安全保障を問いなおす―「九条-安保体制」を越えて

安全保障を問いなおす 「九条-安保体制」を越えて (NHKブックス)

安全保障を問いなおす 「九条-安保体制」を越えて (NHKブックス)

 

岸と安倍の共通点

岸による安保条約改定と安倍による集団的自衛権の行使容認には、国論の分裂を助長し日本社会の亀裂を深めたことに加え、日本の安全保障を考える上でのより本質的な共通点がある。それは、占領期の仕組みから脱するべく日本の自立を希求しながら、その政策面での帰結が日米安全保障関係の強化をもたらした、ということである。岸は、「日米関係の対等化」をスローガンに安保条約の改定に熱意を示した。(略)[しかし]その結果成立した現行の日米安全保障条約は、日本の防衛と安全保障を米国に依存する仕組みをいっそう制度化することになった。
(略)
戦後レジームからの脱却」という衝動に突き動かされる安倍の政策が、結局は「九条−安保体制」を、すなわち「戦後レジーム」を延命させることになったのである。岸と安倍の本質的な共通点とは、そのことにほかならない。

94年自社さ連立政権

[村山首相は自衛隊合憲を表明]
 こうして「九条−安保体制」の一角を支えていたそれまでの社会党路線は政治の舞台から消滅した。しかしながら、そのことが「九条−安保体制」の崩壊をもたらしたわけではなかった。社会党の「非武装中立路線」はすでに有名無実化していたが、「左」の護憲の立場に変化はなかった。村山の首相としての所信表明は、「左」が日米安保を認めることで「九条−安保体制」に引き込まれたことを意味していた。逆からみれば、「非武装中立路線」の終焉が必ずしも「右」の長年の思いである憲法改正につながらなかったことも、「九条−安保体制」の強靭さを証明したともいえる。「左」の路線が内向きであったことは事実であるが、別の意味で「右」も内向きである限り、左右の自意識とは離れて「九条−安保体制」が機能し続けたのである。

「左」からの改憲

[「右」が優勢となった]現状での「左」の典型的護憲論として、自分たちが踏みとどまらなければ改憲派に「やられてしまう」という思いがある。しかしながら、「左」が今の護憲の立場に踏みとどまっていては、「左」への攻撃を糧にして相対的に「右」の力が強まることとなるだろう。それでも「九条−安保体制」は継続するのであるから、政治と外交の閉塞状態も続くことになる。だから、「九条−安保体制」を越えた第三の道を拓くためにこそ、「左」からの改憲案が求められるのである。繰り返しだが、「左」からの改憲の前提かつ原点にあるのは戦争責任に向き合うことである。その上で、国際主義に立脚した軍事力の効用も認めなければならない。そこでようやく、憲法や日本の安全保障政策をめぐって、歴史を乗り越え国際社会に通用する真の国民的議論が始まると思うのである。

集団的自衛権

日本が韓国や豪州と同様の集団的自衛権を対米同盟に持ち込んだ場合、日本の軍事的役割は「太平洋地域」を越えるのだろうか。
 おそらく答えは「ノー」、よくて曖昧である。(略)
普通の国」の役割を果たせないからこそ、無理をしてでもグローバルな役割を求めようとしているところがある。しかし、日本が普通に集団的自衛権を行使できるようになれば、「太平洋地域」を越えた軍事力の使用に踏み込めるだろうか。
(略)
「左」はもちろんのこと、実のところ「右」にとっても、前章でみたように集団的自衛権の完全なる行使へと踏み込む発想も準備もなさそうなのである。まさに「九条−安保体制」下での本質的な歪みである。
 そこに、「九条−安保体制」を越えた第三の道に進む際の、ひとつの大きな障害がある。

後ろ向きの「ルサンチマン」に突き動かされる「右」からの改憲の意欲は衰える気配はない。今後も、憲法第九条の改正は実現しないままに、「九条−安保体制」下での安全保障論議と政治の混迷が続くことが予想される。そんな今こそ、1990年代に萌芽がみられた国際主義を再発見し、安全保障政策の再構築を構想することで、悪循環から脱しなければならない。
 すると、「左」からの改憲論は、必ずしも「右」の改憲論と競い合うことが目的ではない。戦争責任を受け止め、リベラルな国際主義に立つ改憲こそが、「九条−安保体制」を越えた第三の道を切り拓くことができると思うのである。

日韓豪協力

対米同盟をめぐり日韓豪協力が目指すべきものは、抑止ではなく「ヘッジング(リスクヘの備え)」である。(略)
中国の冒険主義に対する抑止効果は、束アジア諸国間の実体のある安全保障協力を着実に進めることによって、その総合的な結果として生まれると考えるべきである。日本が中国に対する抑止を声高に唱えれば、韓国も豪州も動かない。
 最近、安全保障問題をテーマとする日米間のセミナーや国際会議で、日本側の参加者が米国の対中警戒心が十分でないことに注文をつける場面をしばしば目にする。多くの場合は、尖閣諸島問題を意識した発言である。そうした時、米国側は議論を返さず、「またか」といった顔をして聞き流すことが多い。日本の政府関係者も、米国が尖閣諸島防衛に明確にコミットしないと日米同盟が損なわれる、といった警告めいたことばを発することがある。
 そこで思い出すのが(略)[ワシントンの戦略国際問題研究所での尖閣有事シミュレーション。米政府要職経験者が参加した]状況分析や米国の対応をめぐる議論の底流に、ひとつのサブテーマが一貫して流れていることに気づいた。それは、米国の対応が下手に日本を勇気づけ、日本が中国に対して過剰に強硬になることに対する警戒心であった。
 ここで、第五章で紹介した豪州の日本に対する期待と懸念を思い出したい。豪州は日本との安全保障協力に期待し、日本の役割自体は歓迎しながらも、そのことが中国との関係におよぼす影響については懸念を抱いている。日本と韓国の間の中国認識における溝はより深いが、米国や豪州においても、日本の中国脅威認識が特出していることへの懸念は、必ずしも小さくはないのである。そこに、米国との同盟を豪州や韓国との間で「多角化」していく際の、日本にとっての重要な課題があるといえる。
 第四章で考察した日本外交の国際主義から自国主義への変調が続けば、日本の安全保障政策は第五章で構想した第三の道からむしろ遠ざかることになるだろう。そのことを象徴的に示したのが、「平和安全法制」において憲法第九条の再解釈によって集団的自衛権の行使が容認されたことであった。それは、憲法第九条の改正による集団的自衛権の行使という、安全保障政策の「王道」を閉ざした。その結果、集団的自衛権は日本の「存立危機事態」でのみ行使されることとなったのである。