ウェーバーと「戦争責任」

それまでの「無差別戦争観」に代わり「戦争責任」が明示されたヴェルサイユ講和条約に対するウェーバーの考えとは。

ウェーバーの講和反対理由

[協調的講和を志向していたウェーバーだったが、内政の民主化と講和を結びつけるのは賢明でないと]
「講和決議」には当初反対の態度をとっていた。連合国側は「講和決議」をドイツの弱さの表われとみて、さらに体制変革を促そうとするかもしれないし、それはかえって講和の実現を遠のかせる。国内の民主化それ自体にとっても講和問題との結合は必ずしも望ましいものではない。「憲法は外国から押しつけられたのだ」と後々まで反動勢力から批判されるような事態は何としても避けなければならないし、他方で民主化すれば講和が可能になるという幻想を広めるという意味でも危険である、というのがその理由であった――そうした幻想が講和の現実によって崩された後に深刻な反動がきたという点ではウェーバーの予想は当たっていた

帝制維持のため自発的退位を

ウィルソンが君主の退位を要求することはいずれにせよ間違いがないとウェーバーは予想していた。だからこそ、アメリカ側から具体的な退位要求が出される以前に皇帝は自発的に退位して、国民に対する敗戦の責任を明らかにすべきである。国内世論に押されて不承不承退くというのではその効果は半減する。いやそれどころか外国の要求に応じて退位させられるというのでは逆効果となりかねない。誰に強制されたのでもない自発的な退位によってこそ皇帝と帝制の「名誉」は守られるし、それによって国民が帝制に寄せる信頼と威信はかえって揺るぎないものとなるだろう。そのようにしてはじめて帝制とドイツの君主制は維持することができる。このようにウェーバーは考えたのである。
(略)[ただ皇帝ウィルヘルムの「親政」や資質人柄に対しては批判的だった]

戦争責任

戦争においても「正しい」ものが常に勝つとは限らない。だから勝利した方が、勝ったという事実に加えて、だから自分は相手より「正しい」などと主張するのは、敗者に対して敗北という結果だけでなく、道徳的に不当であったという責任を押しつけるものであって、これは勝者の独善であるというのである。
(略)
 敗者の側が敗北という事実を正面から受けとめられずに、その原因を他者に求めたり、不正な戦争目的に求めるのも裏返しの自己正当化にほかならない。自国の「戦争責任」を告発したり、あるいは戦争そのものを悪として追及するという志向の内にも、そうした自己正当化の意識が働いている
(略)
戦勝国フランスでは、それこそ普仏戦争の敗戦の復讐を求めて国民感情は沸き立っている。(略)
かたや敗戦国ドイツにおいては、戦争指導者への批判や、あるいは戦争を絶対悪として、それに手を貸した下手人さがしが行なわれている。「戦争責任」追及の背後には自らを「正義」の立場におくというかたちを変えた復讐感情が存在する。いかに「正義」や「国際協調」といった美しい理念が語られていようとも、それが復讐感情に基づいている限り本当の和解は不可能であるし、むしろ現実的で妥当な戦後処理を妨げるものでしかない。
(略)
 しかも大衆の政治参加とナショナリズムの高揚は「国民の正義」というかたちで「正義」への要求を政治の世界にもちこむことになる。
(略)
生命以外に失うべき財産や地位をもたない大衆ほど「投機的」に戦争熱に駆り立てられやすい(略)そうした観点からいえば、[領土も賠償金も得られない]現状維持の講和こそ「戦争」の信用を長期にわたって失墜させて「平和」の威信を高める現実的な手段だということになる

戦費ではなく損害賠償

連合国がドイツに要求する賠償金はドイツが現実に支払いうるものでなければならない。アメリカの側からこれをいいかえれば、ヨーロッパでの戦争のツケはヨーロッパ各国の間で可能な範囲で処理しなさい、多額の賠償を請求してドイツが支払えなくなったからといってアメリカはドイツに援助したりしないし、連合国のアメリカヘの債務を帳消しにしたりはしませんよ、ということが暗に含まれていた。
(略)
[大戦前までは敗戦国が戦費を賠償するのが常であったが、上記観点から]
アメリカ側の講和委員が賠償(reparation)の語を戦費(war cost)ではなく戦争による損害(war damages)の補償に限定しようとしていた

皇帝の責任

ウィルソン渡欧前の段階で、ヨーロッパの連合国指導者の間では国際法廷を設置して皇帝を刑事訴追するという方向での合意が成立していた。これに対してウィルソンと合衆国政府は当初から消極的な態度をとっている。皇帝個人はいわば体制の犠牲者であり、限定された個人的責任を問うべきであるというのがウィルソンの立場であった。

戦争観の転換

皇帝の訴追規定ならびに賠償問題における「戦争責任条項」が定められたことをもって、ヴェルサイユ講和条約は旧来の主権国家の基本的な戦争観(無差別戦争観)からの転換、戦争の不法行為化の起点として位置づけられることになるのであるが
[これはウィルソンの本来の講和構想の対極にあった]

大戦の原因と責任がドイツと皇帝にある、少なくとも道義的に責任があることはウィルソソにとって自明のことであった。したがって連合国側との交渉の過程でこの点が付加されたことは、彼にとって根本的な立場の修正や余儀なくされた妥協を意味していたわけではない。むしろ皇帝訴追や「戦争責任」問題がドイツにとって受け容れられない最後の条件だということの方がウィルソンの想定外にあった。だが、まさにドイツ側はこの「戦争責任」問題に敏感に反応し、しかもウィルソン的な講和原則を根拠にしてこれを拒否しようとしていた

ドイツの戦争責任を追及する連合国側にドイツ代表ブロックドルフはこう反論し、連合国側に悪印象を与えた

戦争責任について、ドイツの帝国政府が戦争の勃発に共同責任を負うことは認めよう。ただしそのより深い原因はすべてのヨーロッパ諸国の帝国主義にある。「報復政策、拡張政策と民族の自決権の無視が世界大戦というかたちで自らの危機を身をもって体験したところのヨーロッパの病に大いに寄与した」のであり、最後にロシアの動員が戦争への決定を軍の手に委ねることになったのだ

因果はめぐる

[ウェーバーは1917年の]ブレスト=リトフスク講和の失敗の原因をトロツキーの態度に求めている。いわく、われわれは現実的な講和を求めて誠実に対処したが、トロツキーボリシェヴィキ社会主義の実験を国内にとどめることに満足できず、「平和」や「自決」という言葉を濫用してドイツに内乱をもたらそうとした。
(略)
 だが軍事的な優位に基づいて一方的な講和をソヴェト・ロシアに強制したドイツは後に逆の立場に立たされることになる。アメリカ合衆国と世界に対して「公正な講和」を訴え、屈辱的な講和条件を呑むかどうかで苦悩するドイツ政府の態度は、ドイツ・ヨーロッパにおける革命の勃発に期待をかけて無併合・無賠償の諸国人民の平和を世界に呼びかけるトロツキーや、屈辱的な講和にあくまでも反対するブハーリンの態度と重なってくる

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