「九条削除」論への反論、緊急事態条項を考える

後半をチラ読み。

立憲デモクラシー講座 憲法と民主主義を学びなおす

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〈第六講〉 憲法九条の削除・改訂は必要か …… 杉田 敦
 

井上達夫「九条削除」論への反論

(略)井上達夫さんは、いまの九条を削除し、しかも「新九条」もつくらない、ということを主張しています。彼によれば、安全保障の問題は本来政策問題であり、その都度民主的に決定されるべきことだから、憲法に書かれるべきではないのです。憲法の役割は、権利の保護とか制度規定とか、政治的な議論のための土俵の整備に限られる。憲法は政治的決定の正統性を確保するためのルールにすぎない。その土俵の上で、どういう政治的決定をするかという内容に関わってはいけないのだ、というわけです。
 これに対して、いくつかの反論をしておきます。第一に、憲法には価値に関わることはいっさい書いてないかと言えば、そんなことはない。先にもふれた憲法二五条の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という規定。これは、個人の生活に政府が介入すべきではないとし、福祉国家はもとより、租税にさえ反対するような自由放任主義思想の人びとから見れば、明らかに価値観を含んだ規定です。こんな条項は、自分たちの政治思想を差別している、ということになるでしょう。井上さんは、こういうものも削除すべきだというのでしょうか。
 また、九条と自衛隊の存在とが「ねじれ」ているという人びとは、自己責任がいわれ、格差が広がるいまの社会では、二五条も「空文化」し「すでに死んでいる」ので、こんなものは要らないとでもいうのでしょうか。井上さんは、文理解釈にそぐわないような条項を置いておくと人びとが憲法を軽んじるようになるので、九条護憲こそが立憲主義を損なっているという言い方もしています。俗耳に入り易い議論ですが、立法の原理と現実とが食い違うと立憲主義が損なわれるというのは、まったく間違っています。現実に迎合するのではなく、実態と異なる理念を立てているからこそ、憲法は現実を規範的に動かして行く作用をもつわけです。実態に条文を合わせることが立憲主義を保障するといった主張は、誤りです。
 「九条削除」論に反対する第二点として、「規制を撤廃すると自由な市場が出現してくる」という、井上さんの根底にある発想自体が疑わしい。(略)新自由主義者たちが主張するような形で政府による規制を撤廃しても、個人が勝つ見込みなどなく、強い大企業の主張がすべて通るようになるだけです。まして、思想的・言論的な争いや政治的な議論に関して、形式的に自由な市場をつくることは何をもたらすのか。
 井上さんは、九条は軍事的なものを制約しようとする側にとって有利で、軍事的なものを拡大しようとする側にとって不利だから公正ではない、と言います。いわば土俵が傾いている、というわけです。しかし、安全保障問題というのは、他の問題にもまして、政府に対抗する言論を立てるのが困難な分野であることを彼はいっさい考慮していません。政府はさまざまな情報を持っているし、それを秘匿します。特定秘密保護法ができる前から、さまざまな機密はありました。政府がこのような軍事的な行動が必要だ、それをしなければ国家は危機に陥ると主張した時に、データに乏しい側はどうやって反論することができるのか。かといって、政府の言うなりにしておけば、しばしば暴走し、不要な軍事行動に走ることは歴史が証明しています。したがって公正な議論を保障しようとすれば、あらかじめ政府に対して厳しい立証責任を課しておくこと、つまり九条のような規定をもつことは、きわめて合理的なのです。関連して、もしも自由で平等な議論空間ということを言うならば、メディアの自由が絶対的に必要ですが、報道への介入が進むいまの状況で、そうした点への考慮なしに形式的な平準化を言うのは無責任です。
 このように言うと、それなら憲法九条にあたるものがないアメリカなどでは、安全保障について公正な議論ができないとでも言うのか、と批判されることがありますが、私に言わせれば、できていません。アメリカでは、アイゼンハウアー元大統領自身が指摘したように、単産複合体、あるいは軍産官学複合体のようなものが高度に発達し、議論空間を歪めています。
 井上さんは、長谷部さんや私のような議論はエリート主義であり、人びとが安全保障政策についてきちんと議論できないと見なす反民主主義なのだ、だからこそ九条を削除するととんでもないことになると言っているのだ、とも言っています。しかしこれは誤解であり、私は国民に能力がないということを主張しているわけではありません。本当の意味で民主的に議論することを阻むような圧力が、議論空間にははたらいている。そのことを意識しないと非常に非現実的な議論になるということを言っているのです。(略)

