ザ・ビートルズ史<誕生> 上 その2

前回の続き。

ザ・ビートルズ史 上

ザ・ビートルズ史 上

ブライアン・エプスタイン

[1952年召集令状]
物腰が柔らかで、女性的で、華奢で、シャイで、エレガントで(略)
彼は死ぬほど退屈な軍事教練とも、残酷なほどの激しい苦痛とも、弱い者いじめの規律とも、兵営で生活を共にする無礼でがさつで無神経な兵卒たちとも、精神的にも肉体的にも全く相いれなかった。そして何より、いとも簡単に、残忍な連隊先任軍曹たちの格好の標的になってしまった。(略)
ロンドンには同性愛者が就ける任務があるという密やかな情報が耳に入ったのだ。(略)
[首都を散策し]評判を聞いていたバーやクラブには近づかなかったが、「行く先々で、同性愛者がほかにもたくさんいることを知った」。(略)
[除隊後]彼は少しずつ、リバプールの別の夜の世界へと足を踏み入れるようになっていった。必然的にそこは、楽しみごとと危険が隣り合わせの、入り組み、ひた隠しにされた闇の世界だ。(略)ブライアンも仮面を脱ぎ捨てて仲間に加わった。一般的には、彼は自分よりも若い男が好みだったと思われているが、彼の相手の多くは日常的に暴力をふるう男で、そのほとんどが肉体的・性的に彼を暴行するような労働者階級の肉体労働者タイプで、行きずりの男だったこともあったようだ。ブライアンは俗に「ラフ・トレード」といわれる暴力的な関係の虜になっていた。彼にはリスクを冒したいという強い衝動に駆られる傾向があり、酒(スコッチが好物だった)を飲んでいるときは特に抑え難かった。叩きのめされることもしばしばで、恐喝されたことも何度かある。ほとんどが燃えるような情事や一夜限りの関係で、パートナーと呼べる大切な人が存在したことは生涯を通じてほとんどなかった。取り巻きはたくさんいるものの、いつも最後は一人になってしまう運命だったのだ。自分の生き方を嫌悪し、時には、そういう生き方しかできない自分自身をひどく憎んでいた。それでも、悦楽がもたらす罪や痛みのために、欲求を満たそうとなおいっそう貪欲になるのだった。そしていつも(ブライアン自身のプライベートな手紙の言葉を借りれば)「セックスのことに夢中」だった。
 しかし、ブライアンはただそれだけの人物だったのではない。ロイヤル・リバプールフィルハーモニー管弦楽団のコンサートには必ず足を運び、あらゆる劇場の常連客となり、アマチュア演劇を支援していた。
(略)
[57年おとり捜査で逮捕]警官たちは彼の腕をねじり上げて背中にまわし、警察署まで無理やり歩かせて、署では「複数の男に執拗に関係を迫った」罪で告発された。(略)
二年間の執行猶予を言い渡され、治療を受けるようにと命じられた(おそらくは精神科で分析を受けるとか、あるいは電気的ショック療法を受けるなど)。(略)
[58年「ラフ・トレード」の相手から暴行・恐喝。顔の傷から両親が気付き警察に通報。ブライアンは今度こそ刑務所送りではないかと恐れた]
原告側は「リバプールの資産家であり、同市の名の通った別の資産家の血縁にあたるため、一貫して『ミスターX』と匿名で呼ぶように」というものだ。裁判所はこれに合意した。結果的に、二つの大見出しがついた。「『ミスターX』セフトン・パークで暴行、と裁判所」「『ミスターX』の事件で保釈を巡って事務弁護士が異議申し立て」。(略)
襲撃者は二年間投獄された。一方ブライアンは告発されることもなく、大いに胸をなでおろした。しかし、この事件で(略)
家族にも自分の性行動についてすっかり知られてしまい、ブライアンは心に深い痛手を負う。

