとは指が勝手に動いてくれた。
(略)
ジョン・レノンが最初に楽器を演奏したのも、ほぼ同じ頃だった。(略)
[夫に死なれたミミは生活のために下宿人を置いた。その一人、ハロルド・フィリップス]が所有するハーモニカをジョンはいつも吹かせてもらっていた。ある日フィリップスはそのハーモニカをジョンに差し出し、翌朝までに何か曲を吹けるようになったらこれを君にやるよ、と言った。(略)ジョンは翌日まで二曲もマスターし、フィリップスは約束を守った。楽器は晴れて少年のものとなった(略)
初めてハーモニカを手に入れたとき、それは人生で最高の瞬間の一つだった」

ポールのトランペット

[13歳の誕生日に中古のトランペットを贈られたポール。〈チェリー・ピンク・チャチャ〉が英米両チャートで1位]
トランペットの人気は頂点に達していた。(略)
「もちろん、最初のうちは『俺はルイ・アームストロングだ』なんて想像してみたよ。でも〈聖者の行進〉を演奏するのが精一杯で、『もういいや』となってしまった。それから、唇が腫れるようになり、ノックアウトされたボクサーみたいな顔で外を歩くのも嫌だなあと思ったんだ」(略)
 1955年の後半の数か月(あるいはもしかすると56年の春頃まで)、ポール・マッカートニーの吹くトランペットの音はアードウィック・ロード界隈に響きわたり、それは路地で遊ぶ子どもたちをあおり立てる前衛音楽のようでもあった。ポールはCメジャーの音階をマスターし、〈聖者の行進〉以外にも一、二曲練習してみた。だが最終的に、トランペット・ブームが勢いを失い、もっとエキサイティングな音楽がアメリカからイギリスに上陸し、そしてずっとすぼめていた唇の痛みが増すにつれて、ポールのトランペットヘの愛着は薄れていったのである。

ジュリア

 ジュリアはまさに、ジョンの理想にぴったりの女性だった。常に古いしきたりにとらわれず、生まれてからずっと身を置いてきた世の中の流れに逆らってばかりいた。41歳の彼女は、ジョンがそのまま年を重ねたようでもあり、女装した彼のようでもあった。常に礼を欠いた行動をとり、因習を打ち破ろうとし、何者にも束縛されず、機知に富み、途方もない個性とひねくれたユーモアのセンスを備えていた。(略)
[ピート・ショットン談]
最初に会ったとき、ジュリアは「スリムで魅力的な女性だった。ウールのニッカーボッカー[膝下で裾を絞った女物の下着]を帽子みたいに頭にかぶり、踊りながら玄関先を通り抜けた」という。そして、初対面の握手の代わりに彼の尻を叩き、少女のようにクスクス笑ったという。ピートは仲間内で最初に、ジョンの母親のことを「むちゃくちゃすごい」と思って尊敬するようになった。
(略)
性的な物事への関心がひときわ高かった15歳の少年は、彼女のような女性がすぐそばにいると、時として暴走する感情を制御できなくなった。(略)ジョンは母親だと頭では理解していたものの、彼女のほうはいつも母親らしい行動をとるわけではなかった。ジョンは個人的に録音した回想のなかでこう語っている。
 自分の手が母の乳房に触れたときのことを覚えている。14歳ぐらいの頃の話だ。その日は学校を勝手に休んでいた。(略)あのときは一緒にべッドに寝転びながら、「それ以上のことをしちゃったらどうなるんだろう?」と考えていた。何だか落ち着かなかった。通りの反対側に住んでいたあまり階級の良くない女性とは、現実にそういうことになっていたからだ。今は、やっておけばよかったかも、と思っている。彼女も許してくれたんじゃないか、と。

〈ロング・トール・サリー〉

[友人のマイケル・ヒルが]「エルヴィスよりすごい歌手のレコードを手に入れた」と言うのを聞いたときに、頭のてっぺんから足の先までプレスリーに心酔していたジョンは、そんなことがあるわけないと(略)きっぱり言い放ったのだった。(略)
「あのレコードを聴いて、ジョンはその場で固まっていた」とヒルは言う。(略)
[ジョン談]
最初にあの曲〈ロング・トール・サリー〉を聴いたときは、あまりにすごすぎて言葉が出なかった。言ってみれば、心が引き裂かれてしまったんだ。エルヴィスを裏切りたくはなかった。エルヴィスはぼくの人生において宗教よりも大きな存在だった。(略)ぼくはエルビスを貶めるようなことは言いたくなかった。心のなかでさえもね。あんなにすごいものがこの世に存在していいのか。しかも両方とも。すると誰かが「これ、黒人が歌ってるんだな」と言った。黒人が(ロックンロールを)歌っているとは知らなかった。ということエルヴィスは白人でリトルリチャードは黒人てことか。「神様、サンキュー」とぼくは言った。
(略)
ロックンロールを歌っているのは白人だけではない……ジョンの認識は急カーブを描くように深まっていった。「最初に黒人について知ったのは、彼らが激しく体を動かして踊るということと、ものすごくリズム感がいいということだった。(略)イギリスではただの一人も肌の黒い人間と会ったことがなかった。だからアメリカの黒人に対する強い畏敬の念があったんだ」