〈第七講〉 座談会 緊急事態条項を考える

…… 長谷部恭男・石川健治・杉田 敦(司会)

長谷部 (略)ドイツでは、緊急時の権限の集中の度合いにも厳密な歯止めをかけており、権限の集中と同時に、立法・司法・行政の密接な協力と相互抑止の仕組みを設けているのです。
 しかし日本では、ドイツでは必要だった防衛上の緊急事態条項の必要性はきわめて乏しいと言わざるを得ません。というのも、日本はドイツのような連邦制国家ではなく、立法権連邦議会と州議会とに厳格に分配されているわけではないからです。つまり、日本はドイツとは違って、緊急事態だからといって各州の立法権を連邦へと吸い上げる必要性がもともと存在しない。近ごろ話題となった日本国憲法五三条に基づいて、内閣が早急に国会を召集し、必要な法律を作ればよいだけの話です。
 また、ボン基本法で言及されている公用収用の問題は、日本では有事法制災害対策基本法のような関連法令で解決済みです。身体の拘束についても、日本では刑事訴訟法上、もともと身柄拘束の期間が長い。そもそも、緊急事態に限って国民の基本権に特殊な制約を加えることは、有事法制があることからも分かる通り現憲法下でも十分に可能です。
 憲法の文言に「非常事態」や「緊急」と書かれているか否かにこだわることに、いかに意味がないか、これまでのご説明でご理解いただけるかと思います。

憲法制定権力

長谷部 (略)シュミットが『独裁』のなかで「憲法制定権力が抜き身で登場する」主権独裁の典型的な例として挙げているのは、フランス革命時、とりわけ、ロベスピエールが主導していたときの国民公会です。つまり、「革命の敵」だといえば、密告に基いて次から次へと人々を拘束し、即決裁判に基いてギロチン送りにしていた時のことです。(略)
石川 (略)普通の憲法学者憲法制定権力論を採らなかったのは、その理論が大まか過ぎて技術的な法律論には使用に堪えず、その後、もっと使いでの良い法学的な国家論が開発されてきたからです。比喩的に言えば、憲法制定権力論はいったん「博物館行き」になった理論でした。
 しかし、ロシア革命とドイツ革命の勃発を受け、そうした革命的な事態を説明するための、いわば「革命の憲法学」が必要になりました。それまでの法律学的な「平時の憲法学」は、例外的な状況を説明するのに不向きであったために、かつてフランス革命を説明するために鋳造された憲法制定権力という概念を、埃を払って復活させることになりました。憲法制定権力論の復権を図った何人もの論者のなかで、際立ってブリリアントな議論を展開したのがカール・シュミットです。ですからその議論は、革命的な状況を説明する際には非常に鮮やかなものになる一方、つねに革命的にひっくり返りかねない不安定な状況を、平時においてつくりだしていく側面もある。シュミットが当初からワイマール体制をひっくり返そうと企てていたのかどうかは議論が分かれるところですが、危険な議論を持ち出してきたことに変わりはありません。
(略)
[シュミットは]「例外状態において誰が何を決めるのか」が一番の本質であるといった。それ自体は鋭い認識ですが、その点に照準を合わせて考えると、むしろ立憲主義的な制度がどうであるかは副次的な問題になるというふうに、いわば原則と例外をひっくり返した憲法解釈論に持っていったのです。そこが彼の議論の強みでもあり、危険性でもあった。本当に想定外の例外状況が起こった場合にどう処理するかということは、法理論上の問題としてあるわけですが、いま議論されているのは、これまではアブノーマルだと思われていた事態をノーマルなものにしていこうという制度上の議論ですので、その議論は分けて考える必要がある。ですから、「こんなことまで普通にできてしまうんだ」という「普通」の範囲を広げることの危険性を、まずは意識していただきたいのです。

緊急事態条項

 石川 (略)大日本帝国憲法における緊急事態条項として、「天皇の緊急勅令大権」の制度が用意されていました(略)さらに「戒厳大権」といって、天皇が戒厳大権を行使することができるようになっていました(略)
戦後に憲法をつくりなおそうというときに(略)戒厳はそもそも軍隊がないのだから不要だと整理され、非常大権も廃止が決まっていました。唯一残ったのが天皇の緊急勅令ですが、これについても、勅令の内容を決定・審査する機関として、帝国議会に閉会中も活動する「常置委員会」を新設して、緊急事態に対処させようというアイディアが出ていました。この日本側のアイディアが、GHQの介入の後も形を変えて生き残り、参議院の緊急集会の制度に結実しました。ですから日本国憲法は緊急事態を知っている憲法であり、なおかつ戦前の憲法のあり方をもう一度整理しなおして、参議院の緊急集会の制度を用意するという、首尾一貫した選択を行った憲法なのです。
 そのような憲法の緊急事態条項を、いまあえて変えようというわけですから、そこで何がなされようとしているのか、ぜひ注目していただきたい。緊急事態というと自然災害や外敵の侵攻だととらえがちですが、前者については法律の整備がすでに進んでおり、後者については日米安保条約によってイニシアティブはアメリカ側に握られていますから、おそらく議論の核心として次第に意味をもってくるのは、かつて戒厳と呼ばれていた、内的な緊急事態への対処の論点になるはずです。隠された動機ともいうべき「戒厳」の問題に、もう少し光を当てていく必要がある。

ボン基本法

 石川 (略)ボン基本法はきわめて護憲的な憲法であるということを、ここでもう一度強調しておきたいと思います。(略)これまでに60回近い改正を経験しました。この点を、憲法改正に積極的な論者はよく引き合いに出しますが、改正回数がやたらに多いのはドイツが連邦制を採っているからです。(略)州が持っていた権力を連邦に移す場合や、権限分配のあり方を整理する場合にも憲法改正が必要になる。郵政民営化をするにも憲法改正が必要だったほどで、とにかくちょっとしたことでも憲法を改正しなくてはならない。
 ところが、憲法の根幹については執拗なほどに護憲的です。冷戦下でつくられた背景からして、「自由で民主的な基本秩序」と憲法で謳う、西側の憲法体制へのコミットメントがきわめて強く、西ドイツ国民をそれに向けて縛り付けてきたのです。戦後すぐに共産党違憲判決が出たことや、最近でもネオナチの違憲の手続きが動きはじめているように、「自由で民主的な基本秩序」の擁護に極めて熱心です。(略)
ボン基本法は、俗に「たたかう民主制」と言われ、民主制の敵、あるいは憲法の敵には自由や権利を与えない。西ドイツは、一方ではコミュニズムの脅威にさらされ、他方ではナチズムを内側からつくってしまった負い目があるからです。だからこそ、戦後は真っ当な憲法体制でやっていくのだという強い意志を持ち、それを憲法裁判所によって担保し、国民みなが憲法に対して忠誠を誓うという「憲法忠誠」といわれる枠組みを採ってきたのです。(略)
ドイツを引き合いに出すときには改正の回数ではなく、それが「自由で民主的な基本秩序」に執拗にこだわってきた護憲的な憲法であって、護憲のためには左右両極を排除することも辞さなかった、という事実を念頭に置く必要がある。

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