文学にハマるポール

 ジョージが学校を辞めてしまったため、ポールは一人でカレッジの食堂へ潜り込んでジョンに会いに行っていた(略)
 ポールはこの時期も、ダスティ・ダーバンドの影響で文学の世界に深くはまっていた。(略)
自分はソングライターなのだという自己イメージを抱いていたが、それと同じように、今度は「思索する自分」の姿を意識的に表に出すようになった。彼はいまや「八六番のバスに乗る知的な若者」であり、バスの二階で思いにふけりながらパイプをふかし、手には『ミルクの森で』や『ゴドーを待ちながら』の本を、タイトルが見えるようにして持っていた。「ぼくは読書のほとんどを、人生の(この)ほんのわずかの期間にやってしまった……ちょっとガリ勉みたいで、いい子ぶってるなと感じてはいたけどね……まるで大学生になったかのような気分だった」(略)
自分のことを詩人のようだと思い、人々の様子を観察し、ベンチに座って自分が見たものについてちょこっと書きつけたりもした。材料を集めることに、すごく意識的になっていた。ほんとうに自分がアーティストだと思っていたんだ……頭のなかはそれでいっぱいだった」。彼はまた、専門書の書店にも足を運んだ。(略)そこは専ら戯曲や詩や小説を扱っていた。買えるだけのお金があるときは、ポールは知的で重たい本を購入した。お金がなくて、かつ誰も見ていないときは、そのまま持ち去った。

背伸びするポール

[ジョンのつてで]ポールとジョージは生まれて初めてオールナイトで催されるパーティに出席(略)
[ポール談]
「ぼくらはちょっと背伸びして、何とか年上のグループといたいと思ってたから、何でもわかってるふりをしてた」。(略)[20代の素敵な女性にモテようと]ポールはフランスの吟遊詩人を装うことにし、リバプール八地区のジャック・ブレルを目指して、ミステリアスな音楽家に見えるように黒いタートルネックのセーターを着て、ギターをつま弾き、ロマンチックなシャンソンらしき歌を口ずさんだのである。(略)
「神秘のベールに覆われた謎の人物のつもりだった。女の子たちに『あの隅っこにいる魅力的なフランス人はいったい誰?』と思わせたくてね。(略)
努力の甲斐もなく、ポールドは一度たりともフランス人として声をかけられなかった。それでも、ゼニスのギターでつま弾いた曲はまわりの人々の関心を引いた。チェット・アトキンスの〈トランボーネ〉のようなスタイルだが、ポールのオリジナルで覚えやすいメロディだった。歌詞はなく、学校でフランス語を習ったことのなかったポールは、フランス語など全く知らなかったので、曲を続けるためにただ「ルバーブ」という言葉をフランス語風のアクセントでつぶやいていた。この曲はパーティのたびにちょこっと取り上げるレパートリーとなり、その後何年も歌われていた。

ポール、ドラマーになる

[60年7月ノーマン・チャップマンに召集令状ビートルズはドラマーを失う]
ポールはクオリーメンとジェイペイジ・スリー時代に組み立てた自分のドラム・セットを持っていて(名目上は弟マイクのものだった)(略)
自分の多才なところが披露できて嬉しい反面、気持ちは冴えなかった。嫌な役まわりを押し付けられたような気分だった。マルチ・プレイヤーであることが、かえって自分の首を絞めているように感じられた。ドラマーになんか、誰が注目するもんか。ほんとうならば、ポールの立つべき位置は舞台のフロントなのだ。しかも、新しいギターを持って。(略)
スチュを妬む気持ちがかき立てられた。スチュがあいかわらずフロントに立っているのに(略)ポールは後ろに引っこんでいなければならなかったんだから。それでも、これだけは譲れないというものがポールにはあった。ボーカルをとることだけは絶対に断念しないぞと思っていたのだ。「両手でドラムを叩き、脚でハイハットバスドラムを鳴らし、先にマイクロフォンをくくりつけたほうきを太もものあいだにはさんで(略)〈ホワッド・アイ・セイ〉なんかを歌うんだ。楽じゃないよ!」
 時々ポールがフロントに進み出て来られるように、ジョンとジョージが代わってドラムを担当することもあったが、約三週間のあいだ、ドラムがポールのメインのポジションとなり、しかも確かにかなりの腕前を見せるようになった。ジョージはこう証言する。「とてもうまかったよ。控え目に言っても、問題なく見えた。おそらくその時点では、ぼくらみんなクズみたいに下手くそだったってことなんだろうけど」。

ハンブルクでのレパートリー

[ハンブルクでの最初の晩]シニアーズのハウイー・ケイシーは、故郷リバプールから新しくやって来た(略)ビートルズをあざ笑うつもりでいたのだが(略)
「とにかくびっくり仰天だった。[ビリー・フューリーの]オーディションで観たのとはまるで違った。彼らにはきらめきというのか、何か特別なもの、ほかとは違う何かがあると感じた。ぼくらもちょっとハーモニーをつけて歌ったりもしていたが、彼らはそれは見事なハーモニーを聴かせてくれた。うっとりするほど魅力的だった。どんどん伸びるグループだということが一目瞭然だった」(略)
しかし、いくら彼らのハーモニーが素晴らしくても、第一にレパートリーが少なすぎた。(略)ここでは長いときは六時間も演奏しなければならないのだ。(略)ビートルズは同じ曲を繰り返し演奏しないことを自分たちの目標に定め、チャレンジした。その結果、レパートリーを小気味よいほどに拡大することになった。「ほかにどうしようもなかったし、それよりほかは知らなかった」と言って。そして、カール・パーキンスの最初のアルバムのすべての曲、ジョニー・バーネットの最初のアルバムのすべての曲、バディ・ホリー&クリケッツの最初のアルバムのすべての曲、エルヴィス・プレスリーの最初のアルバムのすべての曲と《エルヴィスのゴールデン・レコード》のすべての曲、ジーン・ヴィンセントの最初のアルバムのすべての曲[を演奏し、さらにポールは〈ホワッド・アイ・セイ〉を15分引き延ばして歌い、ジョンも同様にエルヴィスの〈ベイビー・レッツ・プレイ・ハウス〉を]「一曲が10分くらい続くように、主旋律を何度も何度も繰り返して歌った」。ポールは〈サマータイム〉や〈虹の彼方に〉を歌い(両曲ともジーン・ヴィンセントが取り上げていたからだ)、ビートルズフィル・スペクターの〈トゥ・ノウ・ハー・イズ・トゥ・ラヴ・ハー〉を演奏し、自分たちの知っている限りのチャック・ベリーのナンバーすべて、リトル・リチャード、バディ・ホリー、コースターズ、エディ・コクラン、ファツツ・ドミノ、ラリー・ウィリアムズの全曲を演奏した。ジョンは〈ホンキー・トンク・ブルース〉のようなハンク・ウィリアムズのカントリー・ナンバーを歌い、〈ムーングロウ〉〈ハリー・ライムのテーマ〉などのオールディーズや〈マネー〉〈ベサメ・ムーチョ〉〈シェイキン・オール・オーヴァー〉〈アパッチ〉(ただしシャドウズのダンス・ステップはなしで)などの新しい曲も演奏した。

ドイツでは散々なポール

[スチュとアストリットが付き合いだし]
ポールはスチュへの嫉妬心をますます募らせた。アストリットは芸術的センスを持ち、魅力的で、教養があり、知的な女性で、ハンブルグ中産階級の裕福な家庭で育ち、コンパーチブルのフォルクスワーゲン・ビートルという自分専用の車さえ持っていた。(略)
[ポール談]
「ぼくらは狂おしいほど、もどかしかった。彼女はぼくらの誰とも恋に落ちることはなかったからね。あんな恋愛もあるなんて、ぼくらのみんな生まれて初めて知ったんだ。ぼくらの親たちだってああいう恋愛はしていなかったから。ぼくらには刺激的だった」
(略)
いっそう悪いことに、ポールはスチュが「大嫌い」だったため、必然的にスチュの新しい三人の友人たちもポールに対して反感を抱いた(略)
アストリット、クラウス、ユルゲンから見たビートルズのメンバーの優先順について、ポールは悲しい気持ちで敗北を認めている。「ジョンが二番で、これはぼくもよくわかる。ジョージが三番で、これはちょっと腹立たしい。ぼくは悪くても三番目くらいには就けると思ってたからね。それなのにぼくは四番目、ビリのピート・ベストの一つ上だなんてあんまりだ」。ところが、現実はそれ以上に厳しかった。アストリットは次のように語っているのだ。「順番で言えば、スチュアート、ジョン、ジョージ、ピート、そしてポールね。ピートのことはいい人で好きだと思ったけれど、ほんとうにとても内気だから、つい存在を忘れてしまうんです。ほんとうに、彼はいつも一人でした。ポールは『立派』で近づき難かった。社交家で如才なくて。どんなときもお行儀よく波風立てないようなふるまいをするので、気心が知れないところがありました。ポールとは、気取りのないジョンやジョージと同じようには親しくはなれませんでした」(略)
[スチュも友人への手紙で]
「おかしな話だが、ポールは遠征のあいだ正真正銘の厄介者になってしまったんだ。みんなから嫌われて、ぼくはただ気の毒に思ったよ」

下巻に続く。