集団的自衛権の深層 松竹伸幸

新書696集団的自衛権の深層 (平凡社新書)

新書696集団的自衛権の深層 (平凡社新書)

 

国連の活動と集団的自衛権は異なる

集団的自衛権とは、国連として何らかの軍事的措置をとるという合意ができるまでの間、各々の国家が国連とは無縁に独自の立場で行使する権利のことである。国連軍や国連PKOに参加した際の自衛隊による武器使用は、武力の行使という範疇に入る問題ではあるが、国連の合意にもとづく活動であって、個別国家による集団的自衛権とはまったく異なる概念である。(略)
「報告書」がそういう国連の活動を日米同盟に関わる問題と同列に論じているのは、集団的自衛権がPKOと同様、国際社会によってオーソライズされているかのように描きだそうとするものであって、ここにも虚構が見られる。
(略)
「報告書」を貫くのは、世界の安全保障環境が変化したから集団的自衛権が必要になっているという、その一点に尽きるといってもよい。(略)
 世界の安全保障環境が変化したのは事実であろう。(略)けれども、その変化の結果、なぜ集団的自衛権なのだろうか。新しい脅威としてテロが強調されるが、「報告書」などにおいて強調される米艦船への攻撃とかミサイル発射などは、従来型の戦争なのである。世界の変化とは何も関係がないではないか。

集団的自衛権と集団安全保障はまったく異なる

 ところが、「報告書」は、そこから先に虚構をつくりだす。集団的自衛権と集団安全保障をわざと混同させるのである。たとえば以下のような記述がある。
 「(略)安全保障上の脅威が多様化する中で、国際社会としての共同の取り組みが重視されるようになってきているのが、現在の安全保障環境の特徴である。我が国にとっても、自国の安全保障のために自らの防衛体制を実効的なものとして維持していく必要性はいささかも低下していないが、これに加えて、日米同盟を更に実効性の高いものとして維持し、国際社会全体との協力をするための努力が求められている。我が国の安全保障政策に関する法的基盤も、また、このような観点から見直してみる必要がある」
 これは、一国で安全保障に対処する時代は過去のものになったとして(それ自体は私も正当だと考える)、共同で対処すべきだという打ちだしである。しかし、共同対処に集団安全保障も軍事同盟も含まれるというのは、まったくの間違いである。(略)
 そもそも政治学の世界において、安全保障を一国か複数(共同)かで区分けする考え方は、どこにも存在しない。存在するのは、先ほどのべたように、個別的安全保障か、集団安全保障かという区分けである。(略)
 集団安全保障でいう「集団」というのは、複数などというものではなく、対立している国も含めすべての国が同じ機構をつくるというものである。国連はまさにそういうものである。アジアでもし集団安全保障機構ができるとすれば、アメリカや日本などだけでなく、中国や北朝鮮も含まなければ、そういう名称を使うことはできない。
 それに対して、個別的安全保障というのは、一国であれ複数であれ、仮想敵を想定して対処するというものである。そのうち複数で対処するのを軍事同盟という。そして、集団的自衛権というのは、まさにその軍事同盟のための考え方なのだ。数が単独でないことをもって、集団的自衛権と集団安全保障を同じものであるかのようにみせかけるのは、詐術といってもいいほどのものである。
 しかも、「報告書」の重大な問題は、集団的自衛権と集団安全保障を混同させることにより、集団的自衛権についてまで国際社会の理解がすすんでいるかのように描きだしていることである。
 それこそ最大の虚構だといわなければならない。第二次大戦後の冷戦期において、そして冷戦終了後も、集団的自衛権が行使される実例は存在した。それについて国連の安全保障理事会や総会での議論が積み重ねられた。国際司法裁判所での審理もされている。
 しかし、そこから導きだされるのは、集団的自衛権が国際社会の理解を得られたというものではなかった。それどころか、集団的自衛権にどう制約をかけるのかが、国際社会による努力の中心に座ってきたというのが、歴史の教えるところである。

集団的自衛権事例

 集団的自衛権をかかげた軍事行動のなかで、戦後はじめての事例は何か。それは、1956年のソ連によるハンガリーへの軍事介入であった。(略)
[国際的批判]にこたえ、ソ連が国連総会の議論の場で持ち出したのが、集団的自衛権であった。ハンガリーからの要請があったので、集団的自衛権にもとづき、軍隊を派遣したというのである。
(略)
たしかに、ハンガリーの党内の一部は、ソ連軍出動の要請をしたとされる。けれども、ハンガリー政府は、一度たりともソ連に要請をおこなわなかった。政府が要請した相手は国連であり、その内容は、ソ連軍の攻撃から守ってほしいというものであったのである。(略)
 こうして、集団的自衛権をかかげておこなわれた世界で最初の軍事行動は、「自衛」とは何の関係もない干渉行為でしかなかった。集団的自衛権は、その最初の実例から、不法行為と密接に結びついていたのである。
(略)
[アメリカのベトナム侵略戦争]
64年、アメリカはトンキン湾沖の公海上で自国の駆逐艦が攻撃を受けたとして、北部への空爆と地上部隊の大量派兵へとのりだしていった。(略)
[のちに暴露されたように、アメリカは]自分で「武力攻撃」を起こして、自分で自衛権を発動したのである。
 ただしこれは個別的自衛権である。ベトナム侵略戦争への批判がさらにひろがってくると、アメリカは、この戦争をもっと「論理的」に正当化する必要に迫られた。(略)トンキン湾事件のようなでっち上げを何回もくり返すわけにはいかないので、個別的自衛権という口実は使えない。しかし、集団的自衛権をもちだすにしても、北ベトナム南ベトナムを武力攻撃しているという論証が必要となる。(略)
 報告の核心は、ベトナム戦争はゲリラ戦争であり、国連憲章が想定したような戦争ではなく、こうした戦争における「武力攻撃」は、憲章第五一条が想定する伝統的な概念とは異なるのだという、いわば開き直りにあった。そして、北部からの要員の侵入や武器の供与なども立派な武力攻撃にあたるというのであった。

[以上集団的自衛権発動事例を検証してわかるのは]
 何よりもまず、集団的自衛権を行使した実績のある国の少なさに気づかれるであろう。(略)
米英ソ仏という、世界のなかの超軍事大国だけだったのだ。
 日本で集団的自衛権を認めよという人がいつも口にするのは、この権利は世界のどの国もが保有しているものであって、それを行使する国こそが普通の国だということである。そして、日本だけが憲法九条の制約によってこの権利が行使できないことを、国際的に異常であるとして批判するわけだ。
 ところが、集団的自衛権の実態をみるやいなや、その根本のところで、事実関係に違いがあることが分かるのである。集団的自衛権とは、きわめて少数の、しかも超軍事大国だけが行使してきた権利だということである。
 もうひとつ驚かされるのは、現実と建前との乖離であろう。集団的自衛権というのは、国連憲章であれ日本政府の解釈であれ、ある国が「武力攻撃」を受けたとき、その国を援助するために発動される権利だというのが建前だったはずである。(略)安倍首相の「懇談会」が提出した「報告書」が強調する事例も、アメリカが武力攻撃を受けるという事態が想定されているわけである。
 ところが、実際に発動された事例をみると、そういうものとはまったく無縁なものとなっている。別にどの国も「武力攻撃」を受けたわけではないのに、アメリカやソ連などの方が、攻撃をしかけているのだ。(略)
[しかも]日本政府の解釈によれば、集団的自衛権というのは、「同盟国」を助けるものだったはずである。ところが、実際に発動された事例をみると、その「同盟国」が武力攻撃の対象になっているのである。
(略)
これらの事例に共通するのは、軍事同盟の内部にあって、大国のやり方に批判をつよめ、自主的な国づくりをやろうとする政権が生まれたり、あるいはそういう政権の発足が現実味を帯びる段階にまで発展した場合、大国が介入して、その流れを押しつぶしたということだ。(略)
 要するに、集団的自衛権というものの実態は、「自衛」とは何の関係もないのはもちろん、二重にも三重にも違法な武力行使だったということである。国際法に対する重大な違反だったのだ。

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憲法九条の軍事戦略 (平凡社新書)

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「国防の基本方針」

 52年の独立とともに、日本政府は、自衛隊の発足をめざして、長期の防衛計画の策定に着手する。(略)
アメリカからは、在日米軍のうちの陸上兵力を引き揚げたいので、日本はそこを代替すべきだと要求がだされていた。これは、ソ連との地上戦は日本側に担わせることを意図したものであった。それに対して、日本からは直面する戦争の態様を考えれば、防空兵力を重点とすべきだという構想が打ち出されたこともある。
 しかし、自衛隊の発足にあたり、最終的に日本が選択したのは、アメリカの求めに応じて、陸上自衛隊を強大化し、18万人にする体制である。防空を重視するという日本側の自主的な判断は、アメリカに考慮されることはなかった。その結果、たとえばソ連との攻防の最前線になると想定された北海道には自衛隊が配置され、米軍は北海道から引き揚げることができたのである。
(略)
[57年に閣議決定された「国防の基本方針」]にみられるように、日本は自衛のための防衛力を持つという。しかし一方で、「侵略に対しては」、日米安保で対処するというのである。少なくとも文面上、侵略された際に日本が何をやるのかという問題は、一言もふれられていない。自衛隊の役割を検討しないまま、ただアメリカに頼ると言う表現が「国防の基本方針」の神髄だったのである。