徴兵制

[ポール談]
「状況が大きく変わったのは、徴兵制がなくなったときだった。それまでは随分と長いこと、あの『君を立派な男にしてやる』という軍隊の脅し文句が重くのしかかっていた。そこから初めて解放されたのが、ぼくらの世代だったんだ。それ以前の世代のように、あのシステムをかいくぐる必要がなくなった。ぼくらはまるで、鎖を解かれて四方八方へと走り出した子どものようだった」

Come Go With Me

Come Go With Me

  • デル・バイキングス
  • ヴォーカル
  • ¥150

邂逅

「(ほんとうの)第一印象は『こりゃたまげた、歌詞をその場ででっち上げてるぞ』だった。デル・ヴァイキングスの〈カム・ゴー・ウィズ・ミー〉を歌っていたんだけど、歌詞をただの一語も知らないんだ。歌いながら歌詞を全部作ってる。すごいと思ったよ」
(略)
[15歳になったばかりのポールにとってもうすぐ17歳のジョンは大人で]
「ぼくは境界線からこっちの間違った方にいて、彼らは向こう側の正しい方にいる。そんなふうに感じていた(略)
会う前から、彼の姿は何度か見かけていた。『ああ、あいつか。バスに乗ってたあの不良か』って。イカした奴は目立つんだ……でも(バスの中で)決してじろじろ見たりはしなかった。殴られたら困るからね」

ポール加入

ジョンは音楽的に十分な水準に達していないメンバーに対し、いつも彼なりのやり方でそれを思い知らせていた。ピート・ショットンの場合は、まず一緒に自転車で出かけた際に、激しい口喧嘩をわざと仕掛けた。(略)[さらにパーティーで酔っ払っていた時に]ピートの頭上でウォッシュボードを叩き割ったのである。「じゃ、それで解決だ、ピート」と、グループのリーダーは高らかに言った。[6歳から続いていた二人の友情は大人になるにつれ弱まり、卒業後ピートは警察官に](略)
警官を心底馬鹿にしていたジョンにとって、ピートがそのような道を選んだことは大きなショックだった。そしてピートがグループを去ったあと、[ポール加入]。

ジュリアの死

 何年も経ってから、ジョンがジュリアの死から立ち直るためにどのような手助けをしたのかと尋ねられたとき、ポールはこの時期のことを全く思い出すことができなかった。1958年の夏、ジョンとポールはお互いにほとんど顔を合わせなかった可能性が高い。ジョンは空港でアルバイトをし、ポールはジョージと二人で休暇旅行に出かけていた。この旅は16歳と15歳の少年にとっては大冒険だった。一方、ルイーズ・ハリスンは、ジョンが「一人で考え込んでばかりにならないように」と、ジョージを促してメンディップスを訪問させたことを回想している。仲間が二人とも母親を失ったという恐ろしい事実を知って、ジョージはすっかり怖くなった。あるときふと、自分の母親も近いうちに死んでしまうのではないかと思い始めたのである。「あの子は心配で、私のことをずっと注意深く観察していたんです。馬鹿なことを考えないでちょうだいと私は言いました。死んだりしないわよ、と」
(略)
[ポール談]
「ぼくらに絆があった。二人で話し合ったことは一度もないけれど、相手の身に何があったのかはお互いにわかっていた……ジョンが打ちのめされていたのは知っている。でも、あのくらいの年齢というのは、めそめそしているのが許されないんだ。特に若い男の子、ティーンエージャーの男の子たちは、そんなことは平気だという態度をとるものだった。ぼくらにもそういうところが多分にあった。見えないところでは泣いてたけどね。ぼくらの心が離れていたとか、お互いに冷淡だったとか、そういうんじゃない。二人とも確かに落ち込んだよ。でも、前を向いて進んでいかなければならないとわかっていた。あの時期、ぼくは心に殼を作って閉じこもった。その心の壁は今もずっとある。ジョンも間違いなくそうだったと思う。
(略)
二人は最終的にハーレフという村の、ある農場にたどり着いた。(略)
[当時16歳だった農場主息子談]
「ここにテントを張ってもいいですか?」という感じだった。(略)その夜は雨が降り、彼らのテントは役に立たなくて、二人ともずぶ濡れになってしまった。そこで母が「外にいちゃだめよ、入りなさい」と言った。二人はそのまま我が家に滞在し、一台のダブルベッドに二人で眠り、滞在中は母が食事や飲み物の世話をした。
 忘れられないのは、ポールがぼくの安物のアコースティック・ギターを、左利きなので逆さまにして弾いていたことだ。ジョージもそのギターを弾いた。それから、我々がボトム・ルームと呼んでいた部屋にはピアノがあった。あの頃はちょうどバディ・ホリーの〈シンク・イット・オーヴァー〉が出たばかりで、ポールがあの曲の間奏のピアノ・ソロを、完全にコピーできるまで何度も繰り返し弾いていたのを覚えている。弟のバーナードが、ポールがピアノを叩きながらリトル・リチャードの曲を歌うのをすごく気に入って、もう一度演奏してくれと何度もしつこくせがんでいたが、ポールは喜んでそのリクエストに応えていたよ。

Think It Over

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  • 小ネタ

ジョージ・マーティンが副専攻したオーボエの教授マーガレット・エリオットの娘がジェーン・アッシャー
次回に続く。